巻一・春上 巻二・春下 巻三・夏 巻四・秋上 巻五・秋下 巻六・冬 巻八・羈旅 巻九・哀傷 巻十・賀 巻十一・恋一 巻十二・恋二 巻十三・恋三 巻十四・恋四 巻十五・恋五 巻十六・雑上 巻十七・雑中 巻十八・雑下 巻十九・釈教 巻二十・神祇
●千載集・春上・三 百首歌奉りける時、はじめの春の心をよめる 待賢門院堀河
雪ふかき岩のかけ道あとたゆる吉野の里も春は来にけり
【通釈】(冬のあいだ)雪が深く積り、岩に架け渡した桟道が途絶えてしまう吉野の里にも、ようやく春は来たのだった。
【語釈】◇かけ道 崖に板などを棚のように架け渡して通れるようにした道。
【付記】命をつなぐ道路も途絶してしまう吉野の厳しい冬。そこに暮らす人々に思いを寄せて、春が訪れた喜びをしみじみと歌い上げている。久安六年(一一五〇)、崇徳院に奏覧された久安百首。
【関連歌】上0102、上0159
●千載集・春上・四 堀川院御時、百首の歌奉りける時、残雪をよめる 前中納言匡房
道絶ゆといとひしものを山里に消ゆるは惜しきこぞの雪かな
【通釈】冬の間は道が途絶えて煩わしく思っていたのに、こうして山里にも(春がおとずれてみると、)消えてしまうのが惜しくなる、去年の雪であるよ。
【関連歌】上0102
●千載集・春上・一一 霞の歌とてよめる 左兵衛督隆房
見わたせばそことしるしの杉もなし霞のうちや三輪の山もと
【通釈】見渡すと、そこが待つ人の家だと知る
【本歌】「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉たてる門」(古今集九八二、読人不知)
【参考】「三輪の山しるしの杉はありながらをしへし人はなくて幾世ぞ」(拾遺集四八六、元輔)、「三輪の山尋ねてぞゆかむ春霞しるしの杉はたちなかくしそ」(堀河百首四四、永縁)
【付記】『月詣和歌集』にも見えるので、寿永元年(一一八二)以前の作。
【関連歌】員外3464
●千載集・春上・一四 堀河院御時、百首歌奉りける時、若菜の歌とてよめる 源俊頼朝臣
春日野の雪を若菜につみそへて今日さへ袖のしほれぬるかな
【通釈】春日野の残雪を若菜と一緒に摘んで、正月七日の祝いをする今日さえも袖が濡れそぼっていることよ。
【付記】堀河百首に「若菜」の題で詠んだ歌。
【関連歌】員外3466
●千載集・春上・二二 題不知 上東門院和泉式部
むめが香におどろかれつつ春の夜の闇こそ人はあくがらしけれ
【付記】梅の香に恋人の袖の香を思い出し、はっとさせられる。「あやなし」と言われた春の夜の闇こそは人の心を虜にする、と言う。「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる」(古今集、躬恒)。「はるかなるただひと声にほととぎす人の心をあくがらしつる」(道済集)。
【関連歌】員外2995
●千載集・春上・三〇 中院にありける紅梅のおろしえだつかはさんと申しける、またの年の二月ばかり、花さきたるおろしえだにむすびつけて、皇太后宮大夫俊成もとにつかはして侍りける 大納言定房
昔よりちらさぬ宿の梅の花わくる心は色にみゆらん
【通釈】昔から方々へ配ったりしない我が家の秘蔵の梅の花です。あなたを特別大事にする心は、この花の濃い色に見えることでしょう。
【付記】源定房が、花の咲いた中院の自邸の紅梅の枝を切り落として俊成に贈った時に詠んだ歌。
【関連歌】下2395
●千載集・春上・三七 帰雁のこころをよみ侍りける 左近中将良経
ながむれば霞める空の浮雲とひとつになりぬかへる雁がね
【通釈】眺めると、北へ帰る雁は、霞んだ空の浮雲と一つになり、見分けがつかなくなってしまった。
【付記】千載集に採られているので、文治三年(一一八七)以前、すなわち良経十九歳以前の作。
【関連歌】〔下2541〕
●千載集・春上・三八 帰雁の心をよみ侍りける 前右京権大夫頼政
天つ空ひとつに見ゆる越の海の波をわけてもかへる雁がね
【通釈】どこからが大空とも見分けのつかない、縹渺とした越の海――その荒々しい波を分けてまでも、やはり雁は故郷へ帰ってゆくのだ。
【語釈】◇越の海 北陸地方沿岸の海。日本海。
【関連歌】下2717
●千載集・春上・三九 帰雁の心をよみ侍りける 祝部宿禰成仲
かへる雁いく雲ゐとも知らねども心ばかりをたぐへてぞやる
【通釈】北へ帰ってゆく雁よ、どんなに遠くまで雲の中の道を辿るのか知らないけれども、せめて心だけはおまえと一緒に連れ添って行かせるよ。
【語釈】◇いく雲ゐ 幾雲居。いくつの雲。計り知れない距離をあらわす。
【関連歌】下2510
●千載集・春上・四六 近衛殿にわたらせたまひてかへらせ給ひける日、遠尋山花といへる心をよませ給うける 崇徳院御製
尋ねつる花のあたりになりにけり匂ふにしるし春の山風
【通釈】探し求めていた花のあたりまで来たのだった。春の山風に漂う
【付記】題は「遠く山の花を尋ぬ」。桜の咲く山を遥かに見やりつつ尋ねて来て、とうとう花のあたりに辿り着いた喜びを詠う。関白藤原忠通の新邸での歌会で詠んだもので、新築の祝意をこめたか。
【関連歌】中1684
●千載集・春上・五六 崇徳院に百首歌奉りける時、花の歌とてよめる 左京大夫顕輔
【通釈】葛城の連山に、抜きん出て聳える高間の山、今や桜の花盛りだ。あれを、雲の彼方に眺めるばかりで通り過ぎてよいものだろうか。山に登って花にまじりたいよ。
【語釈】◇
【本歌】「よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山の嶺の白雲」(新古今集、読人不知)
【付記】久安六年(一一五〇)の崇徳院二度百首(久安百首)。定家は『定家十体』(長高様)、『定家八代抄』、『近代秀歌』などに採り、きわめて高く評価していた。
【関連歌】上0350
●千載集・春上・六三 賀茂社歌合とて人々よみ侍りける時、花の歌とてよめる 藤原公時朝臣
年をへておなじ桜の花の色をそめます物は心なりけり
【通釈】何年にもわたって咲く、同じ桜の花――その色を以前よりいっそう美しく染めるのは、花を見る人の心なのであった。
【付記】治承二年(一一七八)、賀茂
【関連歌】上0013
●千載集・春上・六七
さざなみや志賀の花園みるたびに昔の人の心をぞ知る
【通釈】さざ波寄せる琵琶湖畔、志賀の美しい花園を見るたびに、昔ここに宮を営んだ人々の心が知られるよ。
【付記】日吉大社の歌合での作。
【関連歌】下2078
●千載集・春上・六九 花歌とてよめる 円位法師
おしなべて花の盛りになりにけり山の端ごとにかかる白雲
【通釈】世はあまねく花の盛りになったのだ。どの山の端を見ても、白雲が掛かっている。
【付記】作者は西行。山桜を白雲になぞらえる旧来の趣向を用い、満目の花盛りの景をおおらかに謳い上げた。藤原俊成は西行より依頼された『御裳濯河歌合』の判詞に「うるはしく、丈高く見ゆ」と賞賛し、勝を付けている。
【関連歌】上0209、上0602
●千載集・春下・七七 鳥羽殿におはしましけるころ、常見花といへる心を、男どもつかうまつりけるついでに、よませ給うける 白河院御製
咲きしより散るまでみれば木のもとに花も日数もつもりぬるかな
【通釈】咲いてから散るまでを見ていると、桜の木の下に花も散り積もり、日数も積み重なってしまったことよ。
