この学園を見ているといろいろなことを思う。わたしたちの行動というのは一体他の人たちにはどのように見えているのかって。一部の人が反米を叫び、軍事介入を恐れ、国連でさえ「ほうらい会」なんてものの隠蔽された権力機構であると怯え、自らの蛮行に目に蓋をし、それが外に漏れでることに最大限の妨害を加え、自分たちがどのような犠牲の上に今の乱れきった「繁栄」を手にしたのかを忘れ、学問の美名の元でどのような爛れた生活を送ってきたのかを考えることを自分に禁じ、あくまでも「与えられたもの」でしかない今の生活の基盤がほじくり返されることに生理的な拒否感をおぼえる。
まして彼らが仮想敵としているのは、日本でありアメリカであり、すなわちそれぞれの回りに最も多くいる同じ生徒。事実上の戦闘行為も行っているというのに断交もしない、宣戦もしない、相手の慈悲にすがって自分たちだけでも今の生活を奪われないようにしようと汲汲としているだけのように見える。
なんかすごい自分勝手じゃないかな。
自分たちの蛮行が知られないようにすることが自分たちの地位を保全する最大の手段? そんな隠蔽手段がいつまでも可能だというのかな。そう思っているのなら相当おめでたいよ。そんなことで世界をだませると思うのなら、そんなことで世界の一員として立っていけると思うのなら、
それってものすごい傲慢じゃない?
自分たちは正義を騙り、自分たちの行動は常に正しく、どのような悪にも加担せず、アラモよろしく蛮族に包囲されているが自分には必勝の兵器があるから平気。それでいて隠した左手には血まみれの刀が握られているのだし、足元には今まで踏みにじるだけ踏みにじってきた人人の骸が転がっている。それは相手の目に見えないように偽装されているけど、よーくこれまでの行動を見てみればおのずからどのようなことがあったのかわかるし見えてもくる。ところがそのような行動には邪推だとか利敵行為だとか云って犯罪者扱いする。自分が間違っているのではないか、と云う疑問さえ抱いたことがない。天地開闢以来無謬の存在であると自分を思い込む。自分自身さえだます。
それって何かに似てない?
反米主義・反「ほうらい会」主義の仮面の下に隠れてる素顔は結局アメリカそのものじゃない。そしてアメリカの猿まねだけで今まで生きてきた日本。
しかもいつ潰されるかという怯えのもとに生きてるから本尊ほど洗練されてもいない。
もうやめようよ。そんな小アメリカ主義なんか。
この島にいる生徒は、みんな多かれ少なかれここに「流されてきた」ものなんだってことを忘れてない? それぞれの本国から「規格外」を宣告されてきたものだけがここに「生徒」として収容され、隔離されているんだよ。戻る場所なんかないんだ。今みたいにむやみにあちこち牙を剥いていたら。ましてこの鬼子を生みだした総本山には。
わたしたちの生きる先はこの島を基盤にしてしかありえない。そして同時に、今のわたしたちが心に隠し持っている人種主義、優性主義、エリート主義なんかをいつまでもそのままにしておいたら、この島でさえわたしたちの安住の地ではなくなる。わたしたちは好むと好まざるとに関わらず今あるこの島の位置、と云うものを認識しながら生きていかなければならないのだから、この地域にこそ受け容れてもらえるようにならなければならない。それなのに自分たちは他の人間よりも優れているし正しいから「導いてやらなければならない」なんて羊飼い意識でいるなら、いつまでもそれは不可能だろう。
生きるために、今の蓬莱学園に蔓延している独善主義を吹き飛ばそうよ。
そうすれば少しでも明日に近づけるから。
公約その1 | 島衆共存っ |
公約その2 | 授業改革っ |
公約その3 | 国民は誰? |
公約その4 | 脱小米主義 |
公約その5 | *** |