触れない指先
先生とお休みの日に出かけるようになって今日で何回目だろう。
最初はたぶん夏休みだったと思う。急に電話がかかってきて、今度の日曜日でかけませんか?なんて誘われた。本当はすごくどきどきしていたし、何より受話器越しに聞こえる先生の声はいつもよりもっと優しくて、ちょっとだけデートかなって期待しちゃった。でも、すぐにそんなわけないよねって思い返して、課外授業ですか?って聞いちゃったんだ。
そうしたら、一拍あいて、デートのつもりだったんですけどって言われてしまった。
デートって普通どんなことするんだろう。
誰かに聞いてみたいけど、そこから誰とデートしたの?なんて聞かれても困る。
だって、わたしの好きな人は担任の先生で、ずいぶん年上の大人だから。
「
さん。どうかしましたか?」
冬の人気(ひとけ)の無い海岸線をふたりで微妙な距離を保って歩きながら、ふとこぼれたため息を先生に聞かれてしまったみたい。どうしよう、何て答えたらいい?
ため息の理由はあなたと手をつなぎたいからですだなんて、言えないでしょ、普通。
「そういえば、先生が誘うと君はいつもいい返事をしてくれますね」
「ええ、まあ」
「断っても構わないんですよ、
さん。他に好きな人がいるのなら、先生のことは気にしないで……」
「ち、違います!違うんですっ!」
「ややっ、どうかしましたか?」
「どうもしません」
どうしてそういうことをさらりと言えるの?
それは先生が大人だから?
わたしがまだ子供だから?
こんなにも先生のことが好きで好きでたまらないのに、どうして……どうして手もつなげないんだろう。どうして先生の腕に触れられないんだろう。
きっと、わたしが手を差し伸べれば、先生は優しい大人だから受け止めてくれるでしょう。
だけど、それじゃ嫌なの。まるで、子供のわがままに付き合ってくれてるみたいだから。
帰ってしまおう。
ふとそう思ったわたしは、先生を残して誰もいなくなった冬の海をまっすぐに堤防に向かって歩き続ける。
もういい。
やっぱりどんなに好きだと思っていても、先生は先生だし、わたしは生徒だし。
無理、釣り合わない。
「
さんっ!待って!待ってください。僕を置いていかないで」
「…………」
先生が自分のことを『先生』と呼ぶのは、わたしとの距離を測っている時。反対に『僕』と言う時は、うっかり素になった時。二人でいても、先生がいくらデートだと言って誘ってくれても、この人は『先生』と『僕』の間で行ったり来たりしていつまでも揺れ続ける振り子のよう。
わたしはいつも先生しか見ていない、ううん、わたしが見たいのは『若王子貴文』という人そのもの。
だけど、あの人は『
』じゃなくて、生徒としてしか見ていない、きっと。
それにしても。砂浜ってどうしてこんなに歩きづらいんだろう。せっかく新しい洋服に合わせて買ったおしゃれなローヒールのパンプスは柔らかな砂の中にかかとをめりこませて、中々思うように前に進ませてくれない。
と、何かにつまづいてわたしは前のめりになった。
でも、後ろから腕を掴まれて倒れることはなかった。その代わりそのまま先生の腕の中に背中から抱きとめられる形になってしまった。
「
さん……大丈夫?」
「……大丈夫……じゃ、ないです」
「えっ?」
「先生なんて嫌い!他に好きな人がいるんじゃないかなんていう先生は大嫌いっ!!」
あー、最悪。
わたしったら大好きなのに大嫌いだなんて、子供のわがままみたいなことを言って。
ばかだ、マジでばかだ。
「そうですか。それは残念。僕は
さん、君が大好きなのに」
「はい?」
「だから、僕は個人的に生徒じゃない君が気に入ってるんですけど」
「何ですか、それ。猫じゃないんですよ、わたし」
「知ってます。ちゃんといろんな感情がある恋する女の子だってことくらい、えっへん、僕にだってちゃんとわかります」
「何を自慢してるんですか」
「やや、これは失礼」
「もう……」
先生はどうしてそんなことを言えるんだろう。
やっぱり大人だから。それとも、本当にわたしのことが好き?
「もう、怒ってない?ピンポンですか?」
「はい、怒ってません」
「よかった。じゃあ、仲直りの印に手でもつなぎませんか?」
「えっ、でも」
「いいから、いいから。今僕達はプライベートでデートしてるんです。だから、OKです」
返事の代わりに差し出された先生のきれいな手のひらに、わたしの手を滑り込ませた。すると、先生はにっこりと微笑んで、わたしの手をゆっくりと包み込むように握り返してくれた。
先生、ごめんね。
わたしはまだまだ子供で、先生はすごく大人で、時々拗ねて駄々っ子みたいなことを言ったりしたりするけど、それでも、先生が大好き。ずっと隣にいたい。
いいのかな?いいですか?
わたしがそばにいても。
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