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as time goese by



わたしが今までに出会った男の中で、彼はとびきり面白い男だと思う。
まあでも、わたしの乏しい経験に照らし合わせてのことだから「とびきり」というのは言い過ぎかもしれない。







その男の名は「益田義人」。

はっきりと覚えているわけでもないけれど、4年と半年くらい前わたしは学生の頃からずっと付き合ってきた恋人と別れたばかりだった。
その上、春に異動した部門では勝手が違って急に仕事が増えて責任も増えて、やりがいを感じてたのは最初だけ。ついこの間も大事なプレゼンで1回とちったのを皮切りにぼろぼろに終わってしまって、後輩にくすりと笑われた。たまたま忘年会会場の居酒屋で一緒になった同期の友人に愚痴を言い続け、会社がらみの二次会は不満が爆発しそうだったから断って、彼女と二人通りすがりに目に入った控えめな看板に惹かれてこの店に入った。

仕事も行き詰まり、恋人にも振られ、わたしは28歳にしてまっすぐな道の真ん中で途方に暮れている小さな子供みたいな気分だった。


「わかるけどさ、そりゃ紗夜の言うこともさ」
「本当に?本当にわかる?」
「うん。でもさ、失敗なんて誰でもするでしょ。わたしなんてしょっちゅう失敗して先輩しっかりしてくださいよ〜、なんて笑われてるよ」
「でもでも、こないだのはないでしょ」
「気にしない気にしない」
「はぁ……」

本当はカウンターじゃなくてボックスの方がよかったのに、生憎と年末のジャズバーは外見とは裏腹に結構混み合っていた。カウンターの中でマスターらしき男がちらりちらりとわたし達の方へ視線を向けてくるけれど、特にその夜は何とも思わなかった。むしろこんな場所でさえ、みっともないところを見られたとしか思わなかったわたし。

「これ、オレからのおごり」
「……えっ?」
「わー、ありがとうございます。きれいですね、このカクテル」
「あれだよ、君の瞳に乾杯って奴ね」
「へぇ、そうなんですか。でも、いいんですか?」
「いいっていいって。そちらの彼女も遠慮無くどうぞ」
「結構です」
「ま、そう言わずにさ……」
「いりません。初対面の方におごっていただく謂われはありません」
「いいじゃない。何となく落ち込んでるみたいだったし、ね」
「いらないって言ってるじゃないですか。お節介は止めてもらえますか?」
「ちょっと、紗夜!言い過ぎだよ」
「手洗いどちらですか?」
「あ、ああ、あっち」
「紗夜ってば。あ、ごめんなさい、マスター」
「いや、いいんだ」





何が君の瞳に乾杯よ。
1週間前に彼氏に振られて仕事に失敗したわたしがかわいそうとでも思ったわけ?
聞いてない振りしてやっぱり全部聞いてたんだ、趣味悪。つか、わたしの方がきっと最悪。初めて会った相手にあんなにつっけんどんにして、八つ当たりして。

ああ、バカみたい。
一人でぐるぐる空回り。
自分でもこうなると止まらない。

もう嫌だ。
店の中は客の喧噪に紛れて微かにしか聞こえなかったBGMが静かなレストルームに流れてきた。
あ、この曲……知ってる。

as time goes by だ。
さっきの気障なマスターはよっぽどカサブランカが好きなのかしら、差し出したカクテルもそうだったし今掛かってる曲もそう。しかも録音じゃなくてピアノの生演奏ってところがまたリックを意識してる感じがする。
そういえばピアノなんてあったっけ?ああ、そういえばあった。店の隅に控えめに置かれたこぶりのグランドピアノが一台。




トイレの個室に座り込んだまま、わたしは自分のカッコ悪さに涙が出てきた。
しんとしたトイレに控えめなヒールの音が響いて、やがてわたしが座り込んでいる個室の前で止まる。一瞬ためらってからノックが2回。

「ねえ紗夜子、大丈夫?」
「真美ちゃん……」
「マスターさんがね、心配してたよ」
「…………」
「あったかいカフェオレ作ってくれるそうだから、それ飲んだら帰ろう」
「ん……ごめんね」
「いいっていいって。じゃ、先戻ってるね」



わたしはそのうちきちんと立ち直ることができるだろうか。
この店のカウンターで1杯の温かいカフェオレを飲んだら、気持ちを切り替えることができるだろうか。

「オレさ、こんなこと言えた義理じゃないけど」
「……はい」
「えっと、そう、そうだ。何かあったらまたおいで。年中無休夕方の6時から翌日の朝まで開いてるからさ」
「はい?」
「今度はさ、1杯飲んでってよ」
「……そうですね。今度はそうします」
「うん」

にっこりとマスターは笑うと、まだ温もりの残るカフェオレボールを引き上げてゆっくりと頭を下げた。
わたしはそのまま友人と一緒に店を出た。


タクシー待ちの間に見上げた冬の空は、やけに凜として星の瞬きすらないほどにまっすぐな明かりだけ。
あれは何だっけ?確か教科書に載ってたオリオン座だったっけ?

「紗夜子、もう大丈夫っぽいね」
「そうかな」
「うん、きっと来年はいいことあるよ」
「かもね」
「わたしもがんばろっと」
「うん、がんばろうね」
「よし!今からウチで朝までガールズトーク大会だ」
「受けて立とうじゃない」






それから半年。
わたしはいつの間にか常連の仲間入りを果たしていた。
カウンターの端に座って、あの人のカクテルを片手に氷室さんが気まぐれに弾くピアノに耳を傾ける。


この柔らかな時間がずっと続きますように。
そしてあの日からわたしもあなたもずっと笑っていられますように。




毎度毎度カオポンさんちのお祭りに参加させていただいています。その度になんとなく繋がった話を書いてきたんですが、これは献上品ではありません。まあいわゆる一種の番外編ってところでしょうか。
今年の出品作でようやくハッピーエンド(?)になった二人の出会いです。それも彼女視点で。
どういう風に出会ったかは益田サイドからはさらりとしか書いていないので逆からはこんなだったんだっていうことで、書いておきたかったんです。




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