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midori
【カナダ留学記bV】
 キューバ[bQ]
canada
毎夜開かれるパーティでも話題の中心 ”おしん”がいると・・・
それにラッキーだっ たのは カナダからのツアーはなぜか年輩のカップルが多く、
元気な若者は私たちぐらいだったので毎朝10時からプールサイドで行われるエアロビクスも私たち三人と
インストラク ターのみ 午後にはラテンダンスのレッスンがホテルのロビーで行われ、
これには私たち以外にも 3〜4人の人達が参加、なかなかうまくリズムに乗れずリズムを気にすると
手足がうまく動かずなんだかぎこちない動き、帰って来る頃には少しましなダンスができるようになったが
今ではステップも忘れてしまった。
ホテルの両替はカナダドルはOKだが日本円は扱ってないとのこと。
それでは観光を兼ねて首都ハバナまで足を伸ばそうと言うことになった。
しかし列車はあるにはあるが、いつ来るか分からない状態で、
物資不足のキューバでは バスなど走っていない。 
一番いいのはレンタカーと言うことになり 私たちの世話係のアレックスがガイドとして
ついてきてくれることになった。
1日はハバナ,もう1日はどこか観光へと思い2日間車をレンタルをした。
料金も安いものだと屋根なしジープとか、エアコンなしの車とか色々あったが、多少 高くても エアコンは必要
深みのある赤色の日産車だった。 見かけは新しくエアコンもバッチリ、地図がないのが気になったが
ガイド付きと言う ことで 安心お任せであまり気にせず、快適な出だしだった。
アレックス曰く”僕はハバナ市内に入るまで運転するけど、“市内に入ったら誰か運転代わって…”
驚いたことに彼は運転免許を持っ ていなかった。「僕は免許はないけど運転はできるから大丈夫」? 

心配をよそに確かに車は動いてい る。。。もう戻ることはできない、 歌を歌ったり、
キューバのいろいろな話をしたりして盛り上がった、そんな中で 彼がぽつりと言った言葉
”僕たちには希望なんかない”一瞬車内は静まり返った。
私たちはそんな彼の言葉に返す言葉がなかった。
あまりの勉強不足で恥ずかしい話だがキューバ革命について私は全くの無知で、
いろんなところに年老いた男性の顔がTシャツにプリンとされていたり、ポスターになっていたりして
いったい誰なんだろうと不思議に思っていた人こそが、キューバ人のヒーローカスト ロであった。
ソ連が崩壊してから物資不足が深刻で、ガソリンがないので車もほとんど走っていな い状態である。
ドライブしているとあちらこちらで人々がいつ来るか分からない車をヒッチハイクし ている。 一人二人ではない
10人〜20人と言った集団である。ある人々は道路際を歩いて いる
乗せてあげたいけど一人ばかりを乗せるわけにもいかず、心苦しかったが見て見ぬ振 りをせざる得なかった

突然快調だったくるまの車体がガクガクと揺れだし、変な音が聞こえて来た???
どこか変だな〜と思いつつドライブを続ける、道行く人達が私たちの車を指さしてい る。どうしたのだろう?
車を止めてみると、ナナントタイヤがパンクしていた、ガタガタと異常な揺れがパン クが原因だったとは、
アレックスは運転はできるけどタイヤの交換はやったことがないらしい、
私は免許も ないので全く話にならない他二人のうち一人はペーパードライバー、
もう一人も教習所で習ったぐらいで実際にはやったことなく困った困った。
いつの間にか10人ぐらいの人垣が私たちの車を囲んでいた。
スペイン語なのでなん て話しているのか分からないが、
みんな心配して手伝ってくれてどうにかこうにか無事タイヤ交換が終了、再度快適な ドライブがスタート。
2時間位走っただろうか、道路脇にお土産屋らしきものが見えてきた。車外は乾燥し ていてとっても暑い、
のどが渇いたのでジュースを飲む。 再びハバナ目指して出発。 
おやおや・・・ス ピードを示す針が全然動かない、
スピードを出しても目盛りはゼロ、まぁ〜さほど大きな問題ではないと思っていたら
またまたガクガク車体が揺れだした。嫌な予感 2度目のパンクだ、いったいどうなっ ているんだ???
しかし2度目は難なくタイや交換終了 ハバナに近づくに連れ一本道から複数の道が 見えてきた、
しかし大きな分かれ道以外サインらしきものが見えない。
その都度ア レックスは通りすがりの人に道を尋ねる。
郊外ではやはり車は珍しいらしく(しかもピカピカ、 故障は多いが見かけは立派)
しかも車内は見慣れない外国人、
それはそれは食べられるのではない かと思うほど 見つめられちょっと恐かった。
(危険を感じると言うのではなく、物珍しさから来る 好奇心)

