本文は主として岩波日本古典文学大系による。
巻上(春 夏 秋 冬) 巻下
●和漢朗詠集・立春・五
今日不知誰計会 春風春水一時来 白
【訓読】今日知らず誰か計会せし 春の風春の水一時に来る
【通釈】今日、いったい誰が計らい合わせたのか。春の風と春の水とが、同時にやって来た。
【付記】出典は白氏文集巻二十八の「府西池」(移動)。白氏が河南府に赴任していた時、府西池に春の訪れた景を詠んだ詩の頷聯。「計会」は計画。誰が計らい合わせて、春の風と春の水とが同時にやって来たのかと訝る。
【関連歌】員外3198
●和漢朗詠集・早春・一一
東岸西岸之柳 遅速不同 南枝北枝之梅 開落已異 早春賦春生逐地形 保胤
【訓読】東岸西岸の柳 遅速同じからず 南枝北枝の梅 開落已に異なり
【通釈】東岸と西岸では、柳の芽ぐみに早い遅いの違いがある。
南の枝と北の枝では、梅の咲き散る時期に甚だ違いがある。
【付記】東西の岸で柳の芽ぐみに、南北の枝で梅の咲き散りに遅速を見る。作者は慶滋保胤。題・趣向は白詩「早春即事」に拠る(春生逐地形 北檐梅晩白 東岸柳先青)。『本朝文粋』巻八に収載、「早春賦春生逐地形詩序」。「岸柳」などの題で、上掲句を踏まえた和歌が少なからず見られる。
【関連歌】上0408、中1913、員外3175
●和漢朗詠集・早春・一七
見わたせば比良の高嶺に雪きえて若菜つむべく野はなりにけり 兼盛
【通釈】見わたせば、比良の峰々に積もっていた雪はもう消えて、若菜を摘めるほどに野はなっていたのだ。
【付記】畿内の東限、琵琶湖畔に山野を一望して春の到来を祝福する。天暦十年(九五六)、麗景殿荘子方で催された麗景殿女御歌合に出詠された歌で、続後撰集に採られている。
【関連歌】上0105、上1403
●和漢朗詠集・春興・一八
花下忘帰因美景 樽前勧酔是春風
【訓読】花の下に帰らむことを忘るるは美景に因つてなり 樽の前に酔ひを勧むるは是れ春の風
【通釈】花の下で帰ることを忘れたのは、あまりの美景ゆえ。樽の前で酒を勧めたのは、うららかな春の風だった。
【付記】出典は白氏文集巻十三の「酬哥舒大見贈」(移動)。
【関連歌】員外3206
●和漢朗詠集・春興・一九
野草芳菲紅錦地 遊糸繚乱碧羅天 禹錫
【訓読】野草芳菲たり紅錦の地 遊糸繚乱たり碧羅の天
【通釈】野の草は花が咲き、大地はあたかも紅の錦だ。陽炎は入り乱れて、天はあたかも碧いうすぎぬだ。
【付記】春の草花が咲き満ちた大地を紅の錦に、陽炎もえる天を碧い薄絹に喩えた。出典は劉禹錫(772~842)の詩「春日書懐」。
【関連歌】上0916
●和漢朗詠集・春興・二二
著野展敷紅錦繡 当天遊織碧羅綾 野
【訓読】野に着いては展敷す紅錦繍 天に当つては遊織す碧羅綾
【通釈】野には花が咲いて紅の錦繍を敷きつめたよう。空には陽炎が立ちのぼって碧の薄綾絹を乱れ織りにするよう。
【付記】出典は『江談抄』巻四に見える小野篁(802~852)の「春生」。上掲の劉禹錫の詩句に基づく作か。
【関連歌】上0916
●和漢朗詠集・春興・二三
林中花錦時開落 天外遊糸或有無 田達音
【訓読】林中の花の錦は時に開くもあり落つるもあり 天外の遊糸は或は有りとやせん無しとやせん
【通釈】花咲いた林の中は錦を織りかけたようで、開いたのもあれば、散るものもある。空の果てに立ちのぼる陽炎は、あるかと思えばなく、心迷わせる。
【付記】作者の田達音は島田忠臣(生没年未詳)。
●和漢朗詠集・春夜・二七
背燭共憐深夜月 踏花同惜少年春 白
【訓読】燭を背けては共に憐れむ深夜の月 花を踏んでは同じく惜しむ少年の春
【通釈】灯火を背にして共に深夜の月を賞美し、散った花を踏んで共に青春を愛惜した。
【付記】出典は白氏文集巻十三「春中与廬四周諒華陽観同居」(移動)。
【関連歌】中1510、下2069、員外3209
●和漢朗詠集・三月尽・五〇
留春〻不住 春帰人寂寞 厭風〻不定 風起花蕭索 白
【訓読】春を留むるに春住まらず 春帰つて人寂寞たり 風を厭ふに風定まらず 風起つて花蕭索たり
【通釈】春を留めようとしても春は留まらない。春は去って行き人はしょんぼりとしている。風を嫌がっても風はおさまらない。風が吹き立ち花は寂れている。 【付記】出典は白氏文集巻五十一「落花」(移動)。
【関連歌】員外3211、員外3212
●和漢朗詠集・三月尽・五二
惆悵春帰留不得 紫藤花下漸黄昏 白
【訓読】惆悵す春帰つて留むれども得ざることを 紫藤の花の下漸くに黄昏たり
【通釈】春が帰ってゆくのを留めようとしても叶わないのが嘆かわしい。紫の藤の花の下も次第に夕暮が迫ってきた。
【付記】出典は『白氏文集』巻十三「三月三十日題慈恩寺」の尾聯。
【関連歌】上0919
●和漢朗詠集・三月尽・五五
留春不用関城固 花落随風鳥入雲 尊敬
【訓読】春を留むるに関城の固めを用ゐず 花は落ちて風に随ひ鳥は雲に入る
【通釈】春を留めようとして、関や城門で守ることはしない。花は落ちて風のまにまに散り、鳥は雲に入って姿を消してしまう。
【付記】作者は尊敬上人。俗名、橘在列。天慶七年(九四四)出家。
【関連歌】員外2921
●和漢朗詠集・閏三月・六〇
帰谷歌鶯 更逗留於孤雲之路 辞林舞蝶 還翩翻於一月之花 順
【訓読】谷に帰る歌鶯は 更に孤雲の路に逗留し 林を辞する舞蝶は 還つて一月の花に翩翻たり
【通釈】いつもなら谷に帰る鶯も、今年は閏三月があるので、更にひとひらの雲の通り路に留まり、歌っている。
【付記】春が一月余分にある閏三月、鶯は雲に留まり、蝶は花に戯れ続ける。出典は源順の「今年又有春」詩序。
【関連歌】中1516
●和漢朗詠集・閏三月・六一
花悔帰根無益悔 鳥期入谷定延期 藤滋藤
【訓読】花は根に帰らむことを悔ゆれども悔ゆるに益なし 鳥は谷に入らむことを期すれども定めて期を延ぶらむ
【通釈】花は散ってしまったが、閏三月と知って、根に帰ろうとしたことを悔いても、もはやどうしようもない。鳥は谷に帰り入ろうと思ったが、閏三月と知って、その日時を延ばすことだろう。
【付記】出典未詳。作者名は「藤滋藤」とあるが、釈信阿私注によれば作者は清原滋藤。この句の影響を受けた「花は根に」「鳥は古巣に」帰るという趣向の和歌は夥しい。
【関連歌】員外3058
●和漢朗詠集・鶯・六三
鶏既鳴兮忠臣待旦 鶯未出兮遺賢在谷 鳳為王賦
【訓読】鶏既に鳴いて忠臣旦を待つ 鶯いまだ出でずして遺賢谷に在り
【通釈】鶏がいち早く鳴くのは、忠臣が早起きして夜明けを待っているようなものだ。鶯が谷からなかなか出て来ないのは、賢者が野に在って出仕しないようなものだ。
