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【ちびとも日記】bS

ちびともは入院中にMRI*注の検査を受けました。
「子供の心臓は子供の握りこぶしくらいしかない」との説明で
ちょっと動いてもだめなので眠り薬を飲んで検査を受けました。
超音波や心電図の検査でも小さな子は薬で眠らせることがあるそうです。
ちびともは緊張すると固まってしまうので大丈夫でした。
おまけに採血も注射も一度も泣いたことがなくてがんばりやさんでした。

小児科について私の思うところ……

最近診てもらっていたのは近くに新しく開業した小児科です。
その前は大学病院に勤めていたというその先生とはちょっと相性が よくありません。
例えば、診察する時に看護婦さんが身体を押さえつけ 
さらに 「お母さんは手をしっかり押さえていてください」と言われます。
注射のときはもっと頑丈に押さえます。たしかに暴れると危ないのでしょうが
暴れたことなどないのにそう言われるのは心外です。
カルテは書かずにパソコンに打ち込んでいますが、
ちゃんと子供の様子を 診ていてくれているのか疑問に感じます。
というのもちびともが最初に見てもらっていた小児科の先生とは まったくタイプが違うからです。

そのおじいちゃん先生は、いろんな例え話をしてわかりやすく病気について 説明してくれました。
時間があれば(待っている子がいないときなど) いろんな話をしてくれました。
「子供の病気を本当に治すのはお母さん なんだよ。そのお母さんの不安や疑問を取り除いてあげることも
小児科医の仕事のうちなんだ。だからお母さんが愚痴を言う場所でいいんだよ」って。

子供の様子やきげんなどは先生の目で見てくれて、時には抱っこしてくれました。
はじめは「こんな先生で大丈夫かな?大きい病気のときちゃんと気づいて もらえるのかな?」と不安でした。
初めて熱を出したときはちょうど予防接種を受けた夜でした。 副反応ということとまだやっていなかった
突発性発疹の可能性があるので 注意して様子を見てくれました。

自宅に電話をかけてきてくれたことも ありました。その時に座薬の解熱剤を出してくれましたが、
その説明は 「解熱剤で病気を治すことはできないけれど、一晩中ぐずぐず泣いていたら お母さんが参っちゃうから。
お母さんが緊急避難できるお守りとして 持っていれば心強いよ」というものでした。
実際に使ったことはありませんが、「何日も看病で眠れなかったときには 解熱剤を使ってもいいんだ」
と考えると気持ちが楽になったのです。
同じ解熱剤でも「解熱剤じゃ病気は治らないんだよ。かえって悪くしたり
病気の発見が遅れたりすることもあるんだから」
と言われて出された薬では そういう効果はありませんよね。

大きい病院の先生っていつも忙しそうですよね。早口でしゃべるし、
カルテにいろいろ書き込んでいてこっちを見てくれないし。
特に小児科は「患者が自分で病状説明できない」から、先生は お母さんに向かって話をするでしょ。
「食欲はどうですか?」なんて聞かれて なんて答えればいいんだろう、なんて考えていると
「母親なのにそんなこともすぐ答えられないの?」って思われているように 感じちゃうんですよね。

この前新聞で読んで気づいたんだけど、一人につき10分の診察時間を とろうとすると
1時間に6人の患者さんしか診られない。
1時間に10人を 診ようとしても一人あたりはたったの6分です。
しかも「診察室にお入りください」 から「お大事にどうぞ」までの時間もあわせてってことですよね。
医療報酬などの問題についてはよくわかりませんが、これでいいとは思えません。

でも、入院中病棟で見かける先生はみんないい感じでした。
回診の時間は決まっていなかったけど、主治医が必ず診てくれました。 毎日ですよ。

お医者さんていつ休んでいるのかしら、と不思議でした。
プレイルームって、子供が遊ぶ部屋があったんですが、そこで遊んでいても ちょっと入ってきて診てくれました。
子供に向かって話しかけてくれるんです。

だから、かえって外来であわただしく診てもらうよりも入院して気分的には とても落ち着いていられました。

私の大きい病院に対する評価は少し上がったかなという感じです。

                                                   TOMO

(*注)
  M R I 
     MAGNETIC/RESONANCE/IMAGING 磁気共鳴映像装置
     NMR(Nulear Magnetic Resonance)核磁気共鳴現象を利用した装置
     簡単に言えば磁気を使った画像診断法
     写真で言うなら露出を変えたりコントラストを変えたりしながら血管だけを浮き出させる方法
     通常のCTなどのANGIO(血管造影法)と違い造影剤を投与しなくても血管を描出出来る画期的な方法
     より鮮明に梗塞や血栓等を発見できる画像診断機器
  **実際に受診した経験での印象……
     受診時間が長い(頭部だけでも20分位)その間狭い空間で固定される 
     更にかなりの音が各方位からする**  

       


 病院(或は医師)に思うこと

登場人物   
*私   
*義姉(家内の姉で、悪性白血病末期患者)この日より1か月後死去   
*医師(30代後半と思われる男性担当医師)

