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痛みを伴う予感


痛いと言うのは肉体が感じる感覚の一種であり、決して感情に対して使う言葉ではない。
即ち心が痛むという言い方はある種間違いであると言ってもいいだろう。
だと言うのに、殊人間というのはどうしようもない生き物で、心にも痛覚があるかのように感じてしまうようだ。







最近のアンジェリークは少し疲れて見える。いつもそっと観察しているニクスには彼女の疲れが感じられ、何とかしてその疲れた心を癒してやりたいと思う。彼女にはどんなに辛いことがあっても、どんなに悲しい場面に直面しても表面上前向きに明るく振舞う癖がある。それが彼女の美点だと言えないこともないが、ずっと側にいる人間からすると彼女ががんばりすぎているように思えてならないのだ。だからこそ時折無意識に彼女の心から痛みが溢れだし、表情に微かな変化を兆す。そんな彼女の変化に最初に気付いて、そっと手を差し伸べるのはこのところいつもニクスの役割だった。


「マドモアゼル、甘いミルクティーでもいかがですか?」
「えっ?あっ、はい。ニクスさん」
「この頃はとみに忙しかったですからね。今日はゆっくりと庭でお茶でも楽しみましょう。ファリアンから取り寄せたおいしいお菓子もありますよ」

精一杯の笑顔でニクスはアンジェリークを陽光降り注ぐ庭へと誘う。
ニクス自身があきれかえる程に甘い微笑みと、甘い声音。そうでもしないと彼女は「何でもない」「大丈夫」と言って一人自室で眠ることになるのだ。それでは彼女はつぶれてしまうだろう、ニクスは思う。だからこそこうやって声を掛けるのだ。

いつものようにニクスはゆったりとした仕草でアンジェリークに向って手を差し伸べる。その手の上にためらいがちに乗せられる小さな手のひらは、まるで柔らかな花びらのようで、ニクスは強く握ることがいつも躊躇われて仕方がない。いつものメイドに焼き菓子と紅茶を載せたワゴンを押させ、美しく整えられた庭園の一角にしつらえられた東屋へと歩いていく。


今度の彼女の痛みは何なのだろう。
最近忙しかったというのは嘘ではないが、このところ財団のジンクスが活躍する場が増えてきている。それにともなってここ陽だまり邸への依頼の数は少しずつ減ってきていた。ただ、ジンクスにはまだまだ問題が多い。アンジェリークの浄化能力とは違ってジンクスは物理的にタナトスを攻撃する。ということはつまり、背後にあるモノ自体をついでに破壊してしまうということだ。

彼女を伴って現場に駆けつけた時、ジンクスによって自宅を破壊され、怪我人さえ出ていることさえある。特にこの間の1件がひどいものだった。小さな村の営みを半分以上傷つけてられてしまったのだから、ジンクスによって。


「女王の卵なら何とかなっただろう」
「女王の卵なのに来るのが遅い」
「さあ、この惨状を元通りにしろ」
人々は彼女に期待するあまり、興奮した住人に詰め寄られさえした。それでも彼女は泣くこともなく、激昂することもなくいつもの優しい笑みを浮かべて傷ついた人々の手を一人ずつ握り続けた。一人でも多くの人々を癒そうと……。

その幼気な姿を見ながら、ニクスは心が痛むのを感じたのだ。




彼女は時間があると『探索』と言う名の見回りにまめに出かけていく。そして最近はそのパートナーはニクスだった。
ある日、ファリアンとウォードンを結ぶ街道沿いの小さな村で、二人は例によってジンクスと財団の職員に出くわした。タナトスとともに破壊される村はずれの森、誤射によって崩れ落ちる民家、不安気な瞳で一部始終を見守る村人達。それを見ているしかできないニクスの心に湧きあがったのはただの怒りしかなかった。こんな表面的なことをして無駄に刺激を与えては、タナトスのいやもっと言えばエレボスの力を強化するだけだ。そんな単純なことを人は判っていない。ニクスはジンクスがタナトスと戦う場面を見るにつけそう思ってきた。そしていつか大いなる災厄がこの美しい大地を覆い尽くすのではないか、その時自分はどうなっているのか。考えれば考えるほどに不安はつのるばかり。


そしてこんな場面に出くわすことが多くなったことで、彼女の心が壊れてしまうのではないか。
ニクスは心配でならなかった。



「マドモアゼル、最近何か気になることでもありましたか?」
「……何でもありませんから」
「そうですか?ならいいのですが……どうもあなたは無理に笑顔を作る悪い癖がおありのようですから」
「えっ?」
「アンジェリーク、あなたは時々自分の中だけで全てを済まそうとしますね。それはそれで悪いこととは言いません。ですが、もっと私達に頼ってください。私達では頼りになりませんか?」
「…………」

やんわりとしてそれでいてきっぱりとしたニクスの口調に、アンジェリークは唇を噛みしめうつむいた。
淡い水色の髪に結ばれたリボンがそよ風に揺れる。まるで、アンジェリークの心が揺れるのにシンクロするかのように。

そっと甘いミルクティーをソーサーごとアンジェリークの方へと滑らせると、柔らかな湯気までもが揺れた。アンジェリークは彼らと過ごす日々の中で、いかに自分が大切に扱われ、守られているのかをよく理解していた。その一方で守られているだけではなく、自らも主体的に彼らを守りたいとさえ思い始めていた。だが、どうしていいのかわからない。その上今までに戦ったことがないのだから当たり前なのだが、武器の扱いもわからない。ただできることは浄化することだけ。それすら彼らが必死に戦った後のことだ。

「わたし……お役に立っているんでしょうか」
「……アンジェリーク」
「わたし、皆さんのお役に立っているんでしょうか?」
「どうしたのですか?」
「守られてばかりじゃないですか、わたし」

思い詰めた表情で両手を組み合わせて彼女はうつむいた。そんなアンジェリークからニクスは視線を外さないままに、まだ温もりの残る紅茶に口をつけた。守られてばかりだと彼女は言う。だが、ニクスからすれば守っているつもりはなく、むしろ守られているのは自分の方だと思っている。
彼女の発する暖かい光がタナトスを消し去る時、4人のオーブハンターも共に癒されているような感覚に陥るのだから。

自覚の無い女王候補は、紅茶を前にして少しばかり落ち込み気味だ。ニクスはそっと小さなため息を漏らすと、アンジェリークの細い指先に手を伸ばした。

「アンジェリーク、私は……いや私達はと言い換えましょう。皆あなたに守られていますよ。ですが、その暖かな笑顔が曇ってしまってはさすがのあなたも私達を癒すことも守ることもできませんね。だから、そんなに落ち込まずに笑ってください」

ね、と柔らかな笑みを浮かべてニクスはアンジェリークにダメ押しをしたつもりだった。
あなたの痛みをそのまま私が引き受けられればどんなにいいのでしょうか、ニクスは心の奥で呟いた。
もっともっとあなたは痛みを感じなくてはいけない、そうすることでエレボスへの憎しみを募らせてほしい、そうなればいつか自分が完全に取り込まれてしまった時あなたに浄化してもらえる。

そのためにも、アンジェリーク。
あなたを守りながら、あなたに憎まれなくてはいけない。


矛盾している。
だが、矛盾していない。
不思議な感覚。


「今度気晴らしに出かけましょうか」
ニクスは柔らかな微笑を浮かべて、ようやくのことで言葉を紡ぎ出した。




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