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雪に溶けたチョコレート



バレンタイン、チョコレート、そして大学受験。

いよいよと言うか、ついにと言うか、わたしにも高校最後のバレンタインデーが廻ってきた。しかも、当日は間の悪いことに私大の受験日当日だったりする。第一志望は一流だけど、さすがに18やそこらで一か八かのおおきなリスクを背負いこむ勇気はなくて、私大も3校ほど受験する予定になっている。

そして2月と言えば世間は私大受験の真っ最中なわけで、そんな時にバレンタインのチョコレートを持って先生に会うためだけに職員室に行くのは至難の業だ。と、いうのもわたしの大好きなあの人はそういう浮ついたことを何よりも苦手としている様子だったし、その上毎年毎年果敢にチャレンジする女子生徒を容赦なく追い返すのが生きがいなんじゃないかってくらい冷たい対応をする人だ。そんな人に毎年性懲りもなくチョコをあげてきたわたしもわたしなのだけれど、さすがに受験の真っ最中に持っていくとどういう態度を取られるか想像がつくだけにやっぱり少し躊躇ってしまう。


だけどそれでもやっぱり渡しておきたい。
もし、先生にひどく叱られたとしても渡しておきたい。
いつも以上に不機嫌な顔をされても、眉間のしわを2本から3本に増やすことになっても渡しておかなくちゃ、本命の受験に心残りなく挑戦できそうもない。


そう、わたしはバレンタインにかこつけて、大学合格のための願掛けをしたいだけなのだと思う。





「……先生」
2月13日。試験勉強の合間の眠気覚ましにと、そっと窓を開けてしんしんと冷え切った夜の空気に頬を預ける。そして、月のない真っ暗な夜空に向かって大好きな人の名前を小さくつぶやいてみる。

「氷室先生……、大好き……なんだけど、な」

先生のことを好き。
そんな風に意識したのは本当にある日突然で。
突如、わたしは背の高い無愛想な担任教師を好きだという気持ちを自覚してしまった。

テレビで見た古い映画だったか、古い恋愛小説だったかはさだかではないけれど、やっぱり恋はある朝突然にやってくるというのはある意味真実なんだと思う。だってわたしの恋もまさにそんな感じで、突然ぽこっと急浮上してしまったのだから。
一生懸命に否定しようとしても、目は先生を追い、耳は先生の声を拾い、体は先生の気配を感じてしまう。



気持ちが溢れるってこういうことなのかもしれない。





ひとつくしゃみが出たところで、わたしは思わず自分で自分を抱きしめてしまった。明日風邪引いて休みましたなんて言ったら、きっと先生はまた一段と大きなため息をつくんでしょう。同じため息をつかせるのなら、ちゃんと受験を終えてそれからチョコを渡しに職員室に乗り込んだ方がよほどましだ。




もう寝よう。
これ以上考えたところで名案は浮かびそうもない。





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やっと受験を終えて携帯の電源を入れたらもう午後の5時。
これから電車に乗って約1時間。そして駅から学園までバスに乗って約10分。最短でも6時半を回ってしまうかもしれない。だけど、バレンタインのチョコは14日に渡さなくっちゃ全く意味がなくなってしまう。

とっさに思いついて職員室の番号をアドレス帳から呼び出して掛けてみる。先生がまだいたら引き止めておいてもらおう、理由は……理由は……ああもうこの際なんでもいいや、その場で考えよう。とにかく先生を捕まえるのが今まずはやらなきゃいけないことなのだから。


plulu
plulu
plulu

中々繋がらない。その間にもわたしは携帯を落とさないようにしっかりと握り締めたまま駅まで駆け込み、あらかじめ買っておいた帰りの切符をコートのポケットから掴み出して、改札をくぐる。

plulu
plulu
plulu

まだ誰も出ない。
もう誰もいないんだろうか。こんなことなら先週にでも先生に連絡しておくんだった。

plulu
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plulu

「はい、はばたき学園の氷室です」
「あ……先生」
「どちらさまでしょうか?」
「わたしです、北川桃花です。よかった〜」
「どうかしたのか?確か今日君は○○大の受験だったはずだが」
「さっき終わりました。今から学園に行きたいんですが、先生もう帰りますか?」
「後1時間ほどで帰宅しようと思っていたが」
「じゃあ、じゃあ先生、後1時間半待っていてくださいませんか?」
「つまり、6時40分まで、と言うことか」
「はい。必ず到着します。待っていてください。あ、電車が来ました。じゃあ」
「ああ、着いたら音楽室に来なさい。40分までは待っていよう」
「はい!」


びっくりしたけれど、直接先生と話ができた。何か理由を聞かれると思ったけれど何も言われなかった。でも聞かれてたら何て言い訳したんだろう、わたし。

うふふっ。
やっぱりちょっとだけ嬉しい。



外は雪が散らつき始めたけれど、わたしの心はこの暖房の効きすぎた電車の中みたいに熱くなっていた。コートのポケットに入れた小さなチョコレートの包みを手のひらでそっと撫でて、その重みを何度も確かめる。そして、このチョコがわたしにささやかな幸運をもたらしてくれることを、ほんの少しだけ期待して。

