DIARY




   

  2月28日 2004
 
 傷口にウジが!
  イギリスでは、以前傷の手当てにウジを使っていたらしい。
抗生物質の出現などで、(というより、生理的な気持ちの問題だと思うが・・・)
使われなくなっていた。
最近、イギリスでは、傷の治療に無菌のウジを使うことが、公に認められた。
抗生物質などの従来の治療よりも、傷の治りが良いからだ。
さらに、コストも格段に安い。

  傷口に無菌のウジを置いておくと、
ウジが、死んでしまった組織や、感染した組織、さらに細菌も食べてくれる。
その結果、傷の治りが良くなるというわけだ。

  考えてみれば、非常に理にかなっている。
以前、述べたように、傷を消毒するのは、もう過去の治療技術なのだ。
傷が化膿するのは、そこに細菌がいるからではなくて、
細菌が感染しやすい痛んだ組織があるからなのだ。
細菌を消毒で一時的に限りなくゼロにしても、奴らはすぐに増殖する。
抗生物質を使ったり、消毒したりして細菌と戦って、細菌をゼロにするより、
細菌が増殖出来ない環境にする方が良いのだ。

  傷口にウジがわく方が良いというわけだ。
しかし、

やっぱり、気持ち悪い!

でも、やってみたいなぁ!

  「じゃあ、傷の手当てをしましょう。」 と言われて、
ウジを傷に乗せられそうになった時の患者の驚く姿って見てみたいけど、
これって、医者のドクハラ以外なにものでもないぞ!
とりあえず、家の子供あたりを脅かしてみたいなぁ。

もっとも、無菌のウジってどうやって手に入れるんだろう?
でも、最先端の医療が、
結局、昔ながらの治療だったというのも、奥が深い話だ。





   2月27日 2004
  
カップ麺の容器に穴が!
  農林水産省は2月25日、
消費者からの連絡をもとに再現実験をしたところ、
カップめん容器にエゴマ油やしそ油を入れて熱湯を注ぐと、
容器が変質し、状況によっては穴が開いて熱湯がこぼれることが判明したとして、
関係業界に対し、消費者への注意喚起などの適切な対応を要請したと発表した。
同センターの追試では、
熱湯を注ぐタイプの各種カップ入り食品について、
1.しそ油を入れてから内容物を入れる。
2.しそ油だけを入れる。
3.内容物を入れ、その上からしそ油を入れる。
4.対照として、内容物だけを入れる。
という4通りの実験を行った。
その結果、内容物を入れた実験(上記の1.と3、)では、
8商品中7商品で容器に変質が認められた。
また、空の容器にしそ油だけを入れて熱湯を注ぐ実験(上記の2)では
13商品中12商品に容器の変質が起こった。
実験では、湯の温度が高く保たれた商品ほど変質の度合いが高い傾向が見られた。

  農林水産省が厚生労働省に照会したところ、
「容器に記載された通常の利用であれば、食品衛生上、特段の問題はない」
との回答を得ているという。
しかし、変質が起きた場合、
容器から湯に何らかの物質の溶出があるかどうかについては確認されていない。

考えてみれば、
溶けてそうなるのだから、容器の成分の溶出があっても何ら不思議はない。
というより、溶出がないことの方が不思議だ。

  発泡ポリスチレン容器に食品を入れて食べることは、
やはり危険があるのではないだろうか?
中に入れるものが、酢や油だと「溶出がない。」と言いきれない。
まして、熱いものはその可能性が高い。
プラの弁当箱でもあまり気持ちの良いものではない。

  人間の住環境の近くに住む自然動物の間では、
オスのメス化が進んでいる。
人類も、オスの生殖能力が低下している。
こういった、人工のプラや高分子物質の溶出物が、
そういった現象の原因物質の一つとしてあげられている。

  今回のことも、ただ単に、
「カップ麺に、しそ油やエゴマ油を入れて食べると、容器に穴があくから危ないですよ!」
と言う警告ですまされるのだろうが、
肝心な本質的なことから、視点が意図的にはずされているように思う。


どんな報道になるのか、(報道されないのか)楽しみに見ていよっと!






