美努王
みののおおきみ
- 生没年 ?〜708(和銅1)
- 系譜など 敏達天皇の孫または曾孫という栗隈王の子。県犬養三千代との間に葛城王(諸兄)・佐為王・牟漏女王をもうける。名は三野王・弥努王などにも作る。壬申紀に見える美濃王は別人であろう。
- 略伝 672(天武1)年、壬申の乱の際、父栗隈王・兄武家王と共に大宰府にいた。近江朝廷の使者は軍兵を徴発するため大宰府に至るが、栗隈王はこれを拒絶。この時兄とともに父の傍らに剣を持って控え、父の身を守った。681(天武10)年、川島皇子らと共に「帝紀及び上古の諸事」の記録・校定に従う。685(天武14)年、京・畿内の兵器を校閲する使者。694(持統8)年、大宰帥に任ぜられ筑紫に下向。こののち、妻三千代を藤原不比等に奪われる。701(大宝1)年、造大幣司の長官。この時正五位下。翌年左京大夫。705(慶雲2)年、摂津大夫。この時従四位下。708(和銅1)年3月、治部卿。同年5月、卒去。作者不明の挽歌が万葉に見える(13/3327)。
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