水無瀬恋十五首歌合 ―暮の恋―


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〔暮恋〕夕暮の恋。「夕恋」は源俊頼の『散木奇歌集』にみえ、『六百番歌合』にも出題されたが、「暮恋」は当歌合が初例のようである(『新編国歌大観』を見た限りでは)。暁が別れる時であるのに対し、暮は待つ時であり、逢う時である。当歌合では、ほとんどの作が「むなしく待つ」恋の悲哀を詠んでいる。なお、ここまでの六題はすべて「時」にかかわる題であった。


二十六番 暮恋
   左           親定
いかにせんこぬ夜あまたの袖の露に月をのみまつ夕暮の空
   右            定家朝臣
ながめつつまたばと思ふ雲の色をたが夕暮と君たのむらん

左歌、「こぬ夜あまたの袖の露に月をのみまつ夕暮の空」といへる、いみじく侍りて、勝になり侍る。

左(後鳥羽院)
いかにせんこぬ夜あまたの袖の露に月をのみまつ夕暮の空


【通釈】どうしよう。幾晩も来ない日が続き、私の袖は涙の露に濡れっぱなし。(もはやあの人の訪れはあきらめ、)袖の露に月が宿るのだけを待っている夕暮時の、空よ。

【本歌】柿本人麿「拾遺集」
たのめつつ来ぬ夜あまたになりぬれば待たじと思ふぞ待つにまされる
【参考歌】藤原家隆「新古今集」(建久五年-1194-の詠)。
いかにせんこぬ夜あまたの時鳥またじと思へば村雨のそら

【補記】本歌の「待たじと思ふ」を「月をのみ待つ」と優艷に言い換えて、恋の断念の苦しみを余情として滲ませている。

【他出】「若宮撰歌合」七番左負、「水無瀬桜宮十五首歌合」七番左負、「後鳥羽院御集」1600。

●右(定家)
ながめつつまたばと思ふ雲の色をたが夕暮と君たのむらん


【通釈】眺めながらあなたのことを待ちたいものだわ――そんなふうに思える、美しい雲の色なのに。誰のための夕暮として、あなたは心にかけているのでしょう。

【語釈】◇またばと思ふ雲の色―あなたのことを待ちながら眺めたら、どんなにいいだろうと思える、美しい雲の色。「またば」のあとに「うれしからまし」などを省略する気持。◇たが夕暮と君たのむらん―誰と逢おうと約束した夕暮として、あなたは期待しているのだろう。「私のためにではない」という心が裏にある。

【補記】捨てられたと自覚している女の哀切な心情。可憐。

【校訂】右歌第二句、底本は「またはた思ふ」。親長本・拾遺愚草などを参照し、改変した。

【他出】「拾遺愚草」2541、「玉葉集」1822。

■判詞
左歌、「こぬ夜あまたの袖の露に月をのみまつ夕暮の空」といへる、いみじく侍りて、勝になり侍る。


【通釈】左の歌の「こぬ夜あまたの袖の露に月をのみまつ夕暮の空」と詠んだのが大変すばらしく、勝になりました。

▼感想
夕暮の空の下、むなしく待つ女を詠んだ二首。哀婉な歌どうし、好勝負となった。



二十七番
   左            宮内卿
今こんと只なほざりの言の葉をまつとはなくて夕暮の空
   右           雅経
あぢきなくそへし心のかへりこでゆくらんかたの夕暮の空

両方の「ゆふぐれの空」、心すがたともによろしくこそ侍りけれ、「待つとはなくて」といひしより、「ゆくらんかたの」といへる、いささか心のまさりて見え侍れば、右の勝になり侍るにこそ。

左(宮内卿)
今こんと只なほざりの言の葉をまつとはなくて夕暮の空


【通釈】「もうすぐ行くよ」なんて、ほんのいい加減な言葉を、期待などするものですか。あなたのことを待つというわけではなくて、暮れてゆく空を眺めているの。

【本歌】素性法師「古今集」
今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな

【補記】男の言葉を素直に信じて有明の月(夜遅く出る)を待ち迎えてしまったという本歌に対し、この歌では「只なほざりの言の葉」とハナから断じ、強がっている。これもまた一種の媚態ぶりっこ

右(雅経)
あぢきなくそへし心のかへりこでゆくらんかたの夕暮の空


【通釈】ほかになすすべもなく、あなたのもとへと添わせた心――私のところへはもう帰って来なくて、ただ心が向かって行く方の夕暮の空を眺めやるばかりです。

【語釈】◇あぢきなく―「あぢきなし」は、「思う通りにならず、どうしようもない」という気持をあらわす語。◇そへし心―(あなたのもとに)添えておいた心。『明日香井和歌集』では「うつし心」(正気・理性)とある。あるいは誤写か。

