訓読万葉集 巻18 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―



巻第十八(とをまりやまきにあたるまき)



天平(てむひやう)二十一年(はたとせまりひととせといふとし)*春三月(やよひ)二十三日(はつかまりみかのひ)左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の家の使者(つかひ)造酒司(さけのつかさ)令史(ふみひと)田邊史福麿(たのべのふみひとさきまろ)を、(かみ)大伴宿禰家持(たち)(あへ)す。爰に新歌(にひうた)()み、また古詠(ふるうた)(うた)ひて、(おのもおのも)心緒(おもひ)を述ぶ

4032 奈呉(なご)の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む

4033 波立てば奈呉の浦()に寄る貝の間無き恋にそ年は経にける

4034 奈呉の海に潮の早()ばあさりしに出でむと(たづ)は今そ鳴くなる

4035 霍公鳥(ほととぎす)いとふ時なしあやめ草かづらにせむ日こゆ鳴き渡れ

右の四首(ようた)は、田邊史福麿。


その時明日布勢(ふせ)の水海に遊覧(あそ)ばむと(ちぎ)りき。かれ(おもひ)を述べて(おのもおのも)()める歌

4036 いかにせる布勢の浦そもここだくに君が見せむと我を留むる

右の一首(ひとうた)は、田邊史福麿。

4037 乎布(をふ)の崎榜ぎ(たもとほ)りひねもすに見とも飽くべき浦にあらなくに 一ニ云ク、君が問はすも

右の一首は、守大伴宿禰家持。

4038 玉くしげいつしか明けむ布勢の海の浦を行きつつ玉藻(ひり)はむ

4039 音のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは(のぼ)らじ年は経ぬとも

4040 布勢の浦を行きてし見てば百敷(ももしき)の大宮人に語り継ぎてむ

4041 梅の花咲き散る園に我ゆかむ君が使を(かた)待ちがてら

4042 藤波の咲きゆく見れば霍公鳥(ほととぎす)鳴くべき時に近づきにけり

右の五首は、田邊史福麿。

4043 明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも 一ニ頭云ク、ほととぎす

右の一首は、大伴宿禰家持が(こた)ふ。
前の件の十首歌(とうた)は、二十四日(はつかまりよかのひ)の宴によめる。


二十五日(はつかまりいつかのひ)、布勢の水海に往く道中(みち)、馬にのりながら口号()める二首(うたふたつ)

4044 浜辺より我が打ち行かば海辺(うみへ)より迎へも来ぬか海人の釣船

4045 沖辺より満ち来る潮のいや益しに()()ふ君が御船かも彼

右の一首は、大伴宿禰家持。*


水海に至りて遊覧(あそ)ぶ時、(おのもおのも)(おもひ)を述べて作める歌六首*

4046 (かむ)さぶる垂姫(たるひめ)の崎榜ぎめぐり見れども飽かずいかに我せむ

右の一首は、田邊史福麿。

4047 垂姫の浦を榜ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ

右の一首は、遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)

4048 垂姫の浦を榜ぐ舟楫間(かぢま)にも奈良の我家(わぎへ)を忘れて思へや

右の一首は、大伴宿禰家持。*

4049 (おろ)かにそ我は思ひし乎布の浦の荒磯(ありそ)のめぐり見れど飽かずけり

右の一首は、田邊史福麿。

4050 めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山ほととぎす何か来鳴かぬ

右の一首は、(まつりごとひと)久米朝臣廣繩(ひろなは)

4051 多古(たこ)の崎木晩(このくれ)(しげ)に霍公鳥来鳴き(とよ)まば*はた恋ひめやも

右の一首は、大伴宿禰家持。
前の件の八首歌(やうた)*は、二十五日よめる。


掾久米朝臣廣繩が(たち)にて、田邊史福麿を(あへ)する宴の歌四首

4052 ほととぎす今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも(しるし)あらめやも

右の一首は、田邊史福麿。

4053 木晩(このくれ)になりぬるものを霍公鳥何か来鳴かぬ君に逢へる時

右の一首は、久米朝臣廣繩。

4054 霍公鳥こよ鳴き渡れ灯し火を月夜(つくよ)になそへその影も見む

4055 鹿蒜廻(かへるみ)の道ゆかむ日は五幡(いつはた)の坂に袖振れ我をし思はば

右の二首は、大伴宿禰家持。
前の件の四首歌(ようた)*は、二十六日よめる。


太上皇(おほきすめらみこと) 清足姫天皇なり 難波の宮に御在(いま)す時の歌七首
左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘宿禰の歌一首

