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例えば君がいなくなったら



どうしてだろう、あなたを思えば思うほど私の心は掻き乱される。
あなたを愛すれば愛するほど、私は迷ってばかり。






ニクスは天蓋越しに射し込む朝日を受けて目を覚ました。隣には健やかな寝息を立てて眠るアンジェリークがいる。メルローズ女学院を卒業し、今はカルディナ大学の医学部に通っている彼の最愛の恋人で婚約者。
女性の浄化能力者として初めて出逢った時からもう3年。少女少女していた彼女ももうすぐ20歳になろうとしている。ニクスは愛しい彼女の額にかかる柔らかな髪をそっと掻き揚げた。そういえば、最後の戦いが終わった翌朝もこうやってアンジェリークの髪を撫でながら、ニクスは束の間の幸福を感じていたことを思い出した。

例えば今この瞬間目の前から彼女がいなくなったら。
私は生きていけるのだろうか?



そんなネガティブな現象を想像する自分が嫌だ。しかし、ニクスは今のこの幸せな状況を心から信じきるには長く生き過ぎてきた。
相手が目の前から突然消えることよりも、ニクスが相手の前から姿を消す回数の方が遥かに多かった長い人生。人よりも長く生き続けなければいけないという事実を受け入れることは、即ち、都合が悪くなると姿を消さなくてはいけないということと同義。だからニクスはいつしか心から誰かを愛することも、何かに執着することもいつか諦めてしまった。それでも時折どうしようもなく諦めきれないこともあった。そう、今のように……。


「ん……?ニ、ニクス……さん?」
「おはよう、アンジェ。よく眠れましたか?」
「えっ……あ、はい、きっと」
「よく寝てましたよ、幸せそうな顔でね」
「いつから起きていたんですか?」
「さあ、大した時間じゃありませんよ、安心なさい」

いつもはきちんと後ろで結わえられている髪も、かっちりとシャツのボタンを留めている胸元も、起きたばかりで素肌の上に昨夜のシャツを羽織ったままだった。そのしどけない姿を何度目にしてもアンジェリークは頬が赤らんでしまう。少し乱れた髪もモノクルの無いまっすぐな眼差しも、適度に筋肉質で贅肉のない胸元も、鎖骨のくぼみも何もかもが昨夜の出来事を想起させ、どうしても鼓動が早くなってしまう。
そんなアンジェリークの様子を判っているのか判っていないのか、褥を共にした翌朝は比較的ゆったりとニクスはいつまでもラフな姿のままで過ごす。

「アンジェ、お願いがあります」
「何ですか?」
ニクスはそっと肩を抱き寄せると自分の胸の中へアンジェリークを閉じ込めた。突然のことに少し動揺したアンジェリークは、一層鼓動が高まるのを感じて頬が熱くなる。額にキスをして、両頬にもキスを落とし、最後に起きたばかりの柔らかな唇にも長いキス。

「私の前から姿を消さないでくださいね」
「えっ?」
「もう嫌なのですよ、大切な何かを失くしてしまうのが」
「ニクス……さん」

アンジェリークはガラス越しではないニクスの切なげな瞳を目にして、今の自分にできることはあるのだろうかと哀しくなった。ニクスの言葉はきっと他の誰が口にするよりも重く深い。一人で200年もの長い時間を無理やり生かされてきたのだから、今のような言葉を心の底から言っているのに違いないのだ。自ら望んで永遠を得たのではなく、他者に取り込まれた結果そうなっただけ。だからこそ、彼のこんな言葉は切なく痛い。
アンジェリークには想像することしかできないが、ニクスはこれまでに望まない別れも多く経験しているのだろうと思う。その度に心に深い傷を負ってきたのだろう、そして少しずつ少しずつ本心を明かさなくなっていったのだろう。

「わたしはどこへも行きませんよ」
「約束……してくれますか?」
「わたしにも約束してくださいますか?」
「何を……ですか?」
「わたしの前から突然いなくななったりしないでください」
「ああ、そうでした。そうですね」

ニクスは微笑んだが、その笑顔はいつも周囲に見せる皮肉の混じったものではなかった。まるで飼い主を見失った子犬のようなニクスの姿に、アンジェリークは胸が痛くなった。柔らかいカーテン越しに差し込む朝日の中で彼女はそっと背中に腕を回し、あやすようにニクスの広い背をとんとんとリズミカルに叩く。小さな子供みたい、そう思ったけれどこの人の時間はもしかすると両親を失ったという幼い頃のまま止まっていたのかもしれないとも思う。

「昔……ニクスさんはわたしに言いましたね。自分を浄化してくれと」
「…………」
「でもわたしはこう言いました。わたしはあなたと共に生きるために生まれてきたんだって。覚えてくれていますか?」
「ええ、とてもよく覚えていますよ」
「あなたが好きです。だからもしわたしの肉体が消えても、生まれ変わってもう一度ニクスさんを探します。そして絶対に見つけます。だから、そんな哀しいことは考えないで」
「アンジェ……リーク、あなたと言う人は……」
「しつこいでしょ、わたしって」
「私だってしつこいですよ、何せ200年もの長きに渡ってあなたを探したんですから」
「そういえばそうでした」

ふふふと小さく笑ってアンジェリークは再びニクスの肌蹴た胸元に頬を寄せた。先ほどまでの早い鼓動とは打って変わって、少しずつ穏やかな音に変わっていく。ニクスはアンジェリークの細い肩にそっと手を伸ばすと、ゆっくりと抱きしめる。
自分の時間はもしかするとアンジェリークに出会うまで、幼いままに止まっていたのかもしれないと最近よく思うようになった。それまでに過ごした200年にも及ぶ長い時間は全て彼女に出会うための必然だったのか、だとしたら随分と長い罰を受けたものだ、ニクスの頬にふと笑みが零れる。

「ニクス……さん?」
「ああ、何でもありません。私は何と幸せなのだろうと思ったのですよ」
「よかった」

あなたが何を言おうとわたしはいつだって抱きしめてあげますからね、アンジェリークはニクスの胸に頭をもたせかけたまま囁いた。しばらくはこのままあなたのぬくもりを楽しんでいたい、ニクスは答える。アンジェリークは恋人の言葉に素直に頷くと、全身を彼の身の上に投げ掛けた。




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