水無瀬恋十五首歌合 ―暁の恋―


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〔暁恋〕夜が明けようとして、まだ暗い頃の恋。共に夜を過ごした恋人たちにとって、別れるべき時刻の到来である。同題の先例としては、『金葉集』に源顕仲の作、『月詣和歌集』に賀茂重保の作、『万代和歌集』に和泉式部・皇嘉門院別当の作などが見られる。近くは建久三年(1192)頃企画された『六百番歌合』に「暁恋」の題があった。


二十一番 暁恋
   左           家隆朝臣
忘れずよいまはの心つくばねの峯のあらしに有明の月
   右            雅経
涙さへ鴫の羽がきかきもあへず君がこぬ夜のあかつきの空

左は「いまはの心つくばねの」といへる心よろしく、右は「しぎのはねがきかきもあへず」といへる、彼の「君がこぬよは我ぞ数かく」といへる歌をおもへるも、いうには侍れど、左の「峯の嵐に有明の月」、猶まさり侍るべし。

左(家隆)
忘れずよいまはの心つくばねの峯のあらしに有明の月


【通釈】忘れないよ、「今はもう別れなければ」と決心がついた時――峰に嵐が吹き、空には有明の月がかかっていた――あの景色を眺めた時の、悲しい気持は。

【語釈】◇忘れずよ―別れを決意した時に見た景色を忘れない、ということ。初句切れ。◇いまはの心―今は別れるときだ、と思い決める心。◇つくばねの―「つくばね」は歌枕の筑波嶺であるが、「つく」と「峯」をつなげる虚辞にすぎない。ただし、筑波嶺が古来歌垣で名高い「恋の山」であることも、ある種のムードを釀し出すはたらきをもつ。なお、この「つく」は、「決心がつく」などという時の「つく」と同じで、「尽く」ではない。◇有明の月―明け方まで空に残っている月。

【本歌】藤原国経「古今集」
あけぬとて今はの心つくからになどいひしらぬ思ひそふらむ
【参考歌】よみびと知らず「後撰集」
限りなく思ふ心はつくばねのこのもやいかがあらんとすらん

【補記】後朝(きぬぎぬ)の歌。語釈に書いたように、「つくばね(筑波嶺)」は句をなめらかに繋げるための虚辞として用いられている。筑波嶺を眺めているという設定の作として読むべきではない。

【他出】「壬二集」2801。

●右(雅経)
涙さへ鴫(しぎ)の羽(はね)がきかきもあへず君がこぬ夜のあかつきの空


【通釈】恋人を待ち侘びる夜は、鴫の百羽(ももは)がきよりもたくさん数を書くというが、私は涙さえしきりとこぼれ、その数が多すぎて拭いきれないのだ。あなたが来ないまま夜を待ち明かし、暁の空を迎えて…。

【語釈】◇鴫の羽がき―シギの羽ばたき。「かき」を導く序。「しぎ」に「しき(頻)」が掛かる。◇かきもあへず―涙が多すぎて払いのけ切れない。「かき(掻き)」は手で払いのける意。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
暁のしぎのはねがきももはがき君がこぬ夜は我ぞかずかく

【補記】本歌の「かずかく」は、線を引くなどして標しをつけながら数を勘定することを言う。意味もなく何かの数をかぞえることで、悲しみを紛らわそうとする所作である。雅経の歌は「かき」を「涙を掻きやる」意に置き換えて、恋人を待ち明かす夜の悲しみをいっそう強くあらわそうとしたのである。

【他出】「明日香井和歌集」1101。

■判詞
左は「いまはの心つくばねの」といへる心よろしく、右は「しぎのはねがきかきもあへず」といへる、彼の「君がこぬよは我ぞ数かく」といへる歌をおもへるも、いうには侍れど、左の「峯の嵐に有明の月」、猶まさり侍るべし。


【通釈】左は「いまはの心つくばねの」と詠んだ情趣が結構で、右は「しぎのはねがきかきもあへず」と詠んだのが、あの「君がこぬよは我ぞ数かく」という歌を思わせるのも、優ではありますが、左の「峯の嵐に有明の月」(という下句が)、やはり勝っているでしょう。

