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あなたに願うたったひとつのこと



君は僕の願いを知ってる?
それはとてもささいなことだけど、とっても重要なことなんだ。
これから先僕らがずっと一緒に過ごすためには、必要十分条件だと思うんだけど。
どうかな。そろそろ僕のお願いを聞いてくれる?









「せーんせ!」
「はいはい、なんでしょう」
「バレンタインのチョコレートです。食べてください」
「ありがとう、さん」
「はい、先生の好きなミルクチョコレートですよ」

去年の3月から付き合い始めた僕の彼女は、未だに名前では呼んでくれない。僕はなるべくさりげない風を装って、君のことを名前で呼ぶようになったっていうのに。

見詰め合ってキスをしても、君は『先生』っていうから、その度になけなしの罪悪感がちょっとだけ頭をもたげてくるんだ。だけど、何だかまだ言いにくそうにしてる君に無理やり言わせるのも気が引けて、『先生』って呼ばれる度に頭の中でその単語を『貴文』って自動変換をするという高度な技術を身に着けた。

だから、僕の脳内変換の結果ではさっきの会話はこうなる。

「貴文さん!」
「はいはい、なんでしょう」
「バレンタインのチョコレートです。食べてください」
「ありがとう、さん」
「はい、貴文さんの好きなミルクチョコレートですよ」




二人でデートする時は、手をつなぐこともあるし、腕をからめることだってある。僕の好きな臨海公園のベンチなんかじゃ、結構ぴったりと寄り添って座ることだってある。まあ、でも、結局彼女が『先生』と呼ぶせいか、僕らはまだ一線を越えることができないままだ。いつか軽く触れるだけのキス以上へと進むことがあると思う。その時に『先生』なんてどう色っぽく言われてもやっぱりちょっと冷めちゃうかも。僕はもう大人だから、そんな挨拶の延長線上にあるキス以上のことだって知ってるけど、君はどうなのかな。疑うわけじゃないけれど、君は僕を愛してる?
ねえ、先生はそろそろ卒業しない?


さん」
「はい、なんでしょう?」
「突然だけど、問題です。さて、僕の名前は何でしょう?」
「はぁ!?」
「言ってごらん」
「えっと……あ、そうだ、コーヒー、コーヒー温めてきましょう。冷めちゃったから」
「ん……」

また、ごまかしたな。
そんなに照れなくてもいいのに。ホント、僕の彼女はひどい恥ずかしがり屋さんだ。

佐伯君には『瑛くん』って言うし、針谷君のことは『ハリー』って言ってたし、ウェザーフィールド君に至っては『クリス』って言ってるのに、どうして僕だけはいつまで経っても『先生』なんだろう。

狭いキッチンに立つ君を追いかけて、僕は後ろからぎゅっと抱きしめる。すると君の体温が即座に1度くらい上がったみたいで、柔らかな頬が桜色に染まった。

「ねえ、僕のお願い聞いてくれないの?」
「な、なんですか?」
「さあ何でしょう?」
「何ですか、それ」

僕の腕の中で慌ててる君はとてもかわいい。卒業してから伸ばし始めた綺麗な髪を掻き揚げて、白い首筋にキスを一つ。ついでに上から回り込んで赤く染まった頬にも一つ。正面を向かせて唇を奪ってもいいけれど、その前に僕のお願いを聞いてもらわなくちゃいけないから、それはご褒美のためにとっておこう。

「佐伯君は瑛くん、針谷君はハリー、ウェザーフィールド君はクリス、じゃあ、僕は何でしょう?」
「えっと、それは……それはその……」
「10数えるから言ってみて」
「えっ、いや、その」


1、2、3、4、5、6、7、8、9、10


「若王子先生」


がくっ。
全くもう素直じゃないな。

「ブッブー!貴文でしょ、さん」
「だって、だって、何かすごく緊張するんですもんっ!!」
「貴文って10回言ってごらん。目をつぶっててあげるから」
「でも」
「さあ、早く」

電子レンジのターンテーブルが止まるまでに1回でも言えるかな。ねえ、ダメ?
「あ、あの……」
「どうしたの?」
「呼び捨ては……ちょっと……無理、です」
「じゃあ、『貴文くん』でも『貴文さん』でも。はい、どうぞ」

た、貴文……さん


顔を真っ赤なよく熟れたトマトみたいにして、彼女は小さな声で僕の名前を呟いた。おっ、やっと言った。嬉しいな、いや、ホントマジで嬉しい。

「はいっ!」
「ひゃっ!」

嬉しくて僕は元気良く返事してみた。頭の上から大きな声が聞こえたものだから、彼女の肩がびくっと揺れた。ごめん、びっくりさせちゃたね。

「はい、後9回」



1回言えたご褒美に、真っ赤なトマトみたいな頬にキスを一つ。



後ろを振り返りもせず、呪文のように僕の名前を口にする君はとてもかわいい。
1年前までは大切な生徒だったけれど、今は大切な大切な僕の宝物だ。

「貴文さん?」
「えっ?あ、ああ、どうしたの?」
「どうしたのじゃないです。10回終わりました」
「うん、知ってる。さて、質問です。僕の名前は?」
「貴文さん」
「うん、よくできました」

後ろからぎゅっと抱きしめて、頭をぐりぐりと撫でるとまた子供扱いしてって少し拗ねちゃった。でも、どんなに拗ねても怒っても本気じゃないって知ってるよ。さあ、機嫌を直して一緒に暖かいコーヒーでも飲みながら、おいしいチョコレートを食べようぜ!




僕の願いは一つ叶った。
好きな女の子に名前で呼んでもらうこと。

さて、次のお願いは何にしようかな。
あ、でも君のお願いなら何でも聞くよ。ただし、現実的なことにしてね。



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