長い間 第三章
先の戦いの勝利は、解放軍に勢いを与えていた。彼ら解放軍はまだ兵数も少なく、戦力的にはリボーに駐留する本軍にははるかに見劣りする。本軍の増援が来る前に速やかにガネーシャ城を制圧する必要があった。
その、重要な戦いにおける先鋒をセリスは歩兵であるラクチェとスカサハの双子剣士に託したのである。
確かに彼らは進軍の速度こそ劣るが鏡に映したようなその剣技は他の誰にも勝る。そして何より、イザーク王族の彼らが剣を振るう姿は虐げられてきたイザークの国民にとって何よりの希望になると見越してのことだ。
二人はセリスの期待によく答えた。城門を突破し、破竹の勢いで突き進む。途中何度もガネーシャの守備兵に行く手を遮られたが、彼らを止められるものなど存在しない。
「城主はどこにいる!?」
がっ、と壁に銀の大剣をつきたてて詰問するスカサハに、兵士は怯えきった目を向けた。
「う……あ……」
「死にたくなければ答えろ!」
「わ、わかった、教えるから、命だけは……!」
叫ぶ兵士の喉下に銀の刃がぎり、と迫る。ひっと息を呑んで、兵士は目をつぶって叫んだ。
「こ、この上だ!ハロルド卿は、広間のほうにっ……!」
聞き取るなり、スカサハは突きつけた刃を払って身を翻した。
あと少し。城主のハロルドさえ討ち取ればこの戦いは解放軍の勝利に終わる。負傷者を減らしたいなら戦いを早く終わらせればいい。その方が、確実にラナにかかる負担を減らすことができる。
今の自分では、こんなことでしか彼女の助けになれないから。
肉を断つ感触に、噎せ返るような血臭に、慣れてしまったわけではないけれど。
大事なものをなくさないために、捨てなければならないものがあることを知ってしまったから。
せめて、傍らにある妹が少しでもそんな思いをしなくてすむように。
祈りを込めて、剣を振るう。
「―――スカサハっ!」
ラクチェの声を聞いたように思った、次の瞬間だった。
鈍い衝撃とともに、左肩から鮮血が飛び散った。一瞬遅れて、激痛。前のめりに倒れこみかけて、銀の大剣を杖代わりに床につきたてて体を支える。かろうじて顔を上げると、凶器である手斧を投げた敵兵をラクチェが切り伏せるところだった。
「大丈夫!?」
駆け寄ってきたラクチェが差し伸べる手をさりげなく払って答える。
「……ああ、何でもない。まだ戦える」
「なっ……バカ言わないで!ここはあたしに任せて……」
「この上に城主のハロルドがいる。あと少しなんだ」
「でも……!」
スカサハは手布でぎりぎりと肩を縛って止血を済ませ、立ち上がった。
「ここで終わらせるんだ。ラクチェ、ここは頼んだぞ」
「ちょっ……スカサハ!待ちなさいよ!」
走り去る兄の背に、ラクチェは呆然とした。
あれがいつも冷静で心配性で無茶なんかしたこともないあの兄なのか?記憶にある限り、こんな風に彼が暴走するのは初めてのはずだ。
呆けていたのはほんの数秒だった。駆けつけてくる複数の足音を耳にしたラクチェははっと我に返った。敵か、と思わず剣を構えた彼女の前に現れたのはセリスだった。
「ラクチェ、無事か!?」
「セリス様!スカサハを……兄を止めてください!怪我してるのに、一人で城主のところへ……!」
「なんだって!?」
「早く止めないと、あんな身体で流星剣を使ったりしたら……!」
「わかった、ラクチェ、先案内を!」
「はい!」
痛みが鈍く重い痺れへと変わっていく。痛覚が麻痺してきたのかもしれない。
息を一つついて、スカサハは広間へと続くドアを開けた。
「城主ハロルドはここか!」
ガシャン、と鎧の音を響かせて男が振り返る。真っ青に青ざめた男―――ガネーシャ城主ハロルドは、血走った目で睨みつけてきた。
「くっ……反乱軍が……!」
スカサハは、いささかも動じることなく背に負った銀の大剣を無造作に抜き放つ。
「城主ハロルド、覚悟しろ。俺たちの国を土足で踏み荒らした罪はその命で贖ってもらうぞ」
ハロルドはぎり、と歯噛みして鋼の斧をかまえた。