場所   
*私立総合病院の控え室

設定・経過   
*義姉には一人娘(私の妻の姪にあたる)と三人の成人した孫がいる。   
*義姉と私の家内には一人の弟が遠方にいる(この弟を皆、ターちゃんと呼ぶ)   
*この日は4月下旬   
*昨年10月ころ病気が分り、1月入院。   
*悪性の白血病、いつ何が起こっても不思議はないと、姪は医師から 説明を受けている
 (本人には病名を明かさぬが、 直るのかどうか疑問を持っているふしがある)。   
*そんな状況でもあり、家内と姪は入れ替り病院に泊りがけで詰めていた。   
*1か月の間に、一時退院を2度させてもらい、身辺整理、友人にお別れを 手料理で接待など、
几帳面な人柄の面目躍如、感心させられた。(葬儀当日の友人談)   
*元気になるのでは、と思わせる日と、そうでない日の繰り返し   
*現在どんな状況にあるのか、本当に回復の見込みはないのか姪に頼まれて、私が医師に再度聴くため
  面談に行くことになった。

◆情景   
ナースセンターに行き、担当医師に面談を申し込んだ。   
その際、義理の弟であること、その後の病状を聴きたい旨を告げ、控え室で待つこと、1時間。   

「病人は、どんな状態なのでしょうか」   

医師「白血球を作るところが機能していないし、白血病としては、かなり程度の悪いものです。
現在も何時何事が起こるか分らない状態は変わりません」・・・・・・・   

その後、数言交わした言葉は、あまり記憶にもなく、今となってはたいした意味も持ち得ません。・・・・・・・   

「非常に神経質な義姉なので、今日先生とお会いしたことは内密にして頂きたい」   

医師「いえ、それは出来ません。もう患者さんにはお話しましたよ」   

「・・・・・・・・・・呆然」・・・・・・・気を取り直して、義姉の病室へ   

「今日は、どうですか気分は」   

義姉「あら○○さんだったの、医者が弟さんがと言うからてっきり九州からターちゃんがきたと思ったわ。
ターちゃんがくるようでは、私も駄目なのかと思っていたのよ。それで医者はなんと言っていたの」   

「近くまで仕事で来たから、寄ってみました。ついでに状態を聞いてきましたけど、
肺炎は治ったみたいで良かったですね。
病状は安定してるっておっしゃってましたよ」・・・・・・・これが精一杯でした   

義姉「医者は本当のこと言わないからね」

考察   
5月18日一時退院、てんぷらを揚げ、3人の友人と最後の別れ   
5月29日私に会いたいとの家内からの電話で病院へ行き会う   
5月30日3人の孫と会う   
5月31日早朝に亡くなりました。   
たったこれだけの事なのです。   
私が医師を待った1時間のどのあたりで、私が来ている事を医師は義姉に伝えたのでしょうか。
それから何10分かを義姉はどんな気持ちで、病状を聴いた「弟」の出現を待ったのでしょうか。   
末期の患者に「医者は本当のこと言わないからね」と言われた医師が 医療上のテクニックや必要性があって、
本当の事をいえない事もあるのは私にも理解できます。   
親族が病状を聞きに来ていることを、正直に余命のない患者に告げる医師の真面目さとは、
 いったい何なのでしょうか
。                                                               
                                                 T.Uetsu

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ちびとも日記】【bR】
いやな梅雨
毎日むし暑くてぐったりしています。

ちびともはとても元気です。
彼は水たまりが好きなので、外に出るたびになぜか全身びしょぬれです。
それを抱きかかえて帰ってくるので私までどろだらけ……

入院していたときの私の話。

最初に「髄膜炎かも」といわれたこと以上にショックなことはなかったのですが 入院して1週間たった頃、
自分の頭に「円形脱毛症」を発見しました。
びっくりして婦長さんに打ち明けたら涙が出てしまった。
婦長さんは「こういうこと(子供の病気)があればこんなことにもなるわ。 でもすぐに治るから心配ないわよ」と
やさしく話してくれました。 それでもどうしてか涙が止まりませんでした。

泣いたことがもう一度。
ぐったりしているちびともを眺めながら、「医療ミスとかで、この点滴を 間違えられたら死んじゃうのかな?」 
「お葬式も当然やるのかな?」 「千葉のお墓(だんなさんの祖父母が眠る)に入れるのはいやだなぁ」
なんてことを冷静に考えている自分がいました。
でもあるとき「この子何日笑っていないんだろう」と考えたら、突然 涙がでてきました。
悲しいとか、つらいとか、寂しいとか頭の中では 何にも考えていなくて、
ただ涙がどんどんあふれて止まりませんでした。

同室のママはとても素敵な人でした。
私より少し年が上でしたが、背が高くてスタイルもいいし、気さくで みんなとすぐ仲良くなって。
妊娠中だというのに私と同様泊り込みでした。 彼女がいつも明るくしていたので本当に支えられました。

