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embraceable you



遅いなぁ、零一さん。
ビーフシチューもバッチリ、シーザーサラダもバッチリ、もちろんおいしいって評判のパン屋さんで焼きたてのバゲットも用意したし、あんまり甘くないワインもいい感じに冷えてるし、小さいバースデーケーキも準備OK。それなのに、今日の主賓は一向に帰ってこない。

早く帰るって言ってたくせに。きっと忙しいんだってわかってる。わかってるけど。


まあ11月6日はあなたの誕生日でもあるけれど、きっとそれより優先されるのははば学の学園祭。
それは今も昔も同じこと。わたしだってかつては学園祭の準備で結構遅くまで残っては先生に叱られてたっけ。
まあ、がんばれ後輩。きっと今日も氷室先生は「いい加減早く帰りたまえ、諸君」って明かりの灯った教室を片っ端から見て回ってると思うけど。

にしても今何時?
遅いなぁ、早く帰るって言ったくせに。もう。
お腹空いた。








ふと零一さんの香りを感じて目を開けた。
肩に掛かっていたのは彼の上着。まだほのかに温かさが残ったままで、もちろん一日彼が身に付けていたからいつもの香りが漂ってくる。


「起きたのか?」
「え……?うん、たぶん。今何時?」
「10時……前、だな」
「いつ帰ったんです?今日も遅いんですね、先生」

零一さんはわたしの「先生」と言う単語に反応したのか、眉間にすーっと1本縦皺が走った。わざと言ったってことにはさすがにすぐ気が付いたみたい。
「つい先ほどだ」、ぼそりと何かを投げ出すように口にすると彼は珍しく缶ビールを2本持ってきた。そしてわたしが作って冷蔵庫にしまっていたシーザーサラダを取り出すと二人分のお箸をテーブルに乗せた。

ついさっきって言うのも嘘じゃないみたいで、ネクタイを緩めてワイシャツのボタンを二つ開けてわたしの向かいに座るとじっとこちらを見つめてくる。ひょっとして怒ってる?もしかして久しぶりにお説教される?何だかなぁ、せっかくのあなたの誕生日なのにそれじゃあ幾らなんでもどうなんだろう。

「まずこちらを食べてから飲みなさい。空腹ではすぐに酔ってしまう」
「先生もね、どうせ栄養補助食品くらいしか食べてないんでしょ」
「そうだな。君こそ先に食べてしまえばよかったのに」
「む、今日は何日だと思ってるんですか!」
「11月6日だろう?」

それがどうした、と言わんばかりの顔をして缶ビールをごくごく喉を鳴らしておいしそうに飲み始めた。まったくもう、やっぱり零一さんは確信犯だったのね。じゃあ、こうなったら日付が変わっても「誕生日おめでとう」なんて言ってあげないんだから。

どうかしたのか、と少し不思議そうな顔でこちらをちらりと見ると、すっかりネクタイを取り去って今度はお箸でサラダをつつき始めた。冷蔵庫にケーキが入ってたことには気付いてないのかしら。ううん、隣に並べてあったんだから絶対に気が付いたはず。

、君も食べなさい。サラダを食べるくらいならこの時間でも太りはしないだろう。それともビールより別のものが良かったか?」
「知りません。わたし、お風呂入れてきます」
「……泊まっていくつもりか?」
「いいえ、ご迷惑そうだから帰りますよっ!じゃあ!!」


急に立ち上がったから、さっきまでわたしの背中に乗っていた零一さんの上着が音を立てて滑り落ちた。この間は微妙に嬉しそうな顔をしてたくせに今日は素知らぬ顔でビールを飲む姿に、何だかむかむかと腹が立ってきたわたしはかばんを置き去りにしている玄関へと走った。いや、正確には走り出そうとしたけれど、動けなかった。
わたしの手首を零一さんの大きな手がぎゅっと握り締めていたからだ。そっと振り返ると微妙に薄笑いを浮かべた零一さんの顔。あ、なんかちょっと嫌な予感。

「何するんですか!?」
「君を、引き止めているんだ。見て判らないか」
「だからどうして?」
「帰したくないからだ」
「帰ります!」
「嫌だ、君は大事なものを忘れているじゃないか」
「大事なもの……?ふふん、言ってあげないもんね」

座ったままだった零一さんはいつの間にか立ち上がっていて、わたしをくるりと彼の方に向かせると突然抱きしめてきた。
いつもそうだ、零一さんはいざとなるとすごくずるい。言葉の代わりにキスをしたり抱きしめたりする。だからずるい。

今日は俺の誕生日だ、耳元で彼の低い声が聞こえる。
言ってくれないのか、頭を撫でさすりながらさっきよりも甘くて低い声が響く。
言わないと離すぞ、って何それ。




「えっ?」
思わずわたしは顔を上げてしまった。とたんに降りてくるあなたの唇。避けようとしたのにしっかり後ろを支えられていて避けられない。もうこれだから大人はずるい。キス一つで片がつくと思ってるんじゃないかしら。さっきまで飲んでいたビールのほろ苦い味がする唇を離したいけど離せない。一生懸命胸を押しのけようともがくけれどもどうやっても腕が振り解けない。普段運動は苦手だ、なんて言うくせにこんなときだけしっかりと力を入れてくる。




「だから言っただろう、忘れ物だと」
喉の奥で小さく笑うと零一さんの瞳がふっと柔らかくなった。だからずるいんですよ、あなたは。そうやってふとした瞬間にそんな笑顔を見せるなんて。

「わざと忘れてる振りしてるくせに」
「いい年をして俺が無邪気に楽しみな顔などできるとでも思ってたのか」
「思いません。零一さんは天邪鬼だから嬉しくても嬉しくない顔をするのがうまいんですよね」
「中々言うようになったな」
「ええ、何年零一さんの隣にいると思ってるんです?」
「さあ、何年だ」
「ちゃんと自分で考えてください。と、いう訳で帰ります」
「泊まっていきなさい」


な、な、な、何を今更そんなこと。
よく言いますね、そんなこと。ひょっとして酔っ払ってます?
まさかと思うけど、空腹でビール飲んで珍しく回っちゃってます?

こんなに頼んでも君はまだ言ってくれないのか、と抱きしめたまま零一さんは頭を傾けて耳元で囁く。そして微妙に酒臭いまま首筋に強く唇を押し付けてくる。こらこらそんなことしたらしばらく首元を出せなくなるじゃないですか。と言うかそれで今まで頼んでたんですか?命令してるだけじゃないんですか?


ああもう仕方ない、ちゃんと言ってあげよう。じゃないといつまでもわたしはこのまま酔っ払いの腕の中だし。このまま寄りかかられたままだとわたしが折れちゃいそうだし。頼まれてあげますよ、仕方がないから。


「お帰りなさい、誕生日おめでとう」
「ああ、ただいま。そして……ありがとう。愛している」

まるでずっと並んでようやくお気に入りのおもちゃを手に入れたような微笑を浮かべて、零一さんはより一層強くわたしを抱きしめる。
あの……痛いんですけど。
もしもーし。

聞いてますか?



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