4056 堀江には玉敷かましを大王(おほきみ)を御船漕がむとかねて知りせば


御製歌(みよみませるおほみうた)一首

4057 玉敷かず君が悔いて言ふ堀江には玉敷き満てて継ぎて通はむ 或ハ云ク、玉()き敷きて

右の件の二首歌(ふたうた)は、御船江より(のぼ)りて遊宴(うたげ)する日、左大臣の(まを)す歌、また御製(おほみうた)

御製歌一首

4058 橘の殿の橘*()つ代にも(あれ)は忘れじこの橘を


河内女王の歌一首

4059 橘の下()る庭に殿建てて酒漬(さかみづ)きいます我が大王かも


粟田女王の歌一首

4060 月待ちて家には行かむ我が插せるあから橘影に見えつつ

右の件の三首歌は、左大臣橘の(まへつきみ)(いへ)(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす御歌(おほみうた)、また奏す歌。

4061 堀江より水脈(みを)引きしつつ御船さす賤男(しづを)の伴は川の瀬申せ

4062 夏の夜は道たづたづし船に乗り川の瀬ごとに棹さし上れ

右の件の二首歌は、御船綱手を(ひき)て江より(のぼ)遊宴(うたげ)せる日作めり。伝へ()む人は、田邊史福麿なり。


後に追ひて(なぞら)ふる橘の歌二首

4063 常世物この橘のいや照りにわご大王(おほきみ)は今も見るごと

4064 大王(おほきみ)は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして

右の二首は、大伴宿禰家持がよめる。


射水郡(いみづのこほり)駅館(うまや)屋柱(はしら)()き著くる歌一首

4065 朝開き入江榜ぐなる楫の音のつばらつばらに我家(わぎへ)し思ほゆ

右の一首は、山上臣がよめる。名はしらず。或ひと云く、憶良の大夫(まへつきみ)(むすこ)といへり。但其の正名()さだかならず。


庭中(には)牛麦(なでしこ)の花を詠める歌一首

4070 ひともとの撫子植ゑしその心(たれ)に見せむと思ひ()めけむ

右、先の国師の従僧(ずそう)清見、京師(みやこ)(まゐのぼ)らむとす。(かれ)飲饌(あるじ)()けて饗宴(うたげ)す。時に主人(あろじ)大伴宿禰家持、此の歌詞(うた)を作みて、酒を清見に送れりき。


また()める歌二首*

4071 しなざかる越の君のと*かくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ

右、郡司(こほりのつかさ)より(しも)、子弟より(かみ)、諸人此の(つどひ)にあり。(かれ)守大伴宿禰家持、此の歌を作める。

4072 ぬば玉の夜渡る月を幾夜()()みつつ妹は我待つらむそ

右、此の夕、月の光遅く流れて、和やかなる風稍たちぬ。即ち目に()るるに因りて、聊か此の歌を作めり。


越前国(こしのみちのくちのくに)の掾大伴宿禰池主来贈(おく)れる歌三首

今月十四日を以ちて、深見の村に到来(いた)り、彼の北方を望拝す。常に芳徳を思ふこと、何れの日か能く()まむ。(また)隣近に(より)て、忽ちに恋緒を増す。加以(しかのみにあらず)、先の書に云はく、「暮春惜しむべし、膝を(ちかづ)くることいつとかせむ」と。生別の悲しみ、それ復た何をか言はむ。紙に(むか)ひて悽断す。奏状不備。

一 古人(いにしへひと)の云へらく

4073 月見れば同じ国なり山こそは君があたりを隔てたりけれ

一 物に()きて思ひを()

4074 桜花今そ盛りと人は言へど(あれ)(さぶ)しも君としあらねば

一 所心歌(おもひをのぶるうた)

