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未来の君を……



毎年毎年飽きもせず、学園では天乃橋邸を開放してのクリスマスパーティ。
何でも先代の頃からの伝統行事で、紳士淑女予備軍としてはドレスアップしてパーティに参加するのも社会勉強の一つと言うわけだ。まあ、実際教師の方までドレスコードを決められ、俺も新人の頃先輩教師に言われて正装してみたりもしたものだ。学生達も期末試験が終わり、このパーティが終わると冬休みということもあり開放感に溢れている。

だがそれでも教師にとっては純粋に学校行事の一つ。
仕事であって飲み会ではない。だからお開きになった後教師達は三々五々次へと繰り出して行く。2年目までは俺も付き合いが悪すぎるのもまずかろうと思い参加したことがある。しかし、学生の飲み会並みの会話とノリに嫌気が差し、丁度店を始めたばかりの益田の店に一人で通うことにしたのだった。





か、もう少し待てるか。……ああ、判っている。……すぐに行く」


学園を出て長い坂を一人ゆっくりと降りていく。今年はクリスマスだと言うのに全く寒さを感じない。携帯を持った指先が凍えることなく、コートを羽織った状態で歩くと少し汗ばみそうになるほどだ。

いつもは自分で歩くことなどないこの長い坂道を、君は3年間毎日毎日通い続けていたのかと思うと今更ながら感慨深い。彼女が一人で、また友人と笑いさざめきながら通るこの坂道を幾度となと往復し、いつか気が付くと君の姿をミラー越しに確認するようになっていた。そして自分の気持ちを否定しながら肯定しながら、一人自問自答していたものだ。


夜の坂道は今丁度人が途切れ、さっきまでの喧騒が嘘のようだった。


坂の下に見える街並はいつも以上に光に満ち溢れていて、この聖夜を祝福するかのように煌いている。コートのポケットには今夜こそ渡そうと半年前から買ったままになっている小さな指輪のケースが一つ。本当なら一緒に花束でもと思ったが、さすがにこんな時間に売っている店も無いだろう。それでももし花屋が開いていれば、一輪でもいいから花を買おうと通りを眺めながらゆっくりと歩いていく。先ほどはすぐに行くと言ったものの、もうかれこれ15分は遅刻だ。まあ、益田のことだからちゃんと彼女を守りながら、退屈させないように相手をしてくれていることだろう。普段ならこの時間はあまり人通りがなくなるものだが、休日でクリスマスとなるとそこそこ人手があるものだ。


やがて人通りの少なくなった通りにぽつんと柔らかな光が見え、よく見ると色とりどりの薔薇が無造作にバケツに10本ほど放り込まれているのが目に付いた。

「すまない、まだこれは買えるのだろうか?」
「えっ?あ、ああ、いいですよ。だけどこれ残り物で色が揃わないんですがどうします?」
「構わない。残っているのを全部頂こう」
「あ、じゃあサービスしますよ。10本で1000円。ラッピングも……うーん、残りもんですみません。ちょっと待っててくださいよ」

若い男はこちらに口を挟ませる間もなく、バケツの薔薇をまとめて取り上げ淡いピンクの包装紙で手早く包み、いい訳を繰り返しながら白い大きなリボンを掛けていく。本来なら1本100円のはずはない。俺は5000円札を出そうとしたが、男は笑顔で手を振って受け取ろうとしない。「なぜだ」と問うと、男は笑って「だってもうすぐこいつら捨てられるとこだったんですから、俺にとっては1000円でもラッキーですよ。だから、お兄さん遠慮しないで持ってって。色んな色があるから花言葉には事欠かないしね」、などと軽口で答える。
俺は苦笑しながら色とりどりの薔薇を1000円札一枚と引き換えに受け取って、小さなフラワースタンドを後にした。
花言葉だと言われても正直ピンと来ないが、まあ、これで許してもらおう。遅刻のわけを。



「待たせたな」
重いオークの扉を開けると、温度差で空気が脇をすり抜けていった。店内はもうすでに人もまばらで、元々小さな店が一層こじんまりとして見える。

「零一さん……、それ、どうしたんですか?」
「おう零一、何か珍しいもん持ってるな」
「悪いか、益田」
「はっはーん、今日は何か特別なんだな。判った、一杯飲んだらさよならな」
「ああ、元よりそのつもりだ」

彼女の隣のスツールに腰掛けると、まだ不思議そうな顔をしてぶら下げるように無造作に持っている花束を見つめている。俺に花束など似合わないことは百も承知している、その上寄せ集めのような色とりどりの薔薇が10本。中途半端だってこともよく理解している。だが、これも全て君に捧げる今夜のための小道具。

