「坂の街」番外編

      函館の街へ / 函館の坂その1へ / 函館の坂その2 / 函館の坂番外編へ / あいの里へ


大三坂周辺
 大三坂は「坂の街1」ですでに紹介しているが、函館の数ある坂の中で「日本の道百選」に選ばれているのはこの大三坂だけである。レイモンハウスに向かう坂の途中に記念の石碑が建っている。西部地区の見所が凝縮されている地域で函館観光の「基坂」となっている。
 私が好きな坂「第一位」でもある。
青柳町から
 谷地頭へ
 市電「青柳町」電停から谷地頭温泉へと向かう電車通りの坂だが名前は付いていないようだ。昔から日本酒「北の誉」、「グリコポッキー」のコマーシャルや映画などに頻繁に登場しているのに名前が無いのは少し残念だ。
 坂を車体を僅かに左右に揺らせながら登ってくる電車が、坂の頂上にある電停に発着する風景は、函館の代表的な風景の1つといって良いのでは。
基町公園の坂
 以前は、未舗装の「ただの坂」であったが、元町公園の整備に伴って、石だたみが美しい、おしゃれな坂に変貌した。坂の両側にはナナカマドの木が植えられており、この季節は美しい紅葉を見せてくれる。
 この坂の突き当たり左の細い通りには、おみやげなどを売る売店が建ち並んでいるが、呼び込みの声がうるさく、落ち着いて散策を楽しめないため、あえて遠回りして通らないようにしている。
藤の花の坂
 チャチャ登りの一本脇の坂の途中には藤の花がきれいな坂がある。民家の庭から坂に向かって藤の枝が出ていて、通りからきれいな藤の房が見えている。
 通りの中央には、スタットレスタイヤを取り替えている最中の若い女性が、坂をタイヤを転がせながら歩いているのですが、見えますが?
あたご坂
 東坂の先に、「あたご坂」と呼ばれている短い坂がある。道営住宅の脇までは舗装道路となっているが、その先は朽ち果てた階段が函館山に向かって続いている。
 坂の名前の由来は、いろいろと調査したものの、現在のところはっきりしていない。
 階段の途中には、この階段を通らなければ行き来が出来ない家があり、正に「生活道路」となっている。しかし、あの家は、この階段を人力で資材を運び上げて立てられたのだろうか?
と び 坂
 日和坂の上から船魂神社へと続く短い坂が「とび坂」である。昔はよく、函館山に発生する上昇気流を求めて集まってくる「とび」がたくさん見られたことからこの名前が付いたとか。
 下の通りは、観光客であふれているが、ここまで上がってくる人はほとんど見受けられない。すぐ脇の「函館西高校」からは、生徒の若いざわめきが、風に乗って微かに伝わってくる。
七 面 坂
 弥生坂の上に延々と函館山に向かって延びているのが「七面坂」である。こんな坂の上に人が住んでいるのかと思われる場所に、かなりの住宅がある。
 坂の途中には、幕末の函館での戦争で戦死した旧幕府軍の重臣の別宅の跡や、新政府側の海軍の戦死者の慰霊碑がひっそりと建っているが、訪れる人は少なそうだ。
 坂の名前の由来は不明であるが、なぜ「七面」なのか周囲から想像出来るものは見あたらない。坂の突き当たりからは、更に函館山に向かい、未舗装の道路が延びているが、その先の「探索」は、次回に持ち越すこととした。
阿さ利本店
 あさり坂の紹介でもふれているが、「あさり坂」の麓にあるのがこの「阿さ利」である。元々は、精肉店なので出されるお肉はお墨付きである。手頃な料金で趣きのあるすばらしい和室で「すき焼き」を堪能できる。店を入ってすぐ左の部屋では、近所のおかみさんと思われる従業員の方々が賑やかに仕込みをしている声が聞こえる。
 1人二千五百円で充分本格的「すき焼き」を堪能できるので、坂めぐりの途中に、ぜひお試し下さい。
ひ し 伊
今は、内部が喫茶店と、BARとなっているが、昔は大きな質屋さんだった。明治時代には、あの石川啄木の奥さんも、よく着物を持って通ってきたとか。
 内部は倉作りの重厚な内装となっている。




           

 函館の街へ / 函館の坂その1へ / 函館の坂その2 / 函館の坂番外編へ / あいの里へ