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旅へのいざない BJD ROOM

日本百名城巡り

旅の目的の一つに日本百名城巡りがあります。
全国を一巡するにあたり、目標に掲げたのが日本百名城巡り。場所によっては今回行けない処も
ありますが、出来る限り挑戦したいと思います。





 
根城(青森県)  日本百名城NO5 登城日 2015/10/15 築城者は南部師行
安土・桃山時代の城。一部公園化されており敷地は広い。時間が無かったので外観のみ確認。
山梨の甲斐南部氏が青森に渡り三戸南部氏ー盛岡南部氏・八戸南部氏と根城南部氏ー遠野南部氏の系譜だそうな。


 
盛岡城(岩手県)  日本百名城NO6 登城日 2015/10/15 築城者は南部信直、利直、重直
土蔵が一つ移築されて残っている他は石垣のみ。前回訪れているので今回は外観をと思ったが、城の周りは交通量が多く駐車出来なかったので車内からショット1枚のみ。真向かいに岩手銀行が在る。盛岡城は南部父子三代で築いたそうな。


 
会津若松城(福島県)  日本百名城NO12 登城日 2015/10/13 築城者は葦名直盛、蒲生氏郷、加藤明成
戊辰戦争後松平容保は城を明け渡しした。その後復興に資金がいることから住民からの要望も有り取り壊された。昭和40年、市民の願いにより天守閣は内部が近代的に再建されパネル展の様になっている。
数年前にじっくりと見たが(瓦張替えの為足場にテントがかぶされ、お城の絵が書いてあった)、今回は(築城時の赤い瓦で吹き替えられている)蒲生氏郷展を開催しており、その視点で展示されていた。白虎隊が攻撃先から戻った際に城が白煙に包まれているのを見て切腹した場所から、更に山を登ると近藤勇の墓が草木の中にひっそりと在る。(今回は登らなかった)
会津の藩士は仙台経由で青森県の下北半島斗南へ僅かな所領を与えられ開墾しそこに住んだが一部は北海道にも渡った。(入植した下北半島斗南には数年前に行ってみましたがひっそりとしたところです)


 
犬山城(愛知県)  日本百名城NO43 登城日 2015/10/12 築城者は織田信康
犬山城は天守が現存する城の一つで織田信長の叔父の信康が築城。その後徳河家の家老成瀬正成が入城し明治維新まで城主を務めた。一旦成瀬氏の手を離れたが、成瀬氏が修築する事を条件に平成16年まで成瀬氏の個人所有になった。天守の中は藩主の部屋のみに天井がある。



 
大阪城(大阪府)  日本百名城NO54 登城日 2015/10/11 築城者は豊富秀吉
20代の頃に来て以来の入城。中は鉄筋コンクリート造りで展示館になっている。秀吉が築城した天守の位置も徳川家康は埋め戻して位置をずらして立てている。桜門桝形の巨石と言われ、どうだと言わんばかりだ。

 
姫路城(兵庫県)  日本百名城NO59 登城日 2015/10/11 築城者は羽柴秀吉
黒田重隆の城を羽柴秀吉が改修し池田輝政が更に修復した。平成5年に世界遺産に登億。朝7時にパークイン。7時半に入城。駐車場の道路向かいに城があるが、城の敷地が大きく天守の所まで各門を潜っていくと結構かかる。1500年代の居城。中も当時のまま。やっぱり本物は見ごたえがある。下から見る本丸等の屋根は真っ白に見えるが、実際の瓦を見ると真っ白ではないが下から見ると出っ張ったところが白く彩られているので真っ白に見えるのだろう。さすが入城料金も高い。


 
明石城(兵庫県)  日本百名城NO58 登城日 2015/10/10 築城者は小笠原忠真
高知、徳島から淡路島を縦断し漸く登城した。現存するのは写真のような左右にある三重の隅櫓二つ。
公園の中にあり、夕刻17時30分頃にもかかわらず家族ずれで賑わっていた。明石駅の真ん前に在る。