、出ようか」
「えっ?もうですか?」
「もう、だ。君を独占したい、朝まで」
肩を抱き寄せて耳元で囁くと君の頬がぼっと音を立てて赤く染まった。薄暗がりの中でも判るくらいだから、きっと君は1度くらい体温が上がったんじゃないだろうか。

勘定を済ませて外に出ると、降るような星空で。
何度も君とこの夜空を見上げたと思うが、今夜は特別に美しく感じる。いつもと違ってアルコールを飲むつもりだったから、今夜は二人で歩いて帰るしかない。益田の店から自宅まで歩いてもそんなにかからないが、そのちょっとした時間でも君の手を握って歩けるのはとても嬉しい。

「零一さん、お花どうしたんですか」
「ああ、これか。君にプレゼントだ」
「うわー、ありがとうございます」
「大したことはない」
「ううん、とっても嬉しい」

君は頬を赤らめたまま君はさりげなく腕を絡め、最近よく履くようになったハイヒールの音が足元からこつこつとリズミカルに聞こえてくる。初めてそんなヒール姿を見た時は、転ぶのではないかと心配しすぎて結局君を膨れさせてしまった。今はもうそんな心配などしなくても、君はちゃんと前を見て踵の高い靴でも歩いていけるようになった。まあ、今そんなことを言うとまた君はきっと「いつまで保護者なんですか?先生」、なんて言われるのがオチだろう。

「今夜は泊まっていくんだろう?」
「いいんですか?冬休みでも学校あるんでしょう」
「ああ、いいんだ。授業があるわけじゃない。君はもう冬休みだったな」
「ええ、卒論の追い込み中ですけどね」
「そうか。倒れない程度に頑張りなさい」
「はい」

長いようで短いような時間が終わり、自宅のマンションの鍵を開けると少しだけ肌寒い。急いで暖房のスイッチを入れ、温かいものをと湯を沸かす。
「やっぱり、一日空けてると家って寒いですね」
「そうだな、もうすぐ湯が沸くからそれで何か作ろう」
「そうですね、そうしましょう」



コーヒーを淹れて彼女の前に座ると、途端に今日の決意が鈍りそうになる。今日は君に大切なことを伝えたいと思っていたというのに、いざとなるとこうも情けなくなるものか。俺はぐっと苦いコーヒーを飲み干すと、君を見つめた。視線に気付いたのか君はびっくりして目を伏せた。

、君に伝えたいことがある」
「はい、何でしょう」
「その前にあちらに移動しないか。隣同士の方がいい」

花束と指輪。
現実の重さは大したことはない、だが、心の重みはとてもじゃないが支えきれそうにないほどに重い。
二人してリビングのソファに座ったはいいが、沈黙が降りてきてどうしようもなくなってしまった。さて、どう切り出したものか。

「あ、そうだ、零一さん。お風呂のスイッチ……」
「そんなことは後でいい。……」

立ち上がろうとした彼女の腕を捕らえて引き寄せる。そしてよろめいて胸の上に落ちてきた君を抱きしめて唇に口付けをそっと落とした。そのまま流されないように君に与えるのはついばむような軽い口付けだけを何度も何度も繰り返す。

「……あ、零一……さ……ん?」
「愛している……
「……零一さん」

安心したかのように俺の胸に顔を埋めて、君は甘い声で名前を呼ぶ。突然、「あっ!」っと声を上げて飛び上がった。
「どうした?」と、問うと君は困った顔をして俺の胸を指差して小さな声で「ごめんなさい」とつぶやいた。指差された箇所に目をやるとそこにはほのかな桃色の口紅がくっきりと白いワイシャツに跡を残していた。

ああ、キスマークか。
こんなことは初めてだな。君の肌に赤い花を咲かせることはあっても、自分のシャツにこんなものを付けられるとは。

顔を上げさせると、口付けの名残か口紅がはみ出して何とも色っぽい表情になっていた。そういえば君はもう22才の女性だったな。初めて出会ったのが15才の君だったのだからもう7年。よくこんなに一人の女性に囚われているものだと、我ながら感心する。こんなにも君を長く愛していけるとはあの頃は想像もできなかった。だが、俺はこの先もずっと君がいいと言ってくれるなら隣を歩いて行きたいと強く望んでいる。

、シャツなど洗えばすむ。ダメでもこれしか持っていないわけではない。大丈夫だ」
「本当に?」
「ああ、それよりも俺はさっきから君に伝えたいことがあるんだ」
「はい」

君を隣に座らせて1度だけ深呼吸。それでも俺の鼓動は静まるどころか、むしろ高まるばかりだ。人生でこれほど緊張したことはかつてなかったが、一度くらいはこんな経験も悪くはない。まあ、二度とはごめんだが。