4075 相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで

三月(やよひ)十五日(とをかまりいつかのひ)、大伴宿禰池主。


越中国の守大伴宿禰家持*報贈(こた)ふる歌四首
一 古人の(うた)に答ふ

4076 あしひきの山は無くもが月見れば同じき里を心隔てつ

一 物に属きて思ひを発ぶに答へ*(また)遷し()さして旧りにし宅の西北(にしきた)の隅の桜の樹を詠める

4077 我が背子が古き垣内(かきつ)の桜花いまだ(ふふ)めり一目見に来ね

一 所心(おもひをのぶ)に答ふ。即ち古人之跡(ふること)を今日の(こころ)に代へたり

4078 恋ふと言ふはえも名付けたり言ふすべのたづきも無きは()が身なりけり

一 また物に属きてよめる*

4079 三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ

三月の十六日、大伴宿禰家持。*


*四月(うつき)一日(つきたちのひ)、掾久米朝臣廣繩が館にて宴せる歌四首

4066 卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも

右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。

4067 二上(ふたがみ)の山にこもれる霍公鳥今も鳴かぬか君に聞かせむ

右の一首は、遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)がよめる。

4068 居り明かし今宵は飲まむ霍公鳥明けむ(あした)は鳴き渡らむそ

二日ハ立夏ノ節ニ(アタ)ル。(カレ)明旦ハ喧カムト謂ヘリ。

右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。

4069 明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜の(から)に恋ひ渡るかも

右の一首は、羽咋郡(はくひのこほり)擬主帳(ふみひと)能登臣乙美がよめる。


(をば)大伴氏坂上郎女が、越中守大伴宿禰家持に来贈(おく)れる歌二首

4080 常人の恋ふといふよりは余りにて我は死ぬべく成りにたらずや

4081 片思ひを馬に太馬(ふつま)に負ほせ持て越辺に遣らば人(かた)はむかも


越中守大伴宿禰家持が報ふる歌二首*

4082 天ざかる夷の(やつこ)天人(あめひと)かく恋せれば*生ける験あり

4083 常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来ば担ひ()へむかも


(こと)(おもひ)をのぶ一首(ひとうた)

4084 (あかとき)に名のり鳴くなる霍公鳥いやめづらしく思ほゆるかも

右、四日(よかのひ)、使に附けて京師(みやこ)贈上(おく)る。


天平感宝(てむひやうかむはう)元年(はじめのとし)五月(さつき)五日(いつかのひ)東大寺(ひむかしのおほてら)占墾地使(はりところをしむるつかひ)(ほうし)平榮等を(あへ)する時、守大伴宿禰家持が、酒を僧に送れる歌一首

4085 焼大刀(やきたち)礪波(となみ)の関に明日よりは守部(もりべ)遣り添へ君をとどめむ


(おや)じ月の九日(ここのかのひ)諸僚(つかさづかさ)少目(すなきふみひと)秦伊美吉石竹(はたのいみきいはたけ)の館に(つど)ひて飲宴(うたげ)す。その時主人(あろじ)、百合の花縵(はなかづら)三枚(みつ)を造りて、豆器(あぶらつき)に畳ね置き、賓客(まらひと)捧贈(ささ)ぐ。(おのもおのも)()の縵をよめる歌三首

4086 燈火(あぶらひ)の光に見ゆる我が縵早百合の花の笑まはしきかも

右の一首は、守大伴宿禰家持。

4087 灯し火の光に見ゆる早百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき

右の一首は、(すけ)内藏伊美吉繩麿(うちのくらのいみきなはまろ)

4088 早百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかも(うる)はしみすれ

右の一首は、大伴家持


短歌(みじかうた) [ママ]
独り幄(あげはり)(うち)に居て、霍公鳥の()を聞きてよめる歌一首、また短歌(みじかうた)

4089 高御座(たかみくら) (あま)日継(ひつぎ)と すめろきの 神の(みこと)
   聞こし()す 国のまほらに 山をしも さはに多みと
   百鳥(ももとり)の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも
   いづれをか ()きて偲はむ 卯の花の 咲く月立てば
   めづらしく 鳴く霍公鳥(ほととぎす) あやめぐさ 玉貫くまでに
   昼暮らし ()わたし聞けど 聞くごとに 心うごきて*
   打ち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし

