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市内中心部

 二日目はバスで台北駅に出て、普通の観光に繰り出します。前に来た時は車の大渋滞に結構びっくりしましたが、仁愛路のバス専用レーンは実にスムースに我々を駅まで運んでくれました。
 日清戦争の結果台湾を植民地にした日本は、いわば初体験の植民地支配をどうするかという難問に向かい合います。その時抜擢された責任者が後藤新平。その任期中の9年間、この島の基盤作りに尽力したことは、やはり評価されることでしょう。彼はその後満鉄の総裁を経て内務大臣となり、東京の震災復興計画を推進したことで有名です。東京を近代都市にしたように、現地の状況を見据えながら台湾の近代化を進めたことが、その後の韓国や中国との大きな違いになっているのかもしれません。「植民地政策は植物学である」とし、頭ごなしの政策ではなく、生物がうまく育つように現地の状況を踏まえた政策を実行したというのは、そう簡単に出来るものではありません。
 この後藤新平に加えもうひとり登場するのが新渡戸稲造です。5千円に描かれていたから一般的には後藤新平より有名かもしれませんね。台湾の精糖業を興し、経済的な基盤を確立するために相当の努力をしたとか。そういう人たちの実績がが伊藤博文が支配した朝鮮との違いになっている気がしますし、何十年、いや百年経ってもその差が埋まらないのです。
 そんな台湾統治時代の痕跡が至る所にある、市内中心部です。

國父史跡記念館 25 02 51.85N,121 31 11.41E

 台北駅周辺は、MRTの工事も終わり(随分前だったのかな)、すっかりきれいになりましたが、そんな雑踏の中にタイムスリップしたような一角がここ,國父記念館です。孫文が日本統治時代に投宿した「梅屋敷」を利用して國父記念館にしたそうな。彼は日本に亡命していたこともあるのですが、何で敢えて日本旅館を記念館にしたかの真意がもう一つ分からなかった。上で触れたように後藤新平の功績があるのでしょうか。多分それは大きいのでしょう。まあ、子連れの我々は、殆ど訪れる人のいない中、本当に懐かしい感のする和風建築を味わっていました(でももう子供たちは懐かしいとは思ってくれない程、日本の建築も変わってしましましたが)。

中庭。後ろに台北駅が見えます。緑豊かで気持ちよかった 中に入ると,障子に畳そして床の間、欄間と日本そのもの。でも入ってくる光は南国のものでした。
右上の写真で一番右に見えているのは、玄関の正面にあたる欄間もどきの透かし模様。正に梅の形ですね。

植物園、国立歴史博物館 25 01 53.61N,121 30 39.52E

 故宮は今回はいいことにして、その代わりに訪ねたのは歴史博物館。MRTで小南門まで行き、ちょっと歩くと植物園の正門が現れます。なかなか立派な並木を抜けた先にあるのが歴史博物館。1階では交易の歴史に関する特別展を、2階以上は常設展主体に、現代作家の展示も混じっていたりして、結構多彩です。台湾の交易も各時代の船の模型がなかなか面白く、時間を取ってしまいましたが、3階の三彩陶磁器関係や、鼎の大量展示など、飽きることなく見ることが出来ました。

園内の池では蓮の花がとても綺麗でした。
こ植物園入口。頑張った造りのアプローチです。
歴史博物館。結構充実の中身でした。故宮程広くないので、楽に見ることが出来ます。
内部は撮影禁止なので、パンフレットから少々頂きました。左から三彩加藍人面鎮墓獣、三彩駱駝、そして三彩天王神像です。この造形の面白さ。

中心部