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わたしのすきなひと



高校生最後のクリスマスパーティ。
楽しいけれど楽しくない。

だってみんなここぞとばかりに彼氏と一緒に過ごしているけど、わたしの好きな人は担任の先生で一人占めなんてできないから。もちろん今夜だけ誰かと一緒に過ごしたってかまわないなんて思わなかったと言えば嘘になる。でも、大好きな先生のいるところで他の男の子と楽しくなんて過ごせるわけがない。わたしはそんな風に割りきれるほどの大人じゃない。まだまだ子供だもの、好きな人に嫌われないようにするにはどうしたらいいか、一言でも誉めてもらうためにはどうしたらいいか、そんなことばかり考えている子供だもの。

今、先生は広間の隅の職員席できれいなグラス片手に大人同士で何かしゃべってる。
いいなー、先生の右隣で嬉しそうに笑ってる赤木先生。
うらやましいんですけど、左横の向田先生。
わたしも先生方の談笑の輪の中に混ぜて欲しい。
先生のそばでお話したいです、わたしも。

でも今はだめなんだよね。大人の輪の中に割りこめるほど勇気がない。
それに先生はわたしなんて眼中になさそうだし。
第一なんと言っても「生徒」だもの。
どんなに先生が誉めてくれても「生徒」だからだと思うと、嬉しさも半分になっちゃうしね。

大きなため息が出そうになったわたしは、ふとテーブルの上の綺麗なグラスを手に取って、あっちの大人達のように飲んでみた。お酒が混じってたりして。で、アルコールで酔っ払ったら先生はやっぱりすごく怒るんだろうな。でも先生はちゃんとわたしのところに来てくれるかも。なんて期待を込めて一口口に含んでみたけど、やっぱりジュースみたい。なーんだ。

甘くて酸っぱくてほんの少しだけ苦い味。
まるでわたしの先生への気持ちみたい。
ああ……なんか切ない。


もう帰ろうかな。


「あーあ、つまんない」
「何がつまらないのだ、北川」
「へっ?」
「へ、ではない」
「先生……?あれ?どうしたんですか?」
「それは、そう、コホン、君がふらふらと会場を出ていくのが目に入ったからだ。どうかしたのか?」
「はぁ……、ちょっと中が暑かったのでつい」
「しかし、そんな薄着では風邪を引く。これでも羽織っていなさい」

そう言って先生は自分の上着を脱いでわたしの方へぐいっと差し出した。嬉しいけれど、でもワイシャツ一枚じゃ先生の方が風邪を引きますよ。だから、『わたしは大丈夫です』と言おうとしたのに、思わずくしゃみをしてしまった。しまった…。

「ほら見なさい。くしゃみをしている。私のことなら心配せずともよろしい。絶対に風邪を引かないから大丈夫だ」
「でも……、っしゅん」
「まったく……君は。つまらない遠慮などするな」

あまりにわたしが遠慮するから、ついに無理矢理肩の開いたワンピースの上から羽織らされてしまった。
うわー、ちょっと、どうしよー。先生のぬくもりが残ってるし、いい匂いがするし。
そんなことされたらわたし誤解しちゃうじゃないですか。
これ以上……これ以上、先生、わたしに中途半端な期待を持たせないでください。

「確かに中は少々暑かったからな」
「先生は中に戻らなくていいんですか?」
「ああ、もう一通りの義務は果たした。もう帰宅してもいいくらいだ」
「パーティ、お嫌いですか?」
「好き嫌いは特にないが、苦手だ。北川は?」
「わたしも……あまり得意じゃないかもしれません」
「そうか」
「はい」

ワイシャツ一枚の先生はやっぱりちょっと寒そうに見える。でも理事長のお屋敷のバルコニーでクリスマスイブの星空を二人で眺めてるなんて嘘みたい。さっきまでは先生の隣に立ちたくて立ちたくて、周りの先生にまで焼餅を妬いていたのに、今は手を伸ばせば届くくらいの距離に先生がいる。今なら少しくらい触ってみても怒られないかな。

少し寒そうに腕組みをして、夜空を見上げたままの先生の方にそっと手を伸ばすと、冷たいワイシャツの袖に触れた。ちらっとわたしの方を見たけれど、何も言われなかった。先生、怒ってないですか?今日だけは少し触れていることを許してくれますか?


「北川、少しだけ席を外すか」
「どこに行くんですか?」
「秘密だ」

あの時みたいな顔でわたしを見る先生。あの時も思ったけれど、「秘密だ」って言う時の先生って急に子供のような顔になる。そして少しだけ口元が笑う。
そのままホールをすたすたとまっすぐ横切る先生の背中を追いかけていくと、中の喧騒が嘘みたいに静かな広い廊下に出た。黙ったままの先生はその広くて静かな廊下を通り、突き当たりの大きな扉の前まで来てやっと立ち止まった。
そして目の前の大きくて重そうな扉をそっと開くと、そこでやっと振返った。あ、先生の目が笑ってる。何があるんですか、一体。
先生の後ろからそっと覗きこむと、中にあったのは大きなぴかぴかのグランドピアノが一台と、何枚かの絵だけだった。
でもこんなところに勝手に入っちゃっていいんですか、先生。ここって理事長宅でしたよね。

「先生、勝手に入ってもいいんですか?」
「よくはないだろうな」
「えー!」
「しっ!静かにしなさい、北川。ここは昨年見つけたのだ。そして昨年はパーティが終わるまでここにいた」
「かくれてたってことですか?パーティが苦手だから?」
「ああ、そういうことだ。……どうでもよろしい」
「ふふふっ、先生かわいい」
「か、かわいい!?」
「はい、かわいいです」
「まったく……、笑っていなさい」

子供みたい。
だからつい笑ってしまったの。
だってわたしもっと先生のことが好きになったんだもの。
どうしよう、止められない。
先生が大好きです。

ちょっと怒ったような顔のまま先生はピアノの前に座った。きっと去年もこうやって一人でピアノの鍵盤を叩いていたんだろーなー。それならそうと誘ってくれたらよかったのに。そして先生の優しいピアノをずっと聴いていたかったのに。

「先生、クリスマスの曲を何か弾いてください」
「何でもいいのか?」
「はい」
「では……」

一瞬目を閉じた先生は、モノクロの鍵盤の上にそっと指を置き、優しいメロディーを奏で始めた。



Ave Maria gratia plena
Ave Dominus tecum,
Benedicta tu in mulieribus
Et benedictus fructus
Ventris tui,Jesus.
Ave Maria



静かな部屋に先生のピアノの音が満ちていく。
そしてわたしの心も先生で一杯になる。

「先生、大好きです」
「……そうか」

好きですって言葉をなぜかその瞬間言ってしまった。でも先生はわたしの方を見ることもなくピアノを弾き続けたまま「そうか」と言ってくれただけ。それはどう言う意味なんでしょう、先生。訊いてもいいんでしょうか、それとも訊かない方がいいんでしょうか。訊いてみたいけれど、今夜は訊かないままにしておこう。いつか…いつかわたしが卒業する時に改めて「好きです」って言いにいきますから。その時にはちゃんと答えてくださいね。

「北川」
「はい」
「メリークリスマス」
「……メリー……クリスマス、先生」

扉一枚向こうではにぎやかにパーティは続いている。
でもこの部屋の中にあるのは先生のピアノとわたしの胸のどきどき言う音だけ。

最後のクリスマスパーティは楽しいけど楽しくない。
そんなことを思っていた……。
でも今はこんな夜もいいかもしれない、なんて思ってる。



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