反し歌

4090 行方なくありわたるとも霍公鳥(ほととぎす)鳴きし渡らばかくや偲はむ

4091 卯の花の咲くにし鳴けば*霍公鳥いやめづらしも名のり鳴くなべ

4092 霍公鳥いと(ねた)けくは橘の花散る時に来鳴き(とよ)むる

右の四首は、十日、大伴宿禰家持がよめる。


英遠浦(あをのうら)に行くとき、よめる歌一首

4093 阿尾の浦に寄する白波いや益しに立ちしき寄せ()東風(あゆ)をいたみかも

右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。


陸奥国(みちのくのくに)より(くがね)を出だせる詔書(みことのり)(ことほ)く歌一首、また短歌

4094 葦原の 瑞穂(みづほ)の国を 天下(あまくだ)り 知らしめしける
   すめろきの 神の(みこと)の 御代(みよ)重ね (あま)日継(ひつぎ)
   知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方(よも)の国には
   山河を 広み厚みと たてまつる 御調(みつき)宝は
   数へ得ず 尽くしもかねつ 然れども 我が大王(おほきみ)
   諸人(もろひと)を (いざな)ひ賜ひ 善きことを 始め賜ひて
   (くがね)かも たのしけくあらむ* と思ほして 下悩ますに
   (とり)が鳴く (あづま)の国の 陸奥(みちのく)の 小田なる山に
   金ありと (まう)し賜へれ 御心を 明らめ賜ひ
   天地の 神相うづなひ 皇御祖(すめろき)の 御霊(みたま)助けて
   遠き代に かかりしことを ()が御代に 顕はしてあれば
   ()す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして
   もののふの 八十(やそ)伴の()を まつろへの むけのまにまに
   老人(おいひと)も 女童児(めのわらはこ)も しが願ふ 心()らひに
   撫で賜ひ (をさ)め賜へば ここをしも あやに(たふと)
   嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖(かむおや)
   その名をば 大来目主(おほくめぬし)と 負ひ持ちて 仕へし(つかさ)
   海行かば 水漬(みづ)(かばね) 山行かば 草()す屍
   大王の ()にこそ死なめ かへり見は せじと異立(ことだ)
   大夫(ますらを)の 清きその名を (いにしへ)よ 今の(をつつ)
   流さへる (おや)の子どもそ 大伴と 佐伯の氏は
   人の(おや)の 立つる異立て 人の子は 祖の名絶たず
   大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の(つかさ)
   梓弓 手に取り持ちて 剣大刀(つるぎたち) 腰に取り佩き
   朝守り 夕の守りに 大王(おほきみ)の 御門の守り
   我をおきて また人はあらじ といや()て 思ひし増さる
   大王の 御言の(さき)* 聞けば貴み*

反し歌三首

4095 大夫の心思ほゆ大王の御言の(さき)*聞けば貴み

4096 大伴の遠つ神祖(かむおや)の奥つ()(しる)(しめ)立て人の知るべく

4097 すめろきの御代栄えむと(あづま)なる陸奥山に(くがね)花咲く

天平感宝元年五月の十二日、越中国の守の館にて、大伴宿禰家持がよめる。


芳野の離宮(とつみや)幸行(いでま)さむ時の為、(あらかじ)めよめる歌一首、また短歌

4098 高御座 天の日継と 天の下 知らしめしける
   すめろきの 神の命の 畏くも 始め賜ひて
   貴くも 定め賜へる み吉野の この大宮に
   あり通ひ ()したまふらし もののふの 八十伴の男も
   おのが負へる おのが名名負ひ* 大王の (まけ)のまにまに
   この川の 絶ゆることなく この山の いや継ぎ継ぎに
   かくしこそ 仕へまつらめ いや遠長に

反し歌

4099 古を思ほすらしも我ご大王吉野の宮をあり通ひ()

4100 もののふの八十氏人も吉野川絶ゆることなく仕へつつ見む


(みやこ)の家に贈らむが為、真珠(しらたま)(ほり)する歌一首、また短歌

4101 珠洲(すす)海人(あま)の 沖つ御神に い渡りて (かづ)き取るといふ
   (あはび)玉 五百箇(いほち)もがも ()しきよし 妻の命の
   衣手の 別れし時よ ぬば玉の 夜床(よどこ)片さり
   朝寝髪 掻きも梳らず 出でて来し 月日()みつつ
   嘆くらむ 心なぐさに 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴く五月の
   あやめ草 花橘に ()き交へ (かづら)にせよと
   包みて遣らむ

