由来
14世紀後期、伊豆国最勝院開山和尚吾宝禅師の高弟州安和尚が諸国修行の旅に出たときのことである。
白河の関を通りかかった時、遙か西の方にめでたい雲がたなびいているのが見えた。
やっとの事でそこにたどり着くと、まさに和尚が探し求めていた通りの霊地であった。
和尚はさっそくそこに粗末な小屋を建て、修禅に励んだ。
ある夜のこと、小屋の扉を叩く者がいる。扉を開けると、そこには一人の老人が立っていた。
和尚はその老人を小屋に招き入れた。その翁は語った。
「この山隅には、誰も知らぬ霊泉がある。あまりに辺鄙なところにあるので、誰も行かれないのだ。人々の病患を除くために、和尚の力で皆に知らせて欲しい。」
次の日、和尚がその翁に聞いた場所に行ってみると、そこには確かに霊泉が湧き出ていた。
時同じくして、夢のお告げに導かれ、鶴生村の猟夫もそこにやってきていた。
和尚はこの猟夫と語り合い、ここを温泉場にしたという。
この年が 至徳元年、甲子(きのえね)の年にあたっていたことから『甲子(現在では「かし」と読む)温泉』と命名されたそうだ。
…漢字が多いと、肩凝るね。書く方も、読む方も(笑)。
看板の写真はノブが撮りました。思いっきりブレてます…。