もう一人仲良くなったママがいました。
仙台からパパの転勤で越してきたばかりという大阪人でしたが、先生や看護婦さんに
「この薬本当に効いているんですか?」とか「どうして熱が下がらないんですか?」
「この子をちゃんと治してくれるんですか?」なんて しょっちゅう 喰って掛かっていました。
心の中で「うわーすごい人。まるでドラマ見ているみたい」と思っていました。
彼女に「円脱」のことを話すと
「ちゃんといいたいこと言ってる?そんなに いい子でいようとするからハゲができたりするんだよ」と言われました。
さすが大阪人と思いましたが、なるほどいいたいことって言っていいんだ と眼から鱗が落ちる思いでした。
こんな状況でいい子にしていることないんだって。

小児科病棟は私が想像していたより、ずっと明るいところでした。
それはやっぱり、ママがめそめそしていたって子供はよくならないって みんなわかっているから。
治療することはできなくても子供にとって ママがそばにいるということが何よりの安心なんですよね。
だからみんな笑って付き添っている。そんな風に感じました。
だから本当にいい経験できたと思っているんです。 経験してみないとその立場の人間のことがわかりません。

看護婦という職業の人をちゃんと見たのも初めてでした。
「何事にも必ずいい側面と悪い側面がある」

先日私の祖母と話をしたら「ちびはなんでそんな病気になったんだ。 心配で心配でいられなかった」と叱られました。

ある程度の年齢を過ぎた人達にとってちびともみたいな子供が 命にかかわるような病気をすることは
耐えられないことなんだとわかりました。

反省反省。
                                           TOMO

                                   掲示板

【いま 母は元気です】
         《母さん 頑張ろう‘2’》 

母は変わらず元気に生活しています。
日常生活は全然大丈夫で、家の中をドタドタと走り回ってます。
良くないのは、重い物を持ったり、過剰な疲れくらいです。
発作をおさめるニトロは持ってますが、今のところ使わずにすんでます。 (普通の薬は毎日飲んでますが。)
中学校の時、深夜に母が具合を悪くして、 救急車に来てもらったことが2回ありました。
父は毎晩会社帰りに飲んでくる人だったので、会社に連絡をしても 帰りましたと言われて、
連絡がとれず1人で困りましたがでもその時も数時間で帰ってくることができましたし、
無理さえしなければ大丈夫なんです。
心臓悪いのに大丈夫なの?って思うくらいに 家の中では走り回っているし
習い事をマイペースではあるけど、いくつかかけもちしたりで…
一週間のスケジュールを、病院&書道&カラオケ&刺繍、
そして 庭いじりやご近所さんとのお喋りなどで埋め尽くしています。
私の生活の何倍も充実してて羨ましいくらい。 ほんっとに元気なんです。
病院には毎週通ってますが、私に何も言ってこないところをみると 特に変化も無いようです。
たまに、いつか肝臓のほうが悪化したら、あなたの肝臓を移植して!と 言われてるんですが、
健康診断を何年もしていない私の肝臓・・・ 使えるのかな?と心の中で思ってます。

『生体肝移植 
この分野での先端的な大学病院で成人から成人への施術例は最近9年間で 8百有余例 
成功例(一定の生存率)は82パーセント』

もしもの時の覚悟も必要ですね。それは母の身体と私の身体の両方の。 そして自分の身体をいたわることも。

【ちびとも日記】読みました
私の友人のお子さんも同じような事がありました。 一軒目の病院で風邪と言われたのだけれど 高熱が続き、
どうも様子がおかしいので別の病院で見てもらったら 川崎病の疑いがあると言われたのだそうです。
「どうしてもっと早くに医者に診せなかったのか。」と言われたけれど
突然目の前に突きつけられた病名の事で頭がいっぱいになり
最初の病院で風邪と言われた話はできなかったようです。
結局、川崎病だったのかを、聞かされなかったのか、 私が覚えていないのかわからないのですが
その話を聞いたのはお子さんが回復してしばらく後でした。

独身の私には子供の話って、正直に言って想像の世界
でも、私の知らない世界をお持ちの同年代のお母さんには 羨ましさや妬ましささえ感じます。
自分の子供を抱く気持ちってどんなだろうって。 父・母であるゆえに感じる苦しみや痛みも、
今の私には想像ができないほどの 大きさなんでしょうね。
せめてその気持ちをいたわることができるようになりたい。

札幌は 今とって〜も良い時期ですよ!
先日友達3人と中島公園という 街中にしては緑があって広い公園で お茶とフランクフルトを食べながら
お喋りを楽しんできました。 その友達のうち1人と、今度フリーマーケットをする予定で
その公園で開催されてるのを下見が目的で行ったんです。
でも普段 緑にかこまれてすごす事なんて暫く無かったので フリーマーケットをひと通り見たあとは、
3人とも「ここでゆっくりしたい!」 という気持ちになってました。
緑を浴びると、心身の汚れを洗い、痛みを和らげてくれるように思います。
それぞれ前向きで明るい自分を取り戻して帰りました。
これも自分の身体をいたわることのひとつ?                         

                                           Akiko



燕尾服のツバメさん


今年もやって来ました。
去年とまったく同じ場所に彼らはマイホームを作ったのです。
燕尾服のツバメさん!!