【付記】「遺賢」は民間に埋れている有能な人物。「在谷」は、鶯が春になるまで谷に籠もっていることに寄せて、悪政が行われている間賢者の出仕しないことを言う。出典の「鳳為王賦」は未詳。鳳を王とし、鳥を臣に喩えた賦か。作者は賈島という。
【関連歌】中1864
●和漢朗詠集・鶯・六七
鶯声誘引来花下 草色拘留坐水辺 白
【訓読】鶯の声に誘引せられて花の下に来る 草の色に拘留せられて水の辺に坐り
【通釈】鶯の声に誘われて、花の下までやって来た。若草の色に引き留められて、川のほとりにすわった。
【付記】出典は白氏文集巻十八の「春江」(移動)。
【関連歌】上0003、員外3203
●和漢朗詠集・鶯・七〇
新路如今穿宿雪 旧巣為後属春雲 菅
【訓読】新路は如今宿の雪を穿つ 旧巣は為後春の雲に属ふ
【通釈】通じたばかりの道は、いまだ残雪が深い。古巣は、谷にたなびく春の霞に委せてゆく。
【付記】出典は醍醐天皇の昌泰二年(八九九)正月二十一日の内宴に侍っての菅原道真の応製詩。谷を出た鶯を、山を出た隠士になぞらえ、内裏の華やかな宴に紛れ込んだとした詩である。「旧巣為後属春雲」の句を踏まえて多くの和歌が作られた。
【関連歌】上1101、中1575、中1987、下2081、下2596
●和漢朗詠集・雨・八二
養得自為花父母 洗来寧弁薬君臣 紀
【訓読】養ひ得ては自ら花の父母たり 洗ひ来つては寧ろ薬の君臣を弁へんや
【通釈】春雨は草木に降って花を養い育てるから、おのずと花の父母と言ってよい。また春雨は薬草を区別なく洗って降るから、薬に身分の差別などつけないだろう。
【付記】作者は紀納言(紀長谷雄)。特に上句は謡曲などに多く引用されている。
【関連歌】員外3572
●和漢朗詠集・梅・八七
白片落梅浮澗水 黄梢新柳出城墻 白
【訓読】白片の落梅は澗水に浮ぶ 黄梢の新柳は城墻より出でたり
【通釈】白い梅の花びらが散って、谷川の水に浮かんでいる。黄の新芽を出した柳の梢が、群衙の城壁にはみ出ている。
【付記】出典は白氏文集巻十八「春至」(移動)。「澗水」は谷間の川の水。「城墻」は町を囲む城壁。
【関連歌】上0107、員外3200
●和漢朗詠集・花・一一三
花明上苑 軽軒馳九陌之塵 猿叫空山 斜月瑩千巌之路 閑賦
【訓読】花上苑に明らかなり 軽軒九陌の塵に馳す 猿空山に叫ぶ 斜月千巌の路を瑩く
【通釈】花が上林苑にあざやかに咲く頃、都大路では軽やかな車が砂塵を上げて走り、猿が人気のない深山で叫ぶ時、西に傾いた月が重畳たる岩山の路を照らしている。
【付記】「上苑」は漢武帝が長安に造った上林苑。「九陌」は長安の九条の街路。釈信阿私注によれば作者は張読。『江談抄』巻六には「張賛」の作として見える。
【関連歌】上0766
●和漢朗詠集・花・一一五
遥見人家花便入 不論貴賤与親疎 白
【訓読】遥かに人家を見て花あれば便ち入る 貴賤と親疎を論ぜず
【通釈】遥かに人家を眺めて、花が咲いているとただちに歩み入る。身分の貴賤や間柄の親疎など、どうでもよい。
【付記】出典は『白氏文集』巻六十六「尋春題諸家園林」(移動)。
【関連歌】上1013、下2038、員外3205
●和漢朗詠集・花・一一六
瑩日瑩風 高低千顆万顆之玉 染枝染浪 表裏一入再入之紅 花光浮水上 菅三品
【訓読】日に瑩き風に瑩く 高低千顆万顆の玉 枝を染め浪を染む 表裏一入再入の紅 花の光 水上に浮む 菅三品
【通釈】桜の花は日の光に磨かれ、春風に磨かれ、高い梢にも、低い川面にも、千粒万粒の玉さながら輝いている。表も裏も一しお二しお染めた紅衣の色さながら、枝を染め、波を染めている。
【付記】応和元年(九六一)三月五日、村上天皇の桜花宴における詩序。作者は菅原文時。
【関連歌】中1919
●和漢朗詠集・落花・一二六
落花不語空辞樹 流水無情自入池
【訓読】落花語はず空しく樹を辞す 流水心無うして自ら池に入る
【通釈】落花は何も語らず枝を離れる。流水は無心におのずと池に注ぎ込む。
【付記】出典は『白氏文集』巻五十七、「過元家履信宅」(移動)。親友の元稹が亡くなった後、その旧宅を訪れた時の感慨を詠んだ詩。
【関連歌】員外3207
●和漢朗詠集・納涼・一六四
池冷水無三伏夏 松高風有一声秋 英明
【訓読】池冷やかにして水に三伏の夏無し 松高うして風に一声の秋有り
【通釈】池の冷やかな水には、三伏の夏も存在しない。松の高い梢を吹く風には、はや秋の声を聞く感がある。
【付記】「三伏」は立秋前後三十日の盛暑の候。夏至の後、第三の庚の日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋後の最初の庚の日を末伏と言い、合せて三伏と言う。作者は源英明(生年未詳~939)。
【関連歌】上0030、員外3008
●和漢朗詠集・夏夜・一五一
風生竹夜窓間臥 月照松時台上行 白
【訓読】風の竹に生る夜窓の間に臥せり 月の松を照らす時 台の上に行く
【通釈】風が竹をそよがせる夜、窓辺に横になり、月が松を照らす間、高殿の上をそぞろ歩く。
【付記】出典は白氏文集巻十九の「七言十二句、贈駕部呉郎中七兄」(移動)。
【関連歌】員外3217
●和漢朗詠集・納涼・一五九
青苔地上銷残雨 緑樹陰前逐晩涼 白
【訓読】青苔の地上に残雨を銷す 緑樹の陰の前に晩涼を逐ふ
【通釈】青い苔の生えた地上に雨の名残も消えた。緑の木陰のほとりで夕涼みをする。
【付記】夕立が降ったあとの涼しさ。出典は白氏文集の巻六十六「池上逐涼」(移動)。
【関連歌】員外3218
●和漢朗詠集・納涼・一六一
不是禅房無熱到 但能心静即身涼 白
【訓読】是れ禅房に熱の到ること無きには不ず 但だ能く心静かなれば即ち身も涼し
【通釈】師の禅室にも炎熱が押し寄せないわけではない。ただ心を静かに澄ませていれば、そのまま身も涼しくなるのである。
【付記】出典は白氏文集巻十五「苦熱題恒寂師禅室」(移動)。酷暑の候、恒寂師(不詳)の禅室に題した詩の第三・四句である。
【関連歌】員外3219
●和漢朗詠集・納涼・一六二
班婕妤団雪之扇 代岸風兮長忘 燕昭王招涼之珠 当沙月兮自得 匡衡
【訓読】班婕妤が団雪の扇、岸風に代へて長く忘れぬ 燕の昭王が招涼の珠、沙月に当つて自ら得たり
【通釈】水辺の涼風が吹くようになって、班婕妤の扇のような雪白の団扇を使うことは久しく忘れた。砂を月が照らすので、燕の昭王が懐中にして暑を避けたという招涼の珠を手に入れたかのようだ。
