■X1/9デビュー
【1972年11月26日←23訂正(わたしの打ち間違いです、これを孫引きされた方、十分ご注意ください、わたしの参考にした原典は Fiat X1/9: A Collector's Guide by Phil Ward や FIAT X1/9: LE VETTURE CHE HANNO FATTA LA STORIA by S. Serin and C.A..Gabellieri などです】トリノショウの直後、X1/9は124アバルトラリーとともに発表された。1,800,000リラと公表されたその値段は128Coupeの1,450,000リラからすれば、妥当な値段で、むしろリーズナブルに思えた。しかし、北米向けにはまだ生産準備が整わなかったため、しばらくは850Spiderの生産を平行して行った。結果的に1974年モデルの見通しが立つ1973年中ごろまで850Spiderは生産された。
自動車誌も消費者もかなりイケテルと判断。なぜこんなに遅いの?あるいは、なぜもっと安くならないの?と感じるごく一部の人以外は、誰もその車について悪く言うものはいなかった。フィアットのプレス関係者によって報じられたシシリー島Targa Florioコース上での耐久テストデモは讚えるべき優秀な結果となった。ただ、唯一の不満はそれがしばらくは国内マーケットのみの販売で、アメリカと日本には1974年、イギリスには1977年まで正規に輸出されなかったことだ。
【1974年】アメリカ排ガス規制をクリアしたX1/9が北米へ向けて輸出された。圧縮比を8.5に下げ、しかも排気マニフォールドへのインジェクションポンプをつけたアメリカ版はカリフォルニアで66ps、47stateで67hpというディチューンがされた。さらに加えるならそのカムシャフトはバルブタイミングを本国仕様の24/68/64/28から12/52/52/12という低いものにかえられている!!。あまりのひどさに私(堀口)は目まいがした。(これは1500でのデータだが、1300でも同じではないかと私は見ている)ロイヤルモータースにより輸入された日本バージョンはこのカリフォルニア仕様であった。当時$3,970(1,655ポンド、日本仕様は189万円)で販売された北米仕様のX1/9はベストセラーとなった。
ただ、イギリスやオーストラリアの右ハンドル車を望んだ人々は1977年まで待たなければならない。待ちくたびれたイギリス人はRadbourneRacingが輸入し、右ハンドルへ変更したモデルを2,800ポンド(イタリア発表当時のX1/9は約1,250ポンド)も出して買ったのだ。あまりに不当と思える値段だが、当時のMotor誌がその金額を見て何を考えたか2,508ポンドのMG MGB GTV8(3.5リッターエンジン)と比較したのは皮肉である。
ここにX1/9の評価の一例としてMid Engine Classicと呼ばれるアメリカのロードテスト(X1/9が正規輸入される3年前)があるが、その時のRoad & Track誌のコメントは「あと$1,000余計に払えばX1/9が買えるというのにMG Midgetなどを買おうとする奴は完全なマゾヒストである。」だった。
またAuto誌のPeter Windsor氏による、1977年と1978年にX1/9で合計24,000マイルを試乗走行た感想が、「A baby Ferrari!」のたった3語だった。
X1/9を冷静に他の車と比較したとき、たとえそれがMidgetやSpitfireやsmaller-engined Alfas、もしくはLancia Fulviaであったとしても、それらを一気に旧式にするほど優位に立っていたのである、のだよ。
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いわゆる初期型。
本国オリジナルはウィンカーのレンズがクリアー。
アルミホイールはCROMODORA CD58

このライトグリーンがイメージカラーといわれている

内装は黒、白、または茶から選べたと思われる。
カーペットは写真のような赤、または茶、黒があったと思われる

X1/9 1972 発表当時のコンディションをほぼ保っていると思われる、イタリアでのX1/9
Autod' Epoca1994 イタリアのオート雑誌より

ヨーロッパ仕様はウィンカーレンズがクリアー色だった。

US X1/9 1974 よく見ると大きめのオーバーライダーがついている 北米向けカタログより
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