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08:抱きしめる 〜himuro× heroine



いつからこの感情が芽生えていたのか、今となってはもうわからない。
だが、確実に日々俺の心の中に澱のように溜まっていき、この気持ちを知られたら君に軽蔑されるかもしれないと思いながら、それでも物分りのいい大人として振舞ってきたつもりだった。もちろんそれでいいと思っていた、表面では。






「零一さん」
「ん?どうした?」
「久しぶりね、この季節にここに来るのは」
「そうだな、あれ以来か」
「そうね」

3月1日ははばたき学園の卒業式だった。彼女が学生時代好きだったのは、学園の王子と呼ばれた冷たい美貌の葉月珪。
後で聞いたところによるとどうやら二人は幼い頃からの知り合いで、葉月の方はそれを覚えていたそうだ。彼女はと言えば学園裏の古ぼけた教会に足を踏み入れるまですっかり忘れていたと言うのだから、暢気なものだ。それでも、桃花は改めて葉月に好意を寄せ、その相談を俺にしょっちゅう持ち掛けてきていた。その度に俺はアドバイスになっているのかなっていないのか今ひとつ不明なことばかり言っていたように思う。

気にしない振りをしながら、その実気になって仕方がない。そんな感情が知らず知らずに零れていたのか、いつも彼女と休日に会った夜には益田の店で1杯飲まなければ眠れなくもなっていた。だが、俺は相談役、彼女は親には相談できないことを相談できる大人だということでこうやって信用してくれているから、休日にも会うことが可能なのだ。そう納得させながら、一方で恋が終わりそうだと言われて内心喜ぶ自分を嫌になり、全く、とんでもない大人だな。


実際あの日なぜ彼女の自宅前に行こうと思ったのかもよくわからない。
だが、どういうわけか顔を見たいと思ったのだ。
そこで、葉月と手をつないで仲良く帰宅した彼女を見つけ、そして恋心を打ち明けられ、相談に乗ろうなどと殊勝なことを言い出したのは俺の方からだった。

確かに最初は本気でそう思っていた。
それでいいと思っていた。

いつの頃からか、それだけに甘んじている自分が嫌になり始め、気のいい大人を演じている自分に日々嫌気が差した。





「君は後悔していないのか?」
「何をですか?」と、言いながら君は俺の手を取り、無骨な節くれだった指をそっと撫でる。
「だから、葉月でなくてよかったのか?」

なーんだ、またそれですか。
小さく君は呟くと呆れたように俺を見上げ、さっきまで指先を触っていた手で頬をそっと包む。

昔、君がはずみで俺の頬に触れた時、そんなもの触って何が楽しいのかと告げたこともあった。しかし、そんなことより触れられた頬が熱くなっているのを悟られたくなかっただけだ。

「確かに」
「確かに?」
「すごく好きだと思ってました。葉月くんと会う度にわたししかいないよねって思ってました。でもね……」

は俺の胸に顔を埋めながら、続きを止めた。

あの日と同じ。
柔らかなオレンジ色の夕陽が海を染め、俺達二人をそっと包み込む。3月になったばかりでまだ肌寒い羽が崎の海には、二人の他には誰もいない。

そっと抱きしめながら俺は続きを聞きたくて、の顔を上げさせた。
「続きは?
「何度も葉月くんがわたしを好きだよ一緒にいようって言ってくれるシーンを想像してました。いっそ氷室先生に告白してもらって心の準備をしておこうかと思ったくらい、何度もね」
「幾らなんでもそれは応じられない相談だな」
「当然です」

それで、と促しながら俺はを抱きしめて1年前より長くなった髪を弄び始める。
「夢みたいでした、葉月くんが愛してるって言ってくれて……」
「ん」
「でも、何か違うんです。うまく言えないけど葉月くんじゃないって突然気が付いたんです。で、後はご存知の通り」
「そうか」
「もう、今さら何言わせるんですか」
「すまない」

ま、いっか。
と、は放り投げるように言葉を吐き出し、腕の中から抜け出して、冷たい砂の上に座り込んだ。

氷室先生のイジワル、はさらさらの冷たい砂を一掴み俺に向って投げてくる。
何だそれは、俺は手で避けながら隣に座り肩を抱く。




いつからこの感情が芽生えていたのか、今となってはもうわからない。
だが、最後のホームルームを終え、君が視界から消えた時、言いようのない寂寥感に襲われ海を見たくなったのだ。きっと君は意中の葉月とうまくいったことだろう、それでこそ俺のクラスのエースだと褒めてやらなくてはいけないと、まだそんな道化師のようなことを思っていたのだからバカもここまでくれば天然記念物に近い。

なのに、君はこの海にやってきた。
そして、君を初めて抱きしめた。




「いつから零一さんの方が大きくなっていたのかはわかりませんけどね」
「俺もだ。どうしようもない程君を愛していることが判っていたくせに」
「わたしも」
右隣に座る君の低い肩を抱き寄せると、そっと目を閉じた。そして、1年前よりももっと好きになった君の唇にキスをした。



ありがとう、そばにいてくれて。
あの日ここに来てくれて。
ずっと……ずっとこの先もずっと君だけを愛している。



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