【付記】出典は大江匡衡の「避暑対水石序」。「班婕妤団雪之扇…」は文選などに収められた、班婕妤が漢成帝の寵愛を失ったことを扇に寄せて諷した詩「怨歌行」を踏まえる。これにより秋の扇は寵愛を失った女性の暗喩とされた。
【関連歌】上1430
●和漢朗詠集・橘花・一七一
盧橘子低山雨重 栟櫚葉戦水風涼 白
【訓読】盧橘子低れて山雨重し 栟櫚葉戦いて水風涼し
【通釈】山に雨が降って橘の実は重く垂れる。湖水を渡る風が吹くと棕櫚の葉がそよいで涼しい。
【付記】出典は白氏文集巻二十の「西湖晩帰回望孤山寺贈諸客」(移動)。
【関連歌】員外3215
●和漢朗詠集・郭公・一八二
一声山鳥曙雲外 万点水蛍秋草中 許渾
【訓読】一声の山鳥は曙雲の外 万点の水蛍は秋の草の中
【通釈】山時鳥は一声鳴いて曙の雲の彼方に隠れる。水に棲む無数の蛍は、秋草の内に光を点している。
【付記】原詩は許渾の作で、『全唐詩』によれば題は「自楞伽寺晨起泛舟、道中有懐」。その第三・四句である。中世、特に「一声山鳥曙雲外」は和歌の句題として好まれた。
●和漢朗詠集・蛍・一八六
蛍火乱飛秋已近 辰星早没夜初長 元
【訓読】蛍火乱れ飛んで秋已に近し 辰星早く没して夜初めて長し
【通釈】蛍の火は乱れ飛び、秋も既に近いことを感じさせる。辰星は早くも地平に没し、夜が長いことを初めて覚える。
【付記】「辰星」は時刻を知る基準となる星。二十八宿の一つ房星(さそり座の頭部の四星)に同じとも。原詩では「星辰」とあり(全唐詩)、この場合単に星または星座の意。出典は元稹の七言律詩「夜坐」。その第五・六句。
【関連歌】員外2824
●和漢朗詠集・蟬・一九二
遅遅兮春日 玉甃暖兮温泉溢 嫋嫋兮秋風 山蟬鳴兮宮樹紅 驪宮高 白
【訓読】遅々たる春の日 玉の甃暖かにして温泉溢てり 嫋嫋たる秋の風に 山の蟬鳴きて宮樹紅なり
【通釈】のどかな春の日、温泉が満ち溢れて、玉の石畳は温かい。そよそよと吹く秋風の中、山の蟬が鳴いて離宮の庭園の樹は紅く色づいている。
【付記】『白氏文集』巻四「驪宮高」の第三~六句。長安郊外の驪宮(華清宮)への行幸を、皇帝が節約のため控えていることを讃美した詩。
【関連歌】下2228
●和漢朗詠集・扇・一九九
盛夏不銷雪 終年無尽風 引秋生手裏 蔵月入懐中 白
【訓読】盛夏にも銷えざる雪 終年尽くること無き風 秋を引きて手裏に生じ 月を蔵して懐中に入る
【通釈】盛夏にも消えない雪だ。一年中、尽きることのない風だ。秋を先取りして手の内に生ぜしむ。月をひっそりと懐の内に入れる。
【付記】「引秋」は秋を引き寄せて、秋を先取りしての意。「蔵月」は円形の白い扇を月になぞらえての謂。出典は『白氏文集』の「白羽扇」(移動)。鳥の白い羽毛で作った団扇を詠んだ詩。
【関連歌】上0822
●和漢朗詠集・早秋・二〇九
槐花雨潤新秋地 桐葉風涼欲夜天 白
【訓読】槐花雨に潤ふ新秋の地 桐葉風涼し 夜ならんとする天
【通釈】槐の花が雨にみずみずしく湿る、早秋の地。桐の葉に吹く風が涼しく、空は暮れようとしている。
【付記】「槐花」はエンジュの花。夏に黄白色の花をつける。宮中に好んで植えられた。出典は『白氏文集』の「秘省後庁」。太和元年(八二七)秋、長安で秘書監を勤めていた時の作である(第二句は「桐葉風翻欲夜天」)。
【関連歌】上0748
●和漢朗詠集・七夕・二一四
露応別涙珠空落 雲是残粧鬟未成 菅
【訓読】露は別れの涙なるべし珠空しく落つ 雲は是れ残んの粧ひ鬟いまだ成らず
【通釈】露の玉が空しく落ちているのは、織姫が別れの時に流した涙に違いない。朝焼の雲はまだ髻に束ねない織姫の寝乱れた髪のようだ。
【付記】露の玉を、織姫の別れの涙に、朝焼雲をその寝乱れ髪になぞらえた。出典は『菅家文草』巻五、「七月七日、代牛女惜暁更」。
【関連歌】上0437
●和漢朗詠集・秋興・二二一
林間煖酒焼紅葉 石上題詩掃緑苔 白
【訓読】林間に酒を煖めて紅葉を焼き 石上に詩を題して緑苔を掃ふ
【通釈】林の中で、紅葉を焼いて酒を暖め、石の上に、緑の苔を掃って詩をしるした。
【付記】原詩は『白氏文集』巻十四「送王十八帰山寄題仙遊寺」(移動)。山に帰棲する旧友の王十八すなわち王質夫を送り、かつて共に遊んだ仙遊寺に寄せて作った詩の第五・六句。
【関連歌】上1146、員外3449
●和漢朗詠集・秋興・二二三
大底四時心惣苦 就中腸断是秋天
【訓読】大底四時は心すべて苦なり 就中腸の断ゆることはこれ秋の天なり
【通釈】おおむね四季それぞれに心遣いされるものであるが、とりわけ、はらわたがちぎれるほど悲しい思いをするのは秋である。
【付記】出典は白氏文集巻十四「暮立」(移動)。
【関連歌】員外3225
●和漢朗詠集・秋晩・二三〇 秋晩
相思夕上松台立 蛬思蟬声満耳秋
【訓読】相思うて夕に松台に上つて立てれば 蛬の思ひ蟬の声耳に満てる秋なり
【通釈】君を思いつつ、夕暮、松林の丘に登って立てば、きりぎりすの悲しみと蝉の声が耳に満ちる――もう秋だ。
【語釈】◇松台 松の生えた台地。◇蛬 コオロギ。
【付記】出典は白氏文集巻十三「題李十一東亭」(移動)。李十一(李建)の東亭に題した詩。
【関連歌】員外3227
●和漢朗詠集・秋夜・二三三
秋夜長 〻〻無眠天不明 耿〻残灯背壁影 蕭〻暗雨打窓声 上陽人 白
【訓読】秋の夜長し 夜長くして眠ることなければ天も明けず 耿々たる残んの灯の壁に背けたる影 蕭々たる暗き雨の窓を打つ声
【通釈】秋の夜は長い。夜は長く、眠られずに、いつまでも天は明けない。燃え残りの灯が、壁に背を向けて煌々と明るい。物寂しい闇夜の雨の、窓を打つ音が聞こえるばかり。
【付記】出典は白氏文集巻三「上陽白髪人」(移動)。
【関連歌】上0411
●和漢朗詠集・秋夜・二三四夜
遅〻鐘漏初長夜 耿〻星河欲曙天 白
【訓読】遅々たる鐘漏初めて長き夜 耿々たる星河曙けんとする天
【通釈】のろのろと時の鐘が鳴って、夜が長くなったと感じる。天の川が煌々と輝く夜空を眺めるうち、ようやく明け方が近づく。
【付記】出典は白氏文集巻十二「長恨歌」の一連(移動)。秋の長夜を明かす玄宗皇帝の孤独を詠む場面。
【関連歌】員外3228
●和漢朗詠集・十五夜・二四〇
秦甸之一千餘里 凛凛氷鋪 漢家之三十六宮 澄澄粉餝
【訓読】秦甸の一千余里 凛凛として氷鋪き 漢家の三十六宮 澄澄として粉餝れり
【通釈】秦の都の周囲千余里は氷を敷き詰めたように冷え冷えと月に照らされ、漢王朝の三十六宮は冴え冴えと粉粧をこらしている。
【付記】「秦甸」は秦の都長安の周囲千里。「漢家之三十六宮」は漢代以来の三十六の宮殿。都郊を照らす月光を氷を敷き詰めたかと見、宮殿に冴えた粉粧をこらしているかと見た。原典は公乗億の「長安八月十五夜賦」。