「ふっ、笑止!貴様のような小僧にこの私が負けるものか!」
「おまえにこの剣が受けられるか!?」
大きく振りかぶり、スカサハは床を蹴った。
最初の斬撃は、鈍い光にはじかれた。すかさず繰り出された鋼の斧を身をねじってかわし、すかさず飛び退る。どくん、と肩の傷が疼いた。
「なかなかやるな!小僧、イザークの出か!」
「小僧じゃない!俺はスカサハ、貴様らグランベルに殺されたイザーク王女アイラの息子だ!!」
「何と、あの死神の……!?ならば手加減は無用!その首切り落としてダナン陛下に献上してくれるわ!」
さらに二合、三合と刃を交わす。ハロルドの腕力はすさまじく、スカサハの手には重い痺れが残った。
予想以上に強敵だ。動きこそ鈍重だが、鎧が非常に硬い。少々掠めた程度では傷一つ負わせられまい。
(でも、流星剣なら……!)
母アイラから受け継いだイザーク王家の神速の秘剣。常人を超えたスピードを要求されるためめったなことでは発動できないのが難点だったが、ひとたび発動すれば確実に敵を葬り去ることができる。
負傷したこの身でどこまでできるか。いや、やるしかない。
唇をかみしめ、スカサハは再び床を蹴った。
緑光がスパークする。流星剣の前兆だ。ハロルドの目が驚愕に見開かれる。
「その剣は……まさか!?」
まず一太刀。すぐさま刀を返し、続けざまに斬撃を繰り出す。その反動のすさまじさに肩の筋肉がみしみしと悲鳴をあげた。
三太刀めは角度が悪く弾かれてしまった。だが体勢は崩れない。四太刀めでハロルドが地に膝を突くのが見えた。そして。
最後の一太刀はその最後の抵抗をも奪い去った。
声もなく地に倒れ伏すハロルドを前に、スカサハは大きく息をついた。
左肩に感覚がない。指先を伝う血の生ぬるい感触だけがひどく鮮明で、痛覚を殺ぎ落としてしまったようだ。
「スカサハ!」
呼ぶ声に、振り返ろうとして。
くらり、と視界がゆれて―――そのまま闇に閉ざされた。
* * *
闇に沈む寸前の意識の中で、誰かに抱き起こされる気配を感じた。
異様なほど狭い視界の中でそれがセリスであることを認識する。ラクチェが何か叫んでいるようだったが、声はまったく聞こえなかった。
ぷつり、と糸が切れるように途切れた意識が再びつながったのは、かなり時間がたってからのことだった。
ふわり、と身体を包む暖かい光に、ふっと意識が浮上した。
瞼が重い。いや、重いのはどこもかしこもで、指一本すら動かせない。
死んだかな、などと実感もなく思ったその時、会話が耳に飛び込んできた。
「ラナ、どう?」
ラクチェの声だ。いつになく沈んで、抑揚がない。
「傷はだいぶふさがったわ。でもかなり失血してるから、目を覚ますまでは油断できないところね」
これは、ラナ。では自分はみっともなく倒れた挙句にまたラナに負担をかけたわけか。自嘲が胸に広がる。
「そう……ごめんね、無理させて。まったく、スカサハったら人のこと全然言えないんだから」
「いいのよ、私にはこれしかできないんだもの。でも、びっくりしたわ。スカサハがそんな無茶をするなんて……」
(自分でもびっくりしてるよ)
投げやりに心で呟く。そんな自分の心を見透かしたようにラクチェが呟いた。
「……多分、ラナのためだったんだよ」
「え?」
「戦いが早く終わればそれだけ怪我人も少なくなるでしょ?そうすればラナの負担も少しは軽くなると思ったんだわ。まったく、短絡思考なんだから」
(おまえには言われたくないぞ)
内心すかさず突っ込んではみたが、スカサハは正直面食らっていた。鈍感だと思っていたラクチェにまさかここまで見抜かれているとは思いもしなかったのだ。
だから、次の台詞にはまさに度肝を抜かれてしまった。
「ねえ、ラナ。あんたの気持ちはわかってるつもりだけど……スカサハじゃダメ?」
「ラクチェ……」
「そりゃ、けっこうドジだし口うるさいし短絡思考なところもあるけど……でも、いいところもあるのよ?絶対大事にしてくれると思うし。それに……セリス様は……」
(わあっラクチェ、何言ってんだよ!!)