▼感想
いずれも古今集の本歌取り。巧妙な取り込み方だけに、本歌をよく味わった上でないと、分からない歌である。本歌取りの巧拙については甲乙つけがたいが、下句の情景描写が勝負を分けた。



二十二番
   左           親定
白露のおきてわびしき別れをも逢ふにぞかこつ有明の月
   右            有家朝臣
またこんといひて別れしなごりのみながむる月に有明の空

左は「逢ふにぞかこつ有明の月」、右は「ながむる月に有明の空」、いくほどのことには侍らぬを、上の句こそ殊の外に侍りければ、右、彼の「今こんといひしばかりに長月の」といへるは、いみじくこそ侍るを、「又こん」といへるは事の外に劣りて聞え侍るなり。左、「しら露のおきてわびしき」など、勝侍るべし。

左(後鳥羽院)
白露のおきてわびしき別れをも逢ふにぞかこつ有明の月


【通釈】白露の置く朝が来て、寝床から起き、せつない別れの時を迎える――その時には、有明の月と出逢うのだ。おまえに恨みごとを言わせてもらうぞ、有明の月よ。

【語釈】◇白露の―「おき」の枕詞。◇おきて―「起きて」「置きて」の掛詞。◇かこつ―有明の月に対し、恨み言を言う。

【本歌】紀貫之「後撰集」
暁のなからましかば白露のおきてわびしき別れせましや

【他出】「後鳥羽院御集」1599。

●右(有家)
またこんといひて別れしなごりのみながむる月に有明の空


【通釈】「また来るよ」と言って別れた、名残惜しさばかりがあったよ、帰りがてら眺めた月にはね、有明の空の。

【語釈】◇有明の空―月を残しながら明けてゆく空。「(なごりのみ)あり」を掛ける。

【本歌】素性法師「古今集」
今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな
  僧正遍昭「古今集」
今こむといひてわかれし朝より思ひくらしのねをのみぞなく

■判詞
左は「逢ふにぞかこつ有明の月」、右は「ながむる月に有明の空」、いくほどのことには侍らぬを、上の句こそ殊の外に侍りければ、右、彼の「今こんといひしばかりに長月の」といへるは、いみじくこそ侍るを、「又こん」といへるは事の外に劣りて聞え侍るなり。左、「しら露のおきてわびしき」など、勝侍るべし。


【通釈】左は「逢ふにぞかこつ有明の月」、右は「ながむる月に有明の空」と、(下の句は平凡で)何ほどのこともありませんが、上の句が普通ではありませんので(申し上げますと)、右は、あの「今こんといひしばかりに長月の」という句は、素晴らしいのですけれど、「又こん」というのは(本歌が本歌だけに)特別に劣って聞えるのです。(それに対して、同じ本歌取りでも)左の「しら露のおきてわびしき」などは、勝っているでしょう。

▼感想
今度は本歌取りの仕方が勝負を分けた。右有家の歌が本歌の語句を替えて取り、聞き劣りする結果になってしまったのに対し、左後鳥羽院の歌は素直な取り込み方をして、無難であった。本歌取りの難しさを痛感させる一番である。



二十三番
   左           前大僧正
たのめつる夜半もいまはの袖の雨に月さへ曇る有明の空
   右            俊成卿女
をしみかね別れしよりも数々におもふかたみの暁の空

此の右の歌、すがた詞いとよろしく侍るを、左、「夜半もいまはの袖の雨」とおきて、「月さへくもる有明の空」こそ、上下始終ことによろしく聞え侍れ。仍て勝に定め申し侍りしなり。

○左(慈円)
たのめつる夜半もいまはの袖の雨に月さへ曇る有明の空


【通釈】あの人が来ると期待していた夜も、今はもう明けかけて、私の袖は雨と降る涙に濡れ、そこに映る月さえ曇って見える、有明の空よ。

【語釈】◇たのめつる―あの人が来ると私を期待させた。◇いまはの袖の雨―「今はもう夜が明け、あの人が来ることはない」という思いに、袖にこぼした涙。

【参考歌】藤原公任「公任集」
あかでこし袖のしづくは秋のよの月さへくもる物にぞ有りける

【他出】「若宮撰歌合」六番左負、「水無瀬桜宮十五首歌合」六番左負、「拾玉集」4950。

●右(俊成卿女)
をしみかね別れしよりも数々におもふかたみの暁の空


【通釈】惜しむに惜しみきれず別れた時も、明け方の空は悲しいものだったけれど、それより、(逢うこともできずに)一晩中あれこれと思い悩んで夜を明かした――その思い出の忘れ形見のように眺めた、暁の空。その悲しいことといったら…。

