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prelude to a kiss



9月というのは、何だか落ち着きの悪い月だ。
いい思い出があったような気もするし、かと言って何か特別いいことが起こったかというとそうでもない。
気温だってそうだ。日本に戻る前は9月というのはすっかり空気が秋めいて爽やかなのだろうと思ったいた。実際僕がごく子供の頃過ごした日本ではそうだったような気もする。
だけど、実際に戻ってみると9月ほど不安定な月はないと思い知らされたのだ。


学生のみんなにとっては、楽しい夏休みを終えて、また少しばかり憂鬱で規則正しい学校生活の始まり。社会人の僕らにとっては特別何の感傷もないけれど、まだ青春真っ只中の彼らにとっては9月とはそういうもの。





「若王子先生!」
さん、や、どうかしましたか?」
「若王子先生、今日、誕生日ですよね?これ、プレゼントです!」

いつもの月曜日、いつもの休み時間。
僕は職員室に座っているよりも、生徒達のざわめきを聞いている方が好きだから時々廊下をゆっくり歩いてみる。そうして、もしも僕に特別な才能なんてものがなかったら、きっとこうやって普通の高校生活を送れたのかもしれない、なんて無いものねだりな想像を巡らしながら。
彼らに取っては何の変哲もない日常。ただおしゃべりしたり、ふざけあったり、早めのお弁当を食べていたり、時々おやつを広げていたり、そういった日常が僕にはとてもきらきらしたかけがえのないものに映る。


この年頃の僕には与えられていなかったもの、だ。
望んでも無理、そんな風に達観するしかない10代だったから。
少しうらやましいのかもしれない。



「ああ……残念」
「えっ?」
「今朝、教頭先生から注意されたばっかりなんです。くれぐれも生徒から誕生プレゼントをもらわないようにって」
「そうなんですか……」
「そうなんです。だから、ごめんなさい」

僕のクラスの生徒。
そして、僕と偶然軽いキスをしてしまった彼女。
君はもう忘れてしまったよね?
実は僕はふとした瞬間にアレを思い出してしまうんだ。
君はもう忘れてしまったかもしれないけど。



丁重に失礼のないように困ったような笑顔を浮かべながら、謝る僕の姿は君からはどんな風に見えるのだろう。
大人に見える?それとも……子供?
いや、きっとただの優しい担任教師だ。


きっと君は友達にプレゼントを配って歩くのと同じ感覚で、担任の僕にもちょっとしたものをあげておこうと思っただけに違いない。きっとそうだ。


「あ、 さん。ちょっと待って」
「はい?」
「後で……そう、放課後、放課後に明日の授業に使うプリントの準備があります。化学準備室に来てください」
「わかりました」


僕はできるだけ相手を傷つけないように気を付けているつもりだけれど、もしかしたら知らないうちに色々な人を傷つけているのかもしれない。俯き加減の君を見ていたらなんだかとても申し訳ないことをしたような気がしてしまった。

つまりはちょっとした罪悪感。

他の女子生徒から何かをもらうことを断るのは、もう慣れてしまった。だから、何の痛みも感じない。僕はずっとずっとそんな心が痛むような経験を封じ込めようとして必死で生きてきた。
だけど、どうやら特定の女の子には弱いらしい。


まいった。
まいりました。
どうしたらいいんでしょう。



僕を利用した人達や、周辺に蠢く人々。そんな思惑に絶望して、逃げるようにして日本に帰ってきて、深く相手に関わらないようにして生きてきた。
なのに、どうして僕はあの子に拘ってしまうのだろう。






気持ちが横にそれてしまいそうになるのを何とか抑えて、授業を終えた。今日ほど神経が疲れた日はなかった。
放課後の科学準備室で、思わず君を呼び出してしまったことを今更少し後悔していた。本当は、君のことをちょっとだけ意識しているんだ、あの……キスをしてしまった日からずっと。だけど、君は僕の大切な生徒の一人。
教師という多数の感じやすい年頃の人間を平等に扱わなくてはいけないこの職業が、最近ちょっと窮屈に感じられるようになったのはきっと君のせいだ。


責任取ってもらえませんか?




「せんせい……せんせい……」
「ん……?」
「こんなところで居眠りしてたら風邪引きますよ」
「…………!」


驚いた、目の前に君がいる。
どうやら僕は、君を待つ間眠っていたらしい。


「で、先生。コピーする原稿はどこですか?」
「あ、ああ、ごめんなさい。そんなの嘘です」
「えっ?」
「先生は さんを傷つけたんじゃないかと思って……それで……つい」
「何のことですか?」
「や、だから、その」
「ああ、プレゼントですか、もしかして」
「はい」


僕は本当に恐縮していた。だって、生徒に嘘をついてまでこんな場所に呼び出したんだから。何を考えていたんだろう、本当に。呆れたような表情で僕をあまりにじっと見つめるから、つい照れ隠しに冷蔵庫から冷たいコーヒーを取り出そうと、席を立った。

「わたし、嬉しかったんです」
「やや、それは一体……どういう……?」
「だって、先生は他の人からも受け取らないわけでしょう。なら、また来年、来年もだめならまたその次の年。まだ卒業するまでに2回もチャンスがあるんですよ」
「あの……先生には話が見えないんですが」
「先生、一瞬嬉しそうな顔をしてくれたから……」
「や、そうでしたか?」
「はい。だからそれでいいんです」


どうして君達は……いや、君はそう前向きな笑顔をこんなどうしようもない大人に向けられるのだろう。
無邪気というのとも違う、無垢とも少し違う。そう、僕が子供の頃に失ってしまったものをまだ君は持っているらしい。

さん、はい、コーヒー。まだ暑いから冷たいのどうぞ」
「ありがとうございます」


窓の外はもう薄暗闇に包まれていて、校舎が校庭に暗い大きな影を落としている。時計はもう7時前になっていて、教室から離れた位置にあるこの化学準備室のあたりはすっかり静寂に包まれてしまった。

僕はずいぶんと居眠りをしていたのかもしれない。
いや、今目の前に君がいること自体、実はまだ夢の中なのかもしれない。
だって、そこに君がいるというだけで、いつも寒々としたこの部屋がほんのり暖かいのだから。



「飲んだら送って行きますよ。今日 さんとコーヒーが飲めて嬉しかった。何よりの誕生日プレゼントです」
「じゃあ、来年はおいしいコーヒーをここで淹れて差し上げます」
「それは楽しみだ」



来年の今日、僕の感情はどこを彷徨っていることだろう。君をもっともっと意識しているのか、それとも君自身が僕のことなど忘れてしまって他の男子生徒を好きになっているかもしれない。
それでも、いい。

きっと君と同じ時間をこの学園で過ごせるというだけで、僕は少しずつ少しずつ人間であることを思い出せるだろうから。





ありがとう、 さん。
来年は君と僕の秘密にしましょう、誕生日プレゼントは。



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