私の仕事場があるビルのエレベーターの入り口に 鳥のフンが落ちていました。
まだ ほんの少しです。
親だけなんですね。
ある日を境に フンの量がいっきに増えます。
待ちに待った ヒナの誕生です。
あんな小さな巣に かわいいヒナがぎっしりつまって
なんだか 楽しそう。(去年は5匹でした)

通りがかりの人も ちょっと足を止めて 巣を仰ぎます。
別に私のものでもないのに なぜか得意気な私。

でも そんなかわいいヒナ達も ある日突然いなくなります。
誰もいなくなったマイホーム・・・。
もう 足を止める人もいません。

そんな 巣を意味もなく見つめていると さみしさに 涙があふれそうです。
が、そんな私のかわりに 空が泣いてくれます。
こうして「梅雨」が……。

梅雨が終わって夏が来て 
秋が来る頃には 私はひとつ 歳をとる・・・。


今日から「シクラメン」への水やりを中止しました。
一昨年までは夏の間も『葉シクラメン?』を 楽しませてもらっていましたが どうも冬になって
『花』の咲き具合がよくないので 去年より「夏眠」させています。
アジアンタム・ポトス・ペパーミント が増えてふえて困ってます。
友人にあげたりしていますが どんどん成長して(嬉しいことは嬉しいのですが)
鉢の置き場がな〜い!

ここ数年で私の住む田舎にもビルが次々と建てられ   
それまでは手を伸ばせば届きそうなくらい「山々」が身近だったのに・・・・   
それでもよく晴れた日には、ビルとビルの間から真っ白な北アルプスが顔を出します。   

麓の安曇野も……
本当にステキな所です。   
行くたびに違った満足をお土産にして帰ります。

燕尾服を正してツバメさんらが南の国へ帰る頃
この街も秋への準備に入ります
そして アルプスのてっぺんは真白 空は底なしの碧
麓は黄や紅に彩られ……

先走った空想を破るように 梅雨の 雨が傘を叩いています
                                        Keiko

ちびとも日記】bQ

セミナーの前日にちびともがまた熱を出しました。 何となく機嫌の悪い日だな とは感じていましたが
熱を計ると38度を 越えていました。ほかに風邪らしい症状(咳・鼻水など)がないので へんだな、と言う感じと
「いたいいたい」と言っていることが気になりました。

翌11日、セミナーに欠席の連絡をして近くの小児科を受診。風邪と診断。
家に戻りふとんに寝かせて様子を見ていると、首のリンパ節がどんどんはれてきて
とうとう一日中、自分で起きあがることがありませんでした。
やっぱり「いたい」を繰り返して抱き起こそうとすると、身体をがたがたと 震わせていました。
これは絶対風邪じゃない、と家庭の医学書をみても、
高熱と首の腫れだけでは おたふくかぜか中耳炎くらいしか思い当たりませんでした。

翌朝同じ小児科を受診。するとこれは髄膜炎かも知れないからと
総合病院を 受診するように紹介状を書いてくれました。
そのまま車で20分ほどのところにある総合病院へ。
外来の時間は終わっていたので 待たされることもなく診察してもらえました。
尿検査と血液検査を受け、点滴を されました。検査の結果ではそれほど悪い状態ではなく、
「頚部リンパ節炎」と 診断されました。ただ川崎病の疑いもあるので入院をすすめられました。
このとき初めて「川崎病」(*注)の病名を聞き、 「そんな大変な病気になるわけない」と思っていました。

ところが翌日には、手・足の腫れ・目の充血・湿疹と川崎病の症状があらわれました 。
主要な6つの症状のうち5つが確認されると川崎病と診断されるのですが ちびともはまだ4つ
(発熱は5日以上続いた場合・まだ4日目でした)しか 確認されていませんでしたが、この日の血液検査の結果で
肝機能障害も発見され 先生から「川崎病と診断して治療を始めましょう」といわれ、
その夜 ガンマグロブリンという薬を投与されました。
点滴を始めて3時間後、軽いけいれんを起こし、熱を計ると41度近くありました。
熱が上がりきって翌日には37度台まで熱が下がり、ようやく食事もとれるように なったのですが、
その後また熱が上がり始め、4日間検査をしながら様子を見て
もう一度ガンマグロブリンを投与することになりました。
はじめに医師からこの薬が効かない場合が1割あると聞かされていたので
2度目の投与の前が私にとって一番つらい時期でした。
薬が大量に投与されることに不安を感じましたが、血液製剤と聞き、
血液検査でも 数値の極端な上昇は見られないと説明され安心しました。

結局2度目の投与後は劇的に症状が回復し、4日後に点滴がはずれると すっかり元気になり、
遊びたくてじっとしていられないほどでした。

退院前に心臓の筋肉の検査を受けましたが、予想外に全く異常なしと言われました。
冠動脈などの拡張も見られず、過ぎてみれば軽い症状で済んだという感じです。
本日無事に退院して参りました。

入院中はテレビも新聞も見ない生活でしたので、ちょっと浦島太郎です。
退院してもまだ「完治」とは言えず、2ヶ月ほどはおとなしくして 週1回は通院して経過を見なくてはなりませんが、
最悪の事態を思えば ちびともの笑顔が戻ってきて本当にほっとしています。
偶然同室に同じ病気の子が入院していたのでその子のママとお友達になり いろいろ話ができたので、
それほど落ち込んだり不安になったりしないで済みました。 いまとなってはいい経験ができたと思っています。