 
徳島城(徳島県)  日本百名城NO76 登城日 2015/10/10 築城者は蜂須賀家政
平成に復元された鷲の門と石垣。徳島城博物館受付にスタンプがあるとの事で入城したが、博物館がどこにあるかさっぱりわからず、敷地内(公園内)をぐるぐる歩き回った。

 

 
高知城(高知県)  日本百名城NO84 登城日 2015/10/10 築城者は山内一豊
現存する天守の中は流石当時のままだけあって歴史を感じさせる。総じて階段は急で階段上がり口の天井が低く守るに易し攻めるに難しなのかな。上右は石桶と言い、高知は雨が多いので排水を直接石垣に垂れ流さないで、石垣に当たらないように突き出しており、受け側も水受けの敷石をして地面を保護している。写真下は御殿様の部屋の側面裏側に護衛の武士が隠れていた場所。武者隠しと言う。


 
宇和島城(愛媛県)  日本百名城NO83 登城日 2015/10/9 築城者は藤堂高虎
1600年代に仙台伊達家の繋がりがある伊達宗利が天守を完成させた。この頃には徳川安静の時代で戦う城では無かった様で、内部は住みよい仕様になっており、戦うための石落としや槍や銃を内際に使う小窓なども一切ない。


 
大洲城(愛媛県)  日本百名城NO82 登城日 2015/10/9 築城者は宇都宮豊房 脇坂氏
城下町らしく道は狭い。城に一番近い駐車場は有料だったが、他の周辺の駐車場は無料で、街中に案内板も出ている。私が駐車したのは街の駅というスペースで、観光案内所や食事処等もあり、駐車場には観光客用ですと有った。やや登って行ったところにお城がある。再現したお城だったので入城はしなかったが、親切なお兄さんが資料にとパンフを頂いた。

 
松山城(愛媛県)  日本百名城NO81 登城日 2015/10/9 築城者は加藤嘉明 蒲生忠知
松山城は街からロープウエーもしくはリフトに乗って上がった丘の上に在る。そびえ立つような高い石垣の上に築城されている。本丸は幾度かの焼失を得て1800年代に松平勝善により完成した。
落ち着く雰囲気の城です。


湯築城(愛媛県)  日本百名城NO80 登城日 2015/10/9 築城者は河野通盛
1500年代の南北朝時代の山城で、築城の現存は無し。道後温泉入浴後8時15分に資料館に着きお電話したところ入館しても良いとの事。早速訪問しスタンプを押印。VIDEOを見せてくれるとの事なのでお言葉に甘え鑑賞する。四国近辺で有名な村上海賊(水軍)を味方につけ勢力を伸ばしたが内紛で勢力が落ち、豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に城を明け渡し河野氏の時代は終焉を迎える。幼少の頃出家し、踊りで導く時宗の一遍上人は河野通道の孫でおじいちゃんを忍んで拝んだそうな!
此処は道後温泉のすぐ近くで周りは住宅が密集しており、道路わきが水路なのですれ違う際は脱輪しないように気を遣う。お城跡は公園になっており入り口にある資料館で概要を説明してくれる。本来は九時からだそうだが、開館準備をしていたお姉さんありがとう。



 
今治城(愛媛県)  日本百名城NO79 登城日 2015/10/8 築城者は藤堂高虎
16時過ぎに登城。建物は平成に建てられた。中には入らずスタンプのみ押印し散策する。入り口正面の石垣のど真ん中に威厳を表すように、どうだと言わんばかりの大きな石を石垣として用いている。今治城の築城奉行の渡辺勘兵衛の勘兵衛石と言うそうだ。

 
福山城(広島県)  日本百名城NO71 登城日 2015/10/8 築城者は水野勝成
天守は再現されたもので中には入らなかった。入り口の伏見櫓・筋鉄御門をくぐり中に入ると櫓の上部でネコの見張りがしっかりと入城者を見張っていた。

