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The Christmas Song



この季節になると、1度は耳にするこのフレーズ。
まだ家族がばらばらでなかった頃、父が必ず弾いたメル・トーメのクリスマスソング。
今年は君の隣でこの曲を聞きたい。









卒業してから自然と会う回数は減り、今では大学も3年になった君との時間は月に1度何とか確保するのさえ難しくなってしまった。別にお互い嫌いになった訳ではない、むしろ彼女と堂々と過ごせるようになり嬉しい限りだった。それなのに、大学生と社会人ではやはり世界が違うのか、互いの学業や仕事、もしくは各種の付き合いに忙殺され、昔のようにいつも好きな時に好きなだけ顔を見ることが少なくなった。そのせいか、逆に携帯のメールやパソコンのメールで連絡を取り合い、互いの気持ちをなんとか確かめる日々だ。


特に12月は師走と言うだけあって、余計に時間が取れない。


向こうも冬休み前の課題があったり、サークル活動があったり、もちろん学生同士の付き合いもある。彼女は院への進学を目指しているため就職活動はないが、それでも進学に向けて本格的に動き出す時期になった。こちらも期末試験が終われば急いで採点し、通知表の評価をし、今年は3年生を受け持っているから年明けから本格化する受験にも対応しなくてはいけない。桃花はそんな事情をわかっているから、不必要に我侭を言ったりしない。

しかし、メールでのやりとりだけではやはり淋しいものがある。彼女はメールの文章では精一杯抑えた調子の文章を送ってくるが、内心はどう思っているのやら。この前直接会えたのは一体いつのことだったか、そうだ、あれは11月6日、俺の誕生日だった。3ヶ月ぶりにやっと会えたというのに午後から夜の9時くらいまでしか一緒にいられなかった。泊まっていくかと尋ねたが、彼女は静かに拒絶した。「明日も零一さんは早いでしょ」、と言って笑いながら。確かに翌日は休みでもなんでもなく、彼女を泊めたとしてもゆっくりはできなかっただろう。それでも、もう少し一緒に過ごしたかった。





「零一だ」
「なんか、すごく久しぶりな気がするんですけど」
「そうだな、このところメール専門だったからな。今大丈夫か?」
「はい」
「クリスマス当日なのだが……君の時間は空いているだろうか?」
「もちろんです」
「そうか。では、一緒に過ごせないか」
「はい」

君が学生の頃は毎年学園のパーティで顔を合わせていた。イブは学園のパーティがあるからその日には会えない。その代わりと言ってはなんだが、25日は彼女のために取ってある。ちょうど冬休みの初日で、吹奏楽部の練習も休みになるし、今年は補習もない。学生は休みだが社会人である俺は、学園に出勤はしなくてはいけない。教師は学生が休みになっても同じように休みがあるわけではなく、世間的に御用納めになる28日までは仕事がある。


彼女の要望を聞いてみたが、大人っぽいことを事の外望んでいるのがよくわかっただけだった。ずいぶん年下であることに今だにコンプレックスを感じているのか、時々子供扱いは止めてくれと言われるが、少々心外だ。俺はいつも君を対等な相手として接してきたつもりだった。だがどうしても元教師と元教え子ではそういう感情から逃れられないのかもしれない。





「零一さん」
「何だ?」
「どこへ行くんですか?タクシーなんて乗って」
「二人でうまいワインと料理を楽しみたいと思ってな。飲酒運転をしてはいけないだろう」
「そうですか、じゃあ、わたしも飲んでいいの?」
「もちろん。君ももう大人なのだから」
「嬉しい」

タクシーの中で嬉しいと頬を染める君は、まるでまだ10代の少女のようだ。だが、身に着けているものは先週一緒に選んだドレスにハイヒール、そして昨年君にプレゼントしたダイヤのペンダント。その時も俺が選ぶものが子供っぽいと言って、比較的胸の開いたドレスをこれ見よがしに選び、転ぶかもしれないからと注意したのに7センチもあるハイヒールを選んだ君。
無理に背伸びなどしなくても構わないのに、君はいつも早く大人になろうとする。