市内に入ると私たちがステイしているアンコンビーチとは全く雰囲気が違った大きなホテルが建ち並び、
スペインの面影が伺えた。
真っ先にレンタカーの親会社に行き車のチェックをして貰う。
結局故障が多いと言うとすんなり新しい車に換えてくれた。
同じ車種、色の車だっ た。心なしか私たちも安心 次は日本円を米ドルへの両替、
まずはダウンタウンにある両替所へ、やっと見つけたところは4時まで休みとの張り紙 4時では遅すぎる
私たちはまた5時間かけてホテルへ戻らなくてはならない。 それでは・・とホテルをあたってみることにした。 
何軒か大きなホテルに行ったが何処でも日本円の両替はしないらしい・・・
ガックリ、はるばる両替にやってきたのに。 
やはり日本人観光客はまれなようだ。気を取り直しビーチ目指して車を走らせる。
そこは有名なビーチでもなくほとんどがローカルな人達だけで、平日と言うのもあっ て
私たち以外には2〜3人しかいなかった。 なんてきれいなんだろう!!! 
アンコンビーチはどちらかと言うと黄金色の砂、そ れに比べハバナのビーチは白砂。。。
何処までも限りなく続く海岸線、エメラルドグリーンの海、一瞬時が止まったかのよ うな
静けさの中に私たちだけのはしゃぎ声が響く。。。心の中は ”無” 楽しいひとときで あった。
限られた時間、せっかく来たハバナだから観光もしたいと、車を止め何ヶ所か観光す る。 
とある広場を歩いていると自転車を押した青年が”日本人ですか?”と流暢な日本語 で話しかけて来た。
一瞬キューバでしかも日本語で話しかけられるなんて思っても見なかったので、
一瞬日本語だとは思わなかった。彼は私たちが話していたのを聞いて、
何年か前に日本に留学していたときの事を思い出し懐かしくなり話しかけてきたのであった。
ほんの数分の立ち話であったけれどちょっ とした出会いであった。

幾つか観光名所を見て回ったがスペイン語がわからないのと、
歴史についてよく知っていたならもっと興味深く、違った角度からも見ることができたのではないかと
ちょっぴり後悔。 そろそろ夕暮れ、都会の華やかさに別れを告げ宿泊先のホテルへと向かう。
随分 走ったわりにはガソリンが満タンである??? どうしたのかと思ったが、
きっと壊れているんだ。 返却するときにガソリンを入れ なくていいね〜なんてのんきに考えていた。
市内を出るまでが大変、来るときに見えていた道路のサインが帰る方向のサインは全 く見あたらない、
地図は所持していないし、どんどん辺りは暗くなってくる。その都度道行く人に道を聞きながらのドライブ、
やっとホテルまでの道を見つけた、辺りはすっかり真っ暗。気がつくと何処までも続 く一本道、
山道のようなところを しばし走っていると、野生の牛がのそのそと歩いていたりしていビックリ。 
おまけに激しい雨と雷が私たちの心を一層不安にさせた。 元気づけのつもりで大声 で日本の歌を歌う。。。
いつの間にか雨も上がり、道路脇には沢山の人達が月明かりの中を歩いている。勿論 街頭も、
懐中電灯なんてないやはりいつ来るとも知れぬ車を待ちながら歩いているのだろうか。。。
ぽつぽつと人 家が見えてきた。みんな家の前に座っている、不思議だった夜なのになぜ家の外に…
それは家に電気がないので月明かりの下で夜を過ごしているらしい。 納得……
少し走るとまた人家も人もいないようなところを走っていた、と、突然プスプ ス、ガクガクガックンと
急に車が止まってしまった。いったいどうしたのだろう? ???? あつ! しまったガソリンがなくなった。
アレックスの声に愕然とした。 夜の11時、人一人通る気配もない、先の事を考えると絶望だった。
アレックスが突然 “僕がさっき通り過ぎた村まで助けを求めに行って来る” と言い出した。
通り過ぎてからかなりたっている片道は徒歩では彼の足でもゆうに30分はかかる距離だ、
しかしそれ以外はいつ人が通るともあてのないのを待つしかなかった。アレックスが出かけてから
1時間ほどして 自転車の明かりが見えた。
しかし言葉もわからないし暗闇と言うのもあり、私たちは 恐くなりシートに深く座り姿を隠した。
自転車の人も是といって立ち止まるでもなく通り過ぎていった。ホットした。それ にしても蒸し暑い。
ズート冷房をかけていたので車内は快適であったが冷房が切れて、車内は30度を越 す蒸し暑さ、
窓をちょっと開けると蚊の大群だ。 仕方なく3人車内でぐったりお互い話す元気もなくなっていた。 