特に小さいお子さんのいる方には この機会にこういう病気があるということをぜひ知って欲しいと思っています。

明日はたまった洗濯と掃除と冷蔵庫の整理と、おそらく万年床になっていたふとんを 干さなくてはなりません。
あとだんなさん孝行も。

昨日退院後初の通院でしたが、先生から異常なしと言われました。
正直に言えば私としては退院してからの方が大変です。 3度の食事が黙っていても出てくる生活というのは
本当に夢のようでした。 入院中ずっとそばにいて、私も時間があったので本を読んだり お絵かきしたり、
折り紙で遊んだり(ちびともは破いてばかり) 24時間ちびとものことだけ見ていられたのに、
家に帰ればそうはいかず 「ちょっと待ってね」とか「すぐ戻ってくるからね」と言っても
納得してもらえず、泣いてばかりいます。

ちびともはまだ昼間外に出ると、夜に熱を出すという感じで まだまだ本調子とはいきません。
甘えん坊がますますひどくなり、わたしになにもさせてくれません。 「今日私は何をしてたんだろう」と、
この時間になって毎日思っています。 ずるいことはすぐに覚えてしまって、困っています。
一番ずるいと思うことは、人を呼ぶのに「いたいよー」と言うことです。
そう言えば私が何をしていてもすぐに来てくれるとわかっているから。
「ママーいたいよー。ママーおこったー(何も怒ってないのに)」と 大声で泣いているので、
近所の人に幼児虐待と思われちゃうかも・・
「どこがいたいの?」と聞くと、病院で点滴していたあとを指さして 「ここ。ちっくん」と言います。

おもしろいので、いつまで覚えていられるのか実験中です。       TOMO
                                                                           
 

  *注

川崎病

         ……川崎病=急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群……
     主として4歳以下の乳幼児に発症する原因不明の熱性疾患。
     病理学的には、血管炎が主体であり、乳児結節性動脈周囲炎などに対比される。
     急性期の炎症症状は良好に経過するが、冠状動脈瘤、弁膜症、心筋炎などの
     心臓後遺症を残す頻度が高い。
       本性の原因、疫学、心臓後遺症の長期予後などについては、まだ明らかにされてない

                             
川崎病に関するHP
 




ちびとも日記】bP                                     

私の分身 2歳になるチビトモ……
2人のやりとりは新しい発見の連続 毎日がとても新鮮です
今週の月曜日の夜から子供(ちびとも・2歳)が 熱を出し、今朝やっと平熱まで下がったところです。
1週間病院以外は外にでられませんでした。 出産後2ヶ月はほとんど外にでられなかったことを思い出しました。
核家族(最近はこの言葉使われませんね)というのは 寂しいものだとつくづく感じています。
実家は車で1時間半くらいかかりますが、月に2回は行きます。
実家の母に見ていてもらえるときだけが私が解放される時間です。
だんなさんに預けたのでは心配で1人で出かけても落ちつきません。
そのだんなさんはバイクのレースを見にもてぎに行ってしまいました。
20代の頃は自分でもサーキットを走ったりしてました。   
私や父の反対でやめていたのですが、
去年大型二輪の免許を取って とうとう中古のハーレーを買ってしまいました。
会社にはやっぱり車好き・バイク好きが多いらしく 本人はとても楽しそうです。
夏に筑波で行われるMINIのイベントはご存じですか? 私は身重だったり、
子供が小さかったりといつもお留守番です。
もうちょっと家族で楽しめる趣味を持ってくれないかなぁ。

子供を見ているとほんとに好奇心のかたまりなんですよね。
何事もまず好奇心を持たないと最初の一歩がふみだせない ということを思い出させてくれます。

来月から「生涯学習支援センター」なる所主催のセミナーに参加します。
小さい子供を持つ母親が対象で子供との遊び方・かかわり方など 講演を聞いたり、
ディスカッションしたりという内容です。
私が一番惹かれたのは、その時間「無料保育」してもらえることなんですが。
でも私の新しい一歩です。 最近自分の時間がなかなかとれなくて、ちょっとストレス感じてます。
というのも、だんなさんの会社が遠くに移転して 通勤時間が長くなりました。
朝は5時半起きで、帰ってくるのも今までより遅くなり 何よりだんなさんが慣れない長時間の通勤で
ストレス感じているようで かりかりしています。
子供の生活のリズムも狂ってしまい、
(朝早く起きる→たくさん昼寝する→よる遅くまで起きてる→朝起きられない ・・・ )
私まで体調がすっきりしない毎日を送っています。

生まれるまでは確実に自分の一部であったはずなのに 子供には別の人格があるということに気付かされます。
初めてちびともが寝言を言ったとき 「○△□×(解読不能)・・・いーっぱい(にっこり)」
あーもう彼には私の知らない世界があるんだってさみしかったです。 親なんてつまらないものですね。
「誰のおかげで大きくなったと思ってるんだ」 ということは、絶対に言わないと出産前に誓ったけれど
だんだん自信がなくなる気がします。

とりあえず、初めての集団保育に備え、ゼッケン作りと名札付け、
「保育カード」に子供の性格を記入するという難問にとりかかります。
                                           TOMO


