■X1/9 コンペティション
あ、さてぇ〜その間FIATはX1/9のビッグブラザーとなるモデルを開発する。ランチア・ベータをベースにFFからMRへとX1/9と同じ成立ちをするそれは、知る人ぞ知る、X1/20コード名で呼ばれていたモンテカルロ*1である。(このプロジェクトはX1/9にモアパワーを望む声から124のツインカムユニットを載せようとしたのが初めだという説もある)しかし興行的に成功はしなかった。
FIATをベースとした競技用マシンをつくることで有名なかのAbarthはそのモンテカルロのエンジンがX1/9に載らないかとチョットやってみた。幅広のホイールとタイヤ(185/70-13)、それを覆うオーバーフェンダー、エンジンフードから突き出た巨大なエアインテーク、FIATがグループ4ラリーへ向けてストラトスの後を継がすべく開発したX1/9プロトティーポ*2は131アバルトラリーにその座を奪われる。おそらく、5.6台のプロトティーポはすでに完成していた。しかし、400台のホモロゲーションを獲得できず結局そのプロジェクトは中止となる。
また、ランボルギーニや、ランチア・ストラトスなどの開発で有名なジャンパウロ・ダラーラはグループ5シルエットフォーミュラへ向けてX1/9をチューンした。そのエンジンは16バルブヘッドが載せられる。X1/9 Dallara*3
(このへんのレーシングモデルは機会があればさらに詳しく探りたいところです)
■いくつかの限定モデル
【1975年11月】トリノショウにおいてX1/9にスペシャルモデルが加わる。Corsa*4と呼ばれるそのモデルはFIATからではなくBrertoneによるもの。オリジナルのアルミホイール、フェンダーに若干膨らみをもちリアにはダックテイルスポイラーが付けられる。メカニカル的変更は受けていない。
【1976年】北米モデルは安全規制によりバンパーを巨大化する。その他マフラーのテールパイプを右出しに、リア回りに脱着式のグリル。1979年にはヨーロッパ排ガス規制のため若干のパワーダウン(75hpから73hp)が余儀なくされる。アメリカ排ガス規制では61hpへダウン!145/13のタイヤは165/7013へと変更される。
【1977年1月】イギリスにやっとのことで右ハンドル仕様がやってくる。アナウンスされてから待つこと3カ月。"Serie Specale"*5をもとに右ハンドル仕様にしたものだ。ボディサイドにはラダーストリップ(Ladderはハシゴのこと)とよばれる黒いラインが施され、5Jアルミホイール(Cromodora CD58)と、フロントに黒い大きめのスポイラー、Carelloのフォグランプ、トランクにはシートと同じ生地のファッションバック!!など、かなりの特別仕様だった。フロントフェンダーにはイギリス国旗(イタリア、日本などではもちろんイタリア国旗)とNuccioのサイン入りのナンバープレートが付いていた。ボディーカラーはメタリックオレンジ(code190)、メタリックグリーン(code390)、メタリックブルー(code437)の3色で、それぞれの内装はボディ色に合わせたデザインがされる。
さらに、売れ行きがよいのを記念してその年の夏、Lido*6と呼ばれる2番目の限定モデルが出る。(イギリスだけらしい)ブラックメタリックボディにクロムメッキのバンパーを付け、シルバーの細い2重のライン(ナックルラインっていうの?)が入っていた。内装は白のアルカンタラ!!パリのナイトクラブの名から取ったLidoは1978年4月までにシャーシナンバー128AS00088201から700台が限定生産された。
■X1/9 1500
【1978年10月】唯一の大きなモデルチェンジ*7がされる。重要な改良を与えるだけでなく、それは最新のFIAT車の中で、できるだけ一般的な車(なくてはならない標準)として残すことを目的とした。
1978年4月、一見、不思議な顔のリトモがデビュー。アメリカ名ストラーダ。エンジン/トランスミッションは128やX1/9をもとに開発されたものだが、エンジンは3タイプ用意され、その中でトップグレードとしてボアは86mmのままでロングストロークにした1498ccエンジンが新たに加わった。さらに5速ミッションが与えられた。
