抑留者引揚 宇 品
臨海少年自然の家
広島県広島市南区 似島
陸軍第二検疫所跡
概略
明治37年、日露戦争が始まると陸軍はこの地に第二検疫所を建設。
明治38年、ロシア軍俘虜の検疫が始まったと時期に、似島における検疫は第二検疫所が主体となった。
原爆投下後から、陸軍検疫所は臨時野戦病院となり、似島にも約1万人の原爆被爆者が収容された。
戦後、昭和21年から厚生省引揚援護局(その後、厚生省宇品検疫所)の施設として使われ、昭和33年に建物の
老朽化により役割を終えた。
陸軍第二検疫所(引揚援護局) 桟橋
抑留者引揚
更新日:2007/11/12