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このままもう少しだけ



君をこんなにも意識するようになったのは、あのキスがトリガーだったのかもしれない。






でも、あのキスの記憶はお互いにほんの些細な事故だったってことで落ち着いたつもりだった。
それに僕にとってはさずがにあれがファーストキスではないし、もっと大人のキスの仕方だってちゃんと知ってる。君だってもう高校生だ、キスのひとつくらいしたことがあるだろう。少なくとも僕は……あった。ああいう軽いキスならば。



だけど、きっかけはやっぱりあのキスだったのかもしれない。






「若王子先生。一緒に帰りませんか?」


放課後少しずつ潮が引くように生徒達が帰宅していく放課後、僕はいつも少しだけ淋しくなって意味もなく生徒達を飽かず眺めている。特別何をするわけでもない、何となく楽しそうな高校生を眺めて、時折ちっちゃな注意をしてそれで先生らしいところをアピールしてみせたりするだけ。

こんな緩やかな時間が僕にはとても貴重でかけがえのない時間。この緩い時間が終わると、また僕の心に小さな針でつついたような穴が開く。


そんな無為に過ごす日々の中で、彼女だけが一緒に帰ろうと僕を誘う。
普段生徒達は僕に親しみを込めて接してくれるけれど、それは学校内だけのこと。何となくだけど、僕は生徒達に相手をしてもらって何とか毎日をやり過ごしているような気がする。まあ、そんなそぶりをかわいい生徒達に見せたりはしないけど、何たって僕はもう大人だから。


君からのお誘いを3回に1回くらいはちゃんと断ってるけど、本当はいつも一緒に帰りたいと思ってる。そんなことを繰り返していたらいつかどうしようもないところまで行ってしまいそうだと僕のなけなしの理性は警告する。だけど、君との時間は楽しいと思うのも本当だ。


「もちろん、構いません。ちょっと待っててくださいね」
「はい、じゃあ教室で待ってます」
「や、そうしてくれるとありがたいです」

そのまま手でもつないで君達高校生みたいに堂々と帰宅デートを楽しみたい。だけど、僕は教師で君は生徒。あまり大っぴらにそんなことをするのは、いくら僕でも気がひける。そう、僕はもう大人だから。




放課後の校門へと向かう生徒達を掻き分けるようにして、僕は上着を放りっぱなしにしている化学準備室へと向かう。職員室に顔を出してちょっと挨拶をしてから、何だか気持ちが高揚してうきうきしていることにようやく気が付いた。
彼女と一緒に帰宅する……それははっきり言って何ということのない当たり前の日常。だけど僕はそういう当たり前の日常を思春期の頃に経験してこなかった分、変に心が沸き立つみたいだ。

なのに、急いでいる時に限って誰かに呼び止められたり、用事を思い出したりするものだ。断ればいいものを僕はいちいち相手の話に耳を傾け、用事を片付け、どうにか彼女が待っていると言った3年生に教室にたどり着いた時にはもうすっかり日が暮れていた。


ごめんなさい、もう待ちくたびれて帰っちゃたでしょう。
一緒に帰りたかったけど、きっともう君は愛想を尽かして先に帰ってしまったよね。



もう誰もいなくなった薄暗い廊下を急いで、僕は約束した場所へと向かう。いないと思いながらもそれでも足はまっすぐにそこへ向おうとするのだから、人間というのは面白い生き物だなと思う。


さん……もう帰りましたよ……ね」
そっと引き戸を開けて灯りも点けずに教室の中に頭を突っ込む。静まりかえった空気がちょっとだけ揺れる。

薄闇に包まれた誰もいないはずの教室の、窓際の列、後ろから2番目にある彼女の席に目をやると、机の上に突っ伏した薄い青色のワンピースが目に入った。




-----いた。




僕はちょっとびっくりしたけれど、何よりもいてくれたことが嬉しくて嬉しくて、起こさないようにそっと彼女の隣の席に腰を下ろした。腕時計を確認すると時間はもう午後7時。とっくに生徒は帰ってなくちゃいけない時間だ。


僕は今日も悪い先生です。
大切な生徒をこんな風に誰もいない教室に貼り付けて。


でも、このままもう少しだけうたたねをする君を見ていてもいいですか?
あ、そうだ。ちょっと寒くなってきたから、僕の上着でも掛けておきましょう。少しは温かいと思うから。
後5分、いや、後10分、君が目を覚ますまで僕はこうやって隣でじっと待ってるよ。




君が起きたら一緒に帰ることにしましょう。




大好きな君の安らかな寝顔を見ていたら、僕は何て幸せなんだろうと泣きそうになる。
昔の僕ならそんなこと1ミリも感じたことがなかったのに、今はどうだ、こんな他愛のない日常がいとおしくて楽しくて切なくて堪らなくなる。

このままもう少しだけ、僕はこの小さな幸せを噛み締めていてもいいですか?
もし神様というものがいらっしゃるなら、きっと僕は切に願うだろう。



さん……好きですよ、僕は君を。でももう少し待たせてくださいね」
「ん……ん?」
「や、起きましたか」

「せ……んせい?」




さぁて、帰るとしますか。
君も僕と同じように何気ない日常に幸せを感じてくれたら嬉しい。
その日常の中に僕がいるともっと嬉しい。

今はまだ堂々と制服の君と手をつなぐことはできないけれど、きっと僕はつないだ手を絶対に離さないと思うよ。
それだけは断言できるかもしれません。

だって、僕は今こんなにも君を意識しているんだから。



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