、すまないがちょっと目を閉じてくれ」
こくんと大きくうなづくと君は素直にその瞳を閉じる。

そっと立ち上がってコートのポケットから小さいが重い箱を持ち出し、中に入っている華奢な指輪を取り出した。座る君の前に跪きその小さく柔らかい手をそっと手に取ると一瞬指先が震えた。「まだ、目を開けないでくれないか」、と声を掛けると一層ぎゅっと瞳を閉じた。

サイズは1度渡したことがあるから大丈夫なはず、後は指が震えたりせずに無事左の薬指にはめられるかという心配だけだ。

冷たい金属の感触は緊張で昂ぶった俺の心を静めるかのように冷静で。アンドロイドのようだと評されたこの俺がこんなにも動揺していることをあざ笑うかのように冷たい。

「目を開けてもいい」

ゆっくりと瞳が開き、自分の指に光るものを見つけた君は俺の顔をまじまじと見つめ返してきた。「これって……」、と言いかけた君を制してダイヤモンドの輝く左手に口付けた。まるで女王に跪き許しを請うかのように少しだけ高い位置になった君の瞳を見つめて、今日一番言いたかった言葉をとうとう口にした。


、卒業したらここで一緒に暮らさないか。ずっと……この先もずっと……」
「零一さん……それって……」
「そうだ、君に結婚を申し込んでいる。本当は100本の薔薇とともにと思ったが、生憎とあれしかない。指輪も、その、些か実用的なデザインかもしれない。だが、こんなものよりも何よりも俺は……」
「ありがとう……ご、ざいます」
と言いながら君の瞳からは涙が零れ落ちて流れ始めた。ちょっと待て、なぜここで泣く?俺は何か勘違いをしていたのか、それとも泣かせるようなことを言ってしまったのか。頼むから泣かないでくれ。

「な、泣くな。泣くんじゃない」
自分でもおかしいくらい君の突然の涙に動揺し、為す術もなく腕を広げては閉じ抱きしめるか否か立ったり座ったり落ち着かない。だが、一向に君はしゃくりあげるばかりで泣き止まない。

「泣くな、俺が困る」
抱きしめてあやすように柔らかな頬にいくつものキスの雨を降らせてみる。それでも泣き止まないなら俺は一体どうしたらいいんだ。そもそもあの「ありがとう」はそのまま受け取ってよいものなのか。

……一体」
「零一さん……わたしでいいの?」
「は?」
「だから後悔しませんか?」
「後悔……か、後悔なら君が在学中に死ぬほどしたさ」
「えっ?」
「君を誘う度、罪悪感に苛まれ、自分がおかしくなったのではないかと真剣に思った」
「わたしも同じ……どうせ相手にされないのがわかってるのにどうしてこんなに好きなんだろうって」

小さな声で君は遠くを見ながら言葉を発し、それでも止められなかったの、なんてかわいい言葉を続ける。俺だって結局止められなかったからここで君の隣にいる。いつか読んだ小説だったか、誰かを思う気持ちを止めることは不可能だと書いてあった。読んだ当時はそんなことはないと思ったが、今実際自分が体験したことを思い合わせてみるにつけ、確かのその通りだったと思う。

「この先の君の人生を俺にくれないか」
再度俺は涙の乾いた君に向って跪く。そして瞳を覗き込み、きちんとした返答を欲しいと切に願う。

彼女は大きく息を吸い込むと、顔を真っ赤にしながら俺の頬に手を差し伸べて、「零一さんの未来もわたしに分けてください」と、言った。一瞬、意味が判らず混乱したが、それはつまり、その、いいのか。

「それは……つまり……?」
「そういうことです。そんなところで跪いてないで隣に座ってください。床は冷たいでしょう」
「いいのか?」
「いいも悪いもわたしも卒業式に言おうと思ってましたから」
「えっ?」
「だから、同じこと」
「そう、か。そうなのか。だが、やはりこういうことは男に格好付けさせてくれ」
「そうですね。指輪毎キスされた時はびっくりしたのと嬉しかったのとで混乱して……泣いちゃいました。ごめんなさい」
「いや、いいんだ」
「はい」


何か理由を見つけないとこんなことすら言えない情けない男だ。
いや、きっと本当に大切なものを前にすると誰しもがこういう状態になるのかもしれない。

……、メリークリスマス」
「はい、メリークリスマス」
「来年も再来年もこの先もずっと……」
「一生零一さんの側で……」
「ずっと君の側で……」

そっと目を閉じた彼女の唇に誓いのキスを。
今夜は君を抱きしめて眠ろう。そして……君の未来を守ろう。



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