【付記】「常見花」の題で詠んだ歌。
【関連歌】上0815
●千載集・春下・一一七 百首歌たてまつりける時、山吹の歌とてよめる 藤原清輔朝臣
山吹の花のつまとはきかねどもうつろふなへに鳴く蛙かな
【通釈】山吹の花の連れ合いとは聞かないけれども、花がうつろうにつれて啼く蛙であるよ。
【関連歌】上0119
●千載集・春下・一二二 百首歌めしける時、暮の春の心をよませたまひける 崇徳院御製
花は根に鳥はふる巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき
【通釈】春が暮れゆけば、桜の花は根に帰り、鶯は古巣に帰るという。桜も鶯も帰るべき場所はあるが、では春はどこに帰るのだろう、その帰り着く果てを知る人はいないのだ。
【付記】上句は和漢朗詠集の詩句「花悔帰根無益悔 鳥期入谷定延期」(移動)を踏まえる。鳥は具体的には鶯を指す。「とまり」は行き着く先・終着点。桜も鶯も帰るべき場所はあるが、では春はどこへ帰るというのか、と去り行く季節への惜別の情を抒べる。
【関連歌】上0117、員外3058
●千載集・春下・一三四 堀河院御時、百首歌奉りける時、春の暮をよめる 前中納言匡房
つねよりも今日の暮るるを惜しむかな今いくたびの春と知らねば
【通釈】例年にも増して今日春の暮れるのを惜しむことよ。あと幾たび迎えられる春とも知らないので。
【付記】堀河百首、題「三月尽」。
【関連歌】上160
●千載集・夏・一三六 堀河院御時、百首歌たてまつりけるとき、更衣の心をよめる 前中納言匡房
夏ごろも花のたもとにぬぎかへて春の形見もとまらざりけり
【通釈】夏衣を桜の花の衣から脱ぎ換えて、春の思い出のよすがも残っていないのだった。
【語釈】◇花のたもとにぬぎかへて 花の袂から(夏衣に)脱ぎ替えて。
【付記】春から夏へ、
【関連歌】上0021、上0921
●千載集・夏・一四二 白河院鳥羽殿におはしましける時、をのこども歌合し侍りけるに、卯花をよめる 藤原季通朝臣
見ですぐる人しなければ卯の花のさける垣根や白河の関
【通釈】見ずに通り過ぎる人などいないので、卯の花が咲いている垣根は、人を留める白河の関なのだろうか。
【付記】通りかかる人が必ず目を留める卯の花の垣根を、白河の関になぞらえた。永久四年(一一一六)四月四日、白河院主催の『鳥羽殿北面歌合』出詠歌。
【関連歌】下2097
●千載集・夏・一六一 暁聞時鳥といへる心をよみ侍りける 右大臣
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる
【通釈】(暁になって、やっと)ほととぎすが鳴いた。その声のした方を眺めると、(鳥のすがたは跡形も無くて)ただ有明の月が空に残っているばかりだ。
【参考】「一声山鳥曙雲外」(和漢朗詠集一八二・郭公 移動)
【付記】百人一首入撰歌。作者は後徳大寺実定。
【関連歌】上1030、中1557、員外3440
●千載集・夏・一六三 郭公の歌とてよみ侍りける 権大納言実国
【通釈】夕月が沈み入る入佐の山の樹々に隠れて、ほのかに鳴く時鳥であるよ。
【付記】「夕月夜」は入佐の山(但馬国の歌枕)の枕詞であるが、実景を兼ねている。
【関連歌】中1700
●千載集・夏・一六七
心をぞつくし果てつるほととぎすほのめく宵のむらさめの空
【通釈】ほととぎすが鳴くのを待つうち、精魂も尽きてしまった。その声が、すっかり暗くなった頃、俄に降り出した雨空に、ほのかに聞えたのだ。
【関連歌】上0124、上0927
●千載集・夏・一七五 花橘薫枕といへる心をよめる 藤原公衡朝臣
折しもあれ花橘の香るかな昔を見つる夢の枕に
【通釈】(深夜、ふと目が覚めた)折も折、橘の花が香ることよ。昔の夢を見た、枕もとに。(なつかしい恋人の袖を想わせる、橘の花の香りが。)
【関連歌】上0525
●千載集・夏・一七六 百首歌めしける時、花橘の歌とてよませ給うける 崇徳院御製
五月雨に花橘のかをる夜は月すむ秋もさもあらばあれ
【通釈】梅雨どきの雨が降る中、橘の花が香る夜――こんな夜には、月が曇りなく輝く秋さえどうでもよいと思える。
【付記】季節の優劣は、万葉集の額田王以来の歌の主題。掲出歌では、夏の夜と秋の夜を対比している。枕草子「夏は夜…」を意識していると思われる。
【関連歌】上0125
●千載集・夏・一九四 同じ御時、百首歌奉りける時、照射の心をよみ侍りける 前中納言匡房
照射する宮城が原の下露にしのぶもぢずりかわく夜ぞなき
【通釈】照射をする宮城が原の下露に濡れて、猟師のしのぶ文字摺の袖は乾く夜とてない。
【付記】『堀河百首』に「照射」題で詠んだ歌。
【関連歌】上0527、員外2932
●千載集・夏・二〇五 百首歌の中に、鵜河の心をよませ給うける 崇徳院御製
早瀬川みをさかのぼる鵜かひ舟まづこの世にもいかが苦しき
【通釈】急流の川の水脈をさかのぼる鵜飼船――殺生戒による来世の報いばかりでなく、それに先立ってまず現世でもどれほど難渋することだろう。
【語釈】◇早瀬川 流れの急な川。◇みを 水脈。河海の船の通りみち。
【付記】流れの急な川を遡る鵜飼舟に、現世を行き悩む苦しみを象徴させている。千載集では夏の巻に収めるが、思想的な内容の歌である。詞書の「百首歌」とは『久安百首』。
【関連歌】上0329
●千載集・夏・二〇九 百首歌奉りける時、氷室の歌とてよみ侍りける 大炊御門右大臣
あたりさへ涼しかりけり氷室山まかせし水のこほるのみかは
【通釈】山の周囲までが涼しいのだった。氷室山は、引き入れた水が氷っているだけであろうか。水路を流れる山清水の冷たさが、辺りまで涼しくしているのだ。
【語釈】◇まかせし水 引き入れた水。冷たい湧き水を氷室に引き込んだのである。
【付記】久安百首。氷室のある山には冷たい山清水を引き入れたので、山の周辺もその水流によって涼しいと言うのである。後年の作であるが、藤原良経の歌に「ほかは夏あたりの水は秋にして内は冬なる氷室山かな」とある「あたりの水」の冷涼効果である。
【関連歌】上0433
●千載集・夏・二二一 刑部卿頼輔歌合し侍りけるに納涼の心をよめる 前参議教長
岩たたく谷の水のみおとづれて夏にしられぬ深山辺の里
【通釈】岩を叩く谷川の水ばかりが音をたて、訪ねてくる人もないまま、夏に知られることなく涼しげな深山辺の里よ。
【語釈】◇おとづれ 「音を立て」「訪れ」両義の掛詞。
【付記】「おとづれ」は「音を立て」「訪れ」両義の掛詞。
【関連歌】上0534、中2003
●千載集・夏・二二三 百首歌たてまつりける時、六月祓をよめる 藤原季通朝臣
今日くれば麻のたち枝にゆふかけて夏みな月のみそぎをぞする
【通釈】六月晦日の今日が来たので、麻の立ち枝に木綿を掛けて、夕方になるまで夏越の禊をする。
【付記】久安百首。六月晦日の夏越の祓を詠む。麻の立ち枝に
【関連歌】員外2941
●千載集・秋上・二二九 百首の歌奉りける時、秋立つ心をよめる 皇太后宮大夫俊成
八重
【通釈】幾重も雑草が繁茂するまま、閉じこもって過ごしていた荒れ果てた家に、どうやって秋は分け入って訪ねて来たのだろう。
【語釈】◇さしこもりにし 戸を閉ざして家に籠る。「さし」には八重葎が伸びる意と錠を鎖す意を掛ける。