【関連歌】上0550、中2021
●和漢朗詠集・月・二五六
欲和豊嶺鐘声否 其奈華亭鶴警何 中書王
【訓読】豊嶺の鐘の声に和せんと欲するや否や それ華亭の鶴の警めを奈何
【通釈】霜のような月光に和して豊山の鐘が響こうとすると、華亭(陸機に因む鶴の名所)の鶴も鳴くのを如何ともし難い。
【付記】出典は兼明親王の「夜月似秋霜」。『山海経』に見える豊嶺の鐘が霜に和して鳴るとの故事による。
【関連歌】員外3173
●和漢朗詠集・菊・二六七
不是花中偏愛菊 此花開後更無花 白
【訓読】これ花の中に偏に菊を愛するのみにあらず 此の花開けて後更に花の無ければなり
【通釈】数ある花の内、ひたすら菊ばかりを愛するというのではない。この花が咲き終われば、もはや他に花が無いからなのだ。
【付記】一年の最後の花としての菊に対する愛着を詠む。原詩は元稹の七言絶句「菊花」(全唐詩巻四百十一所収)で、その第三・四句の引用。但し原詩の第四句は「此花開尽更無花」とある。
【関連歌】上0453
●和漢朗詠集・菊・二七一
蘭蕙苑嵐摧紫後 蓬莱洞月照霜中 菅三品
【訓読】蘭蕙苑の嵐の紫を摧きて後 蓬莱洞の月の霜を照らす中
【通釈】香草園の紫の花を嵐が摧き去ったのち、禁裏の庭を霜のような月光が照らす中、ただ菊だけが草叢に咲いている。
【付記】原詩は菅原文時の「花寒菊点叢」。蘭・蕙は共に香草の類で、「紫」とあるのでここは藤袴であろう。「蓬莱洞」は蓬莱宮(仙人の住む宮殿)に同じ。ここは宮廷のこと。和歌では「蘭」の題詠で「蘭蕙苑嵐摧紫後」を踏まえた作が散見される。
【関連歌】員外2949、員外3234
●和漢朗詠集・蘭・二八六
前頭更有蕭条物 老菊衰蘭三両叢
【訓読】前頭には更に蕭条たる物あり 老菊衰蘭三両叢
【通釈】目の前には更に蕭条たるものがある。老いた菊、衰えた藤袴、それら二三の叢。
【付記】出典は白氏文集巻六十七「杪秋独夜」(移動)。我が身を老いた菊と衰えた藤袴になぞらえた。
【関連歌】員外3234
●和漢朗詠集・紅葉・三〇一
不堪紅葉青苔地 又是涼風暮雨天 白
【訓読】堪へず紅葉青苔の地 またこれ涼風暮雨の天
【通釈】感に堪えないことよ。紅葉が散り、青い苔に覆われた地のけしきは。そして冷ややかな風が吹き、夕雨の降る空のけしきは。
【付記】「不堪」は感に堪えない意。出典は白氏文集「秋雨中贈元九」(移動)。
【関連歌】中1697、下2723、員外3235
●和漢朗詠集・紅葉・三〇三
洞中清浅瑠璃水 庭上蕭条錦繡林 保胤
【訓読】洞中は清浅たり瑠璃の水、庭上には蕭条たり錦繍の林
【付記】釈信阿私注によれば題は「翫池頭紅葉」というが出典不詳。作者は慶滋保胤。
【関連歌】員外3167
●和漢朗詠集・落葉・三〇七
三秋而宮漏正長 空階雨滴 万里而郷園何在 落葉窓深 愁賦
【訓読】三秋にして宮漏正に長し 空階に雨滴る 万里にして郷園いづくにか在る 落葉窓深し
【通釈】秋も深まり宮中の漏刻は遅々として、夜はまことに長い。階には人気なく雨が滴っているばかり。故郷の家の庭はどちらにあるのか。深窓から窺えば、落葉が激しく、窓を埋めている。
【付記】「三秋」は秋三箇月。但し三箇月目の秋すなわち晩秋九月ともいう。「宮漏」は宮中の漏刻すなわち水時計。出典は張読の詩賦「愁賦」という。
【関連歌】中1658、員外3312
●和漢朗詠集・虫・三二八
霜草欲枯虫思苦 風枝未定鳥棲難 白
【訓読】霜草枯れなんと欲して虫の思ひ苦なり 風枝未だ定まらず鳥の棲むこと難し
【通釈】霜の置いた草は枯れかかり、虫の声は恨むようだ。風に揺れる枝はおさまらず、鳥は止まろうとして難儀する。
【付記】原詩は『白氏文集』の「答夢得秋庭独座見贈夢得」(移動)。
【関連歌】上0147
●和漢朗詠集・擣衣・三四五
八月九月正長夜 千声万声無了時
【訓読】八月九月正に長き夜 千声万声了む時無し
【通釈】八月九月は、まことに夜が長い。千遍万遍と、その音の止む時はない。
【付記】出典は白氏文集巻十九「聞夜砧」(移動)。
【関連歌】員外3113、員外3226
●和漢朗詠集・擣衣・三四七
擣処暁愁閨月冷 裁将秋寄塞雲寒 篤茂
【訓読】擣つ処には暁に閨月の冷じきことを愁ふ 裁ちをもつては秋塞雲の寒きに寄す
【通釈】遠くの夫を思いつつ、妻が衣を擣つうち、暁となり、閨に射し込む月の光が悲しいほどにすさまじい。衣を裁ち縫っては、辺塞の地、秋の寒空の下にいる夫のために贈ろうとしている。
【付記】漢詩では、擣衣によって留守中の夫を思う妻の心情を詠むのが常識。作者は藤原篤茂。
【関連歌】上1137
●和漢朗詠集・初冬・三五二
十月江南天気好 可憐冬景似春華 白
【訓読】十月江南天気好し 憐むべし冬の景の春に似て華しきことを
【通釈】十月の江南は天気うるわしい。愛しもうではないか、冬の光が春のように華やかなことを。
【付記】我が国で言う小春日和を詠んだ詩の一節。「十月」は陰暦十月、初冬。「江南」は長江(揚子江)下流の南側。作者の白氏は五十代前半、江南の地方官を勤めていた。「好」の訓は『和漢朗詠集』の古写本の古点に従ったもので、「ことむなし」は「こともなし」(太平無事である意)から来た語。「冬景」は冬の日射し。「似春華」は「春華に似たり」とも訓める。「春華」は春のはなやかさ。出典は白氏文集巻二十の「早秋」(移動)。
【関連歌】下2302、員外3025、員外3238
●和漢朗詠集・歳暮・三五九
寒流帯月澄如鏡 夕吹和霜利似刀
【訓読】寒流月を帯びて澄めること鏡の如し 夕吹霜に和して利きこと刀に似たり
【通釈】寒々とした長江の流れは、月光を映して、鏡のように澄み切っている。夕方の風は、霜の気と相和して、刀のように鋭い。
【付記】出典は白氏文集巻十六「江楼宴別」(移動)。長江のほとりで送別の宴を催した時の作。
【関連歌】員外3229
●和漢朗詠集・霜・三六七
万物秋霜能壊色 四時冬日最凋年 白
【訓読】万物は秋の霜能く色を壊る 四時は冬の日最も年を凋ましむ
【通釈】万物に対しては、秋の霜がひどくその色をそこなう。四季のうちでは、冬の日が最も一年を衰えさせる。
【付記】出典は白氏文集巻十五「歳晩旅望」(移動)。
【関連歌】中1894、員外3237
●和漢朗詠集・雪・三七四
暁入梁王之苑雪満群山 夜登庾公之楼月明千里 白賦
【訓読】暁に梁王の苑に入れば雪群山に満てり 夜庾公が楼に登れば月千里に明らかなり
【通釈】暁に梁王の兔苑に入ると、雪が山々にあまねく降り積もっている。夜、庾公の楼に登ると、月光が千里の彼方まで明るく照らしている。