雪のためか、電車は定刻通りには進まない。
どんどん暗くなる窓に額をくっつけて外に目を向けると、さっきまでぱらついていた雪はしっかりと降り続いている。電車のドアが開く度に乗ってくる乗客のコートに積もる雪の量が増えていく。
携帯の時計で時刻を確認すると、予定より電車が10分以上遅れていた。

雪のせいで外が寒くなるにつれ、車内の暖房だけが暑さを増し顔だけが火照っていく。



どうしよう。




予定より20分遅れで電車が新はばたき駅に滑り込んだ。バス停で時間を確かめると次は7時までない。今の時間はもう約束の時間の6時40分。順調に行けば6時40分までには絶対に先生の前に立ってるはずだったのに、今のわたしは雪が降りしきるはばたき駅前のバスターミナルの前。
雪のせいでどんどん気温が下がり、さっきまで暖かかった反動かとても寒い。そしてタクシー乗り場に目を向けても吸い込まれるようにしてどんどん乗客を乗せて走り去るばかり。待っているタクシーは一台もない。そして、時間だけが情け容赦なく過ぎていく。

10分遅れでやってきたバスにようやく乗り込んで、コートの中のチョコをまた確かめる。
先生もう帰っちゃただろうな。一応携帯から掛けてみたけれど、職員室の電話はもう誰もでない。先生の携帯を知らないから連絡の取りようもない。
だけど、行くしかない。
自分から約束したのに勝手に帰るわけにはいかない。
誰もいなくても行かなくちゃ。

はば学前でわたしが降りて、無人になったバスが明々と窓に明かりを点して走り去った。真っ暗な学園の門をくぐり、わたしはまっすぐに暗い廊下を通って音楽室に向かう。

暗い廊下に一筋の明かりが漏れている。
先生……待っていてくれたんですね。



「先生」
「北川、遅い」
「すみません」
「雪が降っている。連絡もせず遅刻するな。何かあったのではないかと……北川?北川?どうした?いや、私は別段君を責めているわけでは……ない、のだ」
「すみません。でもいてくれてよかった……」
「コホン、それで何か質問か?」
「はい、先生。わたしの最後の課題を受け取ってください」
「私は何も宿題を出した覚えはない」
「では、ここに置いておきますので」

わたしはチョコレートだとは言わずに素っ気ない紙袋に入ったものを、ピアノの上に置き去りにして廊下に出た。ま、いっか。とりあえず今年も渡せたってことにしておこう。

さてと、明日からは受験に専念しなくっちゃね。




「待ちなさい」
「えっ?」

真っ暗な誰もいない廊下に先生のよく通る声が響いた。
振り向く間も驚く間もないままに、先生の大きな手がわたしの冷たく冷え切った指をつかんだ。

「こんなに冷えて……寒かっただろう」
「……せ……んせい……?」
「心配した。携帯を教えておくのだったと後悔した。迎えに行こうかとも思った。しかし行き違いを恐れて行くのをやめた」
「えっと、あの……その」
「コホン、箱がつぶれているぞ、北川。恐らく電車の暑さで溶けたか、人ごみでへこんだかしたのだろう」
「あ……」
「まあいい。家庭科室に行くぞ。ついて来なさい」
「はい」


そう言って、真っ暗な廊下を歩く先生に手を取られたまま、1階の家庭科室に連れていかれた。握られた手のひらからわたしの心臓がばくばく言ってるのが聞こえてしまいそう。ああどうしよう。


明かりをつけて、ガスコンロの上に小さな鍋を掛けると先生はさっきわたしが渡したチョコレートの包みをゆっくりとほどいていく。

「この廊下の突き当たりにある自動販売機で牛乳を購入してきなさい」
「はい」

そう言うと先生はわたしの手のひらに100円玉をそっと乗せた。
なんとなく走って自動販売機から紙パックの牛乳を買ってきた。そして、先生は鍋に牛乳を注いで温まったところにわたしのチョコレートを入れて菜ばしでかき混ぜている。

目を鍋に向けたまま先生は言う。

「書くものを用意しなさい」
「えっ?」
「早くしなさい」
「は、はい」
「用意できたか?」
「はい」
「では、一度しか言わないから正確に書き留めるように」

そして、先生の唇から発せられたのは11桁の番号。とっさに書くものを探して探り当てたものは今日の受験票。その裏には宝物のような11桁の数字。

「何か困ったことに遭遇したら掛けてきてもいい」
「いいんですか?」
「ああ。しかし他言無用だ」
「わかりました」
「飲みなさい」


先生が作ってくれたのは、だまの多いホッとチョコレート。
カップに半分注いだところで、ふと手を止めて考え込んだかと思うともう一つカップを出してきて半分に分けた。そして一方をわたしの方に差し出した。

「冷えてきたので私もいただくことにする」
「はい、いただきます」
「よろしい」



半分溶けてまた固まったチョコレートは、また溶かされて今度は牛乳の中に溶け込んでしまった。まるで、雪の中に溶けてしまったかのように。



もう、雪……止んだかな。
明日はきっと晴れ。そしてわたしも最後の試験を頑張れそうです。先生のくれた番号は大切な大切なわたしのお守りです。一流に合格したら、その時初めてこの番号に掛けます。

無事合格したら褒めてくださいね、先生。
楽しみにしています。



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