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永遠を止めた先にあるものは?



「おや、扉が開いていますね」
ニクスはそっとアンジェリークの部屋を覗きこむ。いつもの彼ならそんな無粋な真似をすることはないのだが、ふと中の様子が気になってつい覗きこんでしまったのだった。私の小さなお嬢さんは時に無防備過ぎるようですね、そう低く呟きながらそれでも開け放たれた扉の中心をそっとノックをしてみた。やはり、というか何と言うか予想通り返事がまるで無い。その代わりと言っては何だが、いつも傍らにぴたりとくっついているエルヴィンが小さな鳴き声を上げて脇をすり抜けてどこか外へと出て行った。


「おやおや、本当に無防備なマドモアゼルだ」
アンジェリークは健やかな寝息を立てて、窓に向って置かれた机に突っ伏して眠っていた。出窓は開け放たれ、初夏の心地よい風が彼女の薔薇色の頬を撫で、水色の柔らかな髪は額の上でかすかに揺れている。

ニクスはその柔らかな髪をそっとかきあげて、耳の後ろへと流すように梳いてみた。それでもまだ彼女の瞳は開かない。やれやれと言った風情で、すぐそばにある彼女のベッドへと腰掛けた。柔らかな日差しの差し込むこの部屋を彼女は気に入ってくれた証拠と思ってもよいのだろうか、ニクスは思う。天涯孤独だという家族が学院から持ち込んだのは教科書に参考書、そして幼い頃に亡くなったという両親の写真。そこに最近一枚の写真が加わった。それは、この邸で共に戦い共に暮らす5人で撮った写真だった。ニクスはその写真をそっと取り上げてガラスの表面に手を翳した。アンジェリークの隣には自分がいて、その反対側にはレイン、3人の後ろにはヒュウガとジェイド。皆笑顔だった。
4人が揃った記念、だったか。あの日はまだ小さな依頼がいくつか溜まっていたが、それでもまだ未来を夢見るアンジェリークの表情は明るくかわいらしい。


最近忙しくしていたが、今日は依頼もなく久しぶりに平和な日だった。
レインはウォードンへ本を見に行くと言って出かけてしまったし、ヒュウガはヒュウガで旧友に会いに出かけた。ジェイドは昨日からコズの村だ。
つまり、今この広い邸にいるのは通いのメイド達を除けばニクスとアンジェリークの二人だけだった。


私の気も知らないでこのお嬢さんは無防備に寝てらっしゃる、ニクスはまたもそう呟くと困ったように肩を竦めてみせる。
ニクスは自分の中に生まれた感情の意味を知っている。だが、その感情に色を付けることにはいまだ大きな躊躇いがある。自分を浄化する可能性のあるこの清純な少女を「愛し」始めたことを日々否定しながら、それでもこんな姿を目にするとふいに甘やかな衝動が頭をもたげそうになる。


「好きです、などと言ったらあなたはどんな顔をするんでしょうね」
ぐっすりと眠っているアンジェリークの髪をそっと撫でながらニクスはまた一つ言葉をつむぎ出す。

言ってはいけない、そう思いながらそれでも口をついて出てくる言葉。抗いながらも止められない感情。この感情の意味を知っている、いや、正確には知っていた記憶がある。遠い記憶の中で何度かニクスはそういった感情に衝き動かされ、そして自らの手で終息させてきた。永遠の時を生きていることを悟られまいとして。

伝説の女王の力で自分の中に巣食う大いなる悪を浄化してもらう、ただそのためにだけこの長い長い永遠の時間を生きてきた。そしてやっと見つけた大きな希望の花は、この目の前ですやすやと眠る素直で芯の強い一人の少女。新聞で彼女の記事を見つけた時は柄にもなく大きな声で笑ったものだ。そしてすぐに記事を書いた記者を突き止め彼女を見出したのだった。自分が断りきれずにずるずると理事職を引き受けてきたメルローズ女学院の生徒だと知り、職務権限を行使してでも手に入れる、そう勢いこんで出かけた先に見つけたこの小さな少女。
身寄りがない、そうか、それなら好都合だ。ここへ引き取ればいい。そして折りを見て彼女の力を試し、そして……そして一思いに浄化してもらう。そうすれば自分を縛るこの醜い生き物から開放され世界は平和を取り戻すはず。

だというのに、彼女とともに過ごす時間が増えれば増えるほど、その思いは曖昧になっていく。
赦しがほしい、永遠の時を止めてほしい、自分の中の醜い衝動を止めてほしい。日々そう切実に願いながら、その一方で浄化された後の自分にはきっと待ち望んだ「死」が訪れるであろうことを予感して、このままでも良いのではないかと思ってしまう。例え世界を敵に回しても……。

大いに自己矛盾している。ニクスはそれが為に自室に戻ってはうまく寝付けないまま、夜毎ため息を繰り返していたのだった。




「……ん?」
「あ……」

アンジェリークの瞳がゆっくりと開き、ベッドに腰掛けるニクスの姿を認めた。まだぼんやりしているようだ。ぱちぱちと長い睫毛をしばたいて、ようやく彼女は目の前の人物がわかったようだ。


「お目覚めですか?マドモアゼル」
「ニ……ニク……スさん?」
「はい、そうです。おはようございます。いや、時間的にはこんにちわの時間でしょうか」

状況に気が付いたのか、アンジェリークの薔薇色の頬にすっと朱が差して、赤い薔薇の花びらのようになった。そして勢いよく立ち上がりかけて、逆につんのめった。ニクスは優雅な動作で立ち上がると転びそうになったアンジェリークに手を差し伸べて、前のめりになった彼女の体をささえた。
「見て……ました?」、小さな声でアンジェリークはニクスに尋ねる。にっこりと優雅な微笑みとともにニクスは頷くと「落ち着いて、アンジェリーク」と言いながら再び片手で椅子を引いて座らせた。