反し歌四首*

4102 白玉を包みて遣らな*あやめ草花橘にあへも貫くがね

4103 沖つ島い行き渡りて潜くちふ鰒玉もが包みて遣らむ

4104 我妹子が心なぐさに遣らむため沖つ島なる白玉もがも

4105 白玉の五百(いほ)つ集ひを手にむすび(おこ)せむ海人は(むが)しくもあるか*

右、五月の十四日、大伴宿禰家持が(こと)()けてよめる。


史生(ふみひと)尾張少咋(をはりのをくひ)教喩(さと)す歌一首、また短歌

七出の(さだめ)に云はく、
但一条を犯せらば、即ち()るべし。七出無くて(すなは)()らば、(みつかふつみ)一年半(ひととせまりむつき)
三不去の(さだめ)に云はく、
七出を犯すとも、()るべからず。違へらば、杖一百。唯奸悪疾を犯せれば()れ。
両妻の例に云はく、
妻有りて更に娶らば徒一年。女家は杖一百にして(はな)て。
詔書に云はく、
義夫節婦を愍み賜ふ。
(かみ)の件の数条(をどをぢ)を謹み(かむが)ふるに、建法(のり)の基、化道(みち)(はじめ)なり。然れば則ち義夫の道、情存して別無く、一家財を同じくす。豈旧きを忘れ新しきを(うつく)しむる志あるべしや。所以(かれ)数行の歌を綴作()み、旧きを()る惑を悔いしむ。その詞に曰く、

4106 大汝(おほなむぢ) 少彦名(すくなひこな)の 神代より 言ひ継ぎけらく
   父母を 見れば貴く 妻子(めこ)見れば (かな)しくめぐし
   うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを
   世の人の 立つる異立て ちさの花 咲ける盛りに
   ()しきよし その妻の子と 朝宵に 笑みみ笑まずも
   打ち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや
   天地の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと
   待たしけむ 時の盛りを* (さか)り居て* 嘆かす妹が
   いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心(さぶ)しく
   南風(みなみ)吹き 雪()(はふ)りて 射水川(いみづがは) 浮ぶ水沫(みなわ)*
   寄る辺無み 左夫流(さぶる)その子に 紐の緒の いつがり合ひて
   にほ鳥の 二人並び居 奈呉の海の (おき)を深めて
   (さど)はせる 君が心の すべもすべなさ 佐夫流ト言フハ、遊行女婦ガ(アザナ)ナリ

反し歌三首

4107 青丹よし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか

4108 里人の見る目恥づかし左夫流子に(さど)はす君が宮出(みやで)後風(しりぶり)

4109 紅はうつろふものそ(つるはみ)のなれにし衣になほしかめやも

右、五月の十五日、守大伴宿禰家持がよめる。


(もと)()()の君の()す使を待たず、自ら来たる時よめる歌一首

4110 左夫流子がいつぎし殿に鈴懸けぬ駅馬(はゆま)下れり里もとどろに

同じ月の十七日、大伴宿禰家持がよめる。


橘の歌一首、また短歌

4111 かけまくも あやに畏し 皇祖神(すめろき)の 神の大御代に
   田道間守(たぢまもり) 常世に渡り 八矛(やほこ)持ち 参ゐ出()しとふ*
   時じくの 香久(かく)()の実を 畏くも 残し賜へれ
   国も()に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝(ひこえ)萌いつつ
   霍公鳥(ほととぎす) 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて
   をとめらに (つと)にも遣りみ 白妙の 袖にも扱入(こき)
   香ぐはしみ 置きて枯らしみ ()ゆる実は 玉に貫きつつ
   手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り
   あしひきの 山の木末(こぬれ)は 紅に にほひ散れども
   橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく
   み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず
   常磐なす いや(さかは)えに しかれこそ 神の御代より
   よろしなべ この橘を 時じくの 香久の木の実と 名付けけらしも

反し歌一首

4112 橘は花にも実にも見つれどもいや時じくに猶し見が欲し

閏五月(のちのさつき)二十三日(はつかまりみかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。


庭中(には)の花を()てよめる歌一首、また短歌*

4113 おほきみの 遠の朝廷(みかど)と ()きたまふ (つかさ)のまにま
   み雪降る 越に下り来 あら玉の 年の五年(いつとせ)
   敷妙の 手枕まかず 紐解かず 丸寝(まろね)をすれば
   いふせみと 心なぐさに 撫子を 屋戸に蒔き生ほし
   夏の野の 早百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに
   撫子が その花妻に 早百合花 ゆりも逢はむと
   慰むる 心し無くば 天ざかる 夷に一日も あるべくもあれや

