通信技術の発達史
通信社は通信技術で支えられている<3>

写真電送

 写真電送の技術は1920年代からヨーロッパで研究が始まっていた。ドイツのコルン(Korn)とフランスのベラン(Belin)が有名である。わが国でも日本電気の丹羽保治郎、小林正次両博士らが研究、試作を行っていた。

 1928年には、電通朝日新聞社毎日新聞社がそれぞれに写真電送機を購入した。その秋、京都における大典に朝日電通がドイツのシーメンス・カルロス・テレフンケン(Simens Karolus Telefunken)式、毎日がベラン式と日本電気のNE式の写真電送機を使って成功した。当時の通信線は、架空裸線とケーブルの混在だった。

 逓信省は同年7月、省令で専用線による写真電送を可能としたが、受信画を1枚、逓信省に提出する既定があった。受信側ではネガフィルムで受け、焼き増しして提出していた。

 新聞社では電送写真課などの担当部署を設けたが、電通では1922年に設けた写真課が担当したのでないか。同盟は写真部に伝送係を置いていた。
 初期の写真電送機では電源に直流を用い、電送室の隣には電池室があった。大きな蓄電池から各種の電圧で供給していた。その後の機種では、電送機自体に電源装置を持たせている。

 1936年8月のベルリン・オリンピックでは、逓信省、日本電気と同盟の3社が協力して、日独間の無線による写真電送に始めて成功する。翌年12月に行われた中華民国臨時政府成立の式典で、同盟の技術陣が考案し自作した携帯無線機による写真電送機で、北京から東京まで、直接の電送に成功する。

 日本電気も携帯型写真電送機を製作したが、最初に開発を依頼した朝日新聞の独占権主張により、他社での利用は1年後からになった。

= 続く =

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