君の年齢や立場などどうでもいい。そこまで言うと言いすぎかもしれないが、君は君だ。そのままでいい。大人になんてその内勝手になれるものだ。




家族がまだばらばらでなかった頃、初めて両親に連れていってもらった隠れ家のようなレストランを予約した。名を名乗ったとたん、数々の記憶が一度に甦ってきたのかオーナーの声が上ずっていたのを思い出す。両親の離婚は業界ではそれなりに話題になったからオーナーも知っていたし、5年前に父がその短い人生を終えたことも知っていた。そして、その初めての夜以来一度も3人が揃って食事に訪れたことがない理由もオーナーはきっと知っていただろう。

何せ、彼は両親の古い友人なのだから。




タクシーが停まると、大人になった君をエスコートするために急いで反対側に回った。慣れないヒールによろめきながら、それでも一生懸命自分の足で立とうと努力している君がいとおしくて、右手を差し出しながら「レディはエスコートされるものだ」と笑いかけた。
「じゃあお願いします」と君は微笑み、俺の差し出した手のひらにそっと右手を乗せた。

ほんのこの間まで君は俺の生徒で、君への想いをあきらめようと思っていたのが嘘のようだ。それが今君もすっかり大人の美しい女性へと成長した。

俺が君の大学生活に嫉妬していると言ったら、君は笑うだろうか?
高校生の頃当たり前のように親しく話すクラスメイトを羨ましがっていたと言ったら、君はどう思うだろうか?
今だって君を誰にも見せたくないと思っているのだと言ったら、きっと君はあきれた顔をするだろう。


予約を入れた時、オーナーは貸切にしましょうと言ってくれたが俺は断った。しかし、どんな気を利かせたつもりか重厚なドアには「貸切」のプレートが架かっていた。

まったく、あの人は。
まるであの夜の再現のようじゃないか。



クリスマスには暖炉の火が赤々と燃え、ツリーの足元にはきらびやかなプレゼントの山。そして、笑いさざめきながら極上のワインを飲み、最高の料理をいただく。BGMはスタンダードのクリスマスソングメドレー。
あの夜もそうだった。





「いらっしゃいませ、氷室様。いや、堅苦しいことは無しにしよう。零一君、よく来てくれたね」
「お久しぶりです。貸切は結構ですと申し上げませんでしたか?」
「そうだったかな。ささ、入って。そんなところに突っ立ってたらお嬢さんが風邪を引いてしまう」
「……まったく、あなたは変わりませんね」
「君はずいぶんと柔らかくなったね」
「ありがとうございます」


一歩足を踏み入れるとそこは20年前と変わっていなかった。
暖炉があり、大きなもみの木を飾り付けたツリーがあり、奥には古いベーゼンドルファーのグランドピアノ。


暖炉から適度に距離を取ったテーブルに向かい合って座ると、とりあえず食前酒を一杯。君には甘口のミモザを、俺はジンライムを。タイミングよく運ばれてくる最高のフレンチを食べながら君と向かい合って飲むワインは何とうまいものなのだろう。キャンドルのゆらめく灯りの向こうに見える君の顔が、アルコールのせいで少し上気してより大人の女性に見せてくれる。いつもはそれほどでもない化粧も今日はドレスに合わせてしっかりとされていたが、それでもくるくる変わる表情はいつもの君だ。
残すはデザートだけとなった時、オーナーが挨拶にやってきた。

「お口に合いましたか?お嬢さん」
「とてもおいしかったです、どうもありがとうございます」
「じゃあ、最後に零一くんのピアノで口直しなんてどうかな?」
「オーナー……」
「リクエストは……そうだな、やっぱりメル・トーメの『クリスマスソング』かな」

その昔父が好んでクリスマスに弾いていた曲。そして、それを優しい眼差しで見守っていた母。俺はデザートに気を取られ、正直あまり真剣には聞いていなかった。でも、あの暖かな空気だけは今でも覚えている。
仕方ない。1曲だけだ。

両親が愛したベーゼンドルファーの前に座ると緊張する。
まるで両脇に両親が立って耳を澄ましているような気がするからだ。
だが、今夜の俺のピアノを聞くのは桃花、君だけだ。



メリークリスマス、桃花。
これからもずっとこの暖かな空気を忘れずにいたいと思う。
君のもたらしてくれたこの柔らかで暖かい感触は一生触れていたいと思う。
どんな君でも君は君だ。そのままの君をずっと愛していく。
君も俺のことを愛し続けてくれるなら、それだけで世界は愛すべきものになる。



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