反し歌二首

4114 撫子が花見る毎にをとめらが笑まひのにほひ思ほゆるかも

4115 早百合花ゆりも逢はむと下()ふる心し無くば今日も経めやも

同じ〔閏五〕月の二十六日、大伴宿禰家持がよめる。


国の掾久米朝臣廣繩、天平二十年(はたとせといふとし)に、朝集使(まゐうごなはるつかひ)に附きて(みやこ)(のぼ)り、その事(をは)りて、天平感宝元年閏五月(のちのさつき)二十七日(はつかまりなぬかのひ)、本の(つかさ)還到(かへ)る。(かれ)長官(かみ)(たち)詩酒宴(うたげ)楽飲(あそ)べり。その時主人(あろじ)守大伴宿禰家持がよめる歌一首、また短歌

4116 おほきみの ()きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の
   年の内の 事(かた)ね持ち 玉ほこの 道に出で立ち
   岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が()
   あら玉の 年ゆき(がへ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ
   恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥(ほととぎす) 来鳴く五月の
   あやめ草 蓬かづらき 酒漬(さかみづ)き 遊びなぐれど
   射水川 雪消(ゆきけ)(はふ)りて 行く水の いや益しにのみ
   (たづ)が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ほれ
   嘆きつつ ()が待つ君が 事終り 帰り罷りて
   夏の野の 早百合の花の 花笑みに にふぶに笑みて
   逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず

反し歌二首

4117 去年(こぞ)の秋相見しまにま今日見れば面やめづらし都方人(みやこかたひと)

4118 かくしても相見るものを少なくも年月経れば恋ひしけめやも*


霍公鳥の()を聞きてよめる歌一首

4119 古よ偲ひにければ霍公鳥(ほととぎす)鳴く声聞きて恋しきものを


(みやこ)(まゐ)でむ時、貴人(うまひと)を見、美人(をとめ)に逢ひて飲宴(うたげ)せむ日、(おもひ)を述べむ為、(あらかじ)めよめる歌二首

4120 見まく欲り思ひしなべに(かづら)掛け香ぐはし君を相見つるかも

4121 朝参(まゐり)の君が姿を見ず久に(ひな)にし住めば(あれ)恋ひにけり 一ニ云ク、()しきよし妹が姿を

同じ〔閏五〕月の二十八日(はつかまりやかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。


天平感宝元年閏五月の六日(むかのひ)より小旱(ひでり)して、百姓(おほみたから)のうゑし田畝()(やや)凋める色あり。六月(みなつき)朔日(つきたちのひ)に至りて、忽ちに雨雲之気(あまけのくも)を見、仍て作める歌一首 短歌一絶

4122 すめろきの 敷きます国の 天の下 四方の道には
   馬の爪 い尽くす極み (ふな)()の い()つるまでに
   古よ 今の(をつつ)に 万調(よろづつき) 奉る長上(つかさ)
   作りたる その農業(なりはひ)を 雨降らず 日の重なれば
   植ゑし田も 蒔きし畑も 朝ごとに (しほ)み枯れゆく
   そを見れば 心を痛み 緑子の ()乞ふがごとく
   天つ水 (あふ)ぎてそ待つ あしひきの 山のたをりに
   この見ゆる 天の白雲 海神(わたつみ)の 奥津宮(おきつみや)辺に
   立ちわたり との曇りあひて 雨も賜はね

反し歌一首

4123 この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心足らひに

右の二首は、六月の一日の晩頭(ゆふぐれ)、守大伴宿禰家持がよめる。


雨落(あめ)(よろこ)ぶ歌一首

4124 我が欲りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙げせずとも年は栄えむ

右の一首は、同じ月の四日(よかのひ)、大伴宿禰家持がよめる。


七夕(なぬかのよ)の歌一首、また短歌

4125 天照(あまで)らす 神の御代より 安の(がは) 中に隔てて
   向ひ立ち 袖振り交はし 息の緒に 嘆かす子ら
   渡り守 舟も(まう)けず 橋だにも 渡してあらば
   その()ゆも い行き渡らし 携はり (うな)がけり居て
   思ほしき ことも語らひ 慰むる 心はあらむを
   何しかも 秋にしあらねば 言問ひの 乏しき子ら
   うつせみの 世の人我も ここをしも あやに(くす)しみ
   往き(かは)る 年のはごとに 天の原 振り()け見つつ
   言ひ継ぎにすれ