 
広島城(広島県)  日本百名城NO73 登城日 2015/10/8 築城者は毛利輝元
平日でも有り余り人はいなかった。此処での展示品の中に毛利元就が長男の輝元にあてた手紙”三子教訓状”が有り、これを元に創作されたのが”三ツ矢の訓え”と言われていると説明書きがあった。萩城でも同じような説明が有ったのを思い出した。

  
岩国城(山口県)  日本百名城NO74 登城日 2015/10/7 築城者は吉川広家
山頂に再建された城で、ロープウェイで登ったところに在る。中は展示館になっており天守からは眼下に市内が一望できる。写真撮影は許可されており鎧や多くの刀剣が展示されている。
この地は東芝の創業者の生誕地(?)のような説明が有りました。

 
大分府内城(大分県)  日本百名城NO94 登城日 2015/10/5 築城者は福原直高
スタンプが在るという城址公園内の文化会館が無い。今は撤去したそうな。市役所に電話で聞くと大手門の中に置いて在るとの事。わからないヨ!!

 

  
岡城(宮崎県)  日本百名城NO95 登城日 2015/10/5 築城者は緒方惟栄他
此処も奥深い街にある山中にあり石垣のみ。入城料を払うと巻物と登城手形が渡される。天守跡まで結構登り更に広い。余りの広さに天守まで行き引き返した。又、断崖絶壁上部に石垣を築きそこを居城としているので、淵に行くと眼下は絶壁。足を踏み外したら墜落する。
ちなみに、天守付近に滝廉太郎氏の銅像が建っている。荒廃したイメージから荒城の月を作詞したそうな。


 

 
飫肥城(宮崎県)  日本百名城NO96 登城日 2015/10/4 築城者は不明
城内に小学校があり、今日は天候も良すぎるくらい。城内に在る学校のグランドで運動会を行っていた。小学生の皆さんは毎日大手門から入城して勉学に励んでいる。将来は殿さま。・・気分で私も一枚!。


 
鹿児島城(鹿児島県)  日本百名城NO97 登城日 2015/10/4 築城者は島津家久
鹿児島城は別名鶴丸城。敷地内にある歴史資料センターでスタンプ押印。城はなく石垣のみ。敷地内に天璋院篤姫の銅像があり、台座の字は篤姫の筆跡。島津家の養女になり近衛家の娘として徳川家に嫁いだ。嫁ぐ際に西郷隆盛に嫁入り道具を用意して貰ったが、戊辰戦争で西郷隆盛率いる官軍が徳川を攻め入った際に徳川救済を求め、江戸城無血開城時に大奥を退任したが、鹿児島には戻ることはなかったという。その際に西郷隆盛に手配してもらった嫁入り道具の殆どを江戸城において脱出したそうな。と、見入っていた際に団体客のガイドが説明していた。


人吉城(熊本県)  日本百名城NO93 登城日 2015/10/3 築城者は相良長頼他
スタンプのある人吉城歴史館の閉館時間過ぎに訪問。気持ちよく押印させていただいた。駐車場も無料。城跡は閉門していないので自由に見てよいとの事。散策しに行ったが石垣のみで全体像が分からなかった。


  
熊本城(熊本県)  日本百名城NO97 登城日 2015/10/3 築城者は加藤清正
前回対馬での仕事の帰りにお暇を頂きじっくりと見てたので今回はスタンプのみの訪問。係りの人も協力的なので、気持ちよく中に入りスタンプを頂く。ちなみに熊本は日赤発祥の地。
日赤の前身の博愛社は西南戦争をきっかけに提唱され今に至った。

  
島原城(長崎県)  日本百名城NO91 登城日 2015/10/3 築城者は松倉重正
武士のコスプレのお嬢さんたちがお出迎え。再現されたお城で中は展示館になっている。天守からは四方が一望でき有明海が展開される。
城内にはいろいろな展示物があり、”喝 少しは反省しろよ”と、言ってました。