   2月23日 2004
   
ジェネリックの話
   ジェネリックって言われても、初耳(初目かな?)の人が多いと思う。
昔は、「ゾロ品」と言われて軽蔑の目で見られていた薬である。
たとえば、ある製薬企業が高血圧症に効く薬Aを開発したとする。
その薬が、市場で評価を得てずっと広く使い続けられるとする。
他の製薬企業はAを作りたいが、特許の問題があり、作れない。
しかし、5年過ぎると特許が切れて作ることが出来るようになる。
その時、Aの薬価(国が決める公定価格)が仮に100円だとする。
特許が切れると、他の製薬企業は
Aと同じ薬Bを作って売ることが出来るようになる。
ただし、薬価はAよりも安い85円になるわけだ。
でも、BはAと同じであるための厳しい審査を受けていて、
ただ成分が同じという以外にも、
胃の中で溶ける早さなどもきちんと検査を受けて
まったく同じように効くという証明をパスして市場に出てくる。

だから、我々医療機関にとっては、AでもBでも同じなのだが、
患者負担が3割になった今は、
少しでも安いものが良いと考えてなるべくBを出すことになる。
ちなみに、Aを出すよりBを出す方が、
20円だけ処方量が高くなる制度があって、
国は薬価の安い薬を使わせたいがために、そう言う誘導をかけている。
こんな姑息なことをして
ジェネリックに導こうとしている国の政策にも腹立たしさを覚える。
しかし、患者負担が軽減されるので背に腹は代えられない。
欠点は、他の医療機関に紹介した時に、
薬の名前を見てもなんの薬か見当が付かないものが出てくることだ。

いずれにしても、こんなことをしていくと、
日本では製薬企業は育たなくなる。
良い薬を開発しても、毎年薬価は下げられて、
あげくに5年経つと、ジェネリックが出てきてしまう。
日本でまともに良い薬の開発など望めない。

  僕は、根本的に薬価制度に問題があると思う。
特に、2年に一回(?だったと思う)薬価を切り下げる制度だ。
薬価差益(薬価と医療機関の薬の購入額の差額)があることを、
犯罪のようにあおり立てて、
薬科と取引価格に差があると、
毎年のように薬価を下げる制度が問題だと思う。
そんなことをするから、
はじめから無理矢理高い薬価をつけなければいけないし、
存在価値のない、似たような薬効の新薬が次から次に出てきて
我々の頭を混乱させるのだ。

本当に良い薬が、年々薬価が下がって、挙げ句に
製薬企業のお荷物にさえなってしまうのでは、
やはりこれは間違っているとしか言いようがない。

薬価差益にしてもそうだ。
当然、薬を手元に置くためには、
在庫を抱えるなどの無駄が出るのは、必然であり、
人件費や保管管理費なども必要になってくる。
薬価のまま買い取ることなど出来ない。
それを罪悪視するマスコミも、
それをそのまま鵜呑みにするアホな官僚も問題だ。
ベースには、「なにかと医者を悪者にしたがる社会風潮」が
あるのだろうが、
それも「医者の不徳の致すところ。」と思っている今日この頃である。

しかし、何とかならんのだろうか?







    2月20日 2004
    
カルテどうしよう・・・。
    僕の所では、カルテは開示している。
でも、現実に、この数年で「カルテをコピーしてほしい。」と
言われたのは一回だけだ。
みんな興味がないわけじゃないだろうから、
きっと、「見てもわからないし・・・。(字が汚くって読めないし・・・)」
と思われているのではないだろうか。

   そもそもカルテはなんのために存在しているのか?
それは、診療記録である。
(「カルテ」の日本語訳は「診療録」。 ってまんまやなぁ!)
つまり、
その人が何時から、
どんな症状が出て、
どんなことを訴えて医者にかかったのか。
そして、医者は診察をして、
どんな所見で
それから何を考えて
どんな検査をしたか。
そしてどんな治療をしたのか。
それから、その人に
どんな説明をして
どんな注意を与えたのか。
が書かれているものなのである。
カルテの記載には、一応約束事がある。
POS(problem oriented System)(問題志向システム)
というシステムに基づいて記載するのが優れているので
それに従って記載するように世界中の臨床医の間で
POSが推奨されているのだ。
つまり、
S)(subjective)
 ここに、患者の訴えが記入される。
 たとえば、
 3日前からのどが痛く、咳も出る。
 今日から39度の熱が出てきた。
 兄が昨日インフルエンザと診断されている。  と言った具合。
O)(objective)
 ここには、医者の所見が記入される。
  たとえば、
 咽頭に発赤があるが、扁桃腺の腫大や膿は無い。
 肺の呼吸音に雑音はない。    といった具合。

