大江千里 おおえのちさと  生没年未詳

備中守本主の孫(中古歌仙伝)。参議音人(おとんど)の子(少納言玉淵の子ともいう)。弟に千古がいる。
大学学生の後、元慶七年(883)備中大掾に任ぜられる。延喜元年(901)、中務少丞。同二年(902)、兵部少丞。同三年(903)、同大丞。学才の誉れ高かったが、官人としては生涯を通じて不遇であった。家集によれば、或る事件に連座して籠居を命ぜられる非運もあったらしい。
寛平期の代表的歌人の一人。寛平六年(894)、宇多天皇の勅により家集『句題和歌』(別称『大江千里集』)を献上した。これは『白氏文集』など漢詩の詩句を題とし、和歌に翻案した作を、漢詩集の部立に倣って編集したものである。是貞親王歌合・紀師匠曲水宴和歌・寛平御時后宮歌合などに出詠。古今集に十首採られたのを始め、勅撰入集歌は計二十五首。中古三十六歌仙の一人。

  3首  1首  4首  2首  2首 計12首

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

鶯の谷よりいづる声なくは春来ることを(たれ)か知らまし(古今14)

【通釈】鶯の谷から出て囀る、この声がなければ、春が来たことを誰が知ろうか。

【語釈】◇知らまし 「まし」は反実仮想の助動詞と呼ばれ、あり得ないことや事実に反することを想像する心をあらわす。この場合、実際には鶯の声を聞いたのであるが、もしこの声がなかったならと仮定し、他に春をどうして実感できただろうかと省みているのである。

【補記】鶯は冬の間谷に潜み、春の訪れと共に里に出て来ると考えられた。寛平五年(893)以前、宇多天皇の母班子女王主催の歌合に出された歌。

【主な派生歌】
おぼつかな谷より出づる鶯のそこにありとはきかするものを(源頼政)
うぐひすの谷より出づるはつ声にまづ春しるは深山べの里(藤原教長)
あし引の山のはかすむ明ぼのに谷よりいづる鳥の一こゑ(式子内親王)
あきらけき御代の春しる鶯も谷よりいづる声きこゆなり(宗良親王)
うらやまし谷よりいづる鶯よわが山里は春もしらぬに(後崇光院)

落尽閑花不見人といへる心を

跡たえてしづけき宿に咲く花の散りはつるまで見る人ぞなき(続千載176)

【通釈】人の訪れが絶えて閑寂とした宿に咲く花――散り尽くしてしまうまで、見てくれる人もいないよ。

文集、嘉陵春夜詩、不明不暗朧々月といへることを、よみ侍りける

照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜(づきよ)にしく物ぞなき(新古55)

【通釈】くっきりと輝くこともなく、かと言ってすっかり雲に覆われてしまうわけでもない春の夜の朧月夜――これに匹敵する月夜なぞありはしない。

【本説】「白氏文集・嘉陵夜有懐二首」
不明不暗朧朧月(明ならず暗ならず朧朧(ろうろう)たる月)

【補記】秋歌の「月見れば…」と共に千里の代表歌。源氏物語「花宴」に引用されたことから一層王朝人に愛誦された。

【他出】千里集(句題和歌)、古今和歌六帖、定家八代抄、六華集

【主な派生歌】
おほ空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春のよの月(*藤原定家[新古今])
さゆる夜はまだ冬ながら月かげの曇りもはてぬけしきなるかな(藤原定家)
志賀の浦のおぼろ月夜の名残とて曇りもはてぬ曙の空(後鳥羽院)
空も猶おぼろ月夜の比とてや曇りも果てぬ春雨ぞふる(藤原為家)
月影は曇りもはてぬうす雲のたえまがちにもふるあられかな(飛鳥井雅有)
むらさめは曇りもはてぬひとそそき晴れゆく空に鳴くほととぎす(進子内親王)
月ぞなほ曇りもはてぬ山の端はあるかなきかにかすむ夕べに(頓阿)
ながめやる遠の高ねの花の色にくもりも果てぬ夕月夜かな(慶運)
照りもせず曇りもはてぬ冬の日の空ゆく雲はうちしぐれつつ(宗良親王)
かすみつつ曇りもはてずながき日に朧月夜を待ちくらしぬる(飛鳥井雅親)
照りもせぬ春の月夜の山桜花のおぼろぞしく物もなき(本居宣長)
神な月しぐれの雲のはれもせず照らしも果てぬ谷の真葛葉(幽真)

