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for sentimental reasons



11月はどこからともなく漂ってくる淡い金木犀の香り。
11月はどこまでも高く青い空にたなびく白い雲。
11月は遠くから聞こえる枯れ始めた落葉樹の擦れる音。




そして、一番心が沸き立つのは11月。





「いい匂い」
「ああ、そうだな」

いつもの日曜、いつもの休日。こうやって二人でゆっくり歩くのは実に久しぶりだった。外出と言えば大抵ドライブで、彼女も昔から慣れていて今更何も言わない。それが今日に限って君は一緒に散歩をしたいと言い出した。だからこうやって並んで歩いている。自宅に近いからかいつもはきちんと手を握っているのだが、今日は俺の指先だけを控えめに握っている。

高校生だった君ももう今年で大学3年になった。20歳を過ぎた辺りから急速に女性らしくなり、今もほんのりと唇が赤く染まっている。
「ねえ、先生」と、君はいたずらな微笑みを浮かべて俺の顔を見上げた。彼女が「先生」と今更俺を呼ぶ時は何かがある時に決まっている。それはささいな我侭だったり、小さな憤りに端を発したものだったり、その時々によって異なるが。それでも、いつもとはちょっと違う感情が込められていることには間違いない。

「どうした」と答えながらも、俺の視線は正面を向いたままで。
とりあえず、彼女を促して小さな公園のベンチに腰掛けた。



金木犀は控えめに見えて匂いが強く、遠くにあるのに近くにあるかのように香り立つ。今もこの公園の周囲を見渡しても一向に見当たらないというのに甘く優しい香りだけが夕方の少し肌寒い空気を揺らしていた。昔はもっと早くからこの香りが漂っていたものだが、最近では11月に差し掛かった頃から一層強く香るようになったと思う。しかし、こんな自然現象を気にするようになったのはきっと……彼女のせいだ。



「先生、そういえば来週誕生日ですね」
「それは誰のだ?」
「あのねぇ、零一さんでしょ。まったくもう。どうしてそう毎年毎年覚えてないんですか。わたしなんて毎年毎年どうしようかって頭悩ましてるって言うのに」
「そうか、……すまない」
「それってわざとですか?」
「は!?」
「もし、わざとやってるんだとしたらどうかしてます。でも、許してあげますけどね」
「そうか、ありがとう」
「どういたしまして、先生」
「こちらこそ、

ふふふっと小さく笑って君は俺の手を取った。無骨な指先を弄びながら、まだくすくすと笑っている君の表情は実に楽しそうで、俺はそんな君の頭を撫でたいと思ったが、逆の手しか空いていないことに気付きふと苦笑する。

零一さんは昔からとぼけるのが上手だったわね、君はそんな風に言葉をつなぎながら尚も思い出し笑いをしている。
「そういえば、高校の頃も「社会見学だ」って言い張ってましたよね、あれどこまで本気だったんですか?」、なんて君はまた古いことを持ち出して軽く絡んでくる。おかしいな、今日はまだ1滴もアルコールを摂取していないというのに、こんな場所でそれを持ち出すとは。

どこまで本気だったのか、そんなことは正直もう覚えていない。ただ君を初めて「社会見学」に誘った時の心臓の鼓動の速さはまだ覚えている。放課後の階段の影で君に声を掛け、にこやかに振り返った瞬間の空気も、その時の俺の頬の熱も何もかもよく覚えているくせに、どうしてあの場で「社会見学」などと詭弁を弄したのか、それだけは今だに不明だ。

いや、そうではない。
揺れ動く感情の狭間でとっさにいざという時のいい訳を用意しただけ。つまり、まだ覚悟が無かったのだ。
覚悟が無いくせにどうしても休日の君の時間を僅かでも俺のものにしたくて、無理な言い訳を取り繕ったのだった。恐らく。

「あ、れ?どうしたの?」
「どうもしない。君は実によく覚えているものだと感心していただけだ」
「そうかしら。初めて誘われた時のどきどきはまだちゃんと覚えてるわよ。もちろん、きゃーどうしようって思ったことも全部ね」
「きゃー?」
「うん。うわー、デートだ!?って思ったんだもん」
「あははっ、デートか」
「だって、そうでしょう?ドライブに行かないか?なんてどう考えてもデートでしょう」
「それもそうだ」


さて、と言いながら君はすっくと立ち上がると、俺に向って手を伸ばしてきた。その小さな手を取って立ち上がるとしっかりとその手を掴んだ。

誕生日なんてどうでもいいと思っていたのは君に出会うまでのこと。君に出会って君が笑顔でプレゼントを差し出すようになってから、俺は毎年誕生日というものを無意識に楽しみにしていたに違いない。だが、それでも11月6日を朝から楽しみにしているなど気取られるのも少々癪だ。だから意識の奥に仕舞い込んで、仕舞い込み過ぎてどこへやったか忘れてしまうことが侭ある。


「ところで……」
「何ですか?」
「来週はどうするんだ?」
「学園祭の準備中ですよね、確か。部屋で待ってますよ、だからまっすぐ帰ってきてね」
「ああ、努力しよう」

「ついでにお買い物行きましょうか」、君は夕陽を背にしてにっこり笑うと俺の手を少し強く引いた。


11月6日はできるだけ早く帰宅しよう。君と1分でも1秒でも長く君と一緒にいたいから。





11月はどこからともなく漂ってくる淡い金木犀の香り。
11月はどこまでも高く青い空にたなびく白い雲。
11月は遠くから聞こえる枯れ始めた落葉樹の擦れる音。

そして、ほのかに心が温かくなるのは……11月。



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