抑留者引揚 舞 鶴

 

舞鶴港は、昭和20年10月7日に引揚第一船「雲仙丸」から、昭和33年9月7日の引揚最終船「白山丸」

まで13年間にわたり延べ426隻の引揚船が入港し、引揚者 664,531人(軍人・軍属 483,040人、

一般邦人 173,636人、その他 7,855人)、遺骨 16,269柱を受け入れた。

しかし、夢見る祖国へ向かう引揚船内で59人、祖国の土を踏みながら舞鶴地方援護局内で360人の方

が亡くなられた。

また着の身着のままで辿りついた孤児も101人いた。

 

  

  入港を目前に力尽き引揚船内で死亡した女性引揚者                    引揚桟橋で家族の帰りを待つ母子       

 

尚、引揚船は在日中国人・朝鮮人の帰国船の役割も果たし、32,997人を故国へ送還した。

(中国へ 3,936人、朝鮮へ 29,061人)

 

 

舞鶴引揚記念館

京都府舞鶴市

シベリヤ捕虜収容所での生活

平和の誓い

あの悲惨な戦争が終結してから早くも四十年の歳月が流れた

舞鶴港は、終戦間もなく引揚港に指定され 十三年間の長きに亘り六十六万余人の同胞と一万六千余柱

の御霊を迎え入れるという大きな歴史的使命を果たした

未だに わたくしたちの念頭を離れず 折りにふれて深く胸を打つのは 異境の地で言語に絶する抑留生

活の苦難に堪えた人々 遠く故郷に思いを寄せ心身ともに疲労困憊し帰還した人々 さらに幾年月も肉親

の帰りを信じつつ岸壁にたたずむ母や妻の姿であった

この引揚という悲しく痛ましい出来事は 我が国の歴史に深く刻み込まれているのである

星霜ここに移り今や我が国は飛躍的な繁栄を続け 国民は平和な生活を享受している

しかしながら 祖国の土を踏めずに異国で眠った同胞に思いをいたすとき まことに痛恨のきわみであり

 今日の平和と繁栄を分かちえないことは 返すがえすも残念でならない

ここに海外引揚四十周年記念「引揚港まいづるを偲ぶ全国の集い」に当り わたくしたちは あらためて

先の大戦から得た貴重な教訓をよくかみしめ 国際緊張の高まる今こそ 全世界の人々と相携え人類永

遠の幸せを確立するため不断の努力を傾注しなければならないことを固く決意しもって平和の誓いとする

 

 

  

「岸壁の母」歌手・菊池章子 献木                           日赤従軍看護婦の会 献木

 

  

引揚各部隊・団体の献木

 

望郷慰霊之碑

碑誌

誰も彼も 白夜の夢は親潮の 寄せてはかへす 舞鶴の浜

この碑は 第二次世界大戦に関連し北方諸地域において 遥かに祖国を望みながら 戦没あるいは物故

した人々の御霊を慰めるとともに 恒久平和の祈りをこめて朔北会会員並びにあまねく有志が これを建

てたものである

 

  

ああ母なる国の碑                                 平和の群像

 

異国の丘・岸壁の母歌碑

 

平引揚桟橋(復元)

京都府舞鶴市

引揚桟橋(復元)

 

  

招霊碑                            語り部の鐘

碑文

昭和二十年八月八日 日ソ不可侵条約の一方的破棄による旧ソ連の参戦により発生した六十万兵士

のシベリア抑留(強制労働)と 満州における一般邦人(婦女子)の悲劇。この死没者の鎮魂のため、各

収容所跡・墓地・自決地付近の小石を蒐集、納石し、断腸の思いも空しく異国の地に果てた同胞のため、

引揚桟橋の傍に招霊の碑を建立する。

 

 

  

桟橋復元由緒(背景写真は当時の平引揚桟橋)                         現在の平引揚桟橋       .

由緒

舞鶴港は、終戦間もなく昭和二十二年十月引揚港に指定されて以来十三年間にわたり、主に旧ソ連・

中国大陸等から六十六万余人の引揚者と、祖国の礎となって無言の帰国をされた一万六千余柱の

御霊を迎え入れた。

幾多の苦難に堪え、夢に見た祖国への感激の第一歩をしるした桟橋。

桟橋の脇に佇み我が子・夫を待ちつづけた「岸壁の母・妻」。そして、温かく迎えた往時の市民の姿、こ

の史実を二十一世紀へ伝えるため、歴史の語り部として復元したものである。

とき将に、第二次世界大戦終結五十周年をむかえ、舞鶴から「世界平和の架け橋」として未来永劫に

この「史実」を継承記念するものである。

 

まぶたの桟橋舞鶴よ 歌碑(背景写真は引揚船・興安丸

まぶたの桟橋舞鶴よ

一、遠い潮路のなつかしく 君を訪ねて来た港 あの日のふる里踏みしめた .

まぶたの桟橋舞鶴よ嗚呼 引揚船よ今いづこ .

二、あつい思いは波の背に 今もせつなく湧いてくる 六十余万のたどるみち

まぶたの桟橋舞鶴よ嗚呼 記念の丘よ何故かなし

三、積る涙を抱きしめて せめて浜うた聞いてくれ 未だにはかないあの人も

まぶたの桟橋舞鶴よ嗚呼 五老ヶ岳よ白鳥もなけ

 

舞鶴湾

 

抑留者引揚

更新日:2009/07/19