1時間半らいたっ ただろうか?アレックスが息を切らして戻ってきた。
“Sorry、村に行ってホテルまで電話して迎えに来て貰おうと思ったけど何処に も電話がなかった。”
当然である村には電気がなかったのである。 ガソリンも車などないので売っているところがない絶望である。
このまま誰かが通りかかるまで待つしかない。4人は無言で車の天井を見つめていた。
どれぐらい時間がたっただろうか? 車のミラーに光が見えた。 
人がやってきたこのチャンスを逃しては次はないと4人揃って 車から飛び降り、通せんぼをした。
私たち以上に相手が驚いたのは言うまでもない。
なんて幸運なのだろう!!! やはり神様はいました。
彼は私たちのホテルで働いている従業員でシフトで交代のため今からホテルに向かうところだったらしい。
私たちのいる場所もホテルまでは10キロ程度でさほど遠い距離ではなかった。
正直私たちはどの辺にいるのかさえも知らなかったのである。
とにかく後はホテルからのお迎えの車を待つしかない。
待つこと1時間弱、長〜い私 たちのハバナへの旅行が終わりホテルに戻ったのは 真夜中の3時だった。

いろいろな事があった1日、疲れていたにも関わらず、気分はハイになっていた。 疲れ過ぎちゃったのかな。
蒸し暑くとっても眠れそうにないのでこっそりプール へと行った。
1日の出来事は過ぎてしまえばなんか笑えてしまう。
月明かりに照らされ泳いでいる のは私たちかと思えば、何匹もの蟹も私たちに付き合ってくれた。
見ればあっちにもこっちにもたくさんい る。何処からやってきたのだろう?
あのときほどの〜んびりプールにつかりお月様を優雅に眺めたことはなかった。
気がつくとプールサイドには一人の男性が座っていた。 見回りの人らしかった。
セキュリティーの意味を込めて私たちが帰るまでついていて くれるとのこと、
私たちもほどほどにして部屋に戻ることに。

次の日はまた朝10時からプールサイド でエアロビのレッスンが待っている。
朝一番で、ホテル内のレンタカーのオフィスに行く。当然あんな目に遭ったのだから、
今日のレンタルはキャンセルだ。
問題なくキャンセル成立、しかしその後 昨日の支払の件で延々と3日間は話し合うことに なった。
私たちの言い分は100%は支払えない、ディスカウントして貰うこと。
アレックスも 事情説明に加わってくれ ディスカウントするべきだと抗議してくれた。
しかし窓口の人はただの手配だけでディスウントする権限がなく、もっともだと同意してくれたが
ハバナの本社にコンタクトをとって承認して貰わないと何とも言えないとのこと。。。。
電話があるにはあるがなかなか通じない、いったいどんなシステムになっているのか?
3日目やっとコンタクトがとれ交渉の末40%引きにしてくれた。私たちも納得の上支払を済ませた。

ちなみにこのとき日本、カナダへ絵はがきを送ったが
日本へはすっかり旅行気分も消え、忘れかかった3ヶ月後届いたそうで す。
カナダまでは1ヶ月かかり、
アメリカを経由出来ないので長い長い船旅だったようで す。
midori.S.



☆☆ 東京の青山通り(国道246)に面した 近代的な建物のカナダ大使館
オープンに利用できる 資料等が豊富 カナダについて知るにはいい環境になってます

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