長い間 第一章
白くて小さなラナ。
白くて小さくて細くて、みんなの輪の片隅でいつもひっそりと微笑んでいる、ラナ。
おとなしくて目立たないけど、心には誰にも負けない情熱を秘めている。
君がいるから、俺は戦えるんだ。
君が待っていてくれるなら、どんな戦場からでも帰ってこれる。
でも―――わからないんだ。
君が、本当は誰を待っているのか―――
* * *
「ラナ!……もう、またあんたは無茶ばっかりして!」
野営地にラクチェの怒ったような声が響き渡る。
「ラクチェ、私は……」
「言い訳はダメよ!あんたのことはエーディン母様からくれぐれもって頼まれてるんだからね!」
「でも……回復役は私一人なのよ?私がやらなきゃ……」
「そう言って朝からずっと杖の使いっぱなしじゃないの!かすり傷にまでライブ使うことないの!薬草ならみんな自分でできるんだから、あんたはおとなしく休んでなさい」
いつもと立場が逆だ、とスカサハは苦笑した。無茶はラクチェの専売特許のようなものだ。ティルナノグの平原の戦いでは自分から斧兵の真っ只中に飛び込んでいって周囲の肝を冷やしたばかりなのだ。自分が加勢に入らなければ命を落としていたかもしれないなどとはこの妹は微塵も思っていないのだろうが。
隣ではラナの兄である弓騎士レスターが肩をすくめている。
「やれやれ、ラクチェにかかると形無しだな。兄貴の俺が言うこと全部言っちまいやがって」
「悪いな、レスター。あれでもあいつもラナのこと心配してるんだよ」
「わかってるさ。最近ほんとに無茶するからなあ、ラナは……何を思いつめてるんだか」
レスターの横顔が少し悔しそうに見えるのは気のせいではないだろう。
今まで掌中の珠のごとく慈しんできたたった一人の妹が自分のいない間に戦いに参加していて、しかも自分の力の及ばないところで苦しんでいるとなれば、兄の胸中や押して知るべしだ。
つられてもう一度二人の少女に目を向けると、ちょうどデルムッドが二人の間に仲裁に入ったところだった。
「ラクチェ、もうそのくらいにしてやれよ。ラナも反省してるみたいだし」
穏やかにそう言ったデルムッドだったが、ラクチェの強い視線を浴びてややたじろいだようだ。
「デルムッドは黙ってて!この件では前々からちゃんと話さなきゃって思ってたんだから!」
「お、おいおい、何もそんな剣幕で……」
困ったような顔をするデルムッド。フェミニストの彼は女性に対して今ひとつ強く出ることができない。困りきった彼は壁際の兄二人を見つけて情けない声をあげた。
「おいスカサハ、おまえの妹だろ?何とかしろよ。レスター、おまえも少しは妹をかばってやろうとか思わないのか?」
一瞬顔を見合わせて。ぷっと吹き出した二人はようやく腰を上げた。
「ラクチェ、その辺で勘弁してやれよ」
「何よ、スカサハ!あたしは……」
「おまえがラナのこと心配してんのはよーっくわかった。でもな、頭ごなしにぎゃんぎゃん言ったって問題の解決にはならないぞ」
「それは……わかってるけど、でも……」
不服そうにラクチェが押し黙る。
「おまえの話ってのもだいたい想像つくけどな。でも、今はやめとけ」
休ませるほうが先決だからな、とのスカサハの言葉に、ラクチェは不承不承うなずいた。
その一方ではレスターがラナをなだめている。かわいそうなくらいしゅんとしてしまったラナだったが、兄の言葉を聞くうちに少し落ち着いてきたようだ。
「そういうわけだ。ラナ、わかったな?」
「はい、レスター兄様」
「よし。もう遅いから先に休め。明日にはガネーシャ城に到達する。また忙しくなるからな」
そう言ったレスターはスカサハを振り返った。
「スカサハ、ラナをテントまで連れてってやってくれないか?俺はこれからオイフェさんのところに行かなきゃならないんだ」
「わかった」
スカサハがうなずくのを見て、ラナが慌てて口をはさむ。
「に、兄様、私……ちゃんと一人で帰れるから」
「だめだ。もうふらふらじゃないか。ただでさえ足が悪いんだから、ちゃんと送ってもらえ」
困ったような顔をしたラナだったが、兄に折れる気がないのを見て取るとあきらめたようにうなずいた。
「ほら、ラナ」
当たり前のように手を差し出すスカサハに、少しためらってから
「ありがとう」
と小さく呟いて手を乗せる。スカサハは足を少し引きずるようにして歩き出したラナを支えるようにしてテントを後にした。