【参考歌】相模「詞花集」
夕暮れはまたれしものを今はただゆくらむ方を思ひこそやれ

【他出】「明日香井和歌集」1102。第二句は「うつしごころの」。

■判詞
両方の「ゆふぐれの空」、心すがたともによろしくこそ侍りけれ、「待つとはなくて」といひしより、「ゆくらんかたの」といへる、いささか心のまさりて見え侍れば、右の勝になり侍るにこそ。


【通釈】「夕暮の空」を詠んだ両方の歌は、情趣も姿も結構ですけれども、「待つとはなくて」と言ったのよりは、「ゆくらんかたの」と言ったのが、少し情趣がまさって見えますので、右の勝になりました。

▼感想
両首の心のかなめとなる語句を比較し、余情のある「ゆくらんかたの」を採ったか。



二十八番
   左           左大臣
何ゆゑと思ひもいれぬ夕だに待ち出でし物を山のはの月
   右            前大僧正
いかにせむ待つべしとだに思ひよらで暮れ行く鐘に打ちしをれつつ

左、「まち出でしものを山のはの月」と侍るを、右、「待つべしとだにおもひよらで」といひて、「暮れ行くかねに」といへる文字つづき、これもいみじく侍れど、左の「やまのはの月」、なほたちのぼりて侍れば、勝と定め申すなり。

左(良経)
何ゆゑと思ひもいれぬ夕だに待ち出でし物を山のはの月


【通釈】これと言って何か思い入れる理由のない夕べでさえ、山の稜線から月が昇るのは待ち遠しいものなのに。(まして、あの人と約束をした夕暮は、「月が出る頃には…」と待たれてならないのだ。)

【語釈】◇待ち出でし物を―月が出るのを待ち迎えるものなのに。◇山のはの月―山の端に昇る月。「山の端」は、山を遠くから眺めたとき、山の、空との境目をなすあたり。今言う「山の稜線」に近いが、「線」として意識されていたわけではない。

【参考歌】素性法師「古今集」
今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな

【校訂】底本は右第二句「思ひもいりぬ」。親長本・新古今集などにより改めた。

【他出】「若宮撰歌合」七番右勝、「水無瀬桜宮十五首歌合」七番右勝、「新古今集」1198、「歌林良材」217、など。

●右(慈円)
いかにせむ待つべしとだに思ひよらで暮れ行く鐘に打ちしをれつつ


【通釈】どうしよう。あの人を待とうという気持にさえなれなくて、日暮れを告げる鐘の音に、ただ打ちひしがれてゆくばかり…。

【語釈】◇待つべしとだに思ひよらで―必ず待とう、という気持になれなくて。この「べし」は強い意思をあらわす。◇暮れ行く鐘―日が暮れてゆくことを告げる、時報の鐘。◇打ちしをれつつ―「打ち」は鐘の縁語。

【他出】「拾玉集」4951。第五句は「うちなかれつつ」。

■判詞
左、「まち出でしものを山のはの月」と侍るを、右、「待つべしとだにおもひよらで」といひて、「暮れ行くかねに」といへる文字つづき、これもいみじく侍れど、左の「やまのはの月」、なほたちのぼりて侍れば、勝と定め申すなり。


【通釈】左は「まち出でしものを山のはの月」とありますのに対し、右は「待つべしとだにおもひよらで」といって、「暮れ行くかねに」といった文字続き、これも大変りっぱですが、左の「やまのはの月」の方が、やはり立ちまさっておりますので、勝と定め申しあげるのです。

【語釈】◇なほたちのぼりて―「たちのぼり」は「月」の縁語として言う。

▼感想
良経の歌の、もっぱら言外に心をあらわした婉曲さが生み出す余情と、下句の声調の優美さが評価されたのだろう。



二十九番
   左           俊成卿女
身にぞしむ人なき床の夕まぐれ涙の露をはらふ秋風
   右            家隆朝臣
今はただまたれしあとの夕暮の曇るばかりぞかたみなりける

左、「人なき床のゆふまぐれ」といひ、「涙の露をはらふ秋風」、よろしく侍るを、右、「曇るばかりぞかたみなりける」といへる、又えんに侍れば、持にてなん侍るべし。

左(俊成卿女)
身にぞしむ人なき床の夕まぐれ涙の露をはらふ秋風


【通釈】身に染みるわ。独り寝の床で過ごすたそがれ時、涙の露を払ってゆく秋風は。

【語釈】◇人なき床―一緒に寝るべき人のいない床。◇夕まぐれ―夕方、ほの暗くなる頃。マグレは目(ま)暗(くれ)の意という(岩波古語辞典)。

△右(家隆)
今はただまたれしあとの夕暮の曇るばかりぞかたみなりける


【通釈】夕暮になると、あの人の訪れが待たれて、暗くなってゆく空を見上げては涙を流したものだ――そんな日々が過ぎ去ったあげく、今ではただ、涙に曇った夕空の眺めばかりが、忘れ得ぬ思い出として残ってしまったのだ。

