抑留者引揚 掩護史

 

抑留者引揚 援護史

第二次世界大戦の終結後、海外に残された日本人は総人口の約9%にあたる660万人(軍人・軍属330万人・

一般人300万人)以上といわれ、昭和20年9月28日横浜、浦賀、舞鶴、呉、仙崎、下関、門司、博多、佐世

保、鹿児島の10港が引揚港に指定され、引揚業務を開始した。

当初は軍人・軍属が引揚の主体であり、一般邦人の受入体制はほとんど出来ておらず、計画もされていなかった。

しかし軍隊に守られていた海外邦人の生活は敗戦による国威失墜によって社会秩序が崩れ、これらの人々は内乱や

政情不安が続く異郷から短期間に且つ一斉に帰国させなければならなかった。

 

昭和20年の暮れ、GHQ司令部から「引揚に関する基本方針」が出され、一般人の本格的な引揚業務が開始され

ることとなった。

ところが戦時中に大量の輸送船が徴用され喪失したため輸送機関の不足が障壁となったが、アメリカから200余

隻の舟艇が貸与されたことにより、引揚作業は急速に進展した。

 

援護史

昭和20年 8月15日 終戦

昭和20年 8月23日 ソ、日本人のシベリヤ抑留を決定

昭和20年 9月18日 上陸港を指定

           舞鶴浦賀、呉、下関、博多佐世保鹿児島、横浜、仙崎門司(10港)

昭和20年11月24日 地方引揚援護局を設置

           舞鶴、浦賀、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島(7局)、横浜、仙崎、門司(3出張所)

昭和20年12月14日 地方引揚援護局を設置  函館、大竹(2局)、宇品(1出張所)

           地方引揚援護局を廃局  呉(1局)、横浜(1出張所)

昭和21年 1月 8日 宇品出張所を援護局に改組

           大竹出張所を援護局に改組

昭和21年 1月23日 門司出張所を戸畑出張所に変更

昭和21年 2月20日 地方引揚援護局を設置  田辺唐津、別府(3局)

昭和21年 3月26日 地方引揚援護局を設置  名古屋(1局)

           地方引揚援護局を廃局  別府(1局)

昭和21年10月 1日 仙崎出張所を援護局に改組

           地方引揚援護局を廃局  下関、田辺、唐津(3局)、戸畑(1出張所)

昭和21年12月16日 地方引揚援護局を廃局  仙崎(1局)

昭和22年 2月 1日 地方引揚援護局を廃局  鹿児島、名古屋(2局)

昭和22年 2月21日 地方引揚援護局を廃局  大竹(1出張所)

昭和22年 5月 1日 地方引揚援護局を廃局  浦賀、博多(2局)

           地方引揚援護局を設置  横浜(1局)

昭和22年12月31日 地方引揚援護局を廃局  宇品(1局)

昭和23年 5月 3日 引揚援護庁の設置に伴い地方引揚援護局を閉局

昭和25年 4月  日 日、国会で「在外抑留同胞引揚に関する決議」採択

昭和25年 4月  日 日、国連へ提訴、国連は捕虜特別委員会を設置

昭和28年 3月 5日 北京協定、「日本人居留民帰国問題に関する共同コミュニケ」発表

昭和28年 3月23日 中国引揚再開、帰国第一船「興安丸」が舞鶴入港

昭和28年11月19日 日ソ赤十字「日本人捕虜他、ソ連領土よりの送還関する共同コミュニケ」発表

昭和28年11月30日 ソ連引揚再開

昭和30年 6月 1日 日ソ交渉開始、シベリヤ抑留者全員の即時帰国を要求

昭和31年10月19日 日ソ共同宣言・通商議定書調印、抑留者全員の釈放決定

昭和31年12月26日 シベリヤ抑留者の最終梯団が帰国(興安丸にて舞鶴に入港)

 

 

引揚港 開局期間と引揚者数

港 名

開局期間

引揚者数

舞  鶴

13年 1月

682,272

横 浜

8年 2月

1,971

博  多

4年 6月

1,392,429

佐世保

4年 6月

1,391,341

函 館

4年 2月

311,172

宇 品

2年 1月

169,386

浦  賀

1年 6月

564,625

大 竹

1年 3月

410,783

鹿児島

1年 3月

360,924

仙 崎

1年 2月

413,961

名古屋

1年 0月

259,589

下 関

1年 0月

戸 畑

9月

田  辺

8月

220,332

唐 津

8月

門 司

2月

1月

別 府

1月

 

千鳥が淵戦没者墓苑

東京都千代田区

引揚に伴う死没者の永遠の平和祈念碑

碑文

昭和20年8月、今次大戦が終結し、終戦の大混乱の中、生活のすべてを失い、苦難の末祖国に引揚げて

こられた方々は約320万人にも及んだ。

しかし、終戦の失意と疲労困憊の極限状態にあった引揚者にとって祖国への道のりは遥かに険しいもので

あり、引揚げの途中、20万人余りが犠牲になった。

これら引揚者の過酷な体験を記憶し後世に伝えるとともに、犠牲となられた方々への深い哀悼の意を表し、

恒久の平和を祈念して、この碑を建立する。

平成22年8月竣工 独立行政法人 平和祈念事業特別基金 設置

 