テントを出て行く二人の背を見送って、レスターが肩をすくめた。
「まったく、世話が焼けるなああいつらは」
うんうん、とうなずいたのはラクチェだけで、デルムッドはきょとん、としている。
「レスター、オイフェさんのところに行くんじゃないのか?」
「バーカ、そんなのこじつけに決まってんだろ」
何かを含んだような顔をするレスターに、ラクチェがにやりと笑ってひじをつつく。
「レスターったら、ずいぶんスカサハのこと信用してるのね。送り狼になっても知らないわよ?」
「バーカ、そんなわけあるか。あいつの性格はおまえが一番知ってるだろ?」
「そうなのよねー、すっごい奥手なんだから。あれじゃお嫁さんもらい損ねるんじゃないかってそれだけが心配だわ」
「スカサハはおまえがいき遅れないか心配してると思うぞ」
「失礼ね、余計なお世話よ!」
ぽんぽん飛び交う会話に一人ついていけないデルムッドがそこでようやく口をはさんだ。
「おい、俺にもわかるように話してくれないか」
まるでわからないといった様子のデルムッドに、ラクチェが呆れたように肩をすくめる。
「やぁだ、ほんとにわかんないの?」
「ほんとにも何も、俺にはさっぱり……」
「ラクチェ、やめとけ。こいつは妹バカだから他の女は目に入んないんだって」
さらにはレスターにそんなことを言われて、デルムッドの頬がさっと紅潮した。
「な、何だよ、悪いかよ!離れたところにいる妹を心配するのは当たり前だろう!?」
普段は大人びた落ち着きを見せるくせに『妹』の話になるととたんにムキになるのはデルムッドのクセのようなものだ。幼なじみとして本当の兄弟のように育ってきた彼らは時々こうしてややまじめすぎるきらいのあるデルムッドをからかうのが常だった。それは、張り詰めすぎた糸を緩める役割を持っている。
「ははは、わかったわかった、そうムキになるなって。レンスターにいる妹のことが心配なのはわかるが、その前に自分のことを忘れるなよ?おまえもけっこう無鉄砲なところあるからなあ」
止める側の身にもなれ、なんて肩をすくめられて、デルムッドは少しむっとして言い返す。
「わかってるさ。でもそりゃ忠告する相手を間違えてるんじゃないか?」
反応したのはラクチェで、眉を上げてデルムッドを睨んだ。
「何よそれ、あたしのことだとでも言いたいの?」
「自覚があるならもう少し注意しろって。まったく……こればっかりはスカサハに同情するよ。こんな無鉄砲な妹を持っちゃ命がいくつあったって足りやしないもんな」
「何ですってぇ!?あたしだってあんたには言われたくないわよっ!」
ぽかぽかとデルムッドに殴りかかるラクチェに、レスターがぷっと吹き出した。
「昔っから変わらないよなあ。ラクチェが一人で突っ走ってさ。デルムッドが巻き込まれて、スカサハが止める役で……母上にばれると怒られるからって、無理言ってよくラナに手当てしてもらったよな」
昔を懐かしむようなレスターに、ラクチェが手を止める。デルムッドは半分呆れ顔だ。
「その点、おまえは要領よかったよな。ここぞって時にはちゃっかりいなくなってさ」
「バカ言うな、俺は俺で苦労してたんだぞ?シャナン様やオイフェさんや……セリス様にだっていろいろ言い訳してさあ」
「フォローしてくださったのはセリス様じゃないか」
「だから俺が事情を伝えてだな……」
くだらない言い合いに発展しそうなそれを止めたのは、ラクチェの呟きだった。
「……ラナって、やっぱりセリス様のことが好きなのかなあ」
「……ラクチェ」
気づいてたのか、というレスターの視線の問いに、ラクチェは肩をすくめた。
「そんなの、すぐにわかるわよ。……レスターは反対なの?」
「そういうわけじゃないけど……今は他のことでセリス様を煩わせたくないしなあ。俺は、スカサハがラナのことを好きなんだったらその方がいいんじゃないかと……スカサハはどうなんだよ?双子の妹なんだから何かわかんないか?」
「無茶言わないでよ、そんな都合のいいことあるわけないでしょ」
眉をしかめるラクチェの横でデルムッドがまた素っ頓狂な質問を口にする。
「スカサハってラナのことが好きだったのか?」
「やだ、あんたそれも気づいてなかったの!?」
「おまえ、鈍すぎ……」
肩をすくめて首を振るレスターにデルムッドはまたむっとしたようだ。そんな二人をよそに、ラクチェはふと入り口を見やった。
(……大丈夫かなあ……)