三原王
みはらのおおきみ
- 生没年 ?〜752(天平勝宝4)
- 系譜など 舎人親王の子。兄弟に大炊王・三使王・三島王・船王・池田王らがいる(『皇胤紹運録』)。子には山口王・長津王・和気王・細川王・小倉王・弓削女王などがいる。名は御原王にもつくる。
- 略伝 717(養老1)年1.4、無位より従四位下に初叙される。同年10.12、増封。729(天平1)年3.4、さらに従四位上に昇叙。737(天平9)年12.23、弾正尹。740(天平12)年9.11、藤原広嗣の乱勃発に際し、伊勢神宮に奉幣のため派遣される。この時治部卿。746(天平18)年1月、左大臣橘諸兄らと共に元正上皇の中宮西院に雪掃いに奉仕し、肆宴に参席。同年3月大蔵卿に転任し、4.22、17年ぶりに正四位下に昇叙される。以後は順調に昇進し、747(天平19)年1.20、正四位上。748(天平20)年2.19、従三位。同年4.21、元正上皇崩御の際は山作司の筆頭に名が見える。749(天平勝宝1)年8.10、新設の中宮省の長官(中宮卿)に任命される(注1)。同年9.6、三原王の女(むすめ)小宅女王(おやけのおおきみ)を斎宮となす記事が見える(『一代要記』)(注2)。同年11.26、正三位。752(天平勝宝4)年7.10、薨ず。時に中宮卿正三位。続紀宝亀二年七月乙未(11日)条には、故三原王の男子山口王ら二名を皇籍に復す旨の記事がある。764(天平宝字8)年、廃帝(大炊王)の縁者として三長真人賜姓の上、丹後国に配流されていたもの。
万葉には巻八秋雑歌所載の歌1首がある(08/1543。下記関連サイト参照)。排列から天平3〜8年頃の歌と見られる。
(注1)新日本古典大系本(岩波書店)による。中務卿としている書が多い。
(注2)『皇胤紹運録』にも三原王の女として小宅女王の名が見える。なお『斎宮記』には天平勝宝二年に「孝謙皇女」小家内親王(おやけのひめみこ)が斎宮となり七年在任したとある。
関連サイト:青葉山(福井県高浜町商工会)
三原王の歌(やまとうた)
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