“写真というもの”

度々「Gaiiery」を見ています
本当に感動しました! 最初はスペインの美しさに惹かれてのドキドキでした。
浅草の写真も、楽しく拝見しました。私、浅草へは行った事がないのですが、
写真から「匂いつきの風」(あまりきれいな表現ではありませんね)を感じ ました!
それに人々のなんてにぎやかそうなこと! 行ってみたくなりました。

私は音楽(ピアノ)をやっています が
『写真』を眺めているうちにあることに気づいたのです。
「あ、コンサートと同じだ・・・・」

私は写真については何にも知りません。  フィルムの買い方さえよくわからないくらいです
写真について知識もなく、さほど関心もなかった私は
(特に他人が撮った 自分とは何の関係も無い写真などは)
「写真なんて一度見てしまえばそれでおしまい。 音楽と違って形のあるものだから、見逃すこともないし」
なんて思っていたのです。

ところが!!

「浅草」や「台場」の写真を何度見に行ったことか!
特に珍しいものが写っている・・・というわけではないのに なんだか見たくなるんですよ。
不思議です。
写真、しかも他ではめったに見られないようなものを 載せたHPは星の数ほどあるというのに!
で、私、ジィ−ッと眺めてみました。
するとある錯覚に陥ったのです。 カメラをかまえているODAさんの横に自分がいるような・・・・・
あの写真を撮った「その瞬間!」の ごくわずかな時間を共有できたような、そんな『錯覚』・・・

“Gallery”の写真が大好きです。 つい、何度も「Gallery」を訪れてしまいます。
こういう感覚って音楽にもあるんです。特にコンサートで。
うまく表現できそうもないので、くわしく言いませんが、 演奏者と聴き手が対話できる・・・というのでしょうか。
コンサートは両者がその場に居合わせているので 対話もおこりやすいはずです。
けれど、写真は場所も時間も違う、しかも撮影者の名前すら 知らないことも・・・・。

で、悩みました。 「写真」で対話・・・・!?!?
なんとなく自分の中では答えが出ているのですが、 文章にできません。トホホ・・・
なんだか勝手にペラペラと・・・ しかも言いたい事が半分も言えていない・・・・。

《台場 夕日》・・・大好きです。                           
                                             KEIKO





決断! 生体肝移植


生体肝移植 
この分野での先端的な大学病院で成人から成人への施術例は 最近9年間で8百有余例 
成功例(一定の生存率)は82パーセント

肝臓は右葉と左葉に大きく分けられる 右葉が3分の2左葉が3分の1の大き さだ
大人から子供への移植は小さい(左葉)方を移植すればいい が
大人同士の移植は 大きい右葉を移植しなければならない
健康な肝臓は提供者も 移植された方も順調にいけば元の大きさ(右葉と左 葉)に快復する
だが3分の1(左葉のみ)になったドナー(提供者)の危険度も大きくなる事 は言うまでもない
もう一つ移植にはドナーと患者は 拒絶反応を軽くする為同じ血液型が要求さ れる
必然的にドナーは家族から求めることになる

それぞれが家庭を持つ3人姉妹 長姉が羅病し生体肝移植しか手だてがない
介護の仕事を持つ次妹は仕事柄提供には抵抗はないが 自身の家庭への影響に悩む
万が一自分が倒れたらどうする また夫は理解しつつも義姉よりは妻を第一に 心配してる
悩んだ末「離婚しても ドナーになる」と決心する「姉妹を思う気持ちにうた れた」と夫も承諾
だが検査の結果彼女は特異な肝臓のため提供者になれないことがわかった
末妹は「2人の姉にはこれまでたくさんの恩がある これでやっとお返しがで 来る」と 進んでドナーになった 
手術2日後「私こんなに元気だよ」「ありがとう あ りがとう」 姉妹は涙 涙で手を握り合う    

劇症肝炎 突然の発症で症状が激しく 肝臓の細胞破壊が急速に進む 時には死に至る 
時を移さず健康な肝臓の移植以外に術がない

ある家族の母(59歳)が突然 劇症肝炎と診断される 早急な肝臓移植しか手段がない 
3人の子との平和な家族を突然襲った苦悩の 時 兄と妹にインフォームド・コンセントが行われる
母親と血液型が同一なのは妹(26歳)
「私がドナーになりたい」と兄 『血液型が違うので リスクが大きすぎる』 と医者
「母にはこの移植を 告げないでほしい  母は娘を傷つけてまで生きるとは言わないと思うから」  
『母上の意識がはっきりしてる以上 告げずに手術は出来ない』 長い話し合い……
「母さんにはまだ沢山教えてもらいたい事がある  少しでも長く生きて」……説得の末 
〈それしか方法が無いのね〉母は呟く
ドナーも患者も手術は滞りなく終わった 〈ありがとう〉「私も元気 良かったね母さん」 
母と娘が集中治療室で交わした言葉が 永遠の想い出となった
一ヶ月後母は息を引き取った