【付記】逼塞して暮らす家にも秋は訪れ、いやましに寂寥を添える。源氏物語の「蓬生」の巻、末摘花を訪ねる光源氏の物語を暗示しているのだろう。
【関連歌】上0456
●千載集・秋上・二三三 郁芳門院の前栽合に荻をよめる 大蔵卿行宗
物ごとに秋のけしきはしるけれどまづ身にしむは荻の上風
【通釈】どの風物を見てもそれぞれに秋の趣は顕著であるが、真っ先に身に沁みて感じられるのは荻の上葉を吹く風の音である。
【関連歌】上0031
●千載集・秋上・二三七 堀河院御時、百首歌奉りける時よめる 二条太皇太后宮肥後
たなばたの天の羽衣かさねてもあかぬ契りやなほむすぶらん
【通釈】七夕の夜、二星は天の羽衣を重ねて共寝しても、やはり満足することのない契りを結ぶのだろうか。
【語釈】◇天の羽衣 二星を天人に見立て、その衣服を「天の羽衣」と言う。◇かさねても お互いの衣を重ねて敷いても。共寝の時は、脱いだ互いの衣服を重ね、敷物代わりにする慣わしがあった。
【付記】堀河百首、「七夕」題。
【関連歌】員外3498
●千載集・秋上・二四〇 百首の歌の中に、七夕の心をよませ給うける 崇徳院御製
たなばたに花そめ衣ぬぎかせば暁露のかへすなりけり
【通釈】織女に花染めの衣を脱いで貸せば、暁の露がすっかり色抜きして返してくれたのだった。
【語釈】◇露のかへす 「かへす」は、借りた衣を返す意と、花で染めた衣をもとに戻す(即ち色を抜く)意を掛ける。露は織女が牽牛との別れを悲しんで流した涙を暗示する。
【付記】「かへす」は、借りた衣を返す意と、花で染めた衣をもとに戻す(即ち色を抜く)意を掛ける。露は織女が牽牛との別れを悲しんで流した涙を暗示する。
【関連歌】上0516
●千載集・秋上・二四二 堀河院御時、百首の歌奉りける時、刈萱をよみ侍りける 大納言師頼
秋くれば思ひみだるる刈萱の下葉や人の心なるらん
【通釈】秋になると、風に乱れる刈萱の下葉。このように心が乱れやすいのが人の心なのだろうか。
【付記】堀河百首。
【関連歌】員外3502、員外3589
●千載集・秋上・二四七 題不知 和泉式部
人もがな見せも聞かせも萩の花さく夕かげのひぐらしの声
【通釈】誰か人がいてほしい。花を見せもしたい、声を聞かせもしたい。萩の花が咲く夕日の中の蜩の声よ。
【参考】「我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕かげの大和撫子」(古今集二四四、素性) 【付記】季節の情趣から受けた感動を人と分かち合いたいとの率直な願望を、リズミカルに歌い上げている。『古来風躰抄』『定家八代抄』に採録。
【関連歌】員外3555
●千載集・秋上・二五一 堀河院御時、百首歌奉りけるとき、よみ侍りける 大納言師頼
露しげきあしたの原の女郎花ひと枝折らん袖はぬるとも
【通釈】露がたくさん付いた早朝の
【語釈】◇あしたの原 大和国の歌枕。「朝の原」の意を掛ける。
【付記】長治二、三年(一一〇五、六)頃詠進された堀河百首、作者は源
【関連歌】上0153、上0416、上0542
●千載集・秋上・二五六 堀河院御時、百首歌たてまつりける時、よめる 源俊頼朝臣
さまざまに心ぞとまる宮城野の花のいろいろ虫のこゑごゑ
【通釈】あれにこれにと、様々に心が惹かれる。宮城野の色とりどりの花、種々の虫の音よ。
【付記】堀河百首、題は「野」。陸奥国の歌枕で萩の名所とされた宮城野を詠む。
【関連歌】上0112
●千載集・秋上・二五九 百首歌奉りける時、秋歌とてよめる 皇太后宮大夫俊成
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
【通釈】夕方になると、野辺を吹く秋風が身に沁みて、鶉が鳴いている、この深草の里よ。
【語釈】◇深草の里 地名に草深い里の意を掛ける。◇鶉啼くなり 伊勢物語百二十三段、男に捨てられ、鶉に化身して野で鳴いていようと詠んだ女を暗示している。
【本歌】「野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ」(伊勢物語百二十三段)
【付記】久安百首。俊成自讃歌であるが、定家は『定家十体』(濃様)、『八代抄』に採ったくらいで、殊に高く評価した節はない。
【関連歌】上0757、員外2950
●千載集・秋上・二六〇 題不知 源俊頼朝臣
なにとなく物ぞかなしき菅原や伏見の里の秋の夕暮
【通釈】何となく物悲しい。菅原の伏見の里の秋の夕暮よ。
【付記】「菅原やふしみの里」は大和国菅原の伏見の里。「臥し見」を掛けることが多い。「いざここに我が世はへなむ菅原や伏見の里のあれまくもをし」(古今集)、「菅原や伏見の暮にみわたせば霞にまがふをはつせの山」(後撰集)。 【関連歌】員外3012
●千載集・秋上・二六五 崇徳院に百首歌たてまつりける時、よめる 藤原清輔朝臣
竜田姫かざしの玉の緒をよわみ乱れにけりと見ゆる白露
【通釈】竜田姫の髪飾りの玉をとめた糸が弱いので乱れてしまった――そんなありさまで散り乱れる白露よ。
【語釈】◇竜田姫 秋を司る神。紅葉を染めると見なされた。◇玉の緒をよわみ 玉を貫く糸が弱いので。
【付記】初出は『久安百首』。定家は『八代抄』『詠歌大概』『八代集秀逸』に採り、高く評価していた。「緒をよわみ乱れておつる玉とこそ涙も人の目には見ゆらめ」(和泉式部続集・新勅撰集、和泉式部)。
【関連歌】下2472、員外3050
●千載集・秋上・二六七 露を 円位法師
おほかたの露にはなにのなるならむ袂におくは涙なりけり
【通釈】野原一面に置いた大方の露には何がなるのだろうか。私の袂に置いている露は、私の涙がなったものである。一つ一つの草葉の悲しみが露になったのだろうか。
【語釈】◇おほかたの 普通の。一般の。大部分の。袖に置いた《私の涙》に対し、野原いちめんの露をおしなべて「おほかたの露」と言った。
【本歌】藤原忠国「後撰集」
我ならぬ草葉もものは思ひけり袖より外における白露
【付記】涙の理由は秋という季節のもたらす悲しみである。万物が衰えを見せる秋、草木も悲しみを感じ、それが露となってあらわれている。その点、自分の「袂におく涙」と変わりはない。『御裳濯河歌合』では「心なき身にも哀はしられけり鴫たつ沢の秋の夕ぐれ」と合わされ、判者の俊成は「露にはなにのといへる、詞あさきににて心ことにふかし」と評して勝を付けた。
【関連歌】上0868、下2273
●千載集・秋上・二七六 堀河院御時、百首歌たてまつりける時、よめる 源俊頼朝臣
木枯しの雲ふきはらふ
【通釈】木枯しが雲を吹き払う――そうして現れた高嶺から、冴え冴えと澄んで月が昇ることよ。
【本歌】「我ならぬ草葉もものは思ひけり袖より外における白露」(後撰集、藤原忠国)
【付記】堀河百首、題は「月」。
【関連歌】上0347
●千載集・秋上・二八二 百首歌めしける時、月の歌とてよませ給うける 崇徳院御製
玉よする浦わの風に空はれて光をかはす秋の夜の月
【通釈】真珠を打ち寄せる浦風によって秋の夜空は晴れわたり、浜辺では真珠と月とが光を映し合っている。
【語釈】◇玉よする 真珠をうち寄せる。孟嘗君の善政により、乱獲されていた真珠が合浦に再び寄せるようになったという後漢書の故事に拠る。◇光をかはす 月と真珠とが光を映発する。