北米で厳しい排ガス規制のためディチューンされたX1/9にモア・パワーの声は大きかった。そこから派生したアイディアはまさに、リトモのエンジン乗っけちゃえ!!であった。その結果X1/9は85hpというパワーを得た。その上5速ミッションが与えられ、3速までは以前の128のレシオのまま4速をよりローギアードにし、さらに0.863:1の5速が付いたのだ。それまでの後期モデルのBIGバンパー(梯子型バンパー)は不評だったが、新しいモデルではよりスムーズな一体型バンパーが与えられた。そして、ニューモデルはすべてのマーケットで同じ仕様のボディーに標準化されたが、長さと車重が増えてしまった。(本国で920kg、アメリカで980kg)
結果、より心地よく、よりトルクフルに強化された新しいモデルだが、いくつかのアメリカでのロードテストでは、Road & Track、Car & Driverなどの雑誌社に送られるテスト車両は、少なくとも、他と同じ標準車両であるべきだということを暗示させた。
しかしながらヨーロッパではそれが今まで、時速100マイルに達するのに非常に激しく回して苦労していたのに、ドライバーはもっとリラックスしながら110マイルのトップスピードを出すことができた。
車両価格はアメリカで$7,115、当時かなりインフレだったイギリスでは4,575ポンドだった。開発も人気も頂点に達していたX1/9はエンジンをこれ以上大きく、またパフォーマンス向上のため改良することは既存の移植以外に不可能だった。
■暗礁をのり越えて
自動車工業がじつにこのように発展を続けていくと、FIATやその他世界中に品質管理の波が押し寄せる。それはFIATにとって不利な評価を生み出してしまった。もしくはイタリア企業の評判を破滅させる恐れがある出来事だ。
イギリスではLANCIA Betaの不祥事が指摘される。そして北米でその不快感は一層広く広まった。発表されてから8年もの間なんの変更も受けなかったという事実。北米の自動車雑誌によって行なわれる所有者調査は意味がなかった。そして、1981年不安になるほど販売が落ち込んだFAITは124スパイダーとX1/9をUSマーケットへ向けて販売体制を整えなおそうと考え始めた。それに応じて、フィアットはそれぞれPininfarinaとBertoneに同様の取引きをして、FIAT自身のTurino工場から最終的な組立てをそれぞれの工場へ移行させていくことを決定した。(なんか意味がおかしい?つかれてます、そろそろ)
それぞれのコーチビルダーは(PininfarinaとBertone)バランスよくボディとシャーシを組み立てペイントし、しかも、そのマーケティングと分配までも指導した。1日100台を生産していたピーク時はすでに過ぎ、1982年に入ると1日30〜40台というペースになっていた。1981年9月アメリカ向けのX1/9は完全に生産を終え、1982年の始めその変わり目が来たことを世界中が認識した。
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*1 フィアットでいうX1/20はアバルトでいう030 量産モデルはモンテカルロ
MOTOR MAGAZINE 1975/4増刊 世界の自動車特集より


Filipinetti X1/9 Racing 1973 石油会社、アンタールのバックアップを受けたスクデリア・フィリピネッティによるレーシングバージョン。横にあるボードのスペックを信用するならエンジンは4バルブの190hp!
CarGraphic73/3号より

*2 Abarth Prototipo 1800
 *3 X1/9 Dallara

*4 X1/9 Corsa 1975

*5 X1/9 Serie Specale 1976 北米で5マイルバンパーが付いたのと同時期の本国モデル。なぜかCORSAと同じタイプのホイールをはいている。

*6 X1/9 Lido 1977

*7 1500モデルの初期型。よくみるとエンジンフードのサイド、内装、リアトランクのX1/9バッジなど細かいところに違いがある。

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