日々進歩する医療 技術 器機の進歩 今まで考えられなかった恩恵を受ける機会も多くなった
それに比して我々医療の受け手側は 果たして十分な情報を得ているだろうか
生体肝移植にしても なんの知識のない日常から ある日突然に ドナーや移植を受ける患者の立場に立たされる
開腹し肝臓の大半を失いリハビリにかなりの時間を要するドナー
待ったなしの生命の危機を迎え  愛する家族の身体の一部の提供を受ける患者
どちらの立場にたっても 生活状況 精神的苦痛の処理 その決断は厳しい苦悩にさいなまれることは避けられない
その時どう対処すればいいのか 
自分〜年齢 家族構成 職業(職責) 健康状態 医療知識 心構え 
日頃 「自分」を想定して 考えておく必要があるような気がする
そして何よりも ドナー 患者それを取り巻く社会環境の整備
特に「心」の分野に深く入り込んだ 議論を深めていってほしい
それらの環境整備はまだ緒についたばかりと言うのが現状であろう
あらゆる分野の参加でよりよいシスティムが構築されることを願はずにいられ ない  

                                                h.o



ターミナルケア

最近よく耳にする言葉 「終末期医療」 
治癒の見込みのない患者の苦痛を和らげる治療をし 精神的に支えたり介護することと理解すればいいようだ
基本には全人的医療 つまり患者の心身両面をとらえ(把握) 心身医学的に対処する事になる 
言うまでもなく基盤には 患者側と医療側の信頼関係が不可欠だ

先にこのページでhanaさんが論じていたように「インフォームド・コンセ ント」が重要になる
“知らされたうえでの同意”と解釈したらいいのでしょうか 医者は患者に病状や検査結果 
今後の治療方法(方針)を十分説明し
患者は 納得し治療方法に同意する いまの医療現場に欠かすことの出来ない要素だ

先ほど「患者取り違え手術」の報道に衝撃を受けた 「これほどの“非常識”が大学病院で」と……

先のhanaさんも医療現場から

「大病院のお医者さんは、ある程度患者さんを一症例として、あつかったり珍しい症例は、学会の題材としたりも?
医学の発達の為に、経験を増やすため に? 人として扱ってないとは言わないけど 
たくさんの患者さんに一人ずつ人権を 尊重して
対応してる 医者ばかりでは無いような気がします」 と述べられているように 
医療関係者(医者)の中には人格的に的確性を欠く 人もいるのが 現実であるようだ

「大学病院の医療者はとかく常識を軽視する医者は特にそうだ 
常識的な考 えは 学問的でないと考えてる者さえいる」
「大学病院に潜在する特性(体質)として依存性が強い 
互いに依存し合う事 で 自己責任の自覚が薄れ…略…
大学という権威に依存し(虎の威を借る狐)的責 任回避
甘え 奢り 自己中心・自己防衛・自己顕示傾向に傾き…略…
しばしば責任を 患者になすりつける」 とある大学の名誉教授が書いていた
大学病院がいや医者が 全てこのような人達ではないのは勿論だ 
むしろ人格 的にも技術的にも 秀でた方々が圧倒的だと思う 
ただメス扱いが名人でも人格も抜群だとは限ら ないのも事実だ
患者からみて一番怖いのは
「自己顕示の野心がすぎればやたらに新しいことに飛びつき 患者を実験台 にしたり 教材(モノ)と見なす風潮を生む 
実力が伴わない者が先端医療を試みる程危険なことはない」
のように自己を見失ってる 或いは野心に走った医者に我が身を任す事だ
医療技術の進歩 平均寿命の延びによって
「インフォームド・コンセント」「ターミナルケア」の本当の意味での確立が急がれる
ホスピス「末期患者の苦痛を除去し 介護する医療施設」も含めて 
この分野 はまだ我が国は立ち遅れているようだ 

最近偶然にリビング・ウイル(Living Will)と言う言葉を知った
“尊厳死の宣言書”と言うことらしい
「現在の医学では不治の状態で 死期が迫ってるとの診断が出たとき 延命措置は一切断る」と宣言すること
宣言書に署名しようかな〜なんて最近考えている
                                                      h.

           




患者さんは多いです

何かと忙しい毎日です。
桜もすっかり散ってしまって寂しいですね。
毎日通勤の電車から桜を見てました。職場の恒例のお花見、 仲間とお弁当を持って嵐山に行ってきました。
桜は、好きな花の一つです。 うちの田舎は緑がいっぱいで、それぞれの家で広い庭を活かして
めいっぱい園芸をしてる人達が多いので、毎年いっせいに花が咲いて、緑が あふれます。
こんな季節が大好きです。 うちの庭にも桜を植えたくて父にねだった事もありました。
でも、桜って虫がついて、手入れが大変なんですね。 ダメ!っていわれてしまったわ。
子供には絶対(桜)って名前はつけたらだめですね。 変な虫がついては困る・・・・。