 以上の段階で、問題提起して問題を整理することになる。
A)(assessment)
 ここには、それらのことから何を考えたかを記載する。
   たとえば、
   インフルエンザが疑わしい! という具合。
P)(plan)
 ここには それらに基づいて
 どんな検査をして、
 どんな治療方針を立てて
 どんな説明をしたのかを記載する。
  たとえば、
 インフルエンザ抗原の検索は、
 もしインフルエンザであっても陽性に出ないかもしれないが、
 この状態は、どう考えてもインフルエンザと思われる。
 従って、検査の結果がどちらでも診断が変わらないのなら
 する必要性は低いから、検査はしない。
 それに、検査は、痛いし、お金もかかるから。
 抗インフルエンザ薬の投与は行う。
 だだし、これを使っても一日だけ早く治るだけである。
 また、解熱剤は使用しない様にする。
 使用すると、治りが悪くなったり、脳症の危険が多くなるから・・・。
 安静にして、熱が下がっても2日は外出しないでおく。
 薬もその間は使うが、吐き気や腹痛、下痢が出現したら止める。 という具合。

実際には、それらのことをきっちりと書くと、時間がかかってしょうがない。
いきおい、書きなぐった字で略語を書く。
一番よく見かけるのが、n.p であるが、
これは、「nothing particular」 つまり、「特に何も無し。」である。
 たとえば、
 chest:n.p  (胸部:異常なし)
 tonsil:n.p  (扁桃:異常なし)といった具合だ。

  なるべく、みんなにわかるように、
日本語で、丁寧に書くのが良いわけだが、
実は僕は漢字が大の苦手。
つい、英語の略字になってしまう。
だから、みんなにわからなくなるわけだ。
そこで、
「ここらあたりで、そろそろ電子カルテを導入してみるのも・・・。」
と思い悩んでいるわけだ。
しかし、システムが変わると、現場は大混乱。
半年は、使いこなすのにかかる。
お金もかかる。しかも、いっぱい・・・。

どうしようか?
実は僕が思っているほど、患者さん側の
「カルテの内容を見たい!」という要求は強くないのかもしれないし・・・。
もしそうなら、莫大な労力と費用は、無駄になる。
理想は、僕と患者と共同作業でカルテを書いていくのが良いのだが・・・。

誰か、意見があれば、教えてください。







   2月17日 2004
   
好評につき
   好評につき、(ってかってに思っているだけなのだが・・・。)
お気に入りの店を、更に追加した。
ケーキ(光明池ポアール)と、ラーメン(堺プノンペン)。
どちらも、少し遠いけど、近くまで行った時には、
ちょっと寄ってみる価値ありかナ、と思う。
詳しくは、そちらのページで。





  2月16日 2004
  
やっちゃった!
  アクセスカウンター11111見事に踏んでしまいました。
なかなか気持ちがいいけど・・・。
NHKの仲の神島をちょっと見て、
堺のそばやをお気に入りの店に追加して
HPに行ったら
見事に鉛筆が5本並んでました。ハァ〜・・・。

  それにつけても、仲の神島です。
僕も、一回しか潜ってないけど、
(それも、激流のため、鯉のぼり状態で20分で終わったけど、)
ビルのように切り立った断崖が、海底まで続いていて、
海の色は、濃い青!青に黒が入ったような群青色。
その青の中を、ウメイロモドキの黄色の背中が群れをなして通り過ぎる
あの圧倒するような壮大で美しい景色は、なかなか見られるものではない。
海峡が良くて、天気が良くて、ダイバーのスキルがそろっていて、
船長の機嫌が良くないといけない。
今度はいつ見られることやら・・・。

そう言えば、しばらく潜っていない。
御神島でなくてもいいから、そろそろ潜りたいなぁ!
青い海が恋しい今日この頃!
当分休めそうもないけど・・・。






   2月13日 2004
   
欲は限りなく!
   ヒトクローン杯が樹立された。
「なんじゃそりゃ?」 というと、
なんにでもなる細胞の種である。
たとえば、心臓移植が必要な人の細胞の核を
そのクローン杯に移植して、心臓になるように培養すると
その人は、自分の新品の心臓が手にはいるのである。
勿論、拒絶反応はないから、術後の免疫抑制剤もいらない。
理論上、目だろうと、腎臓だろうと何でも作ることが出来る。

 今のところ、現実にそこまでの技術は無いが、
第一歩が踏み出されたわけだ。

 現実にそんなことが可能になれば、突き詰めていけば、
金さえ出せば、いつまでも若いまま死なないことになる。
痛んだ臓器は、新品に取り替えちゃえばいい。
車と同じで、飽きるまで使って、飽きたら廃車にする(棺桶に入る)。
もっと言えば、クローン人間を作って、脳だけ入れ替えちゃうことも可能だ。
(クローン人間の人格を無視すれば、だが・・・。)

  でも、なんか変だぞ?
心臓移植の必要な人に、新品の心臓を作ってあげるのはいいけど、
どこで線を引くのだろう。
その人が、10才ならよくって、80才ならだめなの?
「おまえは十分生きたからもういいだろう。」って誰が決めるの?