【語釈】◇をしみかね別れしよりも―惜しみかねて別れた時(眺めた空)よりも。◇数々におもふかたみ―数々思い悩んで過ごした夜を思い出す種となるもの。「かたみ」には「片身」または「片見」を掛け、独りだけで眺めた、の意を響かせるか。

【校異】親長本は末句「あり明の空」。

【本歌】九条兼実「千載集」
をしみかねげにいひしらぬ別れかな月もいまはのあり明のそら
【参考歌】選子内親王「後拾遺集」
のりのため摘みける花をかずかずにいまはこのよのかたみとぞおもふ

■判詞
此の右の歌、すがた詞いとよろしく侍るを、左、「夜半もいまはの袖の雨」とおきて、「月さへくもる有明の空」こそ、上下始終ことによろしく聞え侍れ。仍て勝に定め申し侍りしなり。


【通釈】この右の歌は、姿も詞も大変結構ですが、左の歌の「夜半もいまはの袖の雨」と置いて、「月さへくもる有明の空」(と結んだ)のが、上句下句、始めから終りまで、格別によろしく聞えます。よって勝に定め申し上げたのです。

▼感想
いずれも、いわゆる閨怨の歌。むなしく待ち続けて迎えた明け方の空を詠む。慈円の歌は、詠み尽くされたような題材を、言葉の新しい結びつけ方の工夫によって再生させ、間然とする所のない一首に仕上げた。その点が評価されたのだろう。



二十四番
   左            宮内卿
今はただかぜやはらはんうき人の通ひ絶えにし庭の朝霜
   右           定家朝臣
俤もまつ夜むなしき別れにてつれなくみゆる有明のそら

左の歌、心すがたいうに侍るを、「うき人の」といへるや、近ごろも人よみて侍りしかど、いかにぞよわきやうに聞え侍るを、右の歌よろしくや侍らんとおもひ給へしを、「有明の空ばかりにて、月なきやいかに」とさたの侍りしを、作者やがて「此の本歌も月は侍らぬなり」と申し侍りしかば、まことにさこそ侍りけれとて、勝になり侍りしなり。

●左(宮内卿)
今はただかぜやはらはんうき人の通ひ絶えにし庭の朝霜


【通釈】今はただ、風が吹き払うだけだろう。無情な人の往き来が絶えた庭の、朝霜は。

【語釈】◇今はただ―恋人が通って来なくなった今は、もう。◇うき人―憂き人。「うき」は浮雲を連想させ、「かぜやはらはん」と響き合う。一種の縁語である。また、恋人の浮気心も暗示していよう。

【補記】以前は庭の朝霜を恋人の足が踏み消してくれたのに、通いが絶えた今や、それを払ってくれるものとては寒々とした冬の風だけだ、ということ。「かぜやはらはん、うき」とつなげて「うき雲」を連想させ、「うき人」に落としたところに一工夫があったと思われるが、判者の評価を得られなかったようである。

【他出】「和歌一字抄」171。

右(定家)
俤(おもかげ)もまつ夜むなしき別れにてつれなくみゆる有明のそら


【通釈】月に面影を映して眺めながら、待ち明かした夜――とうとうあの人は来ず、虚しい別れになった。なんと冷淡に見える有明の空だこと。

【本歌】壬生忠岑「古今集」
有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし

【補記】恋人の訪れを期待した夜が、意に反した結果に終わり、恋人とではなく、その面影を映して見ていた月と別れることになった。それを「むなしき別れ」と言っている。結句を「有明の月」ならぬ「有明の空」としたのは、しだいに明るくなって、面影を偲ぶ月さえも隠してしまう空を恨んでいるからであり、これによって余情がうまれている。
なお、「まつ夜むなしき」の句は、後鳥羽院の「橋ひめのかたしき衣さむしろに待つ夜むなしき宇治の明ぼの」(最勝四天王院障子和歌・新古今集)に影響を与えたと思われる。