【付記】漢籍の故事より発想し、月夜の浜辺を幻想する。久安百首。
【関連歌】上0194、下2155
●千載集・秋上・二八四 百首歌めしける時、月の歌とてよませ給うける 皇太后宮大夫俊成
石ばしる水の白玉数見えて清滝川にすめる月影
【通釈】石にほとばしる水の飛沫の白玉が、数えられるほどくっきりと見えて、清滝川に澄んだ月影が照っている。
【語釈】◇石ばしる 万葉集では「滝」などの枕詞として「いはばしる」が用いられている。それに由来する語。◇清滝川 京都愛宕山麓より保津川に注ぐ。名の通りの清い滝川(急流)の意をこめる。
【付記】久安百首。月光に照らし出される急流の飛沫を、あたかもスローモーション映像のように捉えた、新鮮な感覚的把握。腰の句「数見えて」は後世多くの模倣を生む。
【関連歌】上0710
●千載集・秋上・二八五 百首歌めしける時、月のうたとてよませ給うける 藤原清輔朝臣
塩竈の浦ふく風に霧はれて
【通釈】塩竈の浦を吹く風に霧が晴れて、数知れぬ島々まで澄んだ光のうちに照らし出す月影よ。
【語釈】◇八十島かけて 八十島は塩竈湾内の群島であろう。下記参考歌を踏まえた句であるが、用法は全く異なり、新鮮な表現。澄んだ月の光が、沖に点在する島々まで照らし出している情景。
【付記】「八十島」は塩竈湾の数多い島々。
【関連歌】上0043
●千載集・秋上・二九九 題不知 紫式部
おほかたの秋のあはれを思ひやれ月に心はあくがれぬとも
【通釈】秋は概してしみじみと哀しい季節――そのことを思い遣って下さい。美しい月にあなたの心はふわふわ浮かれているとしても。
【語釈】◇おほかたの 世間一般の(私も例外でない)。◇秋のあはれ 秋に「飽き」を掛け、男に飽きられた(夜離れされた)女の悲しさをいう。◇月に心は… 「月」は自分以外の女をいう。
【補説】『紫式部集』の詞書は「又おなじすぢ、九月、月あかき夜」とあり、足が遠のいた男(宣孝か)への返歌となっている。
【関連歌】中1541
●千載集・秋下・三〇二 題不知 大弐三位
はるかなるもろこしまでもゆくものは秋の寝覚の心なりけり
【通釈】遥かな異土、唐の国までもゆくものは、秋の夜、目が醒めて眠りに戻れない時の心であったよ。
【本歌】「もろこしも夢に見しかばちかかりき思はぬ中ぞはるけかりける」(古今集、兼藝法師)
【付記】秋の寝覚の悲哀の深さ、眠りに戻れない独り寝の淋しい心持ちの果てしなさを、唐土までの遥かな距離になぞらえてみせた。本歌により恋の風趣も薫る。千載集巻五秋歌下巻頭。
【関連歌】上0041、上0695、上1047、上1467
●千載集・秋下・三〇七 堀川院御時、百首歌奉りける時よめる 二条太皇大后宮肥後
みむろ山おろす嵐のさびしきに妻よぶ鹿の声たぐふなり
【通釈】三室山から吹き下ろす嵐の寂しい音に、妻を呼び求める鹿の声が伴っている。
【付記】『堀河百首』に「鹿」の題で詠んだ歌。「たぐふ」は「伴う」「連れ添う」程の意で、「妻」と縁のある語。
【関連歌】員外3520
●千載集・秋下・三二五 鹿の歌とてよめる 寂蓮法師
尾上より門田にかよふ秋風に稲葉をわたるさを鹿の声
【通釈】峰の上の方から門前の田に吹き寄せる秋風――その風に乗って、稲葉の上を渡って来る牡鹿の声よ。
【付記】『先達物語』(定家卿相語)によれば、この歌は寂蓮の自讃歌で、千載集撰集の際、撰者俊成に「まげて入るべき由」請うたが拒否され、結局定家の推薦で入集を果したという。
【関連歌】中1700
●千載集・秋下・三二九 題不知 藤原兼宗朝臣
秋の夜のあはれは誰も知るものを我のみと鳴くきりぎりすかな
【通釈】秋の夜の情趣深さは誰も知っているのに、自分ばかりが哀れ深いと鳴く
【付記】作者は定家と同時代の人で、定家の関連歌との先後関係は不明である。
【関連歌】上0232
●千載集・秋下・三三三 保延のころほひ、身をうらむる百首歌よみ侍りけるに、虫の歌とてよみ侍りける 皇太后宮大夫俊成
さりともと思ふ心も虫の音もよわりはてぬる秋の暮かな
【通釈】それでもいつかはと思う心も、虫の声も、弱り切ってしまった秋の暮であるよ。
【付記】保延六(1140)、七年頃の堀河百首題による述懐百首。虫の題に寄せて、不遇の身を恨んだ。
【関連歌】上0840
●千載集・秋下・三四〇 堀河院御時、百首歌たてまつりける時、擣衣の心をよみ侍りける 源俊頼朝臣
松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里
【通釈】秋は松風の音でさえ寂しいのに、そのうえ玉川の里では衣を
【付記】堀河百首。
【関連歌】員外2841
●千載集・秋下・三七八 堀河院御時、百首歌たてまつりける時よめる 源俊頼朝臣
秋の田に紅葉ちりける山里をこともおろかに思ひけるかな
【通釈】晩秋の山里に来て見ると、稲の稔った田に紅葉が散っていた。この美しい景色を、今までおろそかに思っていたことよ。
【付記】『堀河百首』に「田家」の題で詠んだ歌。「ちりける」「思ひける」と発見・気づきの助動詞「けり」を繰り返し用いていることが、一首の読解の要である。「紅葉の散りし山里を…思ひけるかな」などと記憶の助動詞「し」を遣っているのであれば、以前見た景を振り返っている(今は紅葉の散っていない田を見ている)ことになるが、ここはそうではなく、風景を今眼前にしての感動である。
【関連歌】下2253
●千載集・秋下・三八〇 落葉浮水といへる心をよみ侍りける 後三条内大臣
暮れてゆく秋をば水やさそふらむ紅葉ながれぬ山河ぞなき
【通釈】暮れてゆく秋を水が誘っているのだろうか。紅葉の流れない谷川とてありはしい。
【付記】どの山川にも紅葉が流れているのを見て、水が秋を誘って暮れさせているのだろうかと推量する心。作者は藤原公教(一一〇三~一一六〇)。
【関連歌】員外3129
●千載集・秋下・三八一 百首歌めしける時、九月尽の心をよませ給うける 崇徳院御製
もみぢ葉のちりゆく方を尋ぬれば秋もあらしの声のみぞする
【通釈】紅葉した葉の散ってゆく方向を尋ねて行くと、秋ももう終りだと告げるような嵐の声ばかりがする。
【語釈】◇尋ぬれば 「求めて行くと」「聞きただすと」の両意。◇秋もあらし 「秋もあらじ(もう秋はあるまい)」の意を掛ける。
【付記】久安百首。「あらし」に「あらじ」「嵐」の両義をかける。
【関連歌】上0352、上0955、中1768
●千載集・冬・三八八 堀河院御時、百首歌奉りける時、初冬の心をよみ侍りける 源俊頼朝臣
いかばかり秋のなごりをながめまし今朝は木の葉に嵐ふかずは
【通釈】どれほど秋の名残を惜しみつつ眺めたことだろうか。今朝は、梢に残っていた木の葉に嵐が吹き付けなければ。
【付記】堀河百首。冬になった途端木の葉に嵐が吹きつける。もし吹かなければ、秋のなごりを思う存分惜しめただろうに。
【関連歌】員外2972
●千載集・冬・三九八 堀川院御時、百首歌奉りける時よめる 前中納言匡房
高砂のをのへの鐘の音すなり暁かけて霜やおくらむ
【通釈】高砂の峰の上から鐘の音が聞えてくる。暁にかけて霜が降りたのだろう。
【語釈】◇高砂のをのへ 播磨国の歌枕。高砂には弘仁六年(816)弘法大師創建と伝わる十輪寺がある。