スカサハは慌てた。何を言い出すかと思えばいきなりこれだ。制止したくても身体が動かない。ただ、心臓の音だけがばくばくと高鳴るばかりで。
不自然な沈黙のあと。ラナが、口を開いた。
「……知ってるわ。セリス様は、私のことなんか見てくださらない……あの方は私たちを通して何か別なものを見ていらっしゃるから……」
「じゃあ」
「違うの、ダメなの。今の私のままじゃ……」
「ラナ?」
「スカサハは優しいわ。いつも側にいてくれる……でも、不安なの。これは同情なんじゃないか、あの日のことを負い目に思って優しくしてくれてるだけなんじゃないか、って」
(……!)
心臓をわしづかみにされた気がした。
「だから……私は強くなりたいの。自分に自信がもてるように……スカサハが、ちゃんと私を見てくれるように」
感覚を失っていた手を、優しいぬくもりが包む。
「セリス様が好きよ。でも、これは恋じゃないの。ただ、憧れてるだけ……セリス様みたいに自分を信じられる強さを私も持ちたいから……だから、セリス様は私の目標なの」
ぬくもりとともに心が温かくなる。きっと今彼女は微笑を浮かべているのだろう。
「もちろん、ラクチェだってそうよ?だから、私のことは心配しないで。ね?」
「ラナぁ……もお、変なこといわないでよぉ……」
「やだ、ラクチェ、どうして泣くの?」
慌てたようなラナの声とともにふ、とぬくもりが離れる。それがきっかけだったかのように、スカサハはやっと瞼を開けることができたのだった。
「スカサハ!気がついたのね!」
華やいだ声をあげたのは泣きそうになっていたラクチェだ。勢いのまま抱きつこうとする彼女をラナが慌てて止める。
「ラクチェ、ダメよ!まだ安静にしなきゃならないんだから!」
「あ、と……ごめん、そうよね」
えへ、と舌を出すラクチェはいつものままで。スカサハは小さく苦笑する。
そんな彼の額に優しく指を触れて、ラナが尋ねた。
「具合はどう?」
「……どのくらい……経ってる……?」
「気を失ってから?半日くらいかしら。ここはガネーシャ城よ。気がついてよかったわ。ずいぶん出血していたし、このままだと危ないところだったのよ」
「ほんとよ。セリス様だってすごく心配してたんだから。……っと、そうだ、私みんなに知らせてくるわね!」
ぱっ、と席を立ったラクチェはドアの前でいたずらっぽく片目をつぶって見せた。
「だから、ここは二人っきりでゆっくりしててねv誰もじゃましないから」
「ちょっ……ラクチェ!」
とたんに真っ赤になるラナにラクチェは明るく笑って部屋を後にした。残されたラナは、言葉に詰まってそっとスカサハの様子を伺うように見た。
「……スカサハ、もしかして……さっきの話、聞こえてた……?」
スカサハは、小さく笑ってうなずいた。
「聞こえてた」
「!……ひどいわ、目がさめてたならちゃんと言ってくれればいいのに……!」
「動けなかったんだよ。耳だけ聞こえてたんだ」
「もうっ……」
小さく頬を膨らませるラナに微笑み返して。そっと手を伸ばす。
「……手、貸してくれないか?」
「手?」
きょとん、としつつも差し伸べられた手を握り返す。
この手を、守りたいと思っていた。ずっと。今ここにある奇跡は夢ではないと信じたい。
