式乾門院御匣 しきけんもんいんのみくしげ 生没年未詳 別称:安嘉門院三条

太政大臣源通光の娘。母は未詳。六条内大臣有房・安嘉門院高倉・後深草院二条のおば。
はじめ式乾門院(後高倉院皇女、利子内親王)に仕える。建長三年(1251)、同院薨去の後、安嘉門院(後高倉院皇女、邦子内親王)に仕える。住吉社歌合・玉津島歌合などに見える「安嘉門院三条」と同一人と見られている。
弘長三年(1263)の住吉社歌合、同年の玉津島歌合、文永二年(1265)八月十五夜歌合、弘安元年(1278)の弘安百首などに出詠。続後撰集初出。勅撰入集は計五十二首。女房三十六歌仙。『新時代不同歌合』歌仙。

恋歌に

涙のみ言はぬを知ると思ひしにわきて宿かる袖の月かげ(続古今1136)

【通釈】口に出さない恋心を知るのは涙だけと思っていたが、わざわざ私の袖に宿を借りに来たよ、月の光が。おまえも私の思いを知っていたのか。

【参考歌】よみ人しらず「千載集」
涙をもしのぶる頃のわが袖にあやなく月のやどりぬるかな

【補記】「袖の涙に月が宿る」との趣向は新古今以降ありふれているが、恋の悲しみを知る月が心を慰めるため袖に宿ってくれたと見た。可憐な情趣。

題しらず

分けわびぬ袖の別れのしののめに涙おちそふ道芝の露(新後撰1031)

【通釈】草を分けつつ辿るのも苦労した。袖を引き離して恋人と別れた明け方、涙がこぼれ落ちて、路傍の雑草の露とまじりあう帰り道を…。

【補記】いわゆる後朝(きぬぎぬ)の歌。恋人の家を後にしてきた男の立場で詠んでいる。

恨恋のこころを

すぎにける昔も今のつらさにて憂き思ひ出でにぬるる袖かな(続古今1366)

【通釈】過ぎてしまった昔のことも、思い返せば只今の苦しみであって、辛い思い出に濡れる袖だことよ。

【補記】恋人の薄情な仕打ちを思い出すにつけ、涙に袖を濡らす。その苦しみは、過去のものではなく、今現在の苦悩にほかならないのだ、と言う。

題しらず

忘られぬ昔の秋を思ひ寝の夢をばのこせ庭の松風(新後撰1292)

【通釈】忘れることの出来ない昔の秋の思い出を、追想しつつ寝入って見る夢――せめてその夢は消さずに残しておくれ、庭の松を響かせて吹く風よ。

【補記】すべてを吹き払うように激しく吹きつける松風に対し、懐かしい思い出に浸る夢だけは消さないでくれ、と願う。

題しらず

身をさらぬおなじうき世と思はずは(いはほ)のなかもたづね見てまし(続後撰1187)

【通釈】どこへ行こうと我が身につきまとう憂き世だことよ。もしそう思わないなら、「世の憂きことの聞こえ来ぬ」と言う巌窟の中にでも住み処を探し求めてみようものを。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
いかならむ巌の中にすまばかは世の憂きことの聞こえこざらむ

【補記】文選の遊仙詩などを踏まえた趣向。

弘安百首歌に

山の端にまだ影とほき月見れば明くるも惜しき鐘の音かな(新続古今1972)

【通釈】山の稜線に沈むにはまだ遠い月の光を見れば、夜が明けてしまうのも惜しまれる暁鐘の音であるよ。

【補記】続拾遺集の撰定に際し、亀山院が召した百首歌、弘安百首。弘安元年(1278)の披講かという。


最終更新日:平成14年11月25日