【付記】『堀河百首』、題は「霜」。鐘に霜が置くとは、唐の豊山の鐘が霜に和して鳴るという故事による。
【関連歌】下2247
●千載集・冬・四一一 堀河院御時、百首歌奉りける時、時雨をよめる 中納言国信
深山辺の時雨れてわたる数ごとにかごとがましき玉柏かな
【通釈】深山のほとりを時雨が降り過ぎてゆくたびごとに、恨みごとめいて聞える柏の葉であるよ。
【付記】堀河百首。「玉柏」は柏の美称。
【関連歌】下2975
●千載集・冬・四一三 堀河院御時、百首歌奉りける時、時雨をよめる 二条太皇大后宮肥後
ふりはへて人もとひこぬ山里は時雨ばかりぞ過ぎがてにする
【通釈】わざわざ人も訪れて来ない山里では、時雨ばかりが通り過ぎにくそうにしている。
【付記】堀河百首。「ふりはへて」は「わざわざ」の意。「ふり」に時雨の縁語「降り」の意が掛かる。
【関連歌】中1745
●千載集・冬・四二〇 宇治にまかりて侍りける時、よめる 中納言定頼
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の
【通釈】夜が白じらと明ける頃、宇治川に立ち籠めていた霧が切れ切れに晴れてきて――その絶え間から次第に姿をあらわしてゆく、瀬々の網代木よ。
【付記】百人一首入撰歌。
【関連歌】上0590、中1852、下2503、〔下2503〕
●千載集・冬・四四五 山家雪朝といへる心をよみ侍りける 大納言経信
朝戸あけてみるぞさびしき片岡の楢の広葉にふれる白雪
【通釈】朝起き抜けの戸を開けて見るそれが何とも寂しい気持にさせる――片岡の楢の広葉に降り積もっている白雪よ。
【語釈】◇朝戸 朝起きて開ける戸。記紀万葉から見える語。◇片岡 「半端な丘陵」ほどの意。
【付記】『経信集』などは第四句「ならのかれはに」とする。
【関連歌】上0846
●千載集・冬・四四六 百首歌の中に、雪の歌とてよませ給うける 崇徳院御製
夜をこめて谷の戸ぼそに風さむみかねてぞしるき峰の初雪
【通釈】夜深く、谷への狭い通り路に吹き込む風が寒いので、朝には峰に初雪が積もるだろう――そのことが前以てはっきりと感じ取れるのだ。
【語釈】◇夜をこめて 夜の闇があたりをすっかり覆っている様。◇谷の戸ぼそ 谷への狭い通り路。◇かねてぞしるき 前以てはっきり感じ取れる。
【付記】『久安百首』。谷を吹きわたる風の寒さに、峰の初雪を思い遣る。「こめて」「谷の戸ぼそ」といった言葉が、深山の夜の闇に閉じ込められた心細さをよく表している。
【関連歌】下2625
●千載集・冬・四五九 雪の歌とてよみ侍りける 前右京権大夫頼政
越えかねて今ぞこし
【通釈】雪のために越えかねて、今来た越路を帰って行く――
【語釈】◇こし路 「来し」「越路」の掛詞。◇かへる山 越前国の歌枕。動詞「帰る」を掛ける。
【付記】雪のために越えずに帰る山なので「帰山」なのだと、名の由来を解して興じた。
【関連歌】上0413
●千載集・冬・四七四 歳暮の心をよみ侍りける 前律師俊宗
一とせははかなき夢のここちして暮れぬるけふぞおどろかれける
【通釈】一年ははかない夢のような心地がする。暮れてしまった今日になって、はっと気づいたのだった。
【付記】作者の俊宗は藤原親信の子(勅撰作者部類)。「保安・天治(一一二〇-二六)頃活躍(新古典大系人名索引)。
【関連歌】上0250
●千載集・羈旅・四九九 法性寺入道前太政大臣、内大臣に侍りける時、関路月といへる心をよみ侍りける 中納言師俊
播磨路や須磨の関屋の板びさし月もれとてやまばらなるらん
【通釈】播磨路の須磨の関屋の板廂は、月の光が漏れよというので隙間が多いのだろうか。
【付記】藤原忠通が内大臣であった時、「関路月」の題で源師俊(1080~1141)が詠んだ歌。
【関連歌】上1343、下2333
●千載集・羈旅・五一五 百首の歌めしける時、旅の歌とてよませ給うける 皇太后宮大夫俊成
浦づたふ磯の
【通釈】浦伝いに旅して来て、磯の苫屋で梶を枕に寝ていると、聞き慣れない波の音がすることよ。
【語釈】◇苫屋 漁師の粗末な小屋。◇梶枕 梶を枕にして寝ること。普通、船中に泊まることを意味するが、掲出歌では海人の小屋を借りての旅寝をこのように言った。
【付記】磯に寄せる激しい波音を聞く旅人の心細さを詠む。源氏物語須磨・明石を始め、貴種流離の物語を想い浮かべつつ鑑賞してこそ哀れ深い歌であろう。
【関連歌】上0091
●千載集・羈旅・五三〇 家に百首歌よませ侍りける時、旅の歌とてよみ侍りける 刑部卿頼輔
わたのはら潮路はるかに見わたせば雲と浪とはひとつなりけり
【通釈】大海原の潮路を遥かに見渡すと、水平線の果て、雲と波は混ざり合って一つになっているのだった。
【付記】九条兼実主催の百首歌。
【関連歌】上1219
●千載集・羈旅・五三四 旅の歌とてよみ侍りける 左兵衛督隆房
草枕かりねの夢にいくたびかなれし都にゆきかへるらん
【通釈】草を枕に仮寝して見る夢で、幾度馴れ親しんだ都を往き来することだろう。
【付記】『月詣和歌集』にも見えるので、寿永元年(一一八二)以前の作。
【関連歌】上0092
●千載集・哀傷・五四九 わづらひ侍りけるがいと弱くなりけるに、いかなる形見にかありけむ、山吹なる衣をぬぎて、その女につかはし侍りける 藤原道信朝臣
くちなしの園にやわが身入りにけん思ふことをも言はでやみぬる
【通釈】くちなしの花園に私は入り込んでしまったのだろうか。心に思うことを、口に出して言わずに終わってしまった。
【付記】病気で弱り果て、形見にと山吹色の衣を女にあげた時に詠んだという歌。
【関連歌】上1451
●千載集・賀・六〇七 (詞書略) 後三条内大臣
うゑてみる籬の竹のふしごとにこもれる千代は君ぞかぞへん
【通釈】君が植えて御覧になる籬の竹――その節ごとに籠もっています千代の
【付記】作者は藤原公教。千載集の詞書によれば、後白河天皇が親王であった時、八条院(鳥羽院の皇女で後白河天皇の異母妹)の御所で「竹遐年友(竹は遐年の友たり)」の題で詠んだ歌。
【関連歌】中1957、下2375
●千載集・賀・六一五 京極の前太政大臣の高陽院の家の歌合に、祝ひの心をよみ侍りける 源俊頼朝臣
おちたぎつ
【通釈】滾り落ちる宇治川の早瀬で、岩を越えてゆく波は次々と数知れず――それこそはあなたの千年の齢の数でありますよ。
【付記】寛治八年(一〇九四)八月十九日、前関白藤原師実が自邸高陽院において催した晴儀歌合『高陽院七番歌合』七番右持。定家は『近代秀歌』にこの歌を引用し、「これは秀哥の本躰と申すべきにや」と賞賛している。
【関連歌】下2403
●千載集・恋一・六四一 堀河院御時、百首歌奉りける時、初めの恋の心をよめる 源俊頼朝臣
難波江の藻にうづもるる玉がしはあらはれてだに人を恋ひばや
【通釈】難波江の藻に埋もれている石が水面にあらわれるように、せめて思いをあらわして人を恋いたいものだ。
【語釈】◇玉がしは 玉堅磐。海中の岩の美称。「玉かしはといふに二義あり。難波江のもにうづもれる石をいふ。又かしはの葉の
【付記】『堀河百首』、題は「初恋」。千載集巻十一恋歌一の巻頭を飾る。定家は『八代抄』『詠歌大概』『近代秀歌』『八代集秀逸』などに採り、俊頼の歌の中でも殊に評価が高かった一首である。