名護屋城(佐賀県)  日本百名城NO87 登城日 2015/10/2 築城者は豊臣秀吉
豊臣秀吉が朝鮮出兵の為に建てたが、現在は石垣のみ。周辺には前田家の陣地跡、徳川家康の陣地跡が現在の地図にも記載されている。此処はスタンプのみいただき次へ向かう。



平戸城(佐賀県)  日本百名城NO90 登城日 2015/10/2 築城者は松浦棟
前回妻と一緒に訪れたので今回は二度目。しかし、百名城巡りのスタンプは天守閣の入場券売り場に有り、再度登城することになった。築城者の松浦一族の家系図が大きく展示してある。松浦氏の水軍らしく海上に面したところに船着き場もある模様。今日は平日の為、あまり人がいなくゆったりと見る事が出来た、展示品は内容が薄く、天守閣拝観料510円は高い。



 
佐賀城(佐賀県)  日本百名城NO89 登城日 2015/10/1 築城者は鍋島直茂等
土砂降りの中必死に走ってざっと見て押印。ここでも駐車場に苦労




吉野ヶ里佐賀県)  日本百名城NO88 登城日 2015/10/1 築城者は弥生時代
スタンプをもらいに行ったが、此処は弥生時代の古墳が在り、富をめぐる戦の為に周囲に二重三重の柵を巡らせたお城の原型。時間がなかったので内部には入らなかった。



  
大野城(福岡県)  日本百名城NO86 登城日 2015/10/1 築城者は大和朝廷
あまりにも有名な大宰府天満宮の関連するお城。大和朝廷が唐からの攻撃に大宰府を守る為に築いた山城。
百名城のスタンプがある大宰府展示館で札幌から来たという事で丁寧に説明していただいた。
写真は左から大宰府政庁跡、向こうの山が大城山でここに大野城が築かれた。
真ん中の写真は観世音寺、左は戒壇院。大宰府はここから歩いて50分くらいのところ。
菅原道真公が京都で右大臣として活躍していたところ左大臣の藤原時平の攻略により冤罪を着せられ上の写真左の大宰府政庁へ左遷させられた。
さらに、この大宰府政庁へは入ってはならないとの命を受けた。その為、その向かい側に雨漏りのする榎社といわれるところに住み、数年後そこで亡くなった。
亡くなる際に自分の骨は京都ではなく此処に埋めて欲しい。場所は牛を放し疲れて疲れて座ってしまった場所にして欲しいと言い残した。と、係りの人は言っていましたが、一説には道真公の亡骸を運んでいた際に疲れた牛が座った場所とも言われています。
牛は約2q歩き座り込んだ。その場所に墓所を作り、社殿を造営した。その場所が太宰府天満宮。ちなみに人間が最初に神になったのは菅原道真公だそうです。
又、学問の神様菅原道真公のを祭っている神社には牛が座っている像が鎮座しているのはその為か!!
というわけで、大宰府天満宮が賑わっているが、本来はこの場所なんだが・・と職員は呟いていました。



福岡城(福岡県)  日本百名城NO85 登城日 2015/10/1 築城者は黒田長政
此処は今回で2回目の訪問。前回は仕事の余暇にレンタカーで回った際に、夕方18時過ぎに暗い中天守閣まで行ったが、今回は駐車場を探すのに大変苦労した。結局城の周囲を1周して何とか駐車。駐車場とスタンプのある場所が真反対に有り、次の予定及び駐車場代金から駆け足の登城となった。




萩城(島根県)  日本百名城NO75 登城日 2015/9/29 築城者は毛利輝元
駆けつけで登城したが、平地にある部分と背後に抱えた山頂には監視のための城郭もあった模様。三本の矢の話はここで語られた。そういえば現総理も山口県出身。今は第2の三本の矢を放とうとしているが、三本の矢作戦はここからヒントを得たのかな。会津味方の私は長州の本拠地に足を踏み入れてしまった。
近くに木戸孝充等の旧宅があるが、何せ道が狭く車一台がやっとの路地裏、断念して道の駅に向かった。