 人間は神にはなれない。
(もっとも、僕は、はじめから「神」は存在しないと思っているけど・・・、)
(ただし、「宇宙の大いなる秩序」はあると思うが・・・。)
しかし、いわゆる神の領域にはもう踏み出しているのだ。
たぶんこの先も、いろんな技術が開発されて、
「個人のアイデンティティとはなんぞや?」と言う議論が繰り返されるのだろう。

  しかし、人間の欲望は限りない。
それは、歴史が証明している。
拳銃を作り、ライフルを作り、大砲を作り、
核の技術が手に入れば、核爆弾も作ってしまう。
クローンの技術が開発されれば、必ず誰かがクローン人間を作り出す。
禁止しても、誰かがやってしまう。
やらずにはいられないのが人間の性なのだろう。

  そして、個人の欲も限りない。
ふと、自分を見失ってしまう。
せめて、個人レベルでは、身の丈を知って、生きたいものだ。






   2月11日 2004
   
洞窟
   昨夜は、NHKでメキシコ、ベラルーシュ洞窟の特集をしていた。
硫化水素に満ちた洞窟には、細菌によって作られた硫酸のしずくが
細菌のつららの先に垂れ下がっていた。
イエローローズと呼ばれる硫黄の結晶が
バラの花のように壁一面に広がっていた。
何億年も前の地球には、
硫化水素をエネルギー源とした原始的な細菌が最初に誕生した。
その頃の世界がタイムカプセルに入れられたまま、
この洞窟にあるのだ。

   そういえば、何年か前に
岩手県の安家洞(あっかどう)を探索したことを思い出した。
岩手県の岩泉というところには、
有名な龍泉洞をはじめ氷渡洞(すがわたりどう)、安家洞があり、
うっそうとした森の地下にそれらの鍾乳洞があちこちにのびている。

観光客が入るルートではなくて、全く整備されていないルートを探険した。
勿論灯りなどない。
灯りがないと、本当に鼻をつままれてもわからない漆黒の闇の世界だ。
洞窟の中で、ライトを消してじっとしていると、
本当に大地と一体化して大地の声が聞こえてくる。
妙に心が安まる。(これって、僕がおかしいのだろうか?)
まぁ、とにかく、洞窟探検は、灯りが命である。
だから、ライトは電池だけでなく電球も、ライト自体もバックアップ用を準備する。
一回鍾乳洞にはいると、5〜6時間は出てこない。
だから、電池は切れるのが前提で準備する。

そして、ヘルメットも必須だ。
足もとを気にしながら、下を向いて歩いていると
しょっちゅう頭を鍾乳石のつららにぶつける。

空のペットボトルも必要だ。
何に使うのか?

自分の尿を持って帰るのだ。
洞窟の中は何万年も前の自然がそのまま残っている。
その自然環境を少しでも壊してはいけないからだ。

洞窟の中には、あちこちに鍾乳石の広いドームがある。
鍾乳石は、ライトを当てると金色にキラキラ輝いて幻想的で美しい。
足元に流れる水も透明で美しい。
是非もう一度行ってみたいが、なかなかそんなチャンスはなさそうだ。





   2月 8日 2004
   
風呂好き
   酒飲みの医者は、患者のアルコール制限に
ついつい甘くなってしまう傾向がある。
そして、風呂好きな医者は、
患者の入浴制限についつい甘くなってしまう。
僕は、酒も風呂も好きだから、どちらにも甘いように思う。
タバコには厳しいのだが・・・。

   老人の家庭内の事故で多いのが、風呂場での事故だ。
それも、死亡事故が多い。
全く元気な老人でも、ある日風呂に入って、
それっきりになっちゃうという話をしばしば聞く。
実は、風呂は意外と危険なのだ。
子供の頃、風呂から出たら、フラフラしていた記憶が
みんなにもあると思う。
毛細血管が拡張して、血圧が下がる。
体内の温度が上昇して、自律神経機能が低下する。
そんなこんなで、子供はフラフラするだけで済むが、
高齢者は、転倒したり意識がなくなったりする。
それに風呂場は滑りやすいし、
手すりなど体を支えるものが身近にない場合が多い。

