糺ノ森から八坂へ

●下鴨神社

市バスは賀茂川と並走しているが、ふいにそれて街中に入っていく。西日にぼんやりと身体を任せていると、意外に疲れていることに気付く。
下鴨神社前で下車。長く続く参道でなく、境内の脇から入る形になったが、もう午後四時を過ぎていたので、時間の節約になる。

七月末の午後四時半はまだまだ明るいはずだが、意外にも暗い。平地に鬱蒼と茂る木々の奥に連なる建物。
賀茂氏の祖霊を祀る社は、平安京以降は鬼門を守る皇城鎮護の社を兼ねて久しい。

賀茂氏は在来系氏族、また秦氏、東漢氏、八坂氏などは渡来系氏族と呼ばれる。特に賀茂氏と秦氏は平安京遷都の寄与が大きかった。松尾大社〜木島神社を中心に西側を押さえた秦氏、上賀茂神社〜下鴨神社を中心に東側を掌握した賀茂氏は、交流も深かったといわれる。そんなことから、賀茂氏も元々は渡来系で、根付いた時期が秦氏より早かった、という説もある。
在来系、渡来系、どちらであったとしても、この地に一大勢力を占めたのが賀茂氏由来の神社を拝観するのが、本日の予定であった。

ところが、予定より遅くなった上、暗くなってきて細部を確認しにくくなった。帰ってゆく人々の流れに逆らうように、境内を一周するのがせいぜい。
ただ、上賀茂神社の持つ独特の緊張感は、ここにはない。それだけははっきりした。雷のように秘めたエネルギーがある感じはほとんどなく、落ち着いた森からこんこんと湧き出てくる気。上賀茂よりはるかに穏やかで、清流のような澄んだ気。
そういえば、 夏至のみたらし祭りで、流れに足を浸して禊をする神社なのだから、当然か。

本殿周辺の境内から南へ参道を歩けば、糺ノ森を抜けていく。物理的には暗いのに、さらさらと流れる気配がとても楽な気分にしてくれる。こちらを後に廻ることにして、ほんとうによかった。

●八坂氏ゆかりの神社へ

少し疲れたので、市バスで一度、宿に戻ることにした。靴を脱いで足を休めてみる。午後七時前をメドに再び外出。

まずは歩いて、祇園へ。いつものように、八坂神社に詣でる。
古くは祇園社と呼ばれ、仏教も習合していたが(感神院という名もあった)、明治以降は八坂神社と名を改めた。渡来人氏族の八坂氏が建立に関わったといわれるここは、祇園祭を執り行う神社。素戔嗚尊(スサノオノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)の三神を祀るが、元々は牛頭天王を祀っていたという。また、八坂寺として建立され、最古の御霊会が開かれていることからも、京都という地を切り開いた渡来系豪族の文化が日本の風土に同化していったことを想像させる。
賀茂氏の社を拝観した後に廻ると、また雰囲気の違いが楽しい。八坂神社は独特の大衆性、明るさがある。

本殿の修繕を行うために、仮殿に移っている。いよいよ来年から本殿に戻るが、不思議なことにここ数年、いままで感じたことがないほど魅力的な気が満ちている。
修繕のために本殿を開けたため、この地の気が吹き出しているのではないか。夕方から夜にかけて、本殿・仮殿の周りから西楼門のほうへ、静かな甘い水のような気配がひたすら沸き上がり、流れていく。
今回は夕焼けに間に合わず、すでに静かになっているが、祇園が京都一番の、そして海外に名が轟くほどの繁華街として興隆したのは、これとまったく無関係ではないと思う。
京都はここ数年、人が少なくなっているような印象を受けるが、この気の流れがまた人を呼び寄せることになるかどうか。

一通り見て満足すると、踵を返して四条通を西へ向かった。

●先斗町の夕食

四条大橋の涼しい風に、やはり川があると違うと感じ入る。東京は川をどんどん暗渠にしてしまったが、もったいないことだ。

渡り終えて、先斗町へ。夕食はもう決まっている。茶房長竹

お腹も気持ちも満たされて、夜の繁華街をゆったり歩きながら、宿へ向かう。歩きながら、なんだか街が全体的に元気がないように感じる。三年ほど前、東京の繁華街が軒並みひどく元気のない状態になったが、少しそれに近い。
1994年の建都1200年祭でピークを迎えたこの街は、少し違う空気を感じて、新たな胎動をしているところなのか。

宿に戻って鴨川を見れば、そんな短いサイクルの営みなどまるで気にしていないようだ。静かに日曜の夜が更けていく。

 


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