月山富田城(島根県)  日本百名城NO65 登城日 2015/9/28 築城者は堀尾吉晴
石垣しか残っていないが、遺構は山頂にある。友人のお姉さんに案内されてきたが、山頂まで登る時間がなく麓の資料館でスタンプを押印。




鳥取城(島根県)  日本百名城NO63 登城日 2015/9/28築城者は山名誠通等
石垣だけが残るが山頂にはいかなかった。



松江城(島根県)  日本百名城NO64 登城日 2015/9/28築城者は堀尾吉晴
当時の天守に登ってみると、さすが最上階からの眺めは市内が一望でき、守りには最適。16時過ぎに登城したため急いで天守に登る。



竹田城(兵庫県)  日本百名城NO56 登城日 2015/9/27 築城者は赤松広秀
羽柴秀吉が但馬攻めで落城し(その際秀吉は沿線数か所の城を落城突破したそうな)、その後赤松広秀が築城、その後関が原合戦時に寝返ったため、豊臣秀吉により切腹させられその後廃城。日曜日だったため登城者が多く、中腹の駐車場も一杯。運よく空きが出てそこに駐車したが、そこから更に2q誓近く登らなければならない。本丸からの眺望は360度見渡すことが出来、此処に戦うための城を気づく意味が解る。が、この時期の城は山頂に築いているのが多く、守りに対しての防御には良いが、攻めるほうは鎧兜を身に着けて登るのは体力で勝負がつくんではないか。



二条城(兵庫県)  日本百名城NO53 登城日 2015/9/26 築城者は徳川家康、徳川家光
築城時のまま残っており、徳川家康が征夷大将軍になった際の祝宴場所として、又、徳川家の終焉、徳川慶喜が明治天皇に政権を返上した大政奉還もこの城。実際にそれらが行われた部屋も見ることが出来た。



彦根城(滋賀県)  日本百名城NO50 登城日 2015/9/25 築城者は井伊直継、直孝
ゆるきゃら彦ちゃんが出迎えてくれた。井伊直弼の居城。一期一会という言葉の作者でもあり、お茶でおもてなしをする際にその出会いを感謝し精一杯の心を込めて入れたといいます。


  
安土城(滋賀県)  日本百名城NO51 登城日 2015/9/25 築城者は織田信長
城は無く石垣が残っている。ふもとから登っていくとすぐ右側に前田利家の、次に左側に羽柴秀吉の館跡、さらに登っていくと右側に徳川家康の館跡、一番上に織田信長邸が築かれていた。信長の居城の場所からは琵琶湖が一望でき、又、豊臣秀吉、徳川家康、織田信長が揃って此処にいたと思うとある種感動を覚える。
登城はきついが是非行って欲しい。
ちなみに現在城の下まで琵琶湖まで埋め立てられているが、当時は琵琶湖の内湖に囲まれ一部のみが陸とつながっていた模様。信長公本廟のすぐ下に三重塔が立っており、室町時代(1454年)の建物。



小谷城(石川県)  xxx日本百名城NO35 登城日 2015/9/24 築城者は佐久間盛政、前田利家
城郭や櫓は再建されたもの。



金沢城(石川県)  日本百名城NO35 登城日 2015/9/24 築城者は佐久間盛政、前田利家
城郭や櫓は再建されたもの。



七尾城(石川県)  日本百名城NO34 登城日 2015/9/22 築城者は能登畠山

もっと何にもない城。スタンプの為だけに参じた。



高岡城(富山県)  日本百名城NO33 登城日 2015/9/22 築城者は前田利長

何にもない城。公園になっています。現地で知り合ったお巡りさんが、ここのお城は城がないのに日本百名城になっているおかしな城なんだよと言っていました。このお巡りさんとはここでお知り合いにはなりたくなかった。


 
松本城(長野県)  日本百名城NO29 登城日 2015/9/21 築城者は石川数正、康長

早朝5時に松本市に入りコインランドリーで知り合ったおばちゃんに伝授された松本城近くの駐車場を無料で利用。7時には
城内に入ったが既に大勢の人が8時半の開城を待っていた。20分くらい並んで天守を目指し登ったが天守の中も大勢の人でいっぱい。見終えて外に出ると入り口のところから長蛇の列。2時間待ちになっているそうだ。早く来てよかった。



