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彼岸花、ゆれる



9月になるといつも生徒達の僕に対する空気がざわめき始める。
理由はそう、誕生日だ。

何年か前うっかり女子生徒に誕生日を教えてしまってから、なぜか毎年毎年その情報だけが一人歩きして物好きな女生徒がプレゼントを持ってくる。
僕はそんな彼女達を透明なラップフィルムを通して眺めているだけで十分だと思っていたし、実際そうしていた。だから教頭先生をダシに使っていつもいつも彼女達の好意をはね除けてばかりだった。





だけど、彼女だけは違った。
僕の方が君を欲しいと思った。日本に来て初めてのことだった。何が違うわけでもない、むしろあまりにも彼女は普通過ぎる、普通過ぎてどうしようもないくらいだった。なのにどういう訳か目が離せなくなった。

「先生」
「……?あ、ああさん。どうかした?」
「どうかした、じゃありませんよ。先生こそぼーっとして最近お疲れですか?」
「そんなことありませんよ。こう見えても先生結構体力には自信あるから大丈夫」
「じゃあいいですけど……」

何か言いたげに俯く君の横顔。そこには高校生特有の不思議な憂いと哀しみがぎゅっと詰まっているように見える。
高校の教師なんてやってるくせに、自分自身の学生生活は未経験だ。だから僕が学生達に感じる一種のノスタルジーは全て想像の産物に過ぎず、現実味を帯びた痛みでも感傷でもなんでもない。
そう僕はいつも透明なラップフィルムを通して彼らを「観察」しているのだと、思う。


ねえ君は僕のこと、どう思ってる?
僕は君のことをたぶん嫌いじゃない。
ただ君が生徒だから困る。
僕が教師だからきっと君も困る。




「そういえば先生、誕生日のプレゼントまた断ってましたね」
「ああ、そうですね。一人受け取ってしまうと際限なくなってしまいますし。第一みんなご両親からもらう大切なお小遣いや、がんばって働いたアルバイト代をこんなことに使わせるのはもったいないです」
「中々に正論ですね」
「でしょう。だから君もみんなに影響されずにお勉強がんばってください」
「まあ、後半年しかありませんからね」
「そうそう、その調子。君はがんばれば出来る子です。先生が保証します」



僕は君を嫌いじゃないことに気づいてから、平気で嘘を吐けるようになった。
素直になれれば苦労しない。

「先生」
「どうしました?」
「お誕生日おめでとうございます」
「えっと……」
「何もあげません。言葉だけ受け取ってください」
「はぁ……まあ、そうですね。ありがとう」
「どういたしまして」

唐突に立ち上がると彼女はペコリと大きく頭を下げて、真っ赤な顔で準備室から駆けて行った。ひょっとして僕は言い逃げ、されてしまった?
ああ、でも君が走って出て行かなかったら、うっかりぎゅっとしていたかもしれない。ああ、危なかった。


ねえ君も僕のことを嫌いじゃないのかな。
僕が君を嫌いじゃないのと同じように。

たぶんこの感情は……恋……なんだろう。
遅れてきた青春の1ページってところか。




初めて他人に興味を持ったのはたぶん14歳の頃。
それが「好き」という感情を伴うことに気づいたのは15歳になる2ヶ月くらい前。
温かくて苦しくてどうしたらいいのか判らなくなって、メディカルセンターに駆け込んだっけ。

ドクターは僕の話を2時間ばかし聞いた後、おもむろに言ったんだった。
「貴文、それは恋よ」って。きょとんとした僕に彼女は続けて「治療するには彼女にハグするとかキスするとかくらいね」と言った。それでも意味がわからない顔をした僕に「キスくらい知ってるでしょ」って言いながらウインクしたんだ。
でもその恋は僕が戸惑っている間に静かに終わりを告げた。彼女が結婚することで。

そう、初恋は10歳も年上の同僚だったのだ。
そして今は10歳も年下の生徒が気になって仕方がない。
どういう巡り合わせなんだろう。


彼女が走り去って冷めてしまったコーヒーをぐっと飲み干して、僕はようやく学校を後にした。
6時を過ぎると文化祭シーズンを除いて学校は急に静かになる。そんな薄暗く静かな廊下を歩きながら、さっきの彼女の赤い頬の意味を考えていた。どうして頬が赤くなったのか。僕も実は頬が赤くなっていたのか。


あの赤みはまるで……ご近所の祠の前の彼岸花の色。
アメリカ時代には見たこともない不思議な形の赤い花。
お彼岸の頃に咲くから彼岸花、曼珠沙華は天上の花。

帰りに見に行こうか、あの赤い花を。
風に揺れる赤い赤い彼岸花。

不安定な僕の心をそのままに。
いつか風が止んだら揺れる心もまっすぐになるのだろうか。


春まで後半年、か。
こっちが持つかなぁ。




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