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君がいるということ、僕が生きているということ



「貴文さん!」
後ろから明るい声が聞こえたと思ったら、僕の背中に温かくて柔らかいものが飛びついてきた。
その正体は去年までは制服を着ていた大切な僕の彼女だ。


「こーら、腰を痛めたらどうするんですか?」
僕は形式だけ「めっ」と軽くにらんで見せるけれど、その実こういうことをされるのが嬉しくてたまらない。彼女が在学中にも、いけないんだろうなぁと思いながら時々デートに誘ってはいたけれど、僕はともかく彼女の方がひどく遠慮して隣すら歩いてくれなかったっしね。だからこんなことをしてくれるようになって僕はすごく嬉しい。




「ちょっと涼しくなってきましたね」
「そうだね、さんの温もりが恋しい季節になってきたね」と抱き寄せて耳元で囁くと、彼女の頬は瞬く間に赤く染まった。そんな彼女がすごくいとおしくて、今すぐにでもこのままぎゅっと抱きしめたいと思う。

9月に入ったというのに日差しはまだまだ夏の名残を残していて、それでいて芝生の上を渡る風には秋の香りを含んでいる。自分の誕生日なんて今まで特に興味もなかったけれど、彼女と出会って僕は自分がこの世界に生きていられることを毎年感謝するようになった。そしてずいぶんと年が離れていることを毎年恨めしくも思うようになった、残念なことに。

「貴文さん。貴文さんってば!」
「えっ?あ、ああ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「何か思い出してた?」
「違うよ。幸せを噛みしめてただけだよ」
「おいしかった?」
「幸せが?」
「うん」
「そうだね、超おいしかったかな」
「よかった」

満面の笑顔を浮かべて少し背伸びして僕を見上げる君はなんてかわいいんだろう。高校の制服から今は少しだけ大人の装いに変わって、素顔から薄化粧に変わって、それでも笑顔だけは初めて会った頃から変わらない。
変わらない君の笑顔の前にいる僕はといえば、君に出会って君に恋をしてこんなにも変わった。たぶん。まあ表面的には何も変わらないし、大人になってからの外見の変化は10年スパンくらいでないと判らないはず。ましてや中身なんてそれ以上に変わるはずもないというのに、僕の心はこの秋のさわやかな空のようにまっさらになった。

さん、ありがとう」
僕は立ち止まって向かい合うと彼女の手を取り、細い指先にそっと口づけを落としながら小さな声で感謝の気持ちを伝えた。そしてポケットから小さな指輪を取り出して薬指にゆっくりと嵌めていく。

「えっと、あの、これって……一体?」
「魔除けですよ。ほら、銀はドラキュラをも倒すっていうじゃないですか。なんて、実は君のお守りというか何というか、ね」
「…………」

半分本当で半分は嘘。
大学に入学して半年。制服を脱ぎ捨てた君は一秒ごとに魅力的になっていく。去年まではいつも目の端に映っていたけれど今はそうもいかない。かといって青春を謳歌している君を自分のエゴだけでこの腕の中に閉じこめておくわけにもいかない。

だからこれは君のお守りというよりもむしろ僕のお守り。
君の指先を見れば僕のものだって安心する、きっと。

だから、ね。
外さないでほしいんだ。小さな小さな僕の我が儘。
いいよね。


「貴文さん、誕生日に会えなくてごめんなさい」
「そんなこと、気にしてないよ」
と言いながら実は少しだけ気にしてた。だってついこの間までは学校という狭い空間の中で確かに9月4日に会えてたのに、今はもう会えない。たったそれだけのことなのに僕はちょっとだけ寂しいと思った。

「嘘ついてもわかるんですよ」と笑いながら、君はまたがんばって背伸びして僕の髪に手を伸ばす。その仕草がかわいくて、目に入った大きな木の根元に二人して腰を下ろした。よく手入れされた柔らかな芝生に座ると少しだけ二人の距離が近づいて、さっきは届きかねた僕の頭に君の手が届き、ゆっくりと髪をくしゃくしゃにしながら頭を撫でてくれる。

「大好きだよ、さん」
「えっ?」
「大好き、愛してる、離さない。でも閉じこめたりはしない。君が君らしくいてくれることが一番」
「なんですか、それ。本当は……」
「本当は……何?」
「何でもありません!あ、そうそうプレゼント。忘れちゃうじゃないですか」
「何もいらないよ」
「そうもいきません」
「じゃあ、キスして」
「後でね」
「絶対だよ」
「はいはい」
「約束破ったら泣いちゃうよ」
「もうっ、何言ってるんですか」
「大きな子供だもん」
「はいはい」


僕のバカなリクエストを必死で聞き流そうとしているけれど、真っ赤だよ、ほっぺた。林檎みたいだ、いやもっと赤いな、トマトかな、ううんそうだな、季節外れののイチゴかも。どれにしてもおいしそうだね。今すぐ食べたいなぁ。



僕はずっと誕生日が苦手だった。
たぶん楽しみだったのはほんの子供の頃だけで、アメリカに渡ってからは誕生日を迎えるのが怖くてカレンダーの日付を真っ黒に塗りつぶしていた。日本に戻ってからは逆に覚える気もなかったし。

やがて年に一度物好きな女子高生が僕に「先生、お誕生日おめでとうございます」なんて言って何やら持ってきてくれた。最初は教頭先生をダシにして断っていたくせに3年目には嬉しくてつい受け取ってしまった。

さん、キスは?」
「えっ?あっ、いや、その、あの……あぅ、わかりました」

ちゅっと小さな音がして、君は真っ赤になって頬に触れるだけのキスをくれた。そんなに照れなくてもいいのになぁ、まだまだ慣れないのかなぁ。僕は好きだという感情が溢れすぎていつもそのままキスにつながっていくけれど。

「ありがとう。続きはどうする?」
「はぁ!?つ、つ、つづき?」
「うん、どうしよっか。このまま唇?それとも……」
「ああ、もうっ!貴文さんのばかっ!!」
「はははっ」

僕はどうしてこんなことばかり言うのかなぁ。
きっと反応がかわいくてかわいくてたまらなくなるからだろうね。

せっかくの週末なんだし、もう少し散歩したら夕飯の買い物を済ませてうちに帰ろう。
君に恋をする前は一人の家に帰るのは、楽しくも悲しくもなかったけれど、今は君と一緒にいられるから早くうちへ帰りたい。

君の手が離れないようにしっかりと握りしめて、僕からも君にキスをしよう。

「あ、そうだ」
「ん?どうしたの?」
「貴文さん、お誕生日おめでとう。生きていてくれてありがとう。出会ってくれてありがとう」
「…………」

思いもよらなかった言葉に僕は一瞬言葉に詰まった。この気持ちを伝えるための言葉が出てこない。
そんな時はこれ。君をぎゅっと抱きしめること。

「うん、ありがとう。来年も再来年も一緒にいてくれる?」
僕は精一杯誠実にさんを抱きしめながら耳元で囁いた。こくんとひとつ頷くと、ようやく彼女は猫が眠るみたいに僕の胸に寄りかかってくれた。うん、よくできました。





誕生日、か。
僕は君に出会ってから誕生日が嬉しくて嬉しくてたまらない。
待ち遠しいってこんな気持ちなのかなぁ。
嬉しいってこんなにいい気分だったんだなぁ。

マジで生きていてよかった、なんて思うよ。
さん、これからもよろしく。そしてありがとう。




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