【関連歌】上0713
●千載集・恋一・六五一 百首の歌奉りける時、恋の歌とてよみ侍りける 左京大夫顕輔
思へどもいはでの山に年をへて朽ちやはてなん谷の埋れ木
【通釈】恋い慕っても、口では言わずに久しい年を経て、岩手山の谷に朽ち果てる埋れ木のように、私の恋も朽ち果ててしまうのだろうか。
【付記】『久安百首』。定家は『八代抄』『八代集秀逸』に採り、後鳥羽院の『時代不同歌合』にも採られた、顕輔の代表歌の一。
【関連歌】下2583
●千載集・恋一・六五二 百首の歌奉りける時、恋の歌とてよみ侍りける 左京大夫顕輔
高砂の尾上の松に吹く風のおとにのみやは聞きわたるべき
【通釈】高砂の尾上の松を吹く風の音は、ひときわ高く、心にしみるそうだ。それではないが、ずっと音に――噂にばかり聞いて過ごさなければならないのだろうか、貴女のことを。
【語釈】◇高砂の尾上の松 高砂は播磨国の歌枕。今の兵庫県高砂市。松の名所。
【本歌】「天雲の八重雲がくれ鳴る神の音にのみやは聞きわたるべき」(拾遺集、人麿)
【付記】久安百首。松の名所である歌枕に寄せて、噂にばかり恋い慕う心を詠む。
【関連歌】上0077
●千載集・恋一・七〇三
いかにせむ
【通釈】この思いをどうすればよいだろう。(いつも蒸気で煙っているという)室の八島に家があったなら。私の身から恋の煙を空に立ちのぼらせ、その湯気に紛らそうものを。
【語釈】◇室の八島 もとは宮中の
【参考】「み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時のかくれがにせむ」(古今集九五〇、読人不知 移動)
【付記】恋(こひ)という語が「ひ」を含む縁から、抑えても隠しきれない恋の思いをたちのぼる煙に喩え、歌枕を引き合いにして巧みにまとめている。流麗な七五調と軽妙な趣向に、当時流行した今様歌の影響が窺える。
【関連歌】上0291、上0372、上1152
●千載集・恋二・七〇四 堀河院御時、百首歌奉りける時、恋の心をよみ侍りける 大納言公実
思ひあまり人にとはばや水無瀬川むすばぬ水に袖はぬるやと
【通釈】思い悩む余り、あの人に問いたいものだ。手で掬いもしない水無瀬川の水に、袖は濡れるのかと。
【語釈】◇水無瀬川 摂津国の歌枕であるが、水の無い川の意を響かせる。◇むすばぬ水 手で掬わない水。恋人と逢瀬を遂げていないことを暗示する。
【付記】堀河百首。千載集恋二巻頭歌。
【関連歌】下2164
●千載集・恋二・七〇八 権中納言俊忠家に恋十首歌よみ侍りける時、祈れども逢はざる恋といへる心をよめる 源俊頼朝臣
憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
【通釈】つれなかった人を私の方になびかしてくれと観音様に祈ったのだが、初瀬の山颪よ、ただ激しく吹けと祈ったわけではないぞ。あの人はおまえのように、いっそう私につらくあたるばかりではないか。
【語釈】◇初瀬 奈良県桜井市初瀬。長谷寺がある。本尊の十一面観音は、恋の成就にも効験があるとされた。◇はげしかれとは 恋人の態度が険しくなれとは。「山おろし」の縁で、恋人のつれなさを「はげし」と言っている。
【付記】定家の祖父にあたる俊忠の家での歌会に出詠した歌。恋の成就を祈った長谷観音のある山から吹き下ろす嵐に向かって訴えるという特異な趣向である。定家は小倉百首をはじめ『詠歌大概』『八代集秀逸』など自撰の秀歌撰の殆どにこの歌を採っているが、殊に『近代秀歌』では「これは心ふかく、詞心に任せて、学ぶともいひつづけがたく、まことに及ぶまじき姿也」と絶賛している。
【関連歌】上0856、上0936、下2225
●千載集・恋二・七一四 (詞書略) 藤原重基
逢ふことをその年月と契らねば命や恋のかぎりなるらん
【通釈】あの人と逢瀬を遂げるのはいつの年いつの月とも約束していないので、私の命が続く限りこの恋も続くのだろうか。
【本歌】「わが恋はゆくへも知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(古今集六一一、躬恒 移動)
【付記】「逢ふを限り」と詠んだ本歌を承けて、いつと逢う約束がない以上、命の限りが恋の限りかと歎いたのである。
【関連歌】上0290
●千載集・恋二・七一九 題不知 権大納言実国
しほたるる伊勢をの海人やわれならんさらばみるめをかるよしもがな
【通釈】潮水に濡れて雫を垂らす伊勢の海人とは私だろうか。それなら、みるめを刈る手立て(あの人に逢う機会)があってほしいものだ。
【関連歌】下2426
●千載集・恋三・七八七 堀河院御時、百首歌奉りける時、恋の心をよめる 大納言公実
ひとりぬるわれにてしりぬ池水につがはぬ
【通釈】独り寝する我が身にして知った。池水で連れ合いのいない鴛鴦がどれほど寂しい思いをするかを。
【関連歌】中1554
●千載集・恋三・七八九 堀河院御時、百首歌奉りける時、恋の心をよめる 源俊頼朝臣
【通釈】麻の葉を干す東国の乙女が萱の筵にそれを敷きのべるように、あなたをしきりと偲んで過ごすこの頃であるよ。
【付記】「萱莚」までが「しき」を導く序詞。「しきしのびても」は「しきりと偲んで」の意。「しきしのぶ」は、下記万葉歌の第三句「布慕」をこのように訓んだことから生まれた歌語。「布暴」とする本もあり、現在では普通ヌノサラスと訓む。
【本歌】「庭に立つ麻手刈り干ししきしのぶ東をとめを忘れ給ふな」(万葉集、常陸娘子)
【関連歌】上1009、下2476
●千載集・恋三・七九五 (詞書略) 皇太后宮大夫俊成
たのめこし野辺の道芝夏ふかしいづくなるらむもずの草ぐき
【通釈】約束をあてにしてやって来た野辺の道芝は、夏も深いこととて深く繁っている。あの人の住まいはどこなのだろう。まるで百舌が草の繁みに潜り込んだように行方が知れない。
【参考】「春なればもずの草ぐき見えずとも我は見やらむ君があたりを」(万葉集一八九七)、「とへかしな玉串の葉に身隠れて鵙の草ぐきめぢならずとも」(散木奇歌集一四〇三、俊頼)
【付記】「もずの草ぐき」は万葉集巻十に見える語。モズは春になると草にもぐり込んでしまうと考えられた。そのように隠れて出て来ない恋人を恨む歌。詞書は「法住寺殿にて五月の御供花の時、男ども歌よみ侍りけるに、契後隠恋といへる心をよみ侍りける」、後白河院が御所とした法住持で行われた供花会に際しての詠で、題「契後隠恋」、すなわち契りを交したあと相手が姿を隠してしまった恋の心を詠む。
【関連歌】上0294
●千載集・恋三・八〇二 百首歌奉りける時、恋の心をよめる 待賢門院堀川
長からむ心もしらず黒髪のみだれてけさは物をこそ思へ
【通釈】末長く変わらないというあの人の心も計り難い。この黒髪が寝乱れているように、今朝は心乱れて思い悩んでいるのだ。
【付記】いわゆる後朝の歌。朝、別れた直後の男にあてた歌、という設定で詠んでいる。「長」「乱れ」は「髪」の縁語。久安六年(一一五〇)成立の久安百首。
【関連歌】上1462
●千載集・恋三・八〇七 (詞書略) 皇嘉門院別当
難波江の蘆のかりねの一よゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき
