06:だーれだ 〜reiichi× parallel heroine
ちょっとジュースを買ってくる、そう言ってわたしは零一くんの隣から離れた。夏の夕方の公園は人もまばらで、そこかしこに散歩する人の姿が見られるけれど、迷子になるほどの人ごみじゃない。
喉が渇いたのは本当。だけど、本当の目的はこれから。
大学生になって初めての夏休みは、高校の頃のようにばたばたと駈け抜けていかない。何せきっちり2ヶ月も休みが確保されているのだから、アルバイトをしようがサークル活動に精を出そうが、一向に時間は駆け足で過ぎて行かない。
「紗和、気を付けて」
「大丈夫よ、すぐ戻ってくるから。冷たい紅茶でいいのよね」
「ああ」
「ちゃんと立って待っててね、すぐ帰ってくるから」
零一くんは高校生の頃から心配性で、少し同級生の男の子より大人っぽかった。だけど、時々すごく子供じみたところもあって、甘い言葉をさらりと言うくせに照れ屋で、キスするのにも1年以上かかっちゃったくらい。
だけど、わたしはそんな彼が大好き。
さっき少し降った夕立のせいで、公園の芝生がきれいな緑色になっている。少し滑りやすい草の上をわたしはそっと歩いて、自動販売機で買った紅茶の缶を片手に足音を忍ばせて零一くんの後ろへ。
高校生の頃から一度やってみたかったこと。
それは、後ろから零一くんの背中に抱きついてみること。
いつもは正面からわたしを抱きしめてくれるけれど、背中から抱きしめるのは初めてのこと。テレビだったか映画だったか忘れちゃったけど、一度やってみたかったの。
高校生の頃も背が高い方だったけれど、この半年でまた身長が伸びている。街を歩いていても頭一つ飛びぬけて大きい。モデルにならないか、なーんて声を掛けられることもあるとかないとか。
だけど、彼はそんな大きな体を持て余し気味で、猫背ではないけれど少し窮屈そうにしている。
----- そんな細長い彼の背中を抱きしめてみたいと思った。
「だーれだ」
「はぁ?」
「だから、誰でしょう?」
抱きしめようと思ったけれど、その前に小さな子供のように思い切り背伸びして零一くんの眼鏡を取り上げて、綺麗な切れ長の目を片方の手のひらですっぽりと覆った。
少しうろたえたけれど、誰がこんな馬鹿げたことをしているかすぐにわかったでしょ。
「紗和……だろ?」
「うふふふっ」
「まったく……君は……」
目の上の手を取ると、零一くんはくるりとわたしの方へと振り向いた。眼鏡のない顔が笑ってる。
背中を抱きしめたかったのに、わたしの体は振り向いた零一くんの長い腕の中。さっきより少しだけ夕闇が迫ってきて、公園を歩く人影もまばらになった。
やだなー、結局いつもと同じ。
「紗和」
「なーに?」
「最近ちょっと疲れてるみたいだったけど……」
「そっちこそ」
「俺?」
「うん」
「夏は苦手だから……な」
「ちゃんと食べてるの?」
「セロリとか」
「何それ。仕方ないなー、特製カレーライスでも作りますか」
少しおどけて言ったわたしをさらに抱きしめて零一くんは動かない。
あれれ、どうしちゃったの?
「紗和……一緒に……。いや、何でもない」
「?」
彼は今わたしが一人暮らしになってるのを知っている。転勤族の両親がまたこの春から東京勤務に戻ったから。でも、家を空けてしまう訳にはいかないからとか、通学に便利だからとか、あれこれ理由をこじつけて、ここに居座ったまま。大体もう大学生なんだから、一人暮らしくらいできて当たり前だし、何かあったら零一くんが近くにいるんだし、って両親を無理やり説得しちゃったのだ。
まあ、確かに一人で何もかもしなくちゃいけないのは大変だし、疲れもする。
だけどね、なし崩しに一緒に住んじゃったりするのはどうかな、って思う。
その一方で一緒に暮らしてもきっとわからないからいいかな、とも思う。
二つある選択肢の間でわたしは毎日揺れている。
「零一くん」
「ん?」
「今日そっち泊まろうか?」
「いや、しかし」
「寝てないでしょ。一緒にいてあげる」
「いいのか?」
「うん」
一緒にいたいのはわたしの方。
だけど、こんな風に理由をつけなきゃそんな事言えない。
「じゃあ、買い物に行きましょうか。夕飯の」
「ああ、わかった」
「その後ちょっとウチに寄ってくれる?」
「本気か?」
「うん」
わたしは少し背伸びをして、零一くんの頬に軽く触れるだけのキスをして、大きな手を握り締めた。
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