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The way you look tonight



5年前のあの日から、11月6日はここ「cantaloup」で軽く食事を取ることになっている。
君が卒業した翌年からの習慣だ。最初の年は、なりゆきでこの店に来たが、翌年からは少しめかしこんで特別な時間を過ごすようになった。まあ現実的な理由としては、君もようやく二十歳を過ぎ、少々のアルコールを解禁することにしたから、というのもある。それから、もう一つ。高校を卒業してから、彼女と会う時にわざわざスーツを着ることがなくなったからだ。

だからこそ、互いの誕生日くらいは少しだけきちんとした装いをしようと提案されたのだった。


昨年彼女にもらったネクタイを締め、カウンターのいつもの席で少し遅れるという彼女を待つ。
昔は誰かを待つのが面倒で、待たされるなどもってのほかだと思っていた。だが、彼女を待つのは何の苦にもならない。というよりもむしろ待つ時間さえ楽しいと思えるようになった。我ながら随分と変わったものだと思う。




「桃花ちゃん、遅いね」
「ああ」

益田に言われて腕の時計に目を落とすと、時刻は7時30分を回ったところだった。
飲んでいた熱い珈琲もカップの底が見えている。ふと見ると、ピアノが所在なさげにぽつんたたずんでいるのが目に入った。

「益田、ピアノ借りるぞ」
「ああ。何を弾いてくれるんだ?」
「そうだな……、あれがいい」
「なんだ?」
「秘密だ。だが、お前はすぐわかるさ」
「ふーん」


上着を脱ぎ、ざっとたたんでスツールの上に乗せ、ネクタイの結び目を少し緩める。準備完了、趣味のピアニストになる瞬間だ。
ピアノの蓋を開け、フエルトをどける。そして、指慣らしに適当な音を叩いて、このピアノの感触を取り戻す。ここのピアノを以前は毎週のように弾きにきていたものだった。だが、最近は中々弾いてやることができなかったから、ピアノに嫌われてなければいいが。

呼吸を整え、一瞬だけ目を閉じてから、俺はさっき思いついた甘いメロディーを弾き始めた。





「零一さん、遅くなっちゃってごめんなさい」
「いや、大丈夫だ」
「そうそう、桃花ちゃんの次に大好きなピアノとデートしてたから大丈夫さ」
「何それ」
「それより、さっきのあれだろ」
「ああ、It had to be youだ」
「やっぱりな」
「ずるーい、二人だけで解りあっちゃって」
「まあまあ、今日は結構冷えるよ。まずは特製スープでもどうぞ、お二人さん」
「いただこう。桃花もコートを置いて座ったらどうだ」
「はいはい」



彼女が隣に座ったのを確認して、俺もようやくスツールに腰掛ける。ちらと目をやると、今夜の君は先週会った時よりも柔らかできれいに見える。このバーの照明のせいなのか、いつものジーンズ姿とは違う柔らかなワンピース姿のせいなのか。それとも君が大人になったせいなのか。


まあ、そんなことはどうでもいい。

俺は彼女が変わらず隣で笑っていてくれればそれでいいのだから。


実際のところ、彼女の存在は俺を元気づけてくれる。そして、世界に彩りを与えてくれる。
5年前も今もずっと思っている。君がいなければ今の俺は存在しないのではないかと。
だから、どんな形であれずっと一緒に過ごせればどんないいか。



「あのね、零一さん」
「何だ?」
「来年でいいの。結婚しませんか?」
「は?」
「あ、ごめん。突然何言ってるんだろ、わたしってば。びっくりですよね。聞き流しちゃって。ごめんなさい、ほんと、何言ってるんだろ、わたしってば。まだ飲んでないのにね〜」
「いや、しかし」
「あ、これプレゼント、です」
「ありがとう。ところで桃花、俺の返事は聞かないのか?」
「いや、だから、つい勢いで……」
「今から市役所に行って書類をもらってくるか?君に問題がなければ俺は何も問題ない」
「はぁ!?マジで言ってます?」
「マジだ」
「ちょ、ちょっと落ち着きましょうよ」
「じゃあ、今から1曲君に進呈しよう。俺の気持ちだ」

さきほどの言葉にびっくりしなかったと言えば嘘になる。だが、こちらからもいつか言おうと思っていたことだ。結婚という形式に縛られなくてもよい。だが君とこれから先の人生を共に歩いていけるなら、形に縛られてみるのも悪くないと思っていた。今夜か、それともクリスマスまでにはこの気持ちを伝えようと思っていたのだ。




だから、この曲を今夜の君にささげよう。
とっておきのサプライズをくれた君に。
そして、これ以上はない誕生日のプレゼントをくれた君に。
心を込めて…………。



曲は……The way you look tonight



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