【通釈】難波江のほとり、蘆を刈って拵えた小屋での、たった一夜の仮の契り――そんな、蘆の
【補説】◇かりね 「刈り根」「仮寝」の掛詞。「仮寝」は旅の仮の宿での眠りであると共に、ゆきずりの人との仮初めの情事を暗示する。◇一よ 「一
【関連歌】下2449
●千載集・恋三・八〇九 初めて逢ふ恋の心をよめる 藤原隆信朝臣
君やたれありしつらさは
【通釈】あなたは誰ですか。以前、あんなにつれなかったのは、いったい誰であったからというのですか。今のあなたは、別人のように情け深いではないですか。あの頃、あなたを恨んだことさえ、今は悔やまれますよ。
【語釈】◇初めて逢ふ恋の心 《初めて逢瀬を遂げ、共に夜を過ごした》という状況設定における恋心。
【付記】想いを遂げたのち、逢ってくれなかった頃の相手の冷淡さを「別人ではないのか」と言って責める気持ちを込めている。しかし、この難詰も後悔も、恋の成就の喜びに包まれ、ユーモアを帯びていることを読み落としてはなるまい。初句「君やそれ」とする本もある。元久本隆信集も「君やそれ」。
【関連歌】上0638
●千載集・恋四・八四三 久しくまうで来ざりける人の、おとづれたりける
思ひ出でて誰をか人のたづねまし憂きに堪へたる命ならずは
【通釈】あなたのつれなさに堪えて命を永らえていなかったら、あなたは誰を思い出して訪ねていたことでしょうか。きっと私以外の人だったでしょう。
【付記】久しぶりに訪れた男に対して、返事として贈ったという歌。
【関連歌】上0599
●千載集・恋四・八七五 題不知 円位法師
しらざりき雲居のよそに見し月のかげを袂にやどすべしとは
【通釈】あの頃はまさか知らなかった。空の遥か彼方に見た月の光を、涙に濡れた我が袂に宿すことになろうとは。遠くから憧れるだけだったあの人の面影を慕い、常に袖を涙で濡らすことになろうとは。
【付記】『山家集』では「月」と題した恋歌の大歌群三十七首の第二首で、月に言寄せた恋の回想歌。「雲ゐのよそに見し月」は遥かに眺めた人、手の届かないはずであった高貴な身分の恋人の比喩。その「かげ」を袂に宿すとは、その人の面影を常に慕い、涙で袖を濡らすこと。記憶の助動詞「き」を二度も用いたところなど異色で、過去を強く呼び起こそうとする心の姿勢を見せている。
【関連歌】上0165
●千載集・恋四・八九〇 摂政右大臣の時、家に百首歌よませ侍りける時、逢不逢恋をよめる 源仲綱
すみなれし佐野の中川瀬だえしてながれかはるは涙なりけり
【通釈】いつも澄んで流れていた佐野の中川の瀬が絶えたように、住み馴れたあの人との中が絶えてしまって、流れが激しく変わったのは私の涙の川なのだった。
【関連歌】上1442
●千載集・恋五・九〇六 題不知 和泉式部
ともかくも言はばなべてになりぬべし
【通釈】どう言いましょうとも、ことばにすればありふれた言い方になってしまうでしょう。ただもう声あげて泣くことで、私の思いをお見せすべきなのでした。
【語釈】◇なべて 通り一遍、ありふれたこと。
【付記】この思いは、言葉では伝えることができない、声に出して泣くことでしか表わすことができない、といった心。『和泉式部集』では結句「見せまほしけれ」。
【参考歌】伊勢「伊勢集」
身の憂きを言はばはしたになりぬべし思へば胸のくだけのみする
【関連歌】上0065、員外3169
●千載集・恋五・九一八 百首歌奉りける時、恋の歌とてよめる 待賢門院堀河
憂き人を偲ぶべしとは思ひきや我が心さへなどかはるらむ
【通釈】冷たい態度を見せた人を、それでもまだ慕い続けることになるとは、思いもしなかった。変わったのはあの人の心ばかりではない。私の心までがどうして変わってしまうのか。
【付記】最初、未練がましい恋慕など拒絶していたはずの自分の心が、恋を経験した後、変わってしまった。そのことを歎いているのである。
【関連歌】下2652
●千載集・恋五・九一九 百首歌奉りける時、恋の歌とてよめる 上西門院兵衛
憂かりける世々の契りを思ふにもつらきは今の心のみかは
【通釈】恋に未練を残して死ねば、
【関連歌】員外3038
●千載集・恋五・九二九 月前恋といへる心をよめる 円位法師
なげけとて月やはものを思はするかこちがほなる我が涙かな
【通釈】悲しみ嘆けと、月が物思いをさせるのだろうか。いやそうでなく、物思いの原因はつれない恋人であるのに、月に向かって、かこちがましくこぼれる私の涙であるよ。
【語釈】◇月やはものを思はする 月が物を思わせるのだろうか、いやそうではない。「やは」は反語。◇かこちがほ 相手のせいにして咎めるような顔つき。恨みがましい表情。
【付記】千載集の詞書は「月前恋といへる心をよめる」。『御裳濯河歌合』では「しらざりき雲居のよそに見し月を…」と番われ、俊成は「両首共に心ふかく姿をかし、よき持とすべし」と評した。定家は小倉百首のほか『定家八代抄』『詠歌大概』『近代秀歌』『八代集秀逸』などの秀歌撰に採り、非常に高く評価していた。
【関連歌】上0948
●千載集・恋五・九四〇 百首の歌めされける時、恋の歌とて 藤原季通朝臣
今はただおさふる袖も朽ちはてて心のままに落つる涙か
【通釈】今やもう、抑える袖もぼろぼろになってしまって、心のままに流れ落ちる涙であるよ。
【付記】久安百首。
【関連歌】中1974
●千載集・恋五・九四七 題不知 右近大将実房
恋ひわぶる心はそらにうきぬれど涙のそこに身はしづむかな
【通釈】恋に悩む心は空に浮き漂ってしまうけれども、身は涙の底に沈んでいることよ。
【付記】作者は藤原実房(1147~1225)。
【関連歌】員外2868
●千載集・恋五・九五八 題不知 和泉式部
恨むべき心ばかりはあるものをなきになしてもとはぬ君かな
【通釈】恨み言を言いたい心だけはあるのに、あなたは私をあってなき者のように見なして、訪ねてもくれないことよ。
【付記】『和泉式部集』の詞書は「久しうおともせぬ人に」。
【関連歌】下2536
●千載集・雑上・九六四 二月ばかり、月のあかき夜、二条院にて人々あまた居明かして物語などし侍りけるに、内侍周防、寄り臥して「枕もがな」としのびやかに言ふを聞きて、大納言忠家、「是を枕に」とて、かひなを御簾の下よりさし入れて侍りければ、よみ侍りける 周防内侍
春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ
【通釈】春の夜の夢みたいな、一時ばかりの手枕のせいで、甲斐もなく立ってしまう浮き名、それが惜しいのですよ。
【語釈】◇手枕 腕を枕にすること。共寝の際は手枕を交わすという慣わしがあったので、情交の象徴となるが、ここでは詞書に忠家が「是を枕に」と言ったことを受けての表現。◇かひなく 甲斐なく。「かひな」を隠す。
【付記】忠家の返しは、「契りありて春の夜ふかき手枕をいかがかひなき夢になすべき」。 【関連歌】中1504
●千載集・雑上・一〇三五 嵯峨大覚寺にまかりて、これかれ歌よみ侍りけるによみ侍る 前大納言公任
滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
【通釈】滝の音は途絶えてから長い年月が経つけれども、その名は今に流れ伝わって、なお名声を保っているのだ。
