三原王 みはらのおおきみ 生年未詳〜天平勝宝四(752) 略伝

舎人親王の子。兄弟に大炊王(淳仁天皇)・船王・池田王ほかがいる。名は御原王にもつくる。
養老元年(717)正月、無位より従四位下に初叙される。天平元年(729)三月、従四位上に昇叙。同九年十二月、弾正尹。同十二年九月、藤原広嗣の乱勃発に際し、伊勢神宮に奉幣のため派遣される。この時治部卿。同十八年正月、左大臣橘諸兄らと共に元正上皇の中宮西院に雪掃いに奉仕し、肆宴に参席。同年三月大蔵卿に転任し、四月、正四位下に昇叙される。以後は順調に昇進し、天平二十年(748)二月、従三位。天平勝宝元年(749)八月、新設の中宮省の長官(中宮卿)に任命される。同年十一月、正三位。同四年七月十日、薨ず。時に中宮卿正三位。
万葉集巻八に歌一首を載せる。

三原王の歌一首

秋の露はうつしなりけり水鳥の青葉の山の色づく見れば(万8-1543)

【通釈】秋の露は、色を移し染めるものなのだった。青葉の山が色づくのを見ると。

【語釈】◇うつし 花の汁などを染めつけた紙。これから絹などにうつし染めた。秋の露を、木の葉を紅に染める染料に見立てている。◇水鳥の 「青羽」を言うための枕詞的用法。

【補記】秋雑歌。排列からすると、天平三年〜八年頃の作と見られる。

【主な派生歌】
立ちよれば涼しかりけり水鳥の青葉の山の松の夕風(藤原光範[新古今集])


最終更新日:平成15年09月22日