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tenderly



「パーパ!パパ!」
「どうした?」
「はい、これ、ちょこれーと」
「あ、そうか。ありがとう」


零一は愛娘が差し出した小さな包みをそっと受け取った。対面式のキッチンカウンターの向こうで、が楽しそうな顔で笑っているのが見えた。今日は2月14日、世間一般で言うところのバレンタインデーだった。
彼が勤務する学園内でも今日は様々なチョコレートの包みが飛び交い、例年通り教師への義理チョコも紙袋に一つずつもらってきていた。その昔、今は妻となった彼女からのチョコレートをもらったことも今はいい思い出だ。

彼女が在学中はアンドロイドだのロボットだのと呼ばれていた、堅物の数学教師も今やすっかり人間味を身につけた……のは家庭だけでの話。依然学園内での零一は生徒の畏れと尊敬を集める優秀な教師だった。

「あなた、和音が作ったのよ。食べてあげて」
「そうか、がんばったな」

小学1年になった氷室家の長女は、妻そっくりの人懐こい笑顔で父が包みを開くのを今か今かと待っている。
読みかけの小説をリビングのテーブルに置いて、彼はゆっくりと小さな包みを開いた。

中に入っていたのはココア色のでこぼこしたクッキーが3枚。お世辞にも上出来とは言えなかったがそれでも零一に取ってみれば十分嬉しいものだった。
確かから初めてもらったのも、ちょっと不恰好なトリュフチョコレートだったな、と過去を懐かしく思い出しながら一枚つまんで口に入れた。タイミングよくテーブルの上にストレートの紅茶が愛用のマグカップで出され、も零一の隣に座った。

心配そうに見つめる娘の目を見て、「おいしかった」と零一は答えた。
と和音は一瞬見つめあったかと思うと二人して満面の笑みを浮かべ、零一を見た。零一も学園ではまず見せたことのない優しい笑顔を見せて頷く。

「ありがとう、和音。来月を楽しみに待っていなさい」
「はい、パパ。それじゃあお休みなさい」
「はい、お休み」

午後9時を回ったところで、が和音を寝かしつけにリビングを出ていった。




静かになったリビングで零一は10年前には思いもよらなかった今の自分に満足していた。10年前、いや正確には13年前になるのか、零一とは教師と生徒とという難しい立場で出会い、恋をし、彼女が大学を卒業すると同時に結婚し、今では和音と去年生まれたばかりの響の二人の子供にも恵まれた。


「零一さん、本当においしかったの?」
「どうした?」
「ううん、何でもない」

子供達も寝てしまったこの時間になってようやく二人の時間になる。妻は普段零一のことを「あなた」「夫」などと呼び、零一も「ママ」「妻」などと呼ぶ。だがこの時間は互いのことを再び名前で呼び合う、恋人の時間だ。


「なあに?」
「君からはないのか?」
「そうでした。ちょっと待ってて」

はすっと立ち上がり、二口残って冷めてしまった紅茶のカップと一緒にキッチンへ戻った。もう一度淹れなおした紅茶と一緒に小さなチョコレートケーキがテーブルの上に乗せられる。

「零一さんへ。今年も一年ありがとう。またよろしくね」
「ああ、こちらこそありがとう」

二人は他人行儀に挨拶をし、そのまま顔を見合わせてちょっとだけ笑った。
自分にこんな穏やかな日常が訪れるであろうことを、かつての自分には想像もできなかった。結婚することも誰かを心から愛することも、子供達を慈しむことも……。

その悦びを与えてくれたのは、今隣に座る愛しい妻。


「愛してる」、零一はの肩を抱き寄せ耳元でそっとつぶやいた。一瞬赤くなった大切な妻の唇に口付けると、ほのかに甘いチョコレートの匂いがした。



愛してるよ。
愛してるわ。

永遠に……。
そう、永遠に……。



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