反し歌二首

4126 天の川橋渡せらばその()ゆもい渡らさむを秋にあらずとも

4127 安の川い向ひ立ちて*年の恋()長き子らが妻問の夜そ

右、七月(ふみづき)七日(なぬかのひ)天漢(あまのがは)仰見()て、大伴宿禰家持がよめる。


越前国(こしのみちのくちのくに)(まつりごとひと)大伴宿禰池主が来贈(おく)れる戯歌(たはれうた)四首

忽ちに恩賜を(かたじけな)くす。驚き欣ぶこと(すで)に深し。心の中に(ゑみ)を含み、独り座りて稍開けば、表裏同じからず。相違何ぞ異れる。所由(そのゆゑ)を推し量るに、率爾に策を()す歟。明かに言の如きことを知りぬ。豈に他の意有らめや。凡そ本物を貿易(まうやく)する、其の罪(かろ)からず。正贓倍贓、(すみや)けく并満すべし。今風雲に勒して、徴使を発遣(おく)る。早速返報したまへ。延回したまふべからず。
 勝宝元年十一月十二日。物貿易せらる下吏、謹みて
 貿易の人断る庁官司の 庁の下に訴ふ。
別に(まを)す、可怜(うつくしみ)の意、黙止(もだ)()ず。聊か四詠(ようた)()みて、唯睡覚に擬す。

4128 草枕旅の翁と思ほして針そ賜へる縫はむ物もが

4129 針袋取り上げ前に置き返さへばおのともおのや裏も継ぎたり

4130 針袋帯び続けながら里ごとに照らさひ歩けど人もとがめず

4131 (とり)が鳴く(あづま)をさして(ふさ)へしに行かむと思へどよしもさねなし

右の歌の返報歌(こたへうた)は、脱漏()れて探求(もと)め得ず。


更に来贈(おく)れる歌二首

駅使(はゆまつかひ)を迎ふる事に依りて、今月十五日、部下(くぬち)加賀の郡の境に到来(いた)る。面蔭射水の郷に見はれ、恋緒深海(ふかみ)の村に結ふ。身胡馬にあらねど、心北風を悲しめり。月に乗りて徘徊(たもとほ)り、曽て為す所無く、稍来封を開く。その辞に云く、「著者先に奉る書、返りて疑ひに度れることを畏る歟」とのりたまへり。(われ)嘱羅を作し、且使君を悩ます。夫れ水を乞ひて酒を得、従来能き口なり。論じて時理に合へり。何か強吏と(しる)さめや。尋ねて針袋の詠を誦むに、詞泉酌めども()きず。膝を(むだ)き独り(わら)ふ。能く旅愁をのぞき、陶然として日を遣る。何か(はか)らむ、何か思はむ。短筆不宣。
 勝宝元年十二月十五日。物を(はた)りし下司(かし)、謹みて
伏せぬ使君 記室に(たてまつ)る。
 (こと)に奉る云々歌二首

4132 (たた)さにもかにも横さも奴とそ(あれ)はありける主の殿戸(とのど)

4133 針袋これは(たば)りぬすり袋今は得てしか(おきな)さびせむ


宴席(うたげのとき)、雪、月、梅の花を詠める歌一首

4134 雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむ()しき子もがも

右の一首は、十二月(しはす)、大伴宿禰家持がよめる。

4135 我が背子が琴取るなべに常人の言ふ嘆きしもいやしき増すも

右の一首は、少目(すなきふみひと)秦伊美吉石竹が館の宴に、守大伴宿禰家持がよめる。


天平勝宝二年正月(むつき)の二日、国庁(くにのまつりごとどの)にて(もろもろ)郡司(こほりのつかさ)等を給饗(あろじ)せる宴歌(うた)一首

4136 あしひきの山の木末のほよ取りて挿頭(かざ)しつらくは千年寿()くとそ

右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。


判官(まつりごとひと)久米朝臣廣繩が館の宴の歌一首

4137 正月(むつき)立つ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめやも

同じ月の五日(いつかのひ)、守大伴宿禰家持がよめる。


墾田(はりた)(ところ)検察(みさだ)むる事に縁りて、礪波の郡の主帳(ふみひと)多治比部北里(たぢひべのきたさと)が家に宿れる時、忽ちに風雨(かぜあめ)起こり、え辞去(かへ)らずてよめる歌一首

4138 荊波(やぶなみ)の里に宿借り春雨に籠りつつむと妹に告げつや

二月(きさらぎ)十八日(とをかまりやかのひ)、守大伴宿禰家持がよめる。



更新日:平成12-08-15
最終更新日:平成20-01-21
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