【付記】出典は謝観の「雪賦」。前句は『文選』の梁孝王の兔園の故事に因み、後句は晋の庾亮が武昌の南楼で月を賞翫したという故事に因む。
【関連歌】員外2993
●和漢朗詠集・仏名・三九三
香火一爐灯一盞 白頭夜礼仏名経
【訓読】香火一爐灯一盞 白頭にして夜仏名経を礼す
【通釈】香炉に火を入れ、灯明を点して、白髪頭の僧侶が夜、仏名経を唱える儀式をする。
【語釈】◇香火 香炉。◇白頭 白髪頭。
【付記】出典は白氏文集巻六十八「戯礼経老僧」(移動)。
【関連歌】員外3247
●和漢朗詠集・雲・四〇三
竹斑湘浦 雲凝鼓瑟之蹤 鳳去秦台 月老吹簫之地 愁賦
【訓読】竹 湘浦に斑にして 雲 鼓瑟の蹤に凝る 鳳 秦台を去り 月 吹簫の地に老いたり
【通釈】湘水の浦に生える竹は蛾皇・女英の血涙で紅い斑があり、二人が瑟を鼓して遊んだ跡にはただ雲が凝り固まっている。秦台の蕭史と弄玉は鳳凰とともに天に去り、彼らが簫を吹奏した地には、月の光が荒涼と射している。
【付記】出典は張読の「愁賦」という。前句は、舜帝が崩じたのを悲しんだ蛾皇・女英の血涙が湘水の浦の竹を紅い斑模様に染めたとの故事を踏まえ、後句は笛の名手であった蕭史が妻の弄玉と共に鳳凰に従って昇天したとの故事を踏まえる。
【関連歌】上0709
●和漢朗詠集・雲・四〇四
山遠雲埋行客跡 松寒風破旅人夢
【訓読】山遠くしては雲行客の跡を埋む 松寒くしては風旅人の夢を破る
【通釈】旅人は山遠く去り、その跡をただ白雲が埋める。松を吹く風は寒く、野に宿る旅人の夢を破る。
【付記】題も作者も知れない。和漢朗詠集の「雲」の部にあるが、原作は旅の詩であろう。唐人の作かという(川口久雄『和漢朗詠集全訳注』)。前句後句、共に多くの和歌が本説取りしている。
【関連歌】上0091、下2550、員外3360
●和漢朗詠集・晴・四一五
霞はれみどりの空ものどけくてあるかなきかにあそぶいとゆふ
【通釈】霞が晴れ、美しい碧空ものどかで、本当にあるのかどうか分からない程ほのかに立ちのぼる陽炎よ。
【参考】「林中花錦時開落 天外遊糸或有無」(和漢朗詠集・春興 移動)
【付記】陽炎を漢語で「遊糸」と書くことから、そのゆらゆらと立ちのぼるさまを「あそぶ」と言いなした。「晴」題の歌として引かれるが、出典も作者も未詳である。勅撰集にも漏れた歌。
【関連歌】上0611、上0809、上0916、上1206
●和漢朗詠集・暁・四一六
佳人尽飾於晨粧 魏宮鐘動 遊子猶行於残月 函谷鶏鳴
【訓読】佳人尽く晨粧を飾る 魏宮に鐘動く 遊子なほ残月に行く 函谷に鶏鳴く
【通釈】魏宮に鐘が鳴ると、後宮の美女たちは皆朝の化粧をする。
函谷関に鶏が鳴いた後も、なお旅人は有明の月の光に歩を進める。
【付記】出典は賈嵩の「暁賦」という。前句は『南斉書』后妃伝、斉武帝が景陽楼の上に鐘を置き、宮人は鐘の声を聞いて早起きしたとの故事、後句は『史記列伝』、孟嘗君が食客に鶏の鳴き声を真似させて無事函谷関を通過したとの故事に由る。
【関連歌】上0668
●和漢朗詠集・暁・四一九
五声宮漏初明後 一点窓灯欲滅時 白
【訓読】五声の宮漏初めて明けて後 一点の窓灯滅えなんとする時
【通釈】役所の水時計が五更を告げ、夜も明けてきた頃、一点の窓のともし火が今にも消えようとする時。
【付記】「五声」は五更(午前三時~五時頃)を告げる音。「宮漏」は宮殿の水時計。出典は白氏文集の「禁中夜作書、与元九」(移動)。
【関連歌】中1953
●和漢朗詠集・松・四二一
但有双松当砌下 更無一事到心中 白
【訓読】但だ双松の砌の下に当れるあり 更に一事の心の中に到る無し
【通釈】屋敷にはただ二もとの松が軒下にあるばかり。心の中にまで入り込むような事は一つとして起こらない。
【付記】出典は白氏文集の「新昌閑居、招楊郎中兄弟」(移動)。長安の新昌坊に閑居していた時、楊氏の義兄弟を自宅に招待する時に作ったという詩。
【関連歌】中1673、員外3263
●和漢朗詠集・松・四二五
十八公栄霜後露 一千年色雪中深 順
【訓読】十八公の栄は霜の後に露はれ 一千年の色は雪の中に深し
【通釈】松の栄誉は、霜の後にも色を変えないことで顕れる。一千年変わることのない色は、降り積もった雪の中でひときわ鮮やかになる。
【付記】「松」の字を分解して「十八公」とした。出典は源順の詩「歳寒知松貞」。
【関連歌】上0741、上0847
●和漢朗詠集・松・四二六
含雨嶺松天更霽 焼秋林葉火還寒 江
【訓読】雨を含む嶺松は天更に霽れたり 秋を焼く林葉は火還つて寒し
【通釈】峰の松が雨音を含むかと聞えたのは松風の音で、見れば天はいっそう晴れている。秋の林を焼くかと見えたのは紅葉で、火の色はかえって寒々としている。
【付記】松風を雨音と聞き違え、紅葉を火事と見違える。出典は大江朝綱の「山居秋晩」。
【関連歌】上1245
●和漢朗詠集・竹・四三二
晋騎兵参軍王子猷 栽称此君 唐太子賓客白楽天 愛為吾友 篤茂
【訓読】晋の騎兵参軍王子猷 栽ゑて此の君と称す 唐の太子の賓客白楽天 愛して吾が友となす
【通釈】晋の騎兵参軍王子猷は、竹を植えて此の君と言い、唐の東宮学士白楽天は竹を愛して我が友とした。
【付記】作者は藤原篤茂。『本朝文粋』には「冬夜守庚申、同賦修竹冬青詩序」として載る。「白楽天 愛為吾友」は、白詩に竹を「我師」と呼んだのを誤ったもの。
【関連歌】上0483、中1722、員外3544
●和漢朗詠集・鶴・四四五
声来枕上千年鶴 影落盃中五老峯 白
【訓読】声は枕の上に来る 千年の鶴 影は盃の中に落つ 五老の峯
【通釈】横になれば、千年の寿命を保つ鶴の声が枕の上に届く。酒を酌めば、五老の峰の影が盃の中に映る。
【付記】出典は白氏文集の「題元八渓居」。「五老峯」は廬山の東南の連山。五人の老人が肩を並べたように峨々としてそそり立つという。その麓に構えた元八の住居を讃えた詩。
【関連歌】中1542
●和漢朗詠集・猿・四五四
瑤台霜満 一声之玄鶴唳天 巴峡秋深 五夜之哀猿叫月 清賦
【訓読】瑶台に霜満てり 一声の玄鶴天に唳く 巴峡秋深し 五夜の哀猿月に叫ぶ
【通釈】玉台には霜が満ちている。黒い鶴が一声天に向かって鳴く。巴峡は秋の気配が色濃い。五更の夜、猿が哀しげに月に向かって叫ぶ。
【付記】出典は謝観の「清賦」。「瑤台」は玉に飾られた高殿。「玄鶴」は黒い鶴。「巴峡」は四川東部の三峡の一。「五夜」は五更の夜。
【関連歌】員外2982
●和漢朗詠集・管弦・四六三
第一第二絃索索 秋風払松疏韻落 第三第四絃冷冷 夜鶴憶子籠中鳴 第五絃声最掩抑 隴水凍咽流不得 五絃弾
