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階段の向こう側



その瞬間、北川は呆然と立ち尽くしていたように思う。
背後で小さな叫び声が聞こえたような気もしたが、俺はそのまま放課後の屋上を振り返りもせず後にした。
上着のポケットの中には先ほど北川から受取ったばかりの小さなチョコレートとおぼしき包みが一つ。
その控えめな重さ以上の彼女の気持ちまでも受取ってしまったような気がしていた。
そしてやはりそのまま知らん顔をして、チョコ受付箱に入れるべきかもしれないとまだ思っていた。


それなら、なぜ受取ってしまったのか。
そして、なぜ彼女からなのか。


実を言うと、その答えはもう喉元まで出かかっている。
だが、まだ言葉にしてしまうには早すぎる。
もし来年もチョコレートを受取ってしまったら、その時は認めるしかないだろう。
この言葉にしてはいけない答えを、認めざるを得ないだろう。
だが……まだ早い、早過ぎるのだ。


ポケットの中に手を突っ込んで、先ほど渡された小さな包みにそっと指先だけで触れてみる。
何のぬくもりもないはずの包装紙の隙間から、彼女の暖かさが感じられるような気がして、そのままそっと握り締めた。
彼女はまだあの寒い屋上に立ったままなのだろうか、それとももう帰ってしまったのか。

誰もいないであろう屋上のフェンスを思わず見上げてつぶやいた。
『北川、ありがとう』と……。






あの日、放課後の校外指導の折、偶然に喫茶店で友人とおしゃべりに興じている君を見かけた。
一緒にいるのは、藤井と紺野。3人で何を話しているのか、北川は少し興奮した様子で手のひらを握り締めた状態で二人に何事か力説している。窓際の席に陣取った3人は外を通りかかった俺には全く気付かず、ただ楽しげに笑いさざめきあいながらしゃべっている。
3人があまりに楽しそうにしているのを見ている内に、その日の校外指導などどうでもいいような気分になってしまった。

だから、なんとなくその喫茶店に入りカウンターに座ってコーヒーを1杯飲んだら今日は帰ろう、そう思ったのだ。。
と、背後から突然北川の大きな声が聞こえてきた。

-------3年間受取り拒否されたらわたしの負け。先生が受取ったら先生の負け。そういうことなのよ。

負け?何が負けるのだ?
先生というのはどの教師のことなのだ。
まさか…俺のことじゃないだろうな?

なんとなく見上げたカレンダーの日付を見て、ひょっとするとこの週末のことを指しているのかもしれないと思ったからだ。

なぜその時そう思ったのか。

決して自分を買い被っていたわけではない。ただ、そのセリフで昨年彼女が正々堂々とチョコレートを渡しに来たのを突っぱねたことを鮮明に思い出したからだ。生徒からの贈答品は受取らない、それはその前の誕生日に物を持って来た時にもきちんと告げ、彼女もその場は納得したはずだった。なのに、彼女は性懲りもなくバレンタインのチョコレートを持って俺の前に現れた。だから、いつもの言葉をいつも通り他の生徒達と同じように言った、そう、たったそれだけだ。

だが、彼女の反応だけは違った。
キッとした顔で俺を見上げ、どうしてですかなどと尋ねてきた。
このような反応を見せる生徒を、俺はそれまで見たことがなかった。
だから、再度贈答品を受取るということが互いにどういう影響を受ける可能性があるかを説明した。
その時は一応納得した様子だったが、それでも…振りかえった彼女の瞳には納得の色が見えなかったのだ。

あの時は、ただ我の強い生徒で困ったものだと思ったが、それでも確実に彼女は俺の中で存在感を増していった。

聞くともなく聞こえてきたその『勝負』という単語に俺は少しだけ笑いをかみ殺しながら、それでもそんなことを堂々と口にする姿はいかにも北川らしいとも思う。2年近く担任教師というフィルターを通して見続けてきた彼女は、一見大人しそうに見えるがその実かなり負けず嫌いであることもよく知っている。そしてそんな性格であるからこそ高等部からの転入であるにも関わらず、2年になってからの成績はトップを独走しているし友人も多い。

一応声を掛けるべきかとも思ったが、藤井と紺野が出て行った後に一人残された北川の、先ほどまでとは打って変わった淋しげな空気にかけるべき言葉を失った。
なぜなら、先ほどまで友人相手に大見得を切っていたのとは反対に、今の北川は急に小さく打ち沈んでしまったように見えたからだ。

徒に教師などを構ったりせずに、同級生にしておいた方がいいのではないのか。
俺は別段君が他の男と付き合っているとしても……、いや、やはり、ダメだな。
最近はどうやら北川のことがどうにも気になって仕方がないのだから。



確か、3月14日というのはホワイトデーと呼ばれるものだと益田が言っていた。
そしてあいつはまめに返答するものだから、必ず何か用意している。

昨年はともかく今年は自らの手で受取ってしまったのだから、何か返さなくてはいけないのだろう。だが、何を返してよいものやら如何せん俺には見当がつかない。益田に相談するのも煩わしく、かと言ってデパートに何かを改まって買いに行くのもどうにも照れくさい。第一、女子高生に何を贈れば喜ぶものなのかさっぱりわからないのだから始末が悪い。こればかりは、何年高校教師をし続けていても永遠にわからないだろう。何せ向こうは俺より11も年下の、まだ少女なのだ。



「北川、放課後数学準備室に来るように」
「はい、わかりました」

ホワイトデー当日ははあいにくと日曜日に当たるため、物を渡すためだけに休日に呼び出すわけにもいかない。
そこで、前日の放課後、口実を作って彼女を呼び出すことにした。

散々悩んだ後彼女に渡したのは「鉱物標本」。
結局自分に用意できたのはこんなものしかなかったのだ。
もちろん、高校生の彼女が喜ぶようなシロモノとは言えない。

わざと素っ気なく彼女に先月のお礼だと言って手渡したが、その包みを開けると満面の笑みを浮かべた。
そして北川は俺に向かって頭を下げ、とても嬉しそうな顔で言った。

「先生、どうもありがとうございました。また来年も懲りずに渡しに来ますから待っててくださいね」
「ああ、君がくるまで来年の2月14日は学校に残っていることにしよう」
「そうしてください。何があっても絶対に来ますから」
「では、もう帰りなさい」
「はい、失礼します。先生さようなら」
「ああ」


と、いうことは来年もまた彼女のために何か用意しなくてはいけないのか。
だが、待てよ。来年のホワイトデーにはもう卒業しているはずで。
では、どうすればいい?
もらいっぱなしは性に合わない。


ああそうか。
その時には俺と君の関係が、変わっていれば良いだけのことか。

後……1年だな、北川。



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