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it's only a paper moon



この間の別れ際に、彼女が言った。
11月6日には必ず会いましょうね、と。

俺は去年もその前も、自分の誕生日のことなどすっかり失念していて、彼女が廊下で素っ気ない紙袋を俯き加減に差し出すまで忘れていた。そしてお決まりのセリフを告げ、断るべきなのに2度も受け取ってしまった。
きっと、俺が自分の誕生日を覚えていないのは、昔からなのだろうと思う。その昔付き合ったことのある女性からもその日は空けておくようにと言われながら、当日その瞬間まで何のことやらさっぱり判っていない始末だった。だから、それなりに何か用意をしていたのであろう相手は、俺の素っ気ない反応にむっとしたのだろうと思う。まあ、実際好意を寄せている相手のために一生懸命何かをしようという感情は自然なものだ、今になってよくわかる。だが、当時はそんなことに全く頓着していなかったのが事実だ。


だというのに、この間彼女が11月6日と言った時、俺は不覚にもその日一緒に過ごせることを嬉しく思った。そして、柄にもなく、その日は一日祝ってくれる彼女のために絶対に空けておこうと思ったのだ。



君との出会いは俺にとってはかけがいのないもの。そして、今の俺なら君のために何だってできるだろう。君が俺を心から信じてくれるなら、なんだってやってみせよう、なんだってあげられるだろう。



担任教師とその生徒として出会ったことは、現実的に考えればそう特殊なことではない。だが、そこに恋愛感情が入り込むと、それは奇跡にも近いものになる。彼女も俺も出会いの特殊性ゆえにかなり悩んだと思う。実際教師が生徒をそのような目で見ることなどもってのほか。そう思った。しかし、一度心に湧き上がった感情は止められない、いや、止められるほど容易いものではなかったということか。

しかし、奇跡が起こったのか今君は俺のもの。





「零一さん、また何か考えてます?」
「ん?ああ、そうだな」
「何か悩んでるんですか?」
「そういうわけではない。君のことを考えていた」
「何ですかそれ」
「いや、隣に君がいることが当たり前にならないようにしなくてはと思っていたのだ」
「あら、わたしは当たり前の日常になりたいわ」
「そうか」
「うん」

彼女は心からの笑顔を見せて、俺の肩にもたれかかった。そして、斜め下から見上げると、再びにっこりと笑った。


「あのね、零一さん」
「ん?」
「キス……してもいい?」
「今更いちいち確認する必要があるとは思えないが」
「だってね、これも誕生日のプレゼントの一つだから」
「……うむ、では、ありがたくいただこう」
「じゃあ、まずは目を閉じてくださいな」
「わかった」

彼女の気配が近づく。
彼女の香りがすぐそばに感じられる。
目を閉じていてもわかる彼女の全て。

ほんの一瞬のはずなのに、目を閉じて彼女の唇を待っている時間は永遠にも等しいほど長く感じる。
その長い時間を経て触れた唇は、甘く柔らかく優しい。唇が触れ合った時間も、実際にはほんの数秒だっただろう。しかし、今の俺はその唇を永遠に独占したいほど、彼女のことを愛している。

だから思わず、抱きしめてしまった。

「れ、零一さん!?」
「好きだ……愛している」
「な、な、なに?いきなり、どうしたの?」
「どうもしない。言いたくなっただけだ」
「嬉しい」


どれほどの時間抱き合っていただろう。
窓辺に揺れるレースのカーテンが、淡いオレンジ色に染まるまで。彼女の頭が俺の胸にすっかり寄りかかってしまうまで。

あまりにも気持ち良さそうに目を閉じているので、起こすこともためらわれ少々不自然な姿勢でゆるやかに抱きしめたまま動けない。いや、むしろ、動きたくない。



「あっ!」
「どうした?」
「プレゼント、渡さなくっちゃ」

どたばたと立ち上がったかと思うと、薄暗くなった室内をまっすぐに玄関へと駈けていく。手には小さな四角い包みが一つ。

「わたしの気持ち、受け取ってくれますよね」
「ああ。開けてもいいか?」
「はい、どうぞ」


中から出てきたのは、DVDが一枚。タイトルは『paper moon』


「本当はCDにしたかったんですけど、見つからなくって」
「いや、いい。ありがとう」
「どういたしまして。これがわたしからの気持ち」
「俺も同じことを考えていた」
「えっ?」
「つまり、俺は君を愛しているという訳だ」
「なんですか、それ」
「今日の礼に益田の店で弾いてみよう」
「はーい」


君の気持ちをもらったお礼に、心を込めてpaper moonを弾いてみよう。
そして来年も再来年もその次の年もずっとずっと、俺が君の隣で笑っていられるように。
そのためには当然、君が俺の隣で笑っていること、それが前提条件だ。
それでなくては、成り立たない。



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