【訓読】第一第二の絃は索索たり 秋の風松を払つて疏韻落つ 第三第四の絃は冷冷たり 夜の鶴子を憶うて籠の中に鳴く 第五の絃の声は最も掩抑せり 隴水凍り咽んで流るること得ず
【通釈】第一・第二の絃は不安な調べである。秋の風が松を払ってまばらな響きを立てるかのよう。第三・第四の絃は凄まじい調べである。夜の鶴が子を慕って籠の中で鳴くかのよう。第五の絃の声は最も鬱々としている。隴山の谷川が凍って咽び、滞るかのよう。
【語釈】◇冷冷 冷え冷えとしたさま。◇掩抑 心を覆い抑えつけるさま。◇隴水 隴山(甘粛省にある山)の山水。
【付記】出典は白氏文集巻三「五絃弾」(移動)。「悪鄭之奪雅也(鄭の雅を奪ふを悪むなり)」と白氏が自注するように、五絃のような俗な楽器が雅楽に取って代わる風潮を悪んだ詩。白氏は心を掻き乱すような五絃琵琶の弾奏を非難する一方、上古の清廟(祖先祭の時に演奏した歌)は人を元気にし心を平和にするとして賞賛している。高内侍(高階貴子)が「夜鶴憶子籠中鳴」の句を踏まえ「夜の鶴みやこのうちに放たれて子を恋ひつつも鳴き明かすかな」(詞花集)と詠んで以後、子を恋うる心を「夜の鶴」に託すようになった。
【関連歌】上0485、上1098、中1828、中1959、員外3071、員外3459(漢詩句)
●和漢朗詠集・文詞・四七一 付 遺文
遺文三十軸 軸軸金玉声 竜門原上土 埋骨不埋名 白
【訓読】遺文三十軸 軸軸に金玉の声あり 竜門原上の土 骨を埋むれども名を埋めず
【通釈】君の遺した書は三十巻。巻毎に無上の響きを伝える。君は竜門の原野の土に骨を埋めたが、名を埋めはしなかった。
【付記】「竜門」は山西・陝西両省の境、黄河中流の難所。出典は白氏文集の「題故元少尹集後二首」(移動)。元居敬(763~822)の集の末尾に記した詩二首の第二首である。元居敬(宗簡)は白居易より九歳年上の旧友で、度々詩を贈答した。
【関連歌】上0598、中1583、中1671、下2640
●和漢朗詠集・山水・五〇一
礙日暮山青簇簇 浸天秋水白茫茫
【訓読】日を礙ぐる暮山青くして簇簇たり 天を浸す秋水白くして茫茫たり
【通釈】陽を遮る夕暮の山が青々と幾重にも連なり、天を浸す秋の川が白々と遥かに流れている。
【語釈】◇簇簇 群がり集まるさま。
【付記】出典は白氏文集巻十六「登西楼憶行簡」(移動)。夕日が没した山の青と、天を映す川の白との対照。
【関連歌】員外3322
●和漢朗詠集・禁中・五二四
鶏人暁唱 声明王之眠 鳧鐘夜鳴 響徹暗天之聴 都
【訓読】鶏人暁に唱ふ 声明王の眠りを驚かす 鳧鐘夜鳴る 響暗天の聴きに徹す
【通釈】とさかをかぶった官人が、暁の時刻を知らせる。その声は聡明な王の眠りをさます。漏刻を知らせる鐘の音が夜に鳴る。その響きは暗い夜空を伝い、人々の耳に聞こえ渡る。
【付記】禁中の時報を詠む。「鶏人」はとさかをかぶった官人で、暁の時刻を知らせる役をする。「鳧鐘」は時を告げる鐘。出典は『本朝文粋』に見える都良香「漏刻策」。
【関連歌】上0721
●和漢朗詠集・仙家・五四七
石床留洞嵐空払 玉案抛林鳥独啼 菅三品
【訓読】石床洞に留りて嵐空しく払ふ 玉案林に抛ちて鳥独り啼く
【通釈】洞の中には石の寝床ばかりがあって、その上を山の風が空しく吹き払ってゆく。林の中には玉の机が打ち捨てられて、鳥が啼くばかりである。
【付記】菅原文時の「山中有仙室」の胸句を出典とする。仙人が去った山中の石室を偲んだ詩。
【関連歌】下2080
●和漢朗詠集・仙家・五四八
桃李不言春幾暮 煙霞無跡昔誰栖 菅三品
【訓読】桃李言はず春幾ばくか暮れぬる 煙霞跡無く昔誰か栖みし
【通釈】仙人が去って幾つの春が暮れたのか、桃李は黙して語らない。山々には煙霞が立ちこめるばかりで、誰かが栖んでいた痕跡も見えはしない。
【付記】菅原文時の「山中有仙室」の腰句を出典とする。仙人が去った山中の石室を偲んだ詩。
【関連歌】中1741
●和漢朗詠集・仙家・五五一
虚澗有声寒溜咽 故山無主晩雲孤 山無隠士 紀
【訓読】虚澗に声有りて寒溜咽ぶ 故山に主無くして晩雲孤なり
【通釈】隠士が去った人気ない谷には、寒々とした滝の咽ぶような声がするばかり。かつて隠士が住んだ山には主が不在で、ただ夕暮の雲がひとり漂う。
【付記】出典は紀長谷雄の「山無隠士」。谷川に釣をしていた太公望呂向が朝廷に召されて山を出た後を詠む。
【関連歌】中1606、〔下2642〕
●和漢朗詠集・山家・五五四
遺愛寺鐘敧枕聴 香鑪峯雪撥簾看 白
【訓読】遺愛寺の鐘は枕を敧てて聴き 香鑪峰の雪は簾を撥げて看る
【通釈】遺愛寺の鐘は枕を斜めに持ち上げて聞き、香鑪峰の雪は簾をはねあげて眺める。
【付記】「敧枕」とは枕を斜めに立てて頭を高くすることか。「香鑪峰」(香爐峰)は廬山(江西省九江県)の北の峰で、峰から雲気が立ちのぼるさまが香炉に似ることからの名という。その北に「遺愛寺」があった。「撥簾」は「簾をはねあげて」の意。「撥」を「はねて」と訓む注釈書もある。また『和漢朗詠集』では「撥」を「巻」とする古写本がある。古人は「簾をまきて」と訓んでいたか。原詩は白氏文集巻十六(移動)。江州の司馬に左遷されていた元和十二年(八一七)、香鑪峰の麓に山荘を新築し、完成した時に東側の壁にこの詩を書き記したという。『枕草子』を始め多くの古典文学に言及されて名高い。和歌に多用された「簾まきあげ」「枕そばだて」といった表現も掲出句に由来する。
【関連歌】上0849、上1139
●和漢朗詠集・山家・五五五
蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草菴中 白
【訓読】蘭省の花の時の錦帳の下 廬山の雨の夜の草菴の中
【通釈】君たちは尚書省の花盛りの季節、美しい帳のもとで愉しく過ごし、私は廬山の雨降る夜、粗末な庵の中で侘しく過ごしている。
【語釈】◇蘭省 尚書省の異称。◇錦帳 錦織のとばり。◇廬山 江西省九江県。
【付記】出典は白氏文集巻十七の「廬山草堂、夜雨独宿…」(移動)。廬山の草堂に宿した一夜の感懐を、長安の旧友に寄せた詩である。
【関連歌】員外3121、員外3255
●和漢朗詠集・山家・五五九
山路日落 満耳者樵歌牧笛之声 澗戸鳥帰 遮眼者竹煙松霧之色 斉名
【訓読】山路に日落ちぬ 耳に満てるものは樵歌牧笛の声 澗戸に鳥帰る 眼に遮るものは竹煙松霧の色
【通釈】山道を行くうちに日が沈んだ。耳に満ちるのものは、木樵りの歌声と牧童の笛の音ばかり。谷間に鳥が帰ってゆく。目を遮るものは、夕霧にかすむ竹藪と松林の色ばかり。