【語釈】◇滝の音 滝の流れ落ちる音響。この「滝」は嵯峨上皇の離宮嵯峨院の池の傍にあった滝。当時は流れが絶えていたのである。◇名こそ流れて 滝の名は代々伝わって。「ながれ」は滝の縁語。◇聞こえけれ 「こそ」との係り結びにより「けり」が已然形となっている。「聞こえ」は音の縁語。
【付記】拾遺集に重出(初句「滝の糸は」)。公任の家集では詞書が「大殿のまだ所々におはせし時、人々具して紅葉見にありき給ひしに嵯峨の滝殿にて」。長保元年(九九九)秋、藤原道長の嵯峨遊覧に付き添っての詠。百人一首入集歌。
【関連歌】中1606
●千載集・雑中・一〇六四 寄霞述懐のこころをよめる 源仲正
思ふことなくてや春をすぐさましうき世へだつる霞なりせば
【通釈】この霞が辛い浮世を隔ててくれる霞であったなら、悩むこともなくて春を過せるだろうに。
【付記】述懐歌における春の「思ふこと」は普通叙任についての悩み。
【関連歌】上0486
●千載集・雑中・一〇七六 (詞書略) 権中納言実守
位山花を待つこそ久しけれ春の都に年は経しかど
【通釈】位山に花が咲くのを待って久しい時を経た。春の都に何年も過ごしたけれど。
【付記】詞書によれば、高倉院が春宮であった時、実守は
【関連歌】員外3560
●千載集・雑中・一一五一 述懐百首の歌よみ侍りける時、鹿の歌とてよめる 皇太后宮大夫俊成
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
【通釈】辛いこの現世というものよ。そこから逃れる道はないのだ。深い思いをこめて入り込んだ山の奧でも、鹿が悲しげに啼いている。
【語釈】◇世の中よ ここで句切れ。◇道こそなけれ 後に来る「思ひ入る山の奧」という詞から、出家遁世をめぐる心情を詠んだ歌と判る。ゆえに、「(俗世間から)逃れる道がない」の意になる。◇入る 「思ひ入る(深く思い込む)」「(山に)入る」の掛詞。◇鹿ぞ啼くなる 鹿の声は悲しげなものとされた。「なる」は伝聞推量の助動詞「なり」が係助詞「ぞ」を承けて連体形で結んだもの。
【付記】たとえ山奧に入って俗世間と交渉を絶ったとしても、鹿の鳴き声から受けるような「情」の世界とは縁を切ることが出来ない。「世の中」を純粋に心の問題として詠んだ、思想の歌である。保延六、七年頃の堀河百首題による「述懐百首」、俊成二十七歳頃の作。定家は小倉百首に撰んだばかりか、『八代抄』『近代秀歌』『八代集秀逸』にも採り、父の歌として最も重んじていたことが知られる。
【関連歌】上0116、下2377
●千載集・雑中・一一五八 今上の御時、五節のほど、侍従定家あやまちあるさまに聞こし召すことありて、殿上のぞかれて侍りける、その年も暮れにける又の年、弥生の一日頃、院に御けしき給はるべきよし、左少弁定長がもとに申し侍りけるに、そへて侍りける 皇太后宮大夫俊成
このよしを奏し申し侍りければ、いとかしこく哀れがらせおはしまして、今ははや還昇おほせ下すべきよし御気色ありて、心はるるよしの返事おほせつかはせとおほせ下されければ、よみてつかはしける 藤原定長朝臣
葦鶴は霞をわけてかへるなりまよひし雲ぢ今日や晴るらん
この道の御憐み、昔の聖代にも異ならずとなん、時の人申し侍りける
【通釈】(詞書)後白河院が御在位の時、五節の頃に、侍従定家が事件を起こしたようにお聞きなされたことがあって、定家は殿上人から除籍されてしまいました。その年も暮れてしまった翌年、陰暦三月一日頃、後白河院に御意向をお窺いしたい由、左少弁定長のもとに申し送りました時、添えました歌。
(俊成の歌)鶴が雲路に迷うように、我が息子は
(詞書)この由を後白河院に奏上致しますと、畏れ多くも気の毒に思し召されて、今はもう還昇を御命令なさるべきとの御意向があって、院のお気持ちはお晴れになった由の返事を仰せ遣わせとご命令になったので、詠んで遣わした歌
(定長の歌)鶴が霞を分けて帰るように、子息はこの春殿上に帰るそうです。迷っていた雲路も、今日晴れることでしょう。
(左注)この和歌の道に対する御慈悲は、昔の聖代と変わりがないと、時の人は申したのでした。
【付記】文治元年(一一八五)十一月、定家は少将源雅行と殿上で揉め事を起こし、罪を得て除籍されてしまった。翌春、俊成は後白河院の近臣藤原定長を通じ、定家の除籍解除を院に訴える手紙を送り、歌を添えた。院は俊成の歌に心を動かされ、還昇させるように定長に命じ、定長はその旨を俊成に歌で伝えた。この経緯については『源家長日記』にも詳しい。(移動)
【関連歌】上0993
●千載集・雑下・一一六六 百首歌奉りける時、旅の心をよめる 左京大夫顕輔
あづまぢの 野島が崎の 浜風に わが紐ゆひし 妹が顔のみ 面影に見ゆ
【通釈】はるかな東国を旅して来て、野島が崎の浜風に吹かれていると、妻の顔がしきりと面影に浮かぶ。衣の紐を結んでくれた時のその顔が、まぶたに焼き付いて離れないよ。
【本歌】「淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す」(万葉集、人麻呂) 【付記】久安百首の「羇旅」題。五七五七七七の変則的な旋頭歌。
【関連歌】上1248
●千載集・釈教・一二三五 維摩経十喩、この身は夢のごとしといへる心をよめる 登蓮法師
おどろかぬ我が心こそ憂かりけれはかなき世をば夢とみながら
【通釈】迷いから覚めない私の心こそが情けないのだった。はかない世を夢だと分かっているのに。
【付記】維摩経十喩の一つ「是身如夢」の心を詠む。
【関連歌】上0171
●千載集・釈教・一二四一
武蔵野のほりかねの井もあるものをうれしく水の近づきにける
【通釈】武蔵野の堀兼の井のように掘るのが困難な井もあるものを、私が掘ってゆくと、嬉しいことに水脈が近づいてきたのだった。
【語釈】◇ほりかね 武蔵国の歌枕「堀兼」に「(土が固くて)掘りかね」の意を掛ける。◇水の近づき… この水は仏智をあらわす。
【本説】「漸見湿土泥 決定知近水」(法華経・法師品 移動)
【付記】康治年間(一一四二~一一四四)、待賢門院中納言(待賢門院璋子に仕えた女房。藤原定実の娘)が人々に法華経二十八品の歌を詠むよう勧めた時、それに応じて作った歌。
【関連歌】上0083、下2746
●千載集・神祇・一二七四 賀茂社の後番の歌合のとき、月歌とてよめる 皇太后宮大夫俊成
貴船川たまちる瀬々の岩浪に氷をくだく秋の夜の月
【通釈】貴船川の瀬々の岩に寄せては玉と散る波――その波に、氷を砕くと見える秋の夜の月よ。
【本歌】「奥山にたぎりておつる滝つ瀬の玉ちるばかり物な思ひそ」(後拾遺集一一六三、貴船明神)
【付記】元暦元年(一一八四)九月の賀茂社後番歌合。本歌は恋に破れて貴船神社を訪れた和泉式部が「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる」と詠んだのに対し、貴船明神が返した歌と伝わる。俊成の歌はこれを承け、「玉散る」に魂が千々に乱れる意を、「氷をくだく」に心を砕く意を響かせて、心中の苦しさを神に訴えているのであろう。ゆえに俊成はこの歌を自身の編纂した千載集に神祇歌として収めたものと思われる。
【関連歌】上0235
公開日:2013年01月30日
最終更新日:2013年01月30日