今日は久しぶりの休みです。 そう、まだ有給のないあたしは、休みが少ないので夜勤との狭間に 体を休めておかないと
連続10日勤務なんて事もざらですから。

仕事は忙しい、相変わらず患者さんは多いです。
世の中に乳がんの患者サンがこんなに多いなんて、ほんとにビックリですね。

今、ドラマで「セミダブル」ってのをやってますね。
主人公の稲森いずみは、売れっ子のモデルで、
ある日乳がんの宣告を受けて ある心理学者の本を読んで立ち直るんです。
ちょっと興味があったので、見てます。 ドラマやから、現実とはちょっと違うのだけど、
若い人ほど精神的なショックは あるから、ドラマの女の子の気持ちはジーンってきてしまいます。
あたしみたいな、ちょっとだけ医学をかじった者が乳がんになったら………
再発を恐れ、少しでも長く生きたいと思うから、見た目はこだわらないでしょう。
人の価値ってそんなもんじゃないこと、人間の評価に見た目が必要なの?との思いとか、
生きていくパートナーに 
「生活に支障がない障害があったとしても 生きていく上では、そんなにたいした事?・・・」なんて思うから。
現に、お乳を取った患者さん達も、実際二年の抗がん剤の治療を終えて 子供を作っている人もいますし、
結婚してる人もいます。

女として、やはりこだわるもんでしょうか。
見えない子宮や卵巣を取ってる人は、どうでしょう?
こんな考え、毎日同じ境遇の患者さん達に関わってる、あたしの 感覚が麻痺してると思いますか?

先日、hana宛にメールがきました。 とても、嬉しかったです。
励ましのメールでした。 嬉しくて返事を書いてしまいました。
あたしのつたない文章で、あたしの意見を一方的に 書いてるのに、読んでくれる人がいるって嬉しいもんですね。
ありがとうございます 
                                                    hana

                               ご意見はこちらへMAIL

                           



どうする!“ゴミ”

朝6時 パトカーから降りた警官が 路上に置かれたゴミ置き場のビニール袋 を一つ 一つ切り裂いて調べる 
分別違反を調べるのだ ニューヨークのゴミ専門の警官 一般の警官と同一の制服 拳銃も携えている  
違反 を見つけると罰金を科す切符を切る
拳銃と罰金でゴミ戦争に立ち向かう ニューヨーク  繁栄のただ中にあるこの街は日に1万トンのゴミを 
広大な用地に運ぶ ト ラックで船で…
この街に限らず 繁栄に踊るこの星はいまゴミに埋まろうとしている

つい数十年前 人類は文明の負の資産ゴミを 何のてらいもなく海の沖に捨てていた
やがて量が増えるにつれさすがに海を諦め 山を削り丘を拓き埋め立てた
近代 飽くなき欲望に比例して その代償のゴミは山を丘を埋め尽くし 海岸の浅瀬をも埋め始める
そこもすぐに埋め尽くされ 焼却に活路を求めた
生活様式の飛躍的な変化に ゴミの種類の複雑化 量も天文学的に拡大していく
有害物質を含んだ焼却灰すらの捨て場にも事欠くようになった
ニューヨークから焼却灰を満載し出航 各国から廃棄を断られ1年有余も海を漂った報道はまだ記憶にある
南米の某国に廃棄されたその灰は 未だに処分されずに問題になっている

原子力発電で出る放射能を含んだ廃棄物 発電所その物もやがては稼働可能の期間を終えるものが増える
それらの処分の方法はまだ完全には確立されてないと思う
宇宙には無数の人工衛星が漂っている やがて寿命を終えたそれらが宇宙のゴミになりはしないか
ものを作る事に長けてきた人類は 先を急ぐあまり最終処分の事まで頭が廻らないうちに突っ走ってしまった


ドイツのある街 色分けされたゴミバケツで徹底した分別を始めた
休日には街の拠点に持ち込めば 古い家電製品等の廃棄は無料で行政が引き取 りリサイクルする 
この試みで以前の数分の1にゴミの量を減らした

この国の他の街で ゴミを徹底的に乾燥して圧縮し大きな固形燃料化するシ スティムを始めた 
水分を除くことによって 燃焼温度の低下を防ぎ有害物質の排出を大幅に減ら せるという
その固形燃料で発電する大型発電所が建設されてる が燃焼効率の良い 固形燃料にするには 
プラスティック等の従来リサイクルしていた物の混入が 必要だ 行政は分別をしないゴミ出しを改めて住民に求めた 
ここで行政と住民が対立する  分別 リサイクルを放棄していいのか ゴミ問題 環境問題の目的に適うのか
試行錯誤はこの地球上の至る所で……

ゴミの実に70%を焼却処理している我が国 いまダイオキシン問題で揺れに 揺れている
海の沖に廃棄して済んでいた時代から 埋め立て地が満杯になり  焼却で躓いて いまゴミの行き場がない
この数十年の繁栄は  ゴミ問題という“付け”をいま人類に突きつけている 
我々一人一人が 加害者であり被害者である
ある大手スーパーの店頭に 「ビニール袋 辞退率 3.4%」のポスターがあった
個人にも出来ること しなければならないことがあるのではないか
ゴミについて 否応なく個々人が考えなくてはならない時代にとうになってい る
我が日本はドイツのある街の住民の4倍近いゴミを排出してると言う数字もある
作る側の最終処分までを考えたもの作り 行政のこの分野への十分な取り組み いま待ったなしの課題

“この美しい星 地球”この言葉を空しく響かせたくない  

                                   h.

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