「いつから見てたんですか?」
「さあ、どうでしょう。それほど長い時間ではなかったと思いますが。あ、そうそうエルヴィン君は私と入れ違いに散歩に出かけましたよ」
「眠るつもりじゃなかったんです、ただ……ここからお庭を眺めてたら平和だなぁなんて思って、そうしたら……」
「今日は確かに平和ですね」
「はい、ずっとこんな日が続いたらいいですよね」


ずっとこんな平和が続く、それは恐らく自分のいない世界でこそ実現できるもの、ニクスはまたそう思った。自分の幼い欲望が呼び寄せた悪夢、そしてそのせいで彼女は両親を失くし、幼くしてメルローズ女学院に入った。だが、自分と違ってまっすぐで前向きな彼女は前をしっかりと見つめて素直に成長した。

「もし……もしもですよ」
「はい、何でしょうニクスさん」

アンジェリークは必ず話し手の顔を見ながら会話をする。初めはその視線で全てを暴かれそうで目を逸らしてしまいそうになったニクスだが今は平気な顔をすることができるようになった。ニクスは立ち上がり窓辺へと歩を進め、机に腰を預けもたれかかった。その姿勢のまま会話を続ける。

「私が諸悪の根源だと言ったらあなたはどうしますか?」
「何を……何をおっしゃているのか意味がわかりません」
「そのままですよ、私を倒せば世界は平和になる、もしそうならあなたは女王として責務を果たしてくださいますか?」
「世界の平和も……ニクスさんも……わたしには……大切です」
「でも、どちらかしか選べないとしたら?」
「どうして一つしか選んじゃいけないんですか?」

怒ったような顔をしてアンジェリークはニクスの前に立ち、じっと見上げてくる。少し高い位置にあるニクスの顔を見上げるアンジェリークの瞳には、うっすらと涙さえ浮かび頬は紅潮し両手は色が変わりそうなほどぎゅっと握り締められている。ニクスは、自分を浄化できる可能性のある少女に現れた強い感情に気圧されるほどの迫力を感じて立ち尽くすばかりだった。何をそんなに怒っているのか、いぶかしみながらも一方で少し喜んでいる自分に気付いて嫌悪した。

「アンジェリーク……」
「わたしは……わたしはニクスさんを失いたくありません」
「それはどういう……意味ですか」
「それは……」
「しかし、あなたにも私にもノーブレスオブリージュがあります。果たすべき使命が、ね」
「でも、その前にわたしもニクスさんも感情のある生き物です」

抱きしめてほしい、そう望むことさえ自分にとっては身分不相応だと思うのに体は止められない。ニクスは思わず手を伸ばしアンジェリークを腕の中に閉じ込めていた。一瞬身じろぎしたがアンジェリークはそっとニクスの背に腕を伸ばして抱きしめてきた。そして頬をニクスの上着に摺り寄せて、呟いた。「行かないで……」、と。

そんなことを言われたら私はますますどうしたらいいのか解らなくなってしまう、ニクスは心の中で呟くと優しい指先でアンジェリークの柔らかな髪を撫で続けた。


この闇を取り除くことができるのは「天使のような」この腕の中の少女のみ。長い時を経てただひたすらに浄化されることだけを望んで生きてきたニクスは、その先のことなど考えてみたこともなかった。しかし、今は違う。今は浄化されたその先を考える。
もし、もしも星にでもなってこの愛しい少女を永遠に見守ることができたなら、その永遠の時間はきっと幸せな時間となるだろう。
しかしそれで満足なのか、ニクスは日々悩み続ける。

永遠などいらない。

そんなものよりもこの温かな少女の体温とともに限られた生を生きる方が良い。だが、そんなもの今更望んでも得られまい。


「さてアンジェリーク、サルーンでおいしいお茶でもいかがですか?ファリアンからおいしい焼き菓子も取り寄せたんですよ」
「ニクスさん?」
彼女はニクスが話をそらそうとしていることに気が付いた。それでも話をもう一度もどすことはせず、うまく話を合わそうと顔を上げた。アンジェリークが見上げた先に見つけたニクスの笑顔は、先ほどまでの会話の重さを微塵も感じさせないほどに穏やかでいつも通りだった。

さりげない所作でニクスは強く抱きしめていた腕を解き、アンジェリークを解放した。そしてそっと手の平を差し出すといつもように紳士的な笑顔とともに優雅にエスコートしてサルーンへと導いていく。毎日毎日葛藤とともに名前を付けまいとしてきた感情にとうとう名前を与えてしまった、ニクスはため息とともに紅茶を淹れ始める。先ほどの涙の重さ、優しさ、そして芯の強さ。彼女なら、彼女ならもしかすると私を助け出してくれる存在になるのかもしれない、ニクスは「どうして一つしか選べないのか」と問うた無垢な少女の瞳が放った矢に、つい先ほど心の中心を射抜かれてしまった。


彼女なら……アンジェリークならできるかもしれない。もしだめでも世界に平和が戻るならそれでいい。それが自分に取っての「ノーブレスオブリージュ」だ。
愛した女性に永遠の時を止めてもらえるなら、そんな素晴らしいことはない。

ニクスはどこまでも平和で穏やかな日々を思い、窓の外に目をやった。そこには初夏の青い風がゆたっりと庭木を揺らしていた。




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