【付記】「樵歌」は木樵りの歌、「牧笛」は牧童の笛。出典は紀斉名(九五七~一〇〇〇)が暮春三月の花見をした時の詩序で『本朝文粋』に見える。
【関連歌】上1437、員外3445
●和漢朗詠集・田家・五六六
守家一犬迎人吠 放野群牛引犢休 都
【訓読】家を守る一犬は人を迎へて吠ゆ 野に放てる群牛は犢を引いて休む
【通釈】家を守る一匹の犬が客人を迎えて吠える。野を見れば、放たれた牛の群が子牛を連れて憩うている。
【付記】作者は都良香。
【関連歌】上0765
●和漢朗詠集・田家・五六八
蕭索村風吹笛処 荒涼隣月擣衣程 相如
【訓読】蕭索たる村風は笛を吹く処 荒涼たる隣月は衣を擣つ程
【通釈】物寂しい村に風が吹くと、同時に笛の音が聞こえてくる。荒涼とした月が照らすと、時あたかも隣家から衣を擣つ砧の音が聞こえてくる。
【付記】作者は高岳相如。藤原公任の漢詩の師。原詩は散逸か。
【関連歌】上1050、中1546
●和漢朗詠集・山寺・五七九
更無俗物当人眼 但有泉声洗我心
【訓読】更に俗物の人の眼に当たれる無し 但だ泉の声の我が心を洗ふ有り
【通釈】俗人が目に触れることは全くなく、ただ泉の声がして私の心を洗う。
【付記】出典は白氏文集巻五十四「宿霊巌寺上院」(移動)。
【関連歌】員外3266
●和漢朗詠集・閑居・六一七
人間栄耀因縁浅 林下幽閑気味深 白
【訓読】人間の栄耀は因縁浅し 林下の幽閑は気味深し
【通釈】俗世間での栄華には縁が浅い。森の木の下での静かな暮らしは趣が深い。
【付記】出典は白氏文集巻 「老来生計」(移動)。
【関連歌】員外3256
●和漢朗詠集・眺望・六二六
見天台山之高巌 四十五尺波白 望長安城之遠樹 百千万茎薺青 順
【訓読】天台山の高巌を見れば 四十五尺の波白く 長安城の遠樹を望めば 百千万茎の薺青し
【通釈】天台山(比叡山)の高峰を仰げば、(如意嶽の岩が)四十五尺の瀑布の波のように白く霞んでいる。長安城(平安京)の樹々を遥かに望めば、百千万本の薺のように小さく青く見える。
【付記】「天台山」は比叡山。如意嶽の岩を丈高い瀑布の波になぞらえる。「長安城」は平安京。遥かに望む京の樹々を、千万の薺になぞらえる。出典は『本朝文粋』にも見える源順作の詩序。
【関連歌】中1677
●和漢朗詠集・丞相・六八〇
春過夏闌 袁司徒之家雪応路達 朝南暮北 鄭太尉之渓風被人知 菅三品
【訓読】春過ぎ夏闌けんたり 袁司徒が家の雪 路達しぬらむ 朝には南暮には北 鄭太尉が渓の風 人に知られたり
【通釈】春が過ぎ夏も闌けた。袁司徒の家は雪も融けて、今頃路が通じているだろう。朝には南風が吹き、夕には北風が吹くようになり、鄭太尉の舟を進める谷風は遍く人に知られるようになった。
【付記】作者は菅原文時。源雅信が右大臣を辞する表として書かれたもの。前句は後漢の司徒袁安が若き日大雪に降り籠められても泰然と家で寝ていたとの逸話を踏まえ、後句は後漢の太尉鄭弘が親のために薪取りをしていた頃仙人に願いを聞かれ、朝には南風、夕には北風が吹いて薪を載せた舟を進めてほしいと願うとその通りになったという逸話を踏まえる。いずれも官僚として活躍した人物が登用されるきっかけとなったエピソードである。
【参考】「今は昔、親に孝する者ありけり。朝夕に木をこりて親を養ふ。孝養の心空に知られぬ。梶もなき舟に乗りて、向ひの島に行くに、朝には南の風吹きて、北の島に吹きつけつ。夕にはまた、舟に木をこりて入れて居たれば、北の風吹きて家に吹きつけつ。かくのごとくするほどに、年ごろになりて、おほやけに聞し召して、大臣になして召し使はる。その名を鄭太尉とぞ言ひける」(宇治拾遺物語・鄭太尉の事)
【関連歌】上1483、中1963、員外3460(漢詩句)
●和漢朗詠集・妓女・七一五
和風先導薫煙出 珍重紅房透翠簾
【訓読】和風先づ導いて薫煙出づ 珍重たり紅房の翠簾に透けることを
【通釈】春の穏やかな風に導かれて、香を焚く煙が洩れ出る。その風のおかげで、素晴らしいことに、紅く粧った美女の私房が翠簾の向うに見える。
【付記】「紅房」は紅に粧った女人の私室。出典は菅原道真の『菅家文草』巻五「早春観賜宴宮人同賦催粧応製并序」。
【関連歌】下2054
●和漢朗詠集・遊女・七二〇
翠帳紅閨 万事礼法雖異 舟中浪上 一生之歓会是同 以言
【訓読】翠帳紅閨 万事の礼法異なりと雖も 舟の中浪の上 一生の歓会これ同じ
【通釈】翠の帳を垂れた紅の寝室とは万事作法が異なるけれども、舟の中、波の上で契りを交わすのも、一生の喜ばしい出逢いには違いない。
【付記】「翠帳紅閨」は貴婦人の寝室。出典は大江以言「見遊女」詩序(本朝文粋)。
【関連歌】員外2883
●和漢朗詠集・交友・七三四
琴詩酒友皆抛我 雪月花時最憶君 白
【訓読】琴詩酒の友皆我を抛つ 雪月花の時に最も君を憶ふ
【通釈】琴を弾き、詩を詠み、酒を交わした友は、皆私のもとを去り、雪・月・花の美しい折につけ、最も懐かしく思い出すのは君のことだ。 【付記】出典は白氏文集巻五十五「寄殷協律」(移動)。江南の杭州を去った白居易が、杭州時代の部下であった殷氏に寄せた詩。共に江南で過ごした日々を懐かしむ。宝暦元年(八二五)、五十四歳頃の作。この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着した。
【関連歌】員外3459
●和漢朗詠集・懐旧・七四三
往事渺茫都似夢 旧遊零落半帰泉 白
【訓読】往事渺茫として都て夢に似たり 旧遊零落して半ば泉に帰す
【通釈】昔のことは果てしなく遠くなり、すべては夢のようだ。昔の友達は落ちぶれて、半ばは黄泉に帰ってしまった。
【付記】「旧遊」は旧友。「泉」は黄泉。原詩(移動)は『白氏文集』巻十七、七言十七韻の長詩で、その第十三・十四句。
【関連歌】上0171、中1581、員外
●和漢朗詠集・慶賀・七七三
うれしさを昔は袖につつみけり今宵は身にもあまりぬるかな
【通釈】昔の人は嬉しさを袖に包んだのであった。今宵の嬉しさは、私の袖に余るばかりか、身にも余ってしまったことよ。
【参考】「うれしさを何につつまむ唐衣たもとゆたかに裁てといはましを」(古今集、読人不知)
【付記】「昔は…」とは古今集の歌を承けての謂。身に余るほどの慶びで、今は袖にも包みきれないと感激する心である。出典未詳。新勅撰集賀歌に「題しらず 読人不知」として入集。
【関連歌】員外3273
●和漢朗詠集・祝・七七五
長生殿裏春秋富 不老門前日月遅 保胤
【訓読】長生殿の裏には春秋富む 不老門の前には日月遅し