【他出】「拾遺愚草」2540。

■判詞
左の歌、心すがたいうに侍るを、「うき人の」といへるや、近ごろも人よみて侍りしかど、いかにぞよわきやうに聞え侍るを、右の歌よろしくや侍らんとおもひ給へしを、「有明の空ばかりにて、月なきやいかに」とさたの侍りしを、作者やがて「此の本歌も月は侍らぬなり」と申し侍りしかば、まことにさこそ侍りけれとて、勝になり侍りしなり。


【通釈】左の歌は、情趣も風姿も優美ですが、「うき人の」と言ったのは、近頃もほかの人が詠みましたけれども、どうしたものか弱いように聞えます。それで右の歌の方が良いのではないかと愚考いたしましたが、「『有明の空』とだけあって、月を詠んでいないのはどうか」との訴えがございました。しかし、作者がすぐに「この歌の本歌も、月という詞はございません」と申しましたので、まったくその通りだということで、勝になったのです。

【語釈】◇「うき人の」といへるや、近ごろも人よみて―「うき人のゆかりに身をばをしまねど恋ははかなきすさびなりけり」(顕昭法師『月詣集』)、「うき人の月はなにぞのゆかりぞとおもひながらもうちながめつつ」(藤原実定「歌林苑歌合」、のち『新古今集』入集)などを指すか。◇さたの侍りし―参席者の意見があった、ということ。◇作者やがて…―作者は定家。この「やがて」は、その場で即座に、ということ。

▼感想
これも閨怨の二首。判詞には衆議の様子が窺われて興味深い。



二十五番
   左            左大臣
もりあかす水のしら玉今はとてたゆむもしらぬ袖のうへかな
   右           権中納言
明くるまを何恨みけむ逢ふ事のなごりに今は恋しき物を

左、「水のしら玉いまはとて」といひ、「たゆむもしらぬ」などいへる心をかしく侍るを、右、末の句やすらかに侍るべしとて、右の勝につけて侍りにしなるべし。

●左(良経)
もりあかす水のしら玉今はとてたゆむもしらぬ袖のうへかな


【通釈】一晩中こぼれないように防ぎ続けた涙の露――今はもう夜が明けたからと、たゆむことなく流れ落ちるわねえ、袖の上に。

【語釈】◇もりあかす―守り明かす。一晩中(涙がこぼれないように)防ぎ続ける。また「漏り」と掛詞になり、「水」の縁語となる。◇水のしら玉―水滴を美化した表現。例「石ばしる水のしら玉かずみえて清滝川にすめる月影」(俊成)。◇今はとて―夜が明けた今はもう我慢する必要もないというわけで。恋人の訪れをあきらめた瞬間、堪え続けた涙が堰を切って流れた、ということ。◇たゆむもしらぬ―休むことも知らない。「たゆむ」は勢いがゆるむ・弱まる意。

【他出】「秋篠月清集」1440。

右(公継)
明くるまを何恨みけむ逢ふ事のなごりに今は恋しき物を


【通釈】夜が明けるまでの時間の短さを、私はなんで恨んだりしたのだろう。情事の余韻に、今はあの時が恋しくてならないというのに。

【語釈】◇恋しき物を―この助詞「ものを」は、倒置によって文末におかれ、詠嘆を込めるはたらきをする。

■判詞
左、「水のしら玉いまはとて」といひ、「たゆむもしらぬ」などいへる心をかしく侍るを、右、末の句やすらかに侍るべしとて、右の勝につけて侍りにしなるべし。


【通釈】左は、「水のしら玉いまはとて」といい、「たゆむもしらぬ」などという句が興趣深くありますが、右の末の句は耳にやすらかに相違ないということで、右の勝に決めましたということなのでしょう。

▼補説
親長本は左良経の歌を勝とする。判詞は「左、水のしら玉いまはとてといひ、たゆむもしらぬなど心をかしく侍るを、右、すゑの句やすらかに侍るべし。仍左勝に侍りにしなり」。これが原形であったと思われる。公継はここまでまだ一番も勝がないので、バランスを配慮しての改判であったろうか。



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最終更新日:平成13年12月3日