余花葉裏稀

ちりまがふ花は木の葉にかくされてまれににほへる色ぞともしき(句題和歌)

【通釈】散り乱れる桜の花は木の葉に隠されて、ほんのわずか目に映える色に心惹かれることだ。

【補記】題詞を訓み下せば「余花、葉の裏に稀なり」(出典などは不明)。暦は夏になった後も咲き残っていた花が、木の葉隠れに散る(山桜は葉が出た後に散る)。

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

植ゑし時花まちどほにありし菊うつろふ秋にあはむとや見し(古今271)

【通釈】植えた時、いつになったら咲くかと待ち遠しく思った菊よ――あの時には、時がうつろい、花が色を変えてゆく秋に逢おうとまで思いはしなかったよ。

【補記】「うつろふ」には、「時間が経過する」「菊の花が変色する」の両意を掛ける。当時の人は白菊がしおれて赤っぽく変化する様をも賞美した。

【主な派生歌】
夕立の菊のしをれ葉はらふとて花まちどほに人やあざける(藤原定家)
今朝みれば垣ねの菊もうつろひぬ花まちどほにいつ思ひけん(土御門院小宰相)

是貞のみこの家の歌合によめる

月みれば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど(古今193)

【通釈】月を見ていると、あれやこれや、とめどなく物事が悲しく感じられることよ。これも秋だからだろうか。秋は誰にもやって来るもので、私一人にだけ訪れるわけではないのだけれど。――それでも自分一人ばかりが悲しいような気がしてならないのだ。

【語釈】◇是貞のみこの家の歌合 寛平五年(893)九月以前、光孝天皇の第二皇子、是貞親王が自邸で催した歌合。千里のほか、紀友則・貫之・壬生忠岑など当代の代表歌人が顔を揃えている。但し判定の記録などは残らず、紙上の撰歌合であったとの見方もされている。◇千々に 様々に。「ち」は数の多いこと。下句に「ひとつ」があることから、「千」と「一」が対比されているとも見られる。◇物こそ悲しけれ さまざまな物事が悲しく感じられる。形容詞「物悲し」(なんとなく悲しい意)の強調表現と見る説もある。「こそ」「悲しけれ」は係り結び。◇我が身ひとつの秋 私一人の秋。白氏文集の「燕子楼中霜月夜、秋来只為一人長」との関連を指摘する論者もいる(下記【参考】参照)。

【他出】是貞親王家歌合、古今和歌六帖、後六々撰、古来風躰抄、時代不同歌合、定家八代抄、近代秀歌、詠歌大概、定家十体(濃様)、別本八代集秀逸(後鳥羽院・家隆・定家撰)、百人一首

【参考】「白氏文集」巻十五(→資料編
燕子楼中霜月夜、秋来只為一人長(燕子楼中霜月ノ夜、秋来只一人ノ為ニ長シ)