【通釈】長生殿の内、不老門の中では、月日の進みもゆっくりとしていて、君は年若く前途が豊かでいらっしゃる。
【付記】「長生殿」は唐代の宮殿の名。「春秋富」は年若く、前途が豊かである意。「不老門」は洛陽城の城門の一つ。我が国では平安京の豊楽院北面にあった門の名。めでたい名の宮殿・宮門に寄せ、天子の長寿を言祝いだ詩句である。作者は慶滋保胤(?~1002)。
【関連歌】上0600、中1794
●和漢朗詠集・恋・七八〇
行宮見月傷心色 夜雨聞猿断腸声
【訓読】行宮に月を見れば傷心の色 夜雨に猿を聞けば断腸の声
【通釈】仮宮にあって月の光を仰いでは心を傷め、夜の雨に猿の叫び声を聞いては断腸の思いがする。
【付記】出典は白氏文集巻十二「長恨歌」(移動)。蜀の成都へ逃げのびた玄宗一行のさまを描く場面。
【関連歌】員外3250、員外3251
●和漢朗詠集・恋・七八二
夕殿蛍飛思悄然 秋灯挑尽未能眠
【訓読】夕べの殿に蛍飛びて思ひ悄然たり 秋の灯挑げ尽くして未だ眠る能はず
【通釈】夕暮の御殿に蛍が舞い飛び、帝の思いは悄然とする。秋の燈火は尽きて、なお眠りにつくことができない。
【付記】出典は白氏文集巻十二「長恨歌」(移動)。楊貴妃死後、秋の長夜を明かす皇帝の孤独。
【関連歌】員外3249
藤原公任の『和漢朗詠集』の後を承けて、藤原基俊が撰した和漢詞華選。成立は保安三年(一一二二)から長承二年(一一三三)までの間かという(日本古典文学影印叢刊『新撰朗詠集』解説)。本文は新編国歌大観による。
●新撰朗詠集・春興・一五
秦城楼閣鶯花裏 漢主山河錦繡中 清明日 杜甫
【訓読】秦城の楼閣は鶯花の裏 漢主の山河は錦繍の中
【通釈】長安の高殿は、鶯の声と花の色に籠められているだろう。漢の皇帝が治めた山河は、錦織のような彩りのうちにあるだろう。
【付記】「秦城楼閣」は長安の重層建築。花や新緑が織り成す美しい色彩を錦織物に喩えた。原詩は杜甫の「清明」で、死の前年、大暦四年(七六九)、五十八歳の作。四月五日清明節の日、苫舟に寝泊まりしながら家族を連れ放浪するさまを詠んだ詩である。その第九・十句。
【関連歌】上0810
●新撰朗詠集・春夜・二四
春夜欲明 望牛漢之西転 夏日告朔 指象魏而北轅 古廟春正暮 以言
【訓読】春夜明けなんとし 牛漢の西に転ずるを望む 夏の日朔を告ぐ 象魏を指いて轅を北にす
【通釈】塞外の胡地で、花に向かって嘶きながら、馬が遥かに去って行く。巴山で、月に向かって歌いながら、人が遠く旅して行く。
【付記】三月尽日、吉祥院聖廟に陪従して「古廟春方暮」を賦した。「牛漢」は彦星、「象魏」は中国古代の宮城の二階造りの門。『本朝文粋』詩序三・聖廟に収録。
【関連歌】員外3043
●新撰朗詠集・月・二三二
従今便是家山月 試問清光知不知
【訓読】今従り便はち是れ家山の月 試みに問ふ清光は知るや知らずや
【通釈】これからはこれが我が家郷の山の月なのだ。試みに尋ねよう、清らかな月の光よ、そのことを御存知かどうか。
【付記】出典は白氏文集巻六十六「初入香山院対月」(移動)。
【関連歌】中1605、員外3253
●新撰朗詠集・紅葉・二八三
紅葉又紅葉 連峰之嵐浅深 蘆花又蘆花 斜岸之雪遠近 和歌序 道済
【訓読】紅葉又紅葉 連峰の嵐浅深 蘆花又蘆花 斜岸の雪遠近
【関連歌】員外2977
●新撰朗詠集・冬夜・三三六
爐火欲銷灯欲尽 夜長相対百憂生 冬至 白
【訓読】爐火銷えなむとし灯尽きなむとす 夜長うして相対へて百の憂生る
【付記】出典は白氏文集巻十三「冬夜示敏巣」(移動)。
【関連歌】員外3241
●新撰朗詠集・雪・三五四
胡塞嘶花遥去馬 巴山歌月遠行人 雪飛千里外 為時
【訓読】胡塞に花に嘶えて遥かに去る馬 巴山に月に歌ひて遠く行く人
【通釈】塞外の胡地で、花に向かって嘶きながら、馬が遥かに去って行く。巴山で、月に向かって歌いながら、人が遠く旅して行く。
【付記】長承二年(一一三三)の相撲立詩歌合、十番左にも見える。作者は紫式部の父藤原為時か。
【関連歌】上0412
●新撰朗詠集・行旅・六〇六
故郷有母秋風涙 旅舘無人暮雨魂
【訓読】故郷に母有り秋風の涙 旅館に人無し暮雨の魂
【通釈】故郷の島におります母を思えば、秋風に涙がこぼれます。異郷の宿には私の外誰もおらず、夕暮の雨に魂は細ります。
【付記】出典は『本朝麗藻』に見える源為憲の詩「代迂陵島人感皇恩詩」(移動)。我が国に漂着した迂陵島(鬱陵島)の人に代って作ったという詩である。両句は藤原定家仮託の歌論書『三五記』『愚見抄』や正徹の歌論書『正徹物語』などにも引かれている。定家は歌を案ずる時にこの詩句を吟ずることを人に勧めたという。
【関連歌】下2617
●新撰朗詠集・庚申・六一二
早臥無情看雪月 独眠不得守庚申 守庚申月雪 保胤
【訓読】早く臥しては雪月を看るに情なし 独り眠りては庚申を守ることを得ず。
【通釈】早く臥してしまっては、雪と月を見るのに情趣がない。独り眠ってしまっては、庚申待を守ることが出来ない。
【付記】庚申待を詠む。作者は慶滋保胤(?~10〇二)。
【関連歌】下2324
●新撰朗詠集・帝王・六一五
徳是北辰 椿葉之影再改 尊猶南面 松花之色十廻 聖化万年春 後江相公
【訓読】徳は是れ北辰 椿葉の影再び改まる 尊は猶ほ南面 松花の色十廻
【通釈】徳は群星の中心である北斗星のごとくであり、その栄えは椿の葉の影が再び改まる一万六千歳も続こう。尊さは南面して天子の地位がふさわしく、松の花が十度咲く一万年までも栄えよう。
【付記】椿が八千歳を重ね、千年に一度咲く松の花が十度繰り返されるほど長く栄えるであろうと、天子の御代を祝福する。「北辰」「南面」、いずれも天子の地位を象徴する語。作者は大江朝綱。
【関連歌】上0747、員外2916
●新撰朗詠集・遊女・六七二
家夾江河南北岸 心通上下往来船 遊女 以言
【訓読】家は江河の南北の岸を夾めり 心は上下往来の船に通ず
【通釈】遊女の家は難波堀江の南北の岸を挟んだ船上にあり、その心は川を上り下り往来する船との間を通っている。
【付記】出典は大江以言(955~1010)の詩「遊女」。
【関連歌】上0896
●新撰朗詠集・恋・七二九
春閨閟此青苔之色 秋帳含茲明月之光 夏簟清兮昼不暮 冬釭凝兮夜何長 別賦 江文通
【訓読】春の閨は此の青苔の色に閟ぢられ 秋の帳は茲の明月の光を含めり 夏の簟清しうして昼暮れず 冬の釭凝りて夜何ぞ長き
【付記】出典は中国六朝時代の文学者江淹(江文通)の「別賦」。春夏秋冬の閨怨の思いを叙す。
【関連歌】員外3127
公開日:2013年01月30日
最終更新日:2013年01月30日