君待つと……
お誕生日は零一さんのお部屋でいい。
彼女はそんなことを言った。俺としては、無理して何かをもらわなくても、誕生日を一緒に過ごせるのだけで十分だと思っていた。だから、むしろ彼女の門限までうちで過ごすことに依存はなかった。
「何かあげようと思っていたんだけど、一番いいのは零一さんにゆっくり過ごしてもらうことだろうなと思ったの」
「ああ、それでいい。俺は桃花と一緒にいられるならどこで何をしてもいい」
「そうですか?安上がりすぎじゃないですか?」
「そんなことはない」
だが、結局彼女はプレゼントだと言ってきれいに包まれた小さな観葉植物の鉢を抱えてやってきた。
どうも彼女に言わせると、俺の部屋は殺風景に見えてしようがないらしい。確かに、整然と片付けるように気を配ってはいるが、緑もなく潤いに欠けるを言われればその通りに違いない。部屋自体もマンションの高層階に位置しているせいで、窓からの借景を楽しむというわけにもいかない。自然、外に目をやれば空が見えるか、眼下に街並みが見せるくらいだ。
「で、本当に出かけなくていいのか?」
「いいんです。それにほら、これ、今朝一番にデパートで買ってきたんですよ」
「何をそんなに朝早くから」
「お昼には売り切れちゃうくらいおいしいんですって。ついでだから、いつもよりちょっといい豆も買ってきちゃった」
「なるほどな。君はそういうことには熱心だったな」
「あはははっ、まあそうですけど。なんたって今日は誕生日ですもんね」
日曜日の昼下がり、彼女の提案で窓を開け放ったリビングには、秋の爽やかな風が入ってきた。その風に乗って、どこからか金木犀のほんのりと甘い香りまで、流れ込んでくる。レースのカーテンがそよそよと揺れる様を見ながら、なぜか古い和歌を思い浮かべていた。あれは確か御簾が揺れるのだっただろうか。好きな人を待って秋風に御簾が揺れる音とはどんな音だろう。淋しい音なのか、それとも胸がざわざわするような音なのか。
「零一さん、珈琲でも淹れましょうか」
「あ、ああ、そうだな」
ぼんやりしていた俺は彼女の声でふと我にかえる。
どうも最近はまた考えすぎる悪いくせが、復活しているようだ。
考えても考えても仕方のないことなのに。
彼女が買ってきたという挽きたての珈琲豆をドリッパーにセットする。二人して窓の外をぼんやり眺めながら、お湯が沸くのを待っている。なんとのんびりした休日の過ごし方だろう。だが、どうしても俺は会える日にはとにかく彼女を飽きさせないようにと、色々なところに連れていっていた。年上過ぎて、彼女が何をしたいのか、何が楽しいのかよくわからないからだ。
ただ、単純にこんな風に部屋でゆっくり過ごすのは若い彼女にはつまらないのではないか、そう思ってしまっていた。
だけど何のことはない。ただの思い込みだったようだ。
秋の心地よい空気の中、二人でゆったりと過ごす時間はとても気持ちのいいものだ。このような時間を満ち足りたものと感じるようになるなど、以前は想像もできなかった。人間変われば変わるものだと、ひとごとのように思ってしまう。
キッチンから小さな電子音が聞こえてきた。どうやら湯が沸いたようだ。
ガラスポットの上に二人分の珈琲豆を入れたドリッパーを乗せて、彼女に教わった通りにまずは全体に湯を回して一度蒸らす。それを捨てて再びドリッパーに湯を回しかける。珈琲が膨らんできたら、おいしくできている証拠。そう君は言った。だから、俺はじっと珈琲豆の膨らみを見つめてしまう。
「零一さん、ケーキも出しますね」
「そうだな」
「お天気もいいから、窓際で座りませんか」
「しかし」
「トレーに乗せておけば大丈夫ですよ。それに窓からいい風が入ってくるし」
「ではそうしようか。寒くなったらすぐに移動するからそのつもりで」
「はーい」
秋の風は爽やかだが、急に冷たくなることがある。大切な彼女に風邪など引かせてはいけない、だから、つい小言に近い言葉を口にしてしまう。
大切に思いすぎなのだろう。
失くしてしまうのが怖いのなら、大切にしすぎないことだ。ついこの間、益田に言われたばかりだ。彼女はお前が思っているほど子供でもないし大人でもない。そのままの彼女をちゃんと見ろ、と。
わかっている、わかっているんだ。
クッションを敷いて、その上にちょこんと座ってケーキを頬張る君はとてもかわいい。ミルクたっぷりの珈琲を飲む姿もまだまだ少女だ。
「桃花、楽しいか?」
「どうしました?楽しくないですか?」
「そんな……ことはない」
「また考えすぎてますね。悪いくせですよ。わたしはわたし。零一さんは零一さん。わたしが楽しければそれでいいんですよ」
「そう……なのか?」
「はい。女の子は好きな人と一緒にいるだけで幸せなんですよ。知ってました?」
そう言って彼女はいたずらっぽい光を瞳に宿して、微笑んだ。
飲み干したコーヒーカップをトレイに乗せると、桃花はそっと頭をもたせかけてきた。その重みを肩に感じながら、これが幸せの重さなのだろうかと思う。そして、簡単に手放すことができない、心地よい重みなのだと思う。うだうだと考えてみても仕方がない。さっきの彼女の言葉じゃないが、男も好きな人のそばにいるだけで幸せになれる。きっとそうだ。
「零一さん。もしよかったら、頭乗せてみます?」
「どこにだ?」
「ひ・ざ」
彼女の笑顔には敵わない。なら、ここは素直に応じるべきだろう。開けていた窓を閉め、レースのカーテン越しの陽射しの中、俺はそのまま彼女の膝に頭を乗せた。そして、少しだけ目を閉じてみることにした。
せっかくのプレゼントなのだから。
今日くらいはありがたく受け取ることにしようか。
大切なものを大切にしすぎて、失くしてしまわないように。
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