【主な派生歌】
詠むればいとど物こそかなしけれ月は浮世のほかと聞きしに(俊恵)
秋の月ちぢに心をくだききてこよひ一よにたへずも有るかな(荒木田氏良[千載])
夕霧も心のそこにむせびつつわが身ひとつの秋ぞ更けゆく(式子内親王)
思ふこと枕もしらじ秋の夜の千々にくだくる月のさかりは(藤原定家)
いく秋を千々にくだけて過ぎぬらん我が身ひとつを月にうれへて()
秋をへて昔は遠き大空に我が身ひとつのもとの月影(〃)
千々におもふ心は月にふけにけり我が身ひとつの秋とながめて(藤原忠良)
ちぢにのみ思ふ思ひも心からわが身ひとつの秋の夜の月(飛鳥井雅経)
ながむれば千々に物思ふ月に又我が身ひとつの嶺の松風(鴨長明[新古今])
月かげをわが身ひとつとながむれば千々にくだくる萩のうへの露(後鳥羽院)
月みても千々にくだくる心かな我が身ひとつの昔ならねど(俊成女)
年を経て我が身ひとつと歎きても見れば忘るる秋の夜の月(藤原為家)
妻こふる我が身一つの秋とてや夜な夜な月に鹿の鳴くらむ(式乾門院御匣[新続古今])
いつまでか我が身ひとつの出がてに故郷かすむ月をみるべき(二条為藤[新千載])
我ひとり月に向かふと思ひけりこよひの月を誰か見ざらむ(香川景樹)

題しらず

露わけし袂ほす間もなきものをなど秋風のまだき吹くらむ(後撰222)

【通釈】あなたの家から露を分けて帰って来て、濡れた袂を乾す暇もないというのに、早くも秋風――飽き風が吹くのでしょうか。

【補記】「秋」に「飽き」を掛け、飽き方になった恋人への恨みを籠めた歌。『古今和歌六帖』にも千里の作として載る。

暮秋の心を

山さむし秋も暮れぬとつぐるかも槙の葉ごとにおける朝霜(風雅1586)

【通釈】山は寒々としている。秋も暮れたと告げ知らせるのか、槙の葉はどれも朝霜が置いている。

【補記】よく似た歌が『和漢朗詠集』『深窓秘抄』などに藤原八束作として見える。「山さびし秋もすぎぬとつぐるかも槙の葉ごとにおける朝じも」。千里の歌の誤伝か。しかしこの歌『千里集』には見えない。

題しらず

ねになきてひちにしかども春雨にぬれにし袖ととはばこたへむ(古今577)

【通釈】声あげて泣いて、びっしょり濡れたのだけれども、春雨に濡れたのだと、人に問われたら答えよう。

題しらず

今朝はしもおきけん方も知らざりつ思ひいづるぞ消えてかなしき(古今643)

【通釈】今朝という今朝は起き出てきた方向も分からなかったよ。日が出ずるように、ゆうべの思い出は思い出すのに、それがはかなく消えて行くのが悲しいのだ。

【語釈】◇今朝はしも シ・モはいずれも強調の助辞。◇おきけん方 起き出てきた方向。◇思ひいづる 「日いづる」をかける。◇消えてかなしき 昨夜の思い出がはかなく消えて行くのが悲しい。思ひのヒに火をかけ、火が消えてゆくように…の意をかける。

ものへまかり侍りけるに、母の例ならぬと聞きて、帰るとて

秋の日は山の端ちかし暮れぬ間に母に見えなむ歩めあが駒(句題和歌)

【通釈】秋の日は短いので、すぐ山の端に沈んでしまう。日が暮れてしまわないうちに母に会いたい。歩を進めよ、我が馬よ。

【補記】外出中、母が病気になったと聞いて、家へ帰る時に詠んだ歌。群書類従本の『句題和歌』に見える。

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十四
間遠くの雲居に見みゆる妹が家にいつか至らむ歩め吾が駒

寛平御時、歌たてまつりけるついでにたてまつりける

葦鶴(あしたづ)のひとりおくれて鳴く声は雲のうへまで聞こえつがなむ(古今998)

【通釈】葦辺に住む鶴が独り取り残されて鳴く声は、雲の上にまで届かせたいものです。そのように、一人だけ昇進から遅れて泣く私の歌は、大君のお耳にまで達してほしいものです。

【補記】家集を献上した際、自らの不遇を訴えた歌。但し『古今和歌六帖』には作者千古とする。


公開日:平成12年01月29日
最終更新日:平成18年10月03日