【語釈】◇またれしあと―以前は恋人の訪問が期待されたが、そんな日々も過ぎ去った後。◇曇るばかりぞ―涙で曇ってみえる空ばかりが。◇かたみなりける―辛かった恋を思い出す記念物となってしまった。楽しい恋の思い出はなくて、そのかわりに…という気持。

【他出】「壬二集」2802。第三句は「夕ま暮」。

■判詞
左、「人なき床のゆふまぐれ」といひ、「涙の露をはらふ秋風」、よろしく侍るを、右、「曇るばかりぞかたみなりける」といへる、又えんに侍れば、持にてなん侍るべし。


【通釈】左の「人なき床のゆふまぐれ」といい、「涙の露をはらふ秋風」と続けたのは結構ですけれども、右の「曇るばかりぞかたみなりける」といったのもまた艶ですので、持ということなのでしょう。

▼感想
詞続きの優美な左歌と、余情のこもった右歌。美点を指摘して、引き分けとした。



三十番
   左            権中納言
荻の葉に風うちそよぐ夕ぐれや人を恋しと思ひそめけん
   右           有家朝臣
おもふ事みにしみまさるながめかな雲のはたての空のあき風

左、「荻のはに風うちそよぐ」といひ、「人を恋しとおもひそめけん」といへる、やすらかに聞え侍り。右、「雲のはたての空の秋風」は、かの「あまつ空なる人をこふる身は」といへる歌を思へるなるべし。「雲のはたて」もつよきやうに侍れば、勝になりにしなり。

●左(公継)
荻の葉に風うちそよぐ夕ぐれや人を恋しと思ひそめけん


【通釈】荻の葉に風があたって、そよそよと音を立てる――こんなあわれ深い夕暮に、人を恋しいと思い始めたのではないか。

【語釈】◇荻―イネ科ススキ属の多年草。秋に出す穂は銀白色で、ススキよりも大きく、ふさふさとしている。

【本歌】俊恵法師「月詣和歌集」「林下集」
荻のはに風うちそよぐ夕ぐれはおとせぬよりもさびしかりけり
【参考歌】曾禰好忠「詞花集」
はりまなるしかまにそむるあながちに人をこひしとおもふころかな

【校訂】底本は左二句「風うちそそく」とするが、風が「そそぐ」と言うのは無理と思えるので、親長本により改変した。

右(有家)
おもふ事みにしみまさるながめかな雲のはたての空のあき風


【通釈】胸に抱えている思いが、いっそう身に染みてくる眺めだなあ。雲の果て、夕暮の空を吹く秋風……。

【語釈】◇ながめ―底本は右傍らに異本参照「ゆふへ」とある。◇はたて―果て。極み。

【本歌】読人不知「古今集」
夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふあまつそらなる人をこふとて
【参考歌】藤原定家「閑居百首」文治三年(1187)
よをかさね身にしみまさる嵐かな松の梢に秋やすぐらん

【補記】「続歌仙落書」に「風体遠白く、姿おほきなるさまなり」と評された有家の特色のよく出た佳詠。

■判詞
左、「荻のはに風うちそよぐ」といひ、「人を恋しとおもひそめけん」といへる、やすらかに聞え侍り。右、「雲のはたての空の秋風」は、かの「あまつ空なる人をこふる身は」といへる歌を思へるなるべし。「雲のはたて」もつよきやうに侍れば、勝になりにしなり。


【通釈】左の「荻のはに風うちそよぐ」と詠み、「人を恋しとおもひそめけん」と詠んだのは、やすらかに聞えます。右の「雲のはたての空の秋風」は、あの「あまつ空なる人をこふる身は」という歌を思ったのでしょう。「雲のはたて」も力強い様子ですので、勝になったのです。

【語釈】◇あまつ空なる人をこふる身は―上記本歌の記憶違いだろう。

▼感想
公継は相変わらず「やすらか」と評されている。これは耳に優しげに聞えるという良い意味でもあるが、平凡・安易の意にもなり、俊成は公継については、悪い意味でつかっている方が多いように思える。しかし新風の模倣に走らず、あくまで「やすらか」路線をゴーイングマイウェイでゆく公継も、なかなか大したものだと私は思うのであった。



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最終更新日:平成13年12月3日