手を握ったまま目を閉じたスカサハの顔を、ラナはそっと覗き込む。
「スカサハ?……寝ちゃったの?」
呼びかけにも答えない彼の寝顔に微笑して。握った手に、そっと頬を摺り寄せた。
「……待っててね。私……がんばるから。ちゃんと、自分の足でスカサハの隣に立てるようになるから……」
ひそやかな囁きは、耳に届く前に空気に溶けて消えた。
* * *
「……それで、あいつらまだまとまってないのか?」
呆れたように言ったレスターに、ラクチェは肩をすくめた。
あれから三日が経過していた。スカサハの怪我は完治し、今はちょうどラナの薬草作りを手伝っているところだ。傷薬などをセットにして全員に配ることを決めたためで、迷惑をかけたからと自ら手伝いを申し出たらしい。
「占い屋のおじいちゃんの話では成立はまだみたいだけどね。今だってラブラブなんだから別にくっついたって変わんないわよ」
スカサハの怪我が完治するまでラナは彼につきっきりだった。怪我が治った今でも彼らはずっとともにいる。今の彼らは無意識のうちにラブラブ光線を発散中(笑)で周囲も苦笑するしかない状態だ。
「確かに……ラナの奴、スカサハの怪我が治るまで通いづめだったもんなあ。スカサハも、ちょっと大胆になったんじゃないか?」
「それ、レスターも思う?」
二人は顔を見合わせ、ため息をついた。
「ひとりもんには目の毒だよなあ、あれは」
そんなことを呟くレスターの肩をラクチェはべし、と叩いた。
「情けないこと言うんじゃないわよ。ティルナノグにいた頃はモテモテだったんでしょ?奮起して彼女の一人も作ればいいじゃない」
「簡単に言うなよ。おまえはいいよな、ドズル兄弟のどっちか選べばいいんだから……っと」
軽口のつもりで言ったレスターだったが、きっと睨まれて慌てて口を閉ざした。
「レスター、冗談にもならないこと言わないで。第一、あいつらは敵じゃないの。今更どうこうなるわけないでしょ」
「そうか?あいつら、ラクチェにずいぶんご執心だったじゃないか。説得すれば仲間になるんじゃ……」
ラクチェの表情がさらに険しくなる。
「……レスター、刀の錆にされたくなかったらそのあたりでやめといてよ」
これ見よがしに勇者の剣の柄を叩くラクチェに、レスターは両手を上げて降参の意を示した。
「わかったわかった、わかったからそれしまえよ。……でも、説得は本当にすることになるかもしれないぞ。セリス様が検討されてるらしいからな」
「本当に?」
「ああ」
うなずいたレスターの背後からデルムッドがひょこりと顔をのぞかせた。
「ラクチェ、セリス様が呼んでるぞ」
「セリス様が?」
「ああ。ドズル兄弟のことで何か話があるらしい」
二人は思わず顔を見合わせた。レスターが苦笑して肩を叩く。
「どうやら現実になったみたいだな。がんばれよ、ラクチェ」
「……人事みたいに言わないでよ」
恨めしげにレスターを睨んで、ラクチェは身を翻した。
「?……何のことだ?」
きょとん、と尋ねるデルムッドに、レスターはまた苦笑した。
「おまえはわかんなくていいよ」
「何だよ、教えろよ!」
振り上げられた拳をひょい、と避けてレスターが走り出す。
まだ平和な頃の、それは懐かしいひとコマだった。