築地本願寺

東京都中央区

台湾物故者の霊

台湾物故者遺骨安置所建設の由来

太平洋戦争敗戦と共に台湾在留の日本人は引き揚げたが 残された台湾で物故した日本人の墓地には

誰一人訪れる人もなく 野草の茂るままに放置されていた

これら台湾における日本人物故者を悼む多くの日本人の熱い願いによって 昭和三十二年当時の日本

及び中華民国両国政府の合意に基づき 台湾の各地に散在する日本人の墓地の整理が開始された

昭和三十六年これが完了とともに台北、台中、高雄の三ヶ所に日本人遺骨安置所がつくられ 一万三

千余人の遺骨が納められた その後これら全員の分骨を故国に持ち帰ることが出来 これを安置する

ため昭和三十八年三月「台湾物故者慰霊塔建設会」の手により 西本願寺築地別院のご好意により

この地に遺骨安置所が建設された

爾来その維持管理および年次法要のことは財団法人台湾協会がその掌に当たっている さらにその後

台湾縁故者の熱い希望もあって 戦後故国へ引き揚げて亡くなった方あるいは台湾縁故者で戦前故国

へ帰還して亡くなった方の遺骨も 昭和六十年九月以降ここに納めることにした

われわれ台湾縁故者一同は心からこれらの方々を追悼するとともに 再び戦争を繰り返さないよう世

界の恒久平和を願うものである

平成元年三月三十一日  財団法人台湾協会

 

観音堂

福島県本宮市

引揚死没者慰霊碑

碑意

昭和二十年八月十五日 大東亜戦争中外地に在って佛故された方及び終戦後引揚げられてから

亡くなられた方百七十五柱の御霊を永遠に慰めるため 当支部総会の決議に基づき茲に謹んで

本碑を建設す

昭和三十九年八月二日  社団法人引揚者団体連合会 安達郡南達支部

 

神崎寺

茨城県水戸市

海外引揚同胞連盟慰霊碑

碑文

激動する世界史の渦中に勇躍身を挺して異邦人に伍し民俗の繁栄に尽瘁した海外在留同胞の中

昭和二十年八月十五日太平洋戦争の終末と共に夢を家郷に馳せながら長恨非命に斃れた者本県

関係三千八百余柱 其後風露野草の荒むに任せられてここに十五歳 今ぞ県民総施主の萬礼を

こめて慰霊碑建立委員会を結成し■■同志の賛同と特に岩上知事 倉■県会議長 高島市長会

長 竹内水戸商工会議所会頭 県海外引揚同胞連盟役員等 諸賢の御協賛を得てこの業の完成

を見た 希わくは祖国再建の息吹の中に殉難者の雄魂永しえに栄光あらんことを

昭和三十五年八月十日  茨城県海外引揚同胞連盟

 

平和観音

碑文

ここに観世音を建立しその功徳によりて国難に殉ぜしもろ人の御霊を安んじ世の平和を

祈願し奉る

昭和三十五年十二月佳日  平和観世音建立委員会

 

群馬縣護國神社

群馬県高崎市

群馬県引揚物故者慰霊塔

碑文

昭和二十年八月十五日 太平洋戦争は吾々に敗戦の悲しみを残して終結した 祖国日本の発展を擔い

懸命の奮闘を続けた在外七百万の同胞は全く放置されたのであった 海外に於ける辛苦の結晶は総て

奪われ尊き人命は彼等の暴力と飢餓とによって奪われてしまった 幸いに九死に一生を得て引揚げた

ものの極貧と病疫とが襲いかかったのである 吾々は地下に眠る県下三千四百万余の声なき犠牲者の

霊を永久に慰めんため推進委員会を設け 広く引揚同志の協力を仰ぎ茲に慰霊塔を建設し 謹んで物

故同胞の霊に捧げるものである

昭和三十五年十二月八日  群馬県引揚者連合会 仝引揚物故者慰霊塔建設委員会

 

高野山奥の院

和歌山県伊都郡高野町

和歌山県海外引揚物故者供養塔

碑文

わが国百年の興隆発展は世界史上の奇跡と称せられるが その繁栄の蔭に幾万の同胞が礎石となって散華

されたことを忘れてはならない

幾多の紀州人も或は大陸にまた朝鮮・台湾その他の外地で楽土建設の途上 雄図空しく国策に準じられた 

幸い無事を得た諸友が懸命の運動を続けらけること前後二十余年 その功あって国は諸霊の遺業の万分 の

一を報いられた為聊かは諸霊を慰めえたのであるが 更に本県引揚者連盟は天下の霊場高野山の浄 域に供

養塔を建立して敬愛の誠を捧げられることは 当世稀にみる快挙というべきであろう

茲に謹んで所霊の功業を讃えその御冥福を心から祈り 建塔のことに協力された総ての人々は満腔の感謝

と敬意を表するものである

昭和四十五年八月十六日  和歌山県知事 大橋正雄

 

芦屋市立霊園

兵庫県芦屋市

芦屋市海外引揚物故者慰霊塔

 

抑留者引揚

更新日:2017/08/12