小諸城(長野県)  日本百名城NO28 登城日 2015/9/20 築城者は武田信玄、仙石秀久

大手門と三の丸門がしなの鉄道をは挟んで立っている。現在は懐古園という公園になっており、子供ずれの家族でにぎわっていた。昔の城郭の面影はあまりない。駐車場は広いが一日500円。お昼時だったので手打ちそばを食べようと園内のお店に入ったが、どこも一杯。結局ミニトマトを買って食べながら次に移動した。滞在時間50分。



上田城(長野県)  日本百名城NO27 登城日 2015/9/20 築城者は真田昌幸

お城の駐車場は満杯で隣接する学校や体育館の駐車場も一杯、周辺を一周してから駐車場に並んでいたら、老係り員が路上に並んだら警察に自分たちが注意されるから並ばないでくれといわれ、結果遠くにあったファミマに駐車し急いでスタンプを頂に行く。なので、城内には入れず、又、入る気力も失せた。
結果、ファミマで結構な買い物をしてしまった。汗をかいたのでアイスまで買ってしまった。



松代城(長野県)  日本百名城NO26 登城日 2015/9/20 築城者は武田信玄

9代藩主真田幸教の時に義母の為に建てた御殿(真田邸)にスタンプ有。
お城は太鼓門等一部が復元。


  右の写真は山頂にある春日山城の本丸
春日山城(新潟県)  日本百名城NO32 登城日 2015/9/19 築城者は初期は不明、上杉謙信入城後も整備

16時過ぎに現着、山の途中にある春日山神社まで駆けつけ、コスプレおさむらいさんにスタンプ場所を確認したところ、ふもとの春日山城ものがたり館にあり、16時半にはいつも帰り支度をしているとの事だったので急いで駆けつけ何とかセーフ。改めて上杉謙信が日々城下の山や街を眺めていた山頂目指して登る。山頂は見晴らしがよく、これなら配下の城の状況や敵の動きも手に取るように見える事が確認できた。


   
右の写真は自衛隊

新発田城(新潟県) 日本百名城NO31 登城日 2015/9/17 築城者は溝口秀勝


お城の正門じゃない処に公園があり再建した天守が見える良い場所に漸く駐車できました。
肝心の入り口が又、城郭を半周しなければならず結構歩きました。
天守閣がある部分も含め半分位は自衛隊の駐屯地となっており、本丸には入ることが出ません。
この地は×倉財閥創業者の生誕地。城主溝口氏の親族をもらっているので、城主との関わり合いは強いのだが。明治2年の廃藩置県の際に城の材料代で購入できたそうだが、その時に購入してい置けば自衛隊が駐屯することもなく良い形で現在に残ったと思われる。お城の名前は”しんはった”ではなく”しばた。



 
久保田城(秋田県) 日本百名城NO9 登城日 2015/9/13 築城者は佐竹義宜

何度か仕事で秋田に来た際は立ち寄っているので、今回は城内の散策はしなかった。秋田駅に近く、お天気の良い日の日祭日は子供連れや若い二人連れが多い。あいにくこの日は雨模様で訪れる人も少なかった。また、駐車場を確保するのに苦労した。

 左:引っ越し先の土台。右:ジャッキで持ち上げられた弘前城
弘前城(青森県) 日本百名城NO4 登城日 2015/9/11  築城者は津軽信牧

弘前城には何度か訪れていますが、冬期間閉館中だったりで城の中を見ることが出来ませんでした。 
今回こそはと思っていたのですが、まさかの工事中だとは。
2015/8/16から移転工事が始まっており10月下旬に移転完了だそうです。
尚、移転は70m先になり、すでに立派な土台も築かれていました。
今回の工事は石垣が一部膨らんできたため石垣の解体工事とのこと。



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