  理想的には、腰までしかつからない腰湯が良い
ということだが、この寒い時になかなかそうもいかない。
お湯で濡らしたタオルを肩からかけるとか、
最後に数秒だけ肩まではいる人が多いようだ。
お湯の温度は、熱くない方が良いが、
ぬるいのに長くはいるのも良くない。
体内温度が上昇しすぎるからだ。

ということは、
熱くないお湯に、
短時間
しかも腰湯
ということになる。
なんか、強く言いにくい。
一人で入らないで、誰かと一緒にはいるのが、
死亡事故を減らす良い方法だが、これもなかなか実現は難しいみたいだ。
良い方法はないものだろうか?








   2月 4日 2004
   
また、やられた!
   日曜日は、トレーニングの日で
運動中毒の僕は、ジムで走ったり、泳いだり、
ウェイトトレーニングしたりして汗を流す。
日曜は、普段運動不足気味のおじさん達がたくさん来ている。
ランニングマシンも、大体フル稼働している。

その日、僕が走っている時は、偶然まわりのランニングマシンは空いていた。
隣に、おじさんが来て歩き始めた。
しばらくすると、みょうにくさいニオイがしてきた。
周りには、そのおじさん一人だ。
おもわず隣のおじさんを見たが、
おじさんは知らんぷりして歩いている。
考えてみたら、こんな時は、目を合わせにくい。
目を合わせちゃったら、ニット笑って
「ごめんね!」と言うしかないもの・・・。

おじさんは歩いているが、僕は走っているから、
すぐに二人の距離は離れる  ・・・というものではない。
(だって、ベルトが動いているだけだから・・・。)
僕は思わず、マシンの出来るだけ前方に体を移動した。
それでも、かなりの時間におっていた・・・。

  マシンには、
「場所取り禁止」と
「混んでいる時は、20分以上の使用はご遠慮ください。」
という張り紙がある。
もう一枚、貼ってほしい!
「隣に人が居る時は、○○○禁止」

何故か、僕はこの被害によくあう。
歩いていると、腸の運動が良くなって出やすいのだろう。
まっ、しょうがないか。






   2月 3日 2004
   
西表リゾート開発阻止訴訟
   先週末に、どうしても顔を出さないといけない新年会があったので、
ついでに、西表リゾート開発阻止訴訟の関西原告団の新年会にも顔を出した。
宴会は大嫌いなのだが、
「いったいどんな人たちが、一円の得にもならない訴訟に
お金を出して参加したのか」見てみたかったからだ。

「 2004年1月31日(土) 午後6時
 JR大阪駅中央口コンコース内「噴水広場」」

これだけで、顔も名前もわからない人たちとどうやって会うのかも興味があった。

時間の10分前に指定の場所に着いたが、
そこには、人と待ち合わせをしているとおぼしき人がわんさか居た。
とてもじゃないけど、この中から、
西表リゾート開発阻止訴訟の関西原告団の人々を探し出すのは無理と思えた。
帰ろうかと思ったが、「のぼりを持った誰かが時間に現れるかもしれない」し、
時間になったら、「大声で集合をかける元気な若者がいるかもしれない」と思って時間まで待った。
待っている間にも入れ替わり立ち替わり人が立ち止まる。
こんな特殊な集まりに参加する人は、きっと特徴的だろうと思って、
何人かの人に目星をつけた。
きっと、おしゃれではない。
着飾ったり、スーツ姿でもないだろう。
若い人は、リュックをしょったジーパン姿があやしい。
フリースのセーターを着た夫婦も、あやしい。

そんなことを考えていると、目の前のジーパンの青年が、
イリオモテヤマネコの写真を高くかざした。
案の定、リュックの青年も、フリースのセーターの夫婦もそこに寄っていった。
りょっくの青年は、よく見るとこの寒いのに裸足に下駄だった。

彼ら青年は、大学院の学生で、西表には何ヶ月も滞在して、
西表の自然や人々の暮らしに関していろんな論文を書いていた。
大人達は、西表に行ったことがない人から、
何十年も西表に通い詰めている人まで、様々だったが、
西表の貴重な自然を守